第14話 皇帝と交渉する。譲位の約束を取り付ける。

 宮殿の中は、セレナイフ家の手勢でいっぱいだった。

 赤い絨毯じゅうたんが敷かれた廊下で、四方八方から襲ってくる兵を俺とカミラで対処しながら、俺達は宮殿の奥へと進んでいく。


「あ、あの……これ、もしかして私達ってただの足手まといなんじゃ……?」


 クラリスが申し訳なさそうに言ってくるが、俺は首を横に振った。


「エリシャがいないと宮殿に入る大義名分がないし、お前がいないと俺が死にかけた時に詰むだろ?」

「……カイルくん。それ、暗に私は必要ないって言ってます?」

「いや、あんたはどっちかって言うと、今後……親父殿を倒したあとに、力を借りたいからってのが大きいからなぁ」


 シャフレワル家とセレナイフ家の最後の一人(俺のことだ、一応)の後ろ盾を得た皇女なら、他の皇家や貴族からも軽んじられることはあるまい。

 なので、メリエルはこの戦いに無理についてくる必要はないし、来る前にもそう言ったつもりだったのだが……メリエルとしても、この戦いに参加して、シャフレワル家のためにエリシャに恩を売っておきたかったのだろう。

 そういう政治的な判断ができるところは、素直に頼りにしていた。


「……もうっ。私だって一応、学園じゃ指折りの実力者なんですからねっ! まぁそりゃ、正規の軍人相手にカイルくんみたいな立ち回りはできませんけど……」


 メリエルが珍しく不貞ふて腐れているが、面白いのでそのままにしておくことにした。


 エリシャの案内で宮殿の奥に進み、皇帝の寝室に向かう。

 寝室に近づけば近づくほど兵の数が増え、抵抗が増えていくのが鬱陶うっとうしいが、俺とカミラの敵ではなかった。

 そのまま勢いに任せて廊下を突っ切っていくと、ひときわ多くの兵が警護している部屋を見つける。


「あそこがお父様の寝室よ」

「気をつけてください、カイルくん。中に明らかに強力な魔力の持ち主が二人います。おそらく……」

「親父殿か」


 もう一人はたぶん、執事のアルフレッドだろう。

 親父殿の腹心だけあって、このクーデターにも参加していたか。


 寝室の警護をしている兵達が、俺達に気づいて魔法を構築し始めるが――俺は斬空ざんくうを飛ばして全員を斬り伏せた。

 周囲に敵がいないのを確認してから、俺達は皇帝の寝室の扉を開ける。


 皇帝の寝室はやたら広く、二十メートル四方はあった。

 部屋の奥には天蓋てんがい付きの大きなベッドがあり、壁際には衣装部屋に続くドア以外には、書架がいくつか並んでいるだけだった。


 その部屋の中央で、見知った顔が知らない男に斧を突きつけていた。

 ライオンのたてがみのような赤毛とヒゲをたくわえ、漆黒の鎧と巨大な斧で武装した男――ヴァルド・セレナイフ。

 そのかたわらに立つ、白髪しらが頭をオールバックに整えた燕尾服の男――執事アルフレッド。


 そして――華美な寝間着姿で床に這いつくばり、首元に斧を突きつけられている五十歳前後の男――おそらく、この男が皇帝であり、エリシャの父親なのだろう。

 皇帝のそばには、彼と同い年くらいの太った男が血を流しながら倒れている。

 原作で見覚えのある金髪と派手な衣装からして、宰相のエクトル・レヴァインと見て間違いないだろう。

 ……胸から血を流して動かない以上、どうやら宰相はすでに殺害済みみたいだな。


 俺達の入室に気づき、ヴァルドとアルフレッドがこちらに視線を向けてくる。

 アルフレッドは俺を警戒して腰の細剣を抜くが、ヴァルドは相手にする価値もないと言いたげに俺達から視線を外すと、再び皇帝を見下ろした。


「さあ、陛下。早く私に皇位こうい禅譲ぜんじょうなさると言ってください。私もこう見えて忙しい身でね。いつまでもこんなことに時間を費やしているわけにはいかないのですよ」

「ふ、ふざけるなっ! 誰が貴様のような逆賊に……っ!」


 皇帝は怒りに染まった顔でヴァルドに反論してから、こちらに視線を向けた。


「そのほう達っ! あとで褒美を取らせてやるから、早くこの逆賊どもを討つのだっ!」

「……僭越せんえつですが、陛下。褒美の内容について詳しくうかがっても?」


 一歩進み出て皇帝の言葉に答えたのは――エリシャだった。

 皇帝は彼女の顔を忌々しげに注視してから、ようやく相手が自分の娘であることに気づいて目を丸くした。


「なんだ、お前はエリシャではないか。貴様、まさか褒美の内容次第ではを助けないなどとは言うまいな?」

「ご冗談を、陛下。ただ……気に入らぬ褒美であれば、私の手のものも戦うモチベーションが上がらないかもしれません。そうなっては、陛下を助けられなくても仕方がありませんよね?」

「……貴様、余の命を交渉材料にするつもりかっ!? 下民の腹から生まれただけあって、なんと卑しい性根をしておるっ!」


 …………こいつ、自分が助けてもらえるのが当然だと思ってるのか?

 いや、エリシャやクラリスなら当然助けるに決まってるが、俺やカミラがこんなやつを助ける気になれるはずがない。

 そもそも、こいつは長年エリシャを不当にしいたげ続け、エリシャが『お飾りの皇女』と呼ばれるようになった元凶だ。

 俺としては、一発くらいぶん殴ってやらないと到底気持ちが収まらない。


 俺が前に進み出ようとすると、エリシャがこちらを振り返らずに手を上げ、俺の動きを制した。

 ――自分に任せろ、ってことか。

 思えば俺がエリシャと出会った頃、彼女は父親からの愛情を得ようともがいていた。

 エリシャはきっと、今この場で家族への執着を断ち切ろうとしているのだろう。


 俺が足を止めたのを察したのか、エリシャは鉄壁の皇女スマイルを浮かべて皇帝に答える。


「褒美について教えていただけないのなら、仕方ありませんね。私どもは部屋の外で待っておりますので、御三方で続きをどうぞ。事が終わりましたら、今度はセレナイフきょうと話をつけさせていただきます」

「き、貴様……っ! 余が殺されるのを待ってから、ヴァルドを討って皇帝の座を奪うつもりかっ!?」


 皇帝の言葉に、エリシャとメリエル以外は目を丸くした。

 エリシャのやつ、この状況を利用して皇帝の座を手に入れるつもりかよ。随分思い切った考えというか、無茶苦茶なことするな……

 だがまぁ……正直に言えば、目の前でぎゃんぎゃんわめいて文句を言うだけの老人や、ヴァルドのような戦争狂いが皇帝の座につくより、エリシャのほうがマシなのは間違いない。


 このチャンスを逃せば、エリシャが皇位継承できることはまずない。

 逆に言えば――ここで皇位の禅譲ぜんじょうを得られれば、エリシャの理想に一気に近づくことができるはずだ。


 皇帝はツバを飛ばしながら、大口を開けてエリシャを罵倒してくる。


「なんというゲスな考えを……それが皇家の人間の取る行動かっ!」

「申し訳ございません、陛下。なにぶん、幼少の頃から皇家の方々とまじわる機会が少なく、皇家のしきたりなどにはうといもので」

「ぐっ…………屁理屈ばかり並べおって……っ!」


 皇帝が怒りで顔を真っ赤に染めるが、エリシャはにこやかな笑顔を浮かべたまま、まったく表情を崩さない。

 と、二人のやりとりを黙って聞いていたヴァルドが、斧を床に叩きつけた。

 斧がギロチンのように鼻先をかすめて行き、皇帝がチビって寝間着の下腹部にシミを作る。

 だがエリシャは微塵みじんも動揺した様子を見せず、ヴァルドに視線を向けた。


「あら、セレナイフ卿。ご挨拶もなくに割り込んでしまって申し訳……」

御託ごたくはいい。貴様も、望んでいるものは同じというわけか」

「そうなりますね」

「俺がこの男から正式に禅譲ぜんじょうされたら、貴様はどうするつもりだ?」

「陛下がそのような決断をなさることはありません。もしそんなことが起こるとしたら……きっとその陛下は偽物で、皇位と帝国の民をいたずらにもてあそぶ反逆者にほかなりません。あなたともども、私達の手で偽物を葬り去ってみせますわ」

「なっ……!?」


 エリシャのハッタリに、皇帝は驚愕のあまり絶句する。

 …………まぁエリシャの性格を知ってる俺達からすれば、エリシャがそんなことできるわけがないのはわかるが、皇帝は本気で信じたようだった。

 このくらい言わなければ、皇帝がエリシャを畏怖いふすることはないだろう。

 エリシャを敵に回してならない――そう皇帝が思って初めて、ようやくこの交渉は成立するのだ。


 ヴァルドは眉一つ動かさぬまま、エリシャに問いを重ねる。


「貴様、本気で俺に勝てると思っているのか?」

「そのつもりでなければ、のこのことここまで来て、あなたの目の前でこんな交渉はしませんわ」

「……いい度胸だ」


 ヴァルドは獅子が牙をくように、獰猛どうもうに笑った。

 だがエリシャは皇女の笑顔で圧をはねのけてから、皇帝に視線を戻す。


「さて。陛下、どうするか決まりましたか? 私に褒美として皇位を譲り、命を助けてもらうか。それとも、セレナイフ卿に禅譲して私に粛清されるか」

「くっ……!」


 皇帝はがたがたと全身を震わせながら、怯えた目でエリシャを見上げる。

 自分が小便をもらすほどビビっているヴァルド相手に、エリシャが対等に渡り合うのを見て、ようやく皇帝はエリシャに対する認識を改めたらしい。


「…………わ、わかったっ! ヴァルドを止められたら、エリシャ、貴様に皇位を譲ってやるっ! だが貴様が負けたら、余はヴァルドに皇位を譲る! それで双方文句はあるまいっ!」


 結局、皇帝は自分の責任を放棄することが最適解だと判断したらしい。

 エリシャは少しだけ失望と軽蔑を顔に出してから、すぐに鉄壁の皇女モードに戻る。


「ありがとうございます、陛下。それでは早速、陛下の身を守らせていただきますわ」


 エリシャは言って、ヴァルド達に背を向けた。

 俺とカミラの背後に移動する途中――エリシャはすれ違いざまに、俺にささやいた。


「次はあなたの番よ」


 それはきっと、俺が活躍する番という意味だけではあるまい。

 エリシャは理想のため――皇家の本来の役目を果たすために、血の繋がった家族と決別けつべつする道を選んだ。

 ならば今度は――俺がエリシャの剣として役目を果たし、セレナイフ家と決別する番だ。


 俺はエリシャの代わりに一歩前に進み出ると、腰にいた魔剣を抜き放つ。


 戦闘開始の合図は、それだけで十分だった。

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