第20話 囚われる。脅される。

 目が覚めると、光ひとつ差し込まない暗闇が広がっていた。

 身体を動かしてみるが、身体に力が入らない。どうやら麻痺毒の類を投与されたらしく、指に力を入れるのさえ一苦労だった。


 闇の中で目が慣れるのを待ってから、周囲の状況を確認する。

 どうやら俺は、地下室の柱のような場所に吊るされているようだった。

 両手は後ろ手に鎖で縛られ、両足も歩行ができないように手錠のように拘束され、身体も厳重に柱に縛り付けられている。

 口には布の猿ぐつわが噛まされており、声もまともに発することができない。


 少し先では、エリシャとクラリスがベッドに寝かされていた。

 彼女達も俺と同様、両手両足を拘束されており、いまだ睡眠薬の効果が切れておらずに寝息を立てていた。


 俺は拘束から逃れようと必死に身体に力を込めるが、まったく無意味だった。


「逃げようとしても無駄」


 つぶやくようなか細い声は、俺の背後から聞こえてきた。

 俺は緩慢な動きで首をひねると、なんとか声の主を視認した。


 地下室の壁に背を預けるように立っていたのは、栗色の髪のねこ獣人――ツムギだった。

 彼女はレストランで会った時のエプロンドレスではなく、見覚えのある黒装束を身にまとい、微塵みじんも隙を感じさせずに俺を見据えていた。


 ――なるほど。こいつが俺を襲った刺客だったのか。

 今にして思えば、背丈も黒尽くめのそれと合致する。全身を黒装束で隠してしまえば耳を尻尾も隠せるし、女の体格もごまかせる。

 声で性別が判断つかなかったのは、おそらくこいつらの特殊技能のせいだ。

 アルスが率いる諜報部隊――『影の部隊』の一員なら、声音をごまかすくらいは容易だろう。

 俺とひとりで渡り合ったところからして、一員どころか筆頭クラスの実力者でも驚きはしない。


 俺が原作でツムギを見たことがないのも道理だ。なぜなら、彼女は原作では常に黒装束を身にまとっていて、素顔をさらすことも名前を明かすこともなかったのだから。

 ……まぁ、ツムギっていう名前も本名かどうかは怪しいところだがな。


 ツムギは拘束から逃れようと身体を動かす俺を見て、感情を一ミリも表に出さずに壁から背を離した。

 懐から怪しい丸薬を取り出すと、俺の猿ぐつわを解いて、俺の口の中に丸薬を押し込んでくる。

 口腔にツムギの指が突っ込まれ、思わず指を噛みちぎってやろうかと思うが、今の俺にはツムギの腕力に逆らう力すら残っていなかった。

 丸薬を喉の奥に押し込まれ、やむなく嚥下えんかしてから、俺は猿ぐつわを噛まされる前に口を開いた。


「今のが、俺の筋力を弱める麻痺毒か……?」

「ん。まだしゃべる体力が残ってるの? なら、もう一個飲ませたほうがいいかも」

「やめておきなよ、ツムギ」


 声とともに、階段をコツコツと下りてくる足音が響いた。

 見れば、地下室の奥の階段からアルスが下りてくるところだった。

 やつは相変わらず胡散うさん臭い笑顔を顔に貼り付けており、私服姿に剣帯けんたいをしていた。

 エリシャ達が眠るベッドのかたわらで足を止めると、やつは世間話をするような調子でツムギに指示する。


「飲ませすぎて、彼が死んだり後遺症が残ったら、僕らにとっても大きな痛手になる。それは避けたい」

「ですが、こいつの力は尋常じゃありません。並の人間と同じ量の毒で効いてるかどうか、ツムギは自信がないです」

「そこは安心していい。前の時も今回も、睡眠薬は普通の人間の量で十分効いていたからね」


 アルスはそこまで言ってから、俺に向けて笑いかけてきやがった。


「あ。前の時ってのは、新入生試験が終わった後の打ち上げの時だね。あの時、君は帰り道に急に眠気がしてただろう? あれ、実はツムギが厨房で酒に睡眠薬を仕込んでて、僕が君に飲ませるように手渡したんだよ」

「……ざけんな。てめえ、あの時から俺を罠にハメる気だったのか……」

「当たり前じゃないか。君みたいな化け物級の実力者、みすみす野放しにしておくわけにはいかないからね。君に魔法が効かないのはなんとなく察していたから、色々と弱点を探らせてもらったよ。どれだけ身体能力が優れていても、体内に盛られた毒への耐性は人並みみたいだね」


 ぺらぺらと好き勝手なことをしゃべってから、アルスは腰に差した長剣を抜いた。


「それじゃ、さっそくだけど本題に入ろうか。君には二つの選択肢がある。僕に忠誠を誓うか、この場で死ぬか」

「クソ喰らえだ」


 即答するが、アルスは仮面のような笑顔を一ミリも乱さなかった。


「ま、そう言うだろうと思っていたよ。でも、これならどうかな?」


 言って、アルスはエリシャとクラリスのベッドを蹴り飛ばした。

 ベッドの振動で意識が覚醒したのか、エリシャとクラリスが目を覚まし、闇に目が慣れて徐々に状況を理解していく。


「こ、ここは……?」

「アルス・ラムゼイ、これは一体どういうこと?」


 クラリスとエリシャの問いかけに、アルスは苦笑してから首を振った。


「ラムゼイ、か……悪いけど、ラムゼイ男爵家は僕の家臣の家名であって、僕の本当の名前じゃない。僕の名前はアルス・エルロード。五年前に帝国に滅ぼされたエルロード王家の末裔だよ」


 エリシャとクラリスが愕然がくぜんとするのを確認してから、アルスは続ける。


「僕と君達の目的は一致しているはずだ。僕は帝国を滅ぼし、祖国を取り戻したい。エリシャさん、君は帝国の野放図な侵略行為を止めたい。そしてクラリス……いや、クラリス・モルダード王女殿下。君も、亡きモルダード王国を再興したいんだろう?」

「ア、アルスさん、どうして私の本当の名前を……?」

「当然、知ってるさ。最初から君達を味方につけるために、僕は士官学校に入学したんだから。……まぁそれもこれも、彼のせいでうまくいなかったんだけどね」


 アルスは苦笑して俺に視線を投げかけてから、その隣に立つツムギを手で示した。


「ツムギは元々僕の家臣だ。『影の部隊』っていう諜報部隊の筆頭でね。本当は裏で色々動いてもらうつもりだったんだけど、予想外の出来事が多すぎて、仕方なく士官学校に何度か潜入してもらったよ」

「じゃ、じゃあ、ツムギちゃんが私と友達になってくれたのも……?」

「もちろん、僕の計画のためだよ。学籍なんてなくても、制服さえ調達できれば士官学校への潜入なんて簡単だからね。別のクラスの生徒を装って、君に接触したのさ」

「そ、そんな……じゃ、じゃあ、新入生試験の時の事件も……?」


 クラリスが震える声で問いかけるのに、アルスはにこやかに笑って答えた。


「もちろん、僕の筋書きさ。ロルフのやつは単純で、本当に操りやすかったね。君達がロルフを憎んでくれれば、二大名家に反発して僕の味方につけやすくなるかと思ったんだけど……カイルがあまりに強すぎて、全然うまくいかなかったな」

「……待ちなさい、アルス。あなたまさか、クラリスが暴行されるのも織り込み済みだったって言うの?」

「もちろん。一応僕とツムギで助けるつもりでいたんだけど、最悪間に合わなくても計画に支障はなかったよ。二大名家の御曹司にレイプでもされれば、あんなのを野放しにしてきた帝国に嫌でも復讐心が芽生えるだろう?」


 …………こいつ、思った以上のクソ野郎だな。

 はらわたが煮えくり返るような思いでアルスを睨むと、ツムギが俺の首筋に刀を突きつけてきた。

 全員が絶句しているのを見渡してから、アルスは続ける。


「打ち上げの店にクルトがいたのも、不自然だと思わなかったかい? あれもクルト達の動向を事前に調べておいて、ツムギ経由で店を誘導しておいたんだ。貴族どものみにくさを知れば、僕の反乱に協力的になってくれるかと思ったんだけどね」

「……それで、あんな化け物まで持ち出させたってわけ?」

「ザリツだっけ? あの化け物は正直、僕も想定外だったよ。少しクルトをき付け過ぎてしまったね。あれは下手したら、全員全滅しかねなかったな。でも……あそこでカイルの本気を見れたからこそ、僕も手段を選んでいられなくなったんだよね」

「どういう意味?」

「まだわからないのかい、エリシャさん。彼は今の帝国を打ち砕く最強のほこじゃないか。あの力を見てしまったら、使わない手なんてないよ。それなのに、君はクーデターという案を受け入れなかった」


 クルトは呆れたようにかぶりを振ってから、俺に視線を戻した。

 エリシャの首筋に長剣を突きつけながら、やつは俺に告げる。


「さて。もう一度選ばせてあげよう、カイル。僕に忠誠を誓うか、君の主人が死ぬのを見るか。どっちがいい?」

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