第22話 拘束を解く。形勢逆転する。

 俺は腹から流れ出る血を見下ろしながら、胸中でほくそ笑んでいた。


 ――麻痺毒に侵された血が流出したおかげで、麻痺からの復帰速度が上がっている。

 この五分程度の時間で、すでに本来の身体能力の十分の一ほどが回復している。

 完全回復する頃には失血死している計算になるが、アルス達相手にそこまでの力は必要あるまい。


 一瞬だけ、数メートル先のエリシャと視線が絡む。

 その一瞬で、エリシャは俺の目が死んでいないことを即座に察知してくれたようだった。

 俺を動きやすくするため、自分に注目が集まるように、エリシャは大げさに狂乱して見せる。


「こんなことをしておいて、私達があなたを信用できると思うの!? 信用できない相手と手を組むなんて、絶対にありえないわ!」

「さっきも言ったろう。僕は君達の信用なんか必要としていないんだ。君達の選択肢は二つだけ。だよ」

「本当に、見下げ果てた男ね! こんな人と友人付き合いをしていたなんて、自分の見る目のなさにがっかりするわ!」

「それは悪かったね。でも、僕にとっても残念なんだよ? 君達のことは本当に友達だと思っていたからね。君達となら同じ理想を抱いて戦えると思っていたんだけどな」

戯言たわごとを言わないでっ!」


 エリシャが勢いよく騒ぎ立てるので、アルスは思わず彼女の首筋から長剣を引いた。

 アルスとツムギの視線が完全にエリシャに釘付けになり、俺の存在が全員の意識の外に置かれたのを確認してから、俺はエリシャの怒声に合わせて、手首を拘束する鎖をほどける寸前まで引っ張る。

 これでいつでも手を自由に動かせるようになった。動き出す準備は万全だ。


 俺がエリシャに向けて小さくうなずきかけると、彼女は拘束されたままじたばたし始め、更にアルスに騒ぎ立てる。


「皇族の私はどうなってもいい! でも、自分の復讐をなしとげるために、無関係のクラリスまで巻き込むなんて正気じゃないわ! あなたみたいな人に手を貸すなんて、絶対にありえない!」

「で、でもエリシャさん……」

「威勢がいいのは結構だけど、わめき立てても状況は少しもよくならないよ? 感情論は抜きにして、皇女としてもっと冷静に判断をくだすべきじゃないかな」

「私は冷静よ! 私は……帝国は、あなたみたいな卑劣漢に絶対に屈しないわ!」

「…………言ってくれるね」


 アルスの顔から、余裕の色が消える。

 と同時に、俺のかたわらに立っているツムギも、アルスが怒りで何かしでかさないか注視する気配がした。


 ――行動を起こすなら、今しかない。


 俺は瞬時に手首の拘束を解くと、体を縛っている鎖を引きちぎった。

 ツムギが数瞬遅れて俺の動きに反応するが、遅すぎる。

 俺は自由になった体で、ツムギを壁際まで蹴り飛ばしてから、アルスの元へ駆け出した。


 ツムギが蹴り飛ばされた音を聴いて、ようやくアルスは俺の動きに気づいたらしい。

 顔を驚愕に歪めながら、やつはエリシャの首筋に長剣を突きつけようとするが――それも、あまりにも遅い。

 長剣を握ったアルスの腕をつかむと、腕をへし折って長剣を手放させる。

 俺はアルスの顔面をぶん殴り、やつも壁際まで吹き飛ばす。


 アルスが壁に激突する瞬間――ツムギがアルスと壁の間に入り、アルスのダメージを抑えようとする。

 アルスの代わりに二度も壁に激突したツムギは、小さく苦鳴を上げて肋骨のあたりを押さえた。おそらく、骨が何本か折れたのだろう。


 俺に殴られた痛みで冷静になったのか、アルスの顔からは怒りの色は消えていた。

 いつもの余裕ぶった計算高い顔に戻ると、ツムギの負傷と自身のダメージ、そして俺の戦力を素早く計算し、この場を切り抜ける最善策を探しているようだった。


 アルスが落とした長剣を拾い上げると、俺はエリシャとクラリスを拘束する鎖を断ち切ってからにやりと笑ってみせた。


「これで形成逆転、だな」

「カ、カイルさん、今すぐ回復を……っ!」


 クラリスが慌てて立ち上がり、俺の持つ長剣の魔石を使って、腹の傷に回復魔法をかけてくれる。

 だが当然、彼女の魔法は俺の体に何の影響も及ぼさない。それでも、クラリスは必死に魔力を込めて回復魔法を発動させ続けている。

 と、エリシャがクラリスの横に立って、そっと彼女の腕を俺の腹から離した。

 クラリスが抗議するようにエリシャを見るが、エリシャの表情を見て言葉を飲み込んだようだった。


 そのやりとりを見届けてから、俺はアルスのほうに視線を戻す。

 やつは折れた歯を吐き出してから、口元の血を拭いながら思案げにつぶやく。


「……なるほど。失血で毒の効果が薄まったのか。これは完全に僕の計算ミスだな」

「のんきに反省してる場合か? お前今、超ピンチだぜ?」

「それは君も同じじゃないかな?」

「は? 俺のどこがピンチなんだよ」


 俺が半笑いで応じると、アルスは胡散臭い笑みを浮かべて答えてくる。


「僕達に逆らったってことは、僕達にはもう君を回復させてあげる義理はないってことだよ。君、魔法が効かない体質なんだろう? 案の定、クラリスの回復魔法も効いてないみたいだしね」

「そ、そんな……っ!?」


 背後でクラリスが愕然とした声を上げるが、俺は構わずアルスに答える。


「それがどうした」

「そんな君でも、睡眠薬や毒が効いたみたいに、経口摂取で体内に取り込む薬なら効果がある……つまり、回復薬なら効くんだろう? 君のその傷を治すために、僕らは回復薬も用意していたんだけどね。今の君の態度じゃ渡す気になれないな」

「なら、力づくで奪えばいいだけだ」

「僕がそんな間抜けに見えるかい? 君達にわかるような場所には置いていないし、探すだけ無駄だよ。ついでに言えば、今は深夜で薬屋もやってない。君が傷を治すには、無人の薬屋に盗みか略奪でも働く必要があるだろうね。そうなれば君も追われる身だ。品行方正な皇女殿下が、果たしてそれを許してくれるかな?」


 ……つまり、自分に従わなければ俺は死ぬ、って言いたいわけか。

 まったく、バカなやつだ。


?」

「……何だって?」

「聞こえなかったのか? 俺の命なんざ、どうだっていいって言ってるんだよ。俺はエリシャの剣だ。エリシャにあだなすお前を殺して死ねるなら、俺にとっちゃ本望だぜ」

「…………イカれてるな、君は」


 アルスは心底理解できないと言いたげにかぶりを振った。


「カイル……あなた、それ本気で言ってないでしょうね?」

「そ、そうですよ、カイルさんっ! 死んだりなんかしちゃダメですっ!」


 背後からエリシャとクラリスが抗議してくるが、俺は答えずにアルスを睨みつける。

 アルスは完全に俺を説得するのを諦めたらしく、逃げるか俺を殺すかを天秤にかけているようだった。


 だが当然、俺はアルスを逃がす気はない。

 俺が長剣を構えると、やつは深々と嘆息をもらした。

 アルスもツムギから刀を受け取り、左手で正眼せいがんに構える。


「……どうやら、逃がしてくれる気はなさそうだね。仕方ない。なら、僕も本気で相手をしてあげるよ」


 言って、アルスは刀の魔石に膨大な魔力をかき集めていく。

 魔力が光の粒子となって渦巻き、輝きを増していくのを見て、俺は肌が粟立つのを感じた。


 ――あれを発動させたらまずい!


 慌てて地面を蹴るが、俺の動きを遮るようにツムギが立ちはだかってくる。


「邪魔するなっ!」


 ツムギの肩に本気で長剣を叩きつけるが、ツムギは俺の斬撃を手甲てっこうで受け止めた。

 本調子ではないとはいえ、俺の一撃を受けて腕の骨にヒビが入ったのか、ツムギは顔をわずかに苦痛にゆがめたが、俺に組み付いてアルスの魔法が完成するまでの時間を稼いでくる。

 俺がなんとかツムギを引き剥がし、アルスのほうに蹴り転がした頃には、アルスの魔法は完成していた。


 アルスが構えた刀の刀身に、眩いほどに輝く炎が渦巻いている。

 炎が放つ凄まじい熱を受けて、刀の刀身は徐々に溶け落ちていく。

 原作で重要なイベント戦闘でしか使われなかった最悪の魔法が完成するのを見て、俺は体が震え出すのを止められなかった。


 息を呑む俺を見て、アルスはやつらしくない獰猛どうもうな笑みを浮かべる。


「エルロード王家に代々伝えられる、神の秘術――第八階梯かいてい魔法。触れたものを焼き尽くすまで止まらない、暴虐の炎フワルナフ。君の無敵と神の御業みわざ、どちらが勝つか試してみようじゃないか?」

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