第23話 神の秘術と戦う。決着をつける。

 アルスはところどころ溶け落ちた刀を構えたまま、俺に向かって走り出す。


 俺は長剣を構えながら、どうやって迎え撃つか必死に思考を巡らせる。

 はっきり言って、神の領域の第八階梯かいてい魔法――炎の神剣フワルナフとまともに打ち合いたくなどない。

 魔法が効かない俺の体質でも、あれを受けて燃えカスにならないという自信も保証もない。


 遠くから攻めるか、背後に回り込んで攻撃するのが確実だが――アルスの後ろにはツムギが追随しており、背後に回り込めばツムギに足止めをくらい、アルスの餌食えじきになることは容易に想像がつく。

 俺はとっさに判断すると、全力で石造りの床を踏み砕いた。

 空中に跳ね上がった石片を指で弾き、弾丸のようにアルスへ射出する。


 飛来した石片を、アルスは炎の剣を一振りして焼失させた。

 その凄まじい火力に本能が恐怖を覚えるが、俺はそれを必死に抑え込んだ。


 ――遠距離攻撃もダメなら、命がけで踏み込むしかない。


 俺は震える身体を気合で律して、アルスに向かって駆け出す。

 アルスが横薙ぎにフワルナフを振るのを筋肉の動きで察知し、俺は前進のスピードを殺さずにスライディングで斬撃を避ける。


 スライディングした先では、当然ツムギが待ち構えていた。

 やつは俺のスライディングに体ごとぶつかると、俺の四肢に手足を絡ませてくる。

 ともに地べたに転がりながら俺の身体を拘束すると、ツムギは死への恐怖を微塵みじんも感じさせない無感情な声で言った。


「アルス様、ツムギごと斬ってください」

「……すまない、ツムギ」


 地面に転がる俺達を見下ろしながら、アルスは頭上にフワルナフを掲げ上げる。


 ――まずい! このままじゃアルスを殺せないまま殺されちまう!


 全力で抵抗してツムギの拘束から逃れようとするが、なかなか拘束から逃れられない。

 俺は首を伸ばし、俺の左手首をつかんでいるツムギの右小指を噛みちぎった。

 小指を失って握力が激減したツムギの手を振り払い、自由になった左手で石畳を叩いて横に跳び、なんとかアルスの斬撃から逃れる。


 ツムギは小指を失ってもほぼ表情を変えることなく、頑なに俺の動きを拘束しようとしてくる。

 俺はほとんど反射的に、左手でツムギの首を絞めた。


 ――このまま力を込めれば、首の骨をへし折ってこいつを殺せる。


 だが、俺にはそれができなかった。

 こいつは善悪の区別もなく、アルスの命令に――エルロード王家の王命に従っているだけだ。

 アルスは自分の意思で今までの悪行を仕組み、俺達の命を手玉に取ってきたが、こいつは違う。

 そんな甘い考えを捨てきれず、俺は彼女を殺す判断を下せなかった。


 と。


「カイル!」


 声がした。

 いつものように涼やかで芯の通った声は、俺には神の福音ふくいんのようにすら聞こえた。

 声のほうに目をやると、エリシャが壁に背を向けて立ったまま、自分の右手を指さしてから俺を呼ぶように手招きしていた。


 その意味するところをすぐに理解し――俺は右手の剣を左手に持ち替えると、エリシャに向けて長剣を投擲とうてきした。

 長剣がエリシャのすぐそばの壁に突き刺さると、彼女はすぐにそれに手を触れて魔石に魔力を込め、魔法を構築する。


 瞬時に第三階梯魔法フローズン・バインドを構築すると、アルスの足元へ向けて解き放ち、やつの両足をその場に固定する。

 アルスはそれに舌打ちした。フワルナフで拘束を解こうとすれば、加減を間違えば自分の足や床まで斬りかねない。

 フワルナフの性質上、斬ったものは灰になるまで燃やし尽くす。

 足を斬れないのは当然として、床を斬ってしまえばこの建物はまるごと燃え落ちるだろう。

 そうなれば、アルス達自身の生存も危ぶまれる。


 アルスの動きが止まったのを確認して、俺は改めてツムギの額に頭突きをかました。

 重い一撃を受けてツムギは昏倒し、ようやく俺はすべての拘束から脱する。


 立ち上がってアルスを見ると、やつは別の火魔法を構築して足の拘束を溶かしたところだった。

 気絶したツムギを確認し、俺とエリシャを交互に見てから、重々しいため息をもらす。


「……君達二人を同時に相手にするのは、さすがに分が悪いね。僕としても、君達全員を殺すわけにはいかないし」

「自分が殺す側って認識か? さすがに考えが甘すぎだ。この状況で、お前に勝ち目なんてあるわけないだろ」

「それはどうかな?」


 アルスは不敵に笑うと、ツムギのほうに視線をやった。


「君はまた、敵を殺さなかったんだね」

「それがどうした」

「それだけの力を持ちながら、君はツムギも、ロルフも、傭兵も、クルトでさえ殺さなかった。いや……それとも、のかな?」

「……何?」


 俺が問い返すと、やつは皮肉げに口の端を吊り上げてみせた。


「『奪われる側の痛みを知りやがれ』、だっけ? 確か、あの傭兵団と戦った時に言ってたよね? よくはわからないけど、君は過去にさんざん虐げられてきたみたいだね」

「…………黙れ」

「おかげで、君は力で何かを奪おうとする人間を毛嫌いしているんじゃないかな? だからこそ、自分の手で――」

「黙れって言ってんだろっ!」


 感情に任せて吠えるが、それはアルスの言葉を肯定したのと同じだった。

 俺の反応を見て、アルスは憐れむような視線を向けてきやがった。


「君はあまりに強すぎるからね。君の中の真っ当な倫理観が、自分の強大な力で人を殺すことはと思って無自覚に殺意を封じてきたんだろうね。でも、僕は違う」


 アルスは言って、フワルナフを構え直す。


「僕は必要なら、共に過ごした友人も、心から愛した恋人も、血を分け合った親族でさえも殺してみせる。まともな倫理観なんてとっくに捨てた。そんなものは目的の邪魔になるだけだからね」

「……それが正しいと思ってるの、アルス?」

「正しいとか正しくないとかじゃないんだよ、エリシャさん。帝国に国を焼かれた後、僕の心は完全に壊れてしまったんだ。復讐を果たさない限り、永遠に正気を取り戻すことはない。不殺ふさつだの理想だの、御託ごたくを並べ立てる力も余裕も、僕にはないんだよ」


 他愛のないことでも話すように言ってから、アルスは自嘲するように笑った。


「……でも、それもここまでだね」


 諦めたように言ってから――アルスはフワルナフで、石畳の床を貫いた。

 触れたものを灰にするまで止まらない炎が、石畳を焼いて更に燃え広がる。

 炎は見る見る内に広がっていき、すでにアルスの周囲は炎で近づけないようになっていた。


「アルス! お前、どういうつもりだ!?」

「見てわからないかい? 万に一つも勝ちを拾えない状況だからね。せめて死に方くらい、自分で決めようと思っただけさ。君達皇家や二大名家に殺されるのもヘドが出るし、捕まって帝国の法で裁かれるのも死んでもごめんだからね」

「アルスさん、早く術を解いてください! 今ならまだ、延焼を止められますっ!」

「もう無理だよ、クラリス。ここで死にたくないなら、君達はさっさと逃げるんだね」


 眩いほどの炎に包まれながら、アルスは最後までいつもの胡散うさん臭い笑顔を浮かべた。

 俺は歯噛みしてから、エリシャとクラリスの元へ跳ぶ。

 彼女たち二人を抱きかかえ、更にツムギを回収しようとしたところで――ツムギが目を覚まし、俺に向かって拳を構えているのに気づいた。


「バカかお前! このままここにいたら死ぬんだぞ!?」

「……ん。それでいい。アルス様と最期までともにあることが、ツムギの使命」


 そう応じるツムギの目に、死への恐怖など微塵みじんも感じられない。

 俺は両手でエリシャとクラリスを抱えており、ツムギを抱える余裕などない。

 燃え広がる炎の中で、二人を抱えたままツムギと戦う危険は犯せないし、麻痺毒で弱っている俺ではツムギを倒すのにも時間がかかる。


 ――クソっ! 見捨てるしかないのか!


 俺は吐き気がこみ上げてくるのをこらえながら、ツムギを見殺しにするための一歩を踏み出そうとして――


「カイル、命令よ」


 エリシャの声に、俺は動きを止めた。

 彼女は俺に抱えられたまま、痛みをこらえるような顔で俺を見上げて、言う。


「ツムギを見捨てて、私達を連れてこの場を脱出しなさい。これはあなたの判断じゃない、

「…………っ!」


 エリシャの言わんとしていることを理解して、俺は自分のあまりの情けなさに死にたくなった。


 ――彼女は俺自身に『人殺し』の決断をさせないために、決断を肩代わりしてくれたのだ。

 彼女を守る剣になると約束したのに、本当に情けない。

 もう二度と、彼女にこんな決断は下させない。

 彼女の理想を、俺ごときの弱さで汚させるわけにはいかない。


 俺は決意を胸に刻んで、地下室の階段へ駆け出した。

 上階につながる扉を蹴破り、玄関のドアを開けて外に飛び出す。


 深夜の住宅街の涼やかな空気には、すでに焦げ臭い匂いが混じっていた。

 俺達が出てきた二階建ての建物は、見る見る内に炎が広がって焼け落ちていく。

 数分と経たずに焼け落ちる建物を見届けながら、俺達は何も言葉を発することもできなかった。


 すべてが終わって緊張が解けたのか、急に立ちくらみがした。

 俺はその場にひざをつき、今更ながらに立ち眩みの原因に思い当たった。


 ――そういや俺、腹にケガしてたんだった。

 アルスの言葉が本当なら、一時間足らずで出血多量で死ぬって話だったな。

 あれから二十分も経っていないはずだが、どうやら派手に動き回ったせいで傷口が広がり、出血量が増していたらしい。


「カイル!? 大丈夫!?」

「カイルさん、しっかりしてください!」


 両隣からエリシャとクラリスの声が聞こえてくるが、それすらも俺には遠く聞こえる。

 凄まじい脱力感に抗う術もなく、俺は意識を手放した。

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