第9話 刺客に襲われる。逃げられる。

 十五層まで下りてから地上に戻る頃には、すっかり夜になっていた。

 初回の探索にしてはかなり奥までもぐったほうだが、まだまだクルト達との差は大きい。

 おそらく、今のクルト達生徒会パーティの実力なら、三十層くらいまでは安定してもぐれるはずだ。

 階層数だけで見ても倍の差があるが、実際の実力差は更に大きいと見ていいだろう。


 俺とアルスは、以前と同じようにエリシャとクラリスを女子寮まで送ることにした。

 ヘイゼル先生はダンジョンを出てすぐに別れたので、メンツはいつもの四人だけだ。

 前を歩くエリシャとクラリスは、互いに今日のダンジョン探索の成果を熱心に語り合っていた。


「思ったより深くもぐれましたね! これなら、決闘当日までに差を埋められるんじゃないですか?」

「そう思いたいけど、油断は禁物ね。さすがに週末まで先生に引率してもらうわけにはいかないから、平日は毎日ダンジョンにもぐりましょう」


 確かに、ヘイゼル先生がいい人でも、さすがに週末まで無休で働いてもらうわけにはいくまい。

 平日の負担ですら大変だろうし、他の先生に代わってもらえる時は代わってもらうべきだな。

 とはいえ、そんなペースでは一ヶ月でクルト達との差を埋められるかどうか……


 原作のこの時点で、エリシャ達はレベルが10前後。

 それに比べてクルトは、三年生時点だとレベル40に達している。

 一年分の積み上げがなかったとしても、クルトのレベルは30前後はあるはずだ。

 正真正銘倍以上のレベル差を、たった一ヶ月で埋められるものだろうか……?


「……やっぱり、俺が十倍強くならないとな」

「ん? カイル、今なにか言ったかい?」


 俺の独り言が聞こえたのか、アルスが怪訝けげんそうに尋ねてくるが、俺は首を振ってごまかした。


 そうこうしている内に、女子寮にたどりついた。

 エリシャ達と別れ、アルスと俺の二人で男子寮に戻る。

 新市街の夜道を無言で歩いていると――ふと、妙な気配に気がついた。


 ――これは、殺気?


 気づくと同時に、俺は地面を蹴って横に跳んだ。

 殺意の主は街灯の上から飛び降りて俺の立っていた場所に着地すると、アルスを殴って一撃で気絶させた。


 俺は剣を抜いて、アルスのそばに立つ影に切っ先を向ける。

 黒装束しょうぞくに身を包んだその影は、無機質な目で俺をにらんでいた。

 小柄な体躯たいく、真っ黒な布で目以外の顔を隠した姿、男とも女とも判別がつかないシルエット。

 俺はほとんど直感的に、バカ兄貴ロルフの言葉を思い出していた。


 ――い、いえ、それが……素性はわからないんですが、不気味な雰囲気の小柄なやつで。黒尽くめで顔も隠していたし、声もくぐもっていたので、性別もわからないんです。


「……うちのバカ兄貴を言いように操ってくれたのは、お前か?」

「だったらどうする」


 黒装束の発する声はくぐもっていて、声でもやはり男か女か判別がつかない。

 それもまたロルフの言っていた通りで、俺は思わず口の端を吊り上げていた。


「とりあえず、ボコボコにしてとっ捕まえる。そのあと、お前を手引きしたのが誰なのかを吐かせる」

「やれるものならやってみろ」


 黒装束は言うと同時に、地面を蹴って俺に襲いかかってきた。

 俺ほどではないが、動きはかなり速い。腰に下げた刀を振る速度もかなりのものだった。

 斬撃をスウェーでかわしてから、俺は一歩踏み込んだ。

 拳を握りしめ、全力で相手の顔面に叩き込む!


 鈍い打撃音とともに、敵が地面を転がる。

 だが、俺の拳には大して手応えがなかった。

 おそらく、敵は拳が当たる直前に跳んで、俺の打撃のダメージを逃がしたのだろう。


 ――こいつ、かなり強いな。

 アルスが一撃で倒されるのもわかる。ロルフが雇った傭兵はもちろん、クルトよりも数段強い。


 俺が長剣を握り直すと、黒装束は胸の前で手印しゅいんを組んだ。


「シャドウ・ドール」


 声とともに、地面に伸びた影から黒装束が六体生えてきた。

 第六階梯かいていの闇魔法、シャドウ・ドール。文字通り、自分の影分身を生み出す魔法だ。

 一体生み出すだけでもだいぶ厄介なのに、それを同時に六体とは……こいつ、本当に只者ただものじゃないな。


 七体に増えた黒装束は、各々刀を抜いて四方から同時に襲いかかってくる。

 ――これはさすがに、本気を出さないとこっちが危ないな。


 俺は長剣をさやに戻すと、居合抜きの構えを取ってから高速で斬撃を繰り出す。

 斬撃から生み出される無数の真空波――斬空ざんくうが六体の影分身を襲い、ずたずたに引き裂いて影に戻していく。

 正面と左右の影を倒した瞬間、背後から殺気を感じてその場にしゃがむ。

 同時に、俺の首があった場所を斬撃が通り過ぎる。


 ――正面から分身に攻撃させ、本体は後ろから奇襲か。セオリー通りだな。


 俺は鼻で笑うと同時に、頭上まで伸びた敵の手首をつかんだ。

 その手から刀を叩き落としてから、一本背負いで黒装束を地面に叩きつける。

 黒装束は苦しげに目を細めるが、とっさに俺の腰に納刀された長剣に手を伸ばした。


 俺の長剣に仕込まれた魔石に手を触れて、瞬時に第三階梯魔法シャドウ・ランスを生み出す。

 影から生み出された槍は俺の胸を貫く――かと思いきや、俺に触れた瞬間に勝手に自壊していく。

 それを見て、黒装束は驚いたように目を丸くした。


 ――まずいな。俺の体質を見られてしまった。

 傭兵相手の時にもこの体質は見せてしまっていたが、あの時は広範囲魔法が同時に二つ起動していて視界が乱れていたので、ごまかすことができた。

 だが――この至近距離で視認されたら、もうごまかしようがない。


 俺は己の失態に舌打ちしながら、黒装束をうつ伏せに組み伏せた。


「ちっ、見られちまったか。ますますお前を逃がすわけにはいかなくなったな」

「……フ。もう遅い」


 言うと同時に。

 俺が組み伏せていた黒装束は、どろりと溶けて影へとかえっていく。


 ――クソっ! こいつも影分身かよ!


 初歩的な罠にかかったことを恥じながらも、俺は周囲に視線を巡らせた。

 周囲にはすでに黒装束がいた痕跡などひとつも残されておらず、やつが逃げ去ったことは瞬時に察せられた。

 もちろん、俺との実力差を感じて逃げたというわけではない。

 俺の情報を十分に引き出したので、その情報を持ち帰ることを優先した――ということだろう。


「何やってんだ、俺は!」


 ロルフの起こした事件の黒幕一味が現れたと思って、つい生け捕りにすることにこだわってしまった。

 拳を叩き込んだ時に、足を斬るくらい思い切った攻撃をしていれば、こんな無様をさらすことはなかっただろうに……


 その点、黒装束は俺より遥かに戦い慣れていた。

 俺を奇襲して実力のほどを確かめ、俺の身体能力と魔法耐性の情報まで持ち帰っていった。

 あの影分身も、六体出したと見せかけて、本体の後ろに七体目を生み出していたのだろう。

 七体目の影分身を隠したまま、分身とともに散開した後、本体は安全地帯から俺と分身どもとの戦いを観察していたに違いない。


「しかし、まずいな……」


 もしあいつがクルトの放った刺客なら、俺は今度の決闘における重大な秘密をもらしたことになる。

 そうでないとしても、得体の知れないやつに俺の体質を知られたのはかなり恐ろしい。


「……やっぱ、もっと強くならないとダメだな」


 こうなった以上、今以上に強くならないと到底生きてはいけないだろう。

 俺は決意を新たにしてから、地面に寝転がっているアルスを起こすことにした。

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