第3話 牢屋の中の魔人兵②
フラグが立ったということはイベント発生の条件が整ったとみてよい。負けイベントから閉鎖空間への強制移動であったため、それに続くイベントがあって当然のことである。
ここから考えられる次の展開はそう多くない。何者かが助けに現れるパターン。何かトラブルが起きて混乱に乗じて逃げるパターン。脱出に繋がる重要な何かが牢屋に隠されていて、それにより脱出できるパターンなどである。
兵士に殴られてフラグが立ったということは、それに何か意味があるということだ。兵士はサカキを殴るために一旦、牢屋に入ってきた。その時、兵士は何か落とし物をしたのではないだろうか。
例えば牢屋のマスターキー。しかし、マスターキーなんてものは、そもそも厳重に保管されるものであり、都合よく持ち歩いていて、都合よく落とすものなのか。そんなアホなことが……とも思うが、所詮は個人制作のゲーム。そんなアホなことがいともたやすく起きるのである。
(ヒトツク収集歴10余年の俺をなめんなよ!)
サカキはしたり顔となって牢屋を調べ始めた。と言っても4畳程度の狭い牢屋である。配置されている物も薄汚いベッドの他、小さな机、椅子ぐらいなものである。あっという間に調べ終わってしまった。結論は何もなかった。
(なんでだよ! 俺の完璧な理論に間違いなど――)
ふとトイレに目がいった。せいぜい周囲を探す程度であったが、まさかトイレの中とかではあるまいな。サカキはトイレの中を覗き込んだ。
一言でいうと汚い。内側の表面は若干黄ばんでいて、底に溜まっている水はなんと透明ではない。人間ドック後の排便後の状況――バリウムを溶かしたような乳白色である。サカキは20代後半ぐらいから急激に太りだしたこともあり、自身の体調を気にして定期的に人間ドックを受診することにしている。バリウムを飲んで排便した時、トイレの水を流しても濁りがなかなか取れなかった経験を思い出していた。
捕らえた人間にわざわざ人間ドックを受けさせていたとでもいうのであろうか。そう考えるとやけに人道的な監禁施設だと思うが、さすがにそんなことはなく、好意的に解釈して人体実験を行っているとかであろうか。
ゲーム制作において、そんなことは十中八九、何も考えていないとは思う。設定の雑さは別として、トイレの水が不透明で底が見えない状況というのは少し怪しい。手を突っ込むべきか、突っ込まないべきか……しばし悩んだ末、所詮ゲームの世界であると考えサカキは手を突っ込むことにした。
「ぐああ!」
激痛が走り、サカキは床を転げ回った。右手の先から粗いポリゴンの粒が噴出していて、ステータスを確認すると「毒」とあった。痛みに耐えながら、サカキはインベントリから毒消し薬と回復薬を取り出し、事なきを得たのであった。
(この騒ぎでなんでさっきの兵士が飛んでこないんだよ! おかしいだろ! それにそんな自害ができそうなものを牢屋に配置するんじゃねえ!)
つっこみ出したらキリがなかった。フラグが立つ音もなかったため、トイレの中はブラフでゲーム制作者の罠にまんまと嵌った形ということである。それはともかく他にやれることもないため仕方なく、サカキは牢屋の門扉をもう一度ガシャンガシャン揺らしてみた。
その結果は兵士がやってきて、サカキはぶん殴られる。この繰り返しであった。しかし、またフラグの立つ音が聞こえた。その後――。
コン、コン。
壁から音が聞こえてきた。どうやら同じ行動を繰り返すことがイベントの進行条件だったようである。サカキも壁を叩いて同じような音を出して応答してみた。
「あんた、新入りだろ? 2回もわざわざぶん殴られるなんて、よほど反骨心があるんだな。気に入ったよ。魔人兵に気付かれるとまずいから、黙って聞いてほしい」
壁の向こうから手練れっぽい女の声がした。
(ああ、いいな。この予定調和な感じ)
サカキはニヤニヤが止まらなかった。
女の話は要約するとこのような話である。この監禁施設は魔王が自身の手駒となる魔人兵を生産する工場の一施設なのだそうだ。魔人兵の材料は人間。つまり捕らえた人間に人体実験を行っていたというサカキの推測は、あながち間違いではなかったということである。しかしそれはあくまで好意的に解釈した結果であり、大方ゲーム制作者の雑な設定の産物であろうと考えていたサカキは少しバツが悪くなった。
魔王の軍勢に抵抗する人間側の勢力をレジスタンスと言い、実力ある人間の戦士をさらって魔人兵と化してしまう魔人兵生産工場はレジスタンスにとって頭の痛い問題だったそうだ。しかし、魔人兵生産工場の位置は厳重に秘匿されていた。そのため、壁の向こうの女はお互いの位置を把握できる一組の魔道具の片割れを所持し、行方不明者が多く発生する土地でわざとさらわれることによって位置を特定するという試みを行ったというのだ。
魔道具をバレずに体内へ隠すために苦労したそうだが、うまく持ち込むことに成功し、そのかいもあって魔道具の反応は日増しに強くなっているそうだ。その反応によると、もう助けが来る日は近いのだとか。そして、その助けが来た際はサカキをレジスタンスに誘ってくれるのだそうだ。
サカキはその日が来ることを――物語の主役になれることを心待ちにしていた。
◇
女から話を聞いてから、何日も経ったと思われた。思われたというのは、太陽が昇ったり沈んだりが分からず、ただ眠くなったから寝るということを繰り返していたからだ。レジスタンスとやらが助けに来る気配はない。話がしたくて壁を叩いて女と話そうとするも反応はない。
サカキは一つの可能性にたどり着いた。女の話を聞いてフラグが立った気配がなく、嫌な予感がしていた。気付いていながらそれを認めたくなかったのかもしれない。
(次のイベントが作られていない? もしくはフラグ設定ミスなのでは?)
もうこの先の展開は望めそうにない。このまま牢屋に閉じ込められているつもりもさらさらなく、ゲームリセットを考え始めたサカキであったが、最後にまだやり残したことはないかと思案した。
(もう一回、魔人兵を呼んでみるか)
別にこのゲームの思惑どおりにイベントを進める必要はないのだ。サカキの口角がニイと上がった。
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