第3話 生徒会長と口論する。政治を論ずる。

「皇女殿下が、どうしてこのような下賤げせんな場所に……」


 クルトは困惑顔でつぶやいてから、エリシャの周囲のメンツを見て合点がいったようにうなずいた。


「なるほど。殿下も私と同じように、下民げみんの店選びで苦しんでおられるのですね」

「せ、生徒会長。さわがしくしてしまって申し訳ありません」


 クラリスがクルトに向かって頭を下げるが、クルトは「下民の声など聞こえない」とばかりに無視し、エリシャに向けて話し続ける。


「まったく、参りますよね。下民どもは、皇女殿下や我々公爵家に相応しい店の何たるかも知らないようです」

「あ、あの……」

「黙っていろ、下民」


 クルトはクラリスのほうを見ず、エリシャににこやかな笑顔を向けたまま言った。


「今、皇女殿下と公爵家の御曹司おんぞうしが話しているのがわからんのか? 下民がいちいち口を挟むな。分際ぶんざいをわきまえろ」

「……聞き捨てなりませんね」


 痛烈な言葉に反応したのは、エリシャだった。

 クルトの聞くに耐えない言葉で酔いが冷めたのか、エリシャはいつもの完璧皇女の仮面をかぶって続ける。


「私達のテーブルが騒がしかったのは申し訳ありません。ですが、彼女にそこまでの言葉を浴びせるのは容認できません。彼女は私の友人なのですから」


 エリシャは立ち上がると、芝居がかった調子で自分の胸に手を当てて言った。

 だが、クルトは感心どころか呆れたような嘲笑ちょうしょうを浮かべやがった。


「友人? ご冗談を。皇女殿下はご自身の立場を理解されていないのですか? こんな下民と友人になるなど、皇家の名誉に傷がつきますよ」

「友であることに出自や身分など関係ありません。第一、あなたがた貴族は民の税によって生かされている身のはず。民のおかげで生活できているのに、民を侮辱するのは間違っています」

「民のおかげ? 皇女殿下は政治というものをわかっておられないようだ」


 クルトは小馬鹿にするように苦笑してから続ける。


「皇女殿下は勘違いしておられるようだが、下民どもは仕方なく貴族に従っているわけではありません。下民どもは何も決めたくない、何も選びたくないからこそ、貴族の支配を受け入れているんです。何も考えず、誰かに指示された通りに生きるのは楽ですからね。事実、悪政を敷いている貴族の領地でも、逃げずに居座る愚か者は非常に多い」

「それは、その土地に愛着があるからでしょう。それに、領地から逃げた先で働き口があるとは限りません」

「そうそう。連中はそうやって言い訳して、自分が決断をくださないことを正当化するんです。貴族の下にいたほうがリスクが低い、どんな悪徳領主でも領民を殺したりはしない、いつか領主が変わって生活がよくなるって言い聞かせてね。そんな他責思考の人間が、生きていると言えますか?」


 めちゃくちゃな暴論をかましてきやがるが、クルトの言葉に俺の胸にぐさぐさと刺さった。


 前世の記憶を思い出す。

 学校でいじめられてた時、ブラック企業で搾取さくしゅされてた時、コンビニでフリーター生活をしていた時、俺は一体何を考えていたっけ。

 ――仕方ない。運が悪かっただけ。俺のせいじゃない。いつか状況が変わる。逃げた先はもっとひどいかもしれない。

 そんなことばかり考えて、自分で状況を変えようとしたことは一度もなかったんじゃないか?


 俺の心は言葉のナイフでずたずたにされていたが、エリシャは勇敢にクルトに立ち向かい続けた。


「彼らが決断を下せないのは、我々皇族やあなたたち貴族が、彼らに正しい情報や教育を与えられていないからでしょう? それを生まれつき能力のない人間のように言うのは、絶対に間違っています」

「フッ。噂に聞いていた以上に、皇女殿下は理想主義者のようだ。ですが、そんな考えでは政治は立ち行きませんよ」

「あなたの考える方法で行われる政治など、立ち行かないほうがよほど有意義です」

「どうやら、我々はとことん平行線のようですね」


 クルト呆れたように首を振ってから、さげすむような目でエリシャを見下ろした。


「差し出がましいようですが、皇女殿下……あなたの理想はあまりに空疎くうそだ。力なき者が語る理想など、浮浪者の妄想と大差ありません。理想を口にするならば、せめてもっと力をつけることですね」


 それだけ言い捨てると、クルトは自分のテーブルへと帰っていった。

 彼はテーブルに戻ると、同席していた生徒達に何かを言い捨て、一人でさっさと店を出ていく。

 残された人達はあたふたと会計を済ませ、クルトの後を追っていった。


 その中のひとり――薄緑色の髪をした耳の長い女生徒が、店を出る前に俺達に向けて頭を下げていた。

 彼女が店を出ていくのを見送ってから、俺は原作の記憶をたどる。


 彼女はおそらく、ハーフエルフの副生徒会長メリエル・シャフレワル。原作では、アルスが二年に進級した後に仲間になるヒロインだ。

 クルトとメリエルが一緒にいたということは、彼らは生徒会の集まりでこの店に来ていたのだろう。


 クルト達が去ったのを見届けると、店全体が本来の喧騒けんそうを取り戻した。最初店内がやたら静かだったのは、クルトに怯えていたからだったのか。

 エリシャは深い溜め息をついて椅子に座り直した。


「ひどい議論を聞かせてしまってごめんなさい。やはり、私はまだまだ未熟ね」

「そんなことないですっ! エリシャさんはものすごく立派でした!」

「お、俺もそう思います」


 クラリスがエリシャを褒め称えるのに、俺はどもりながら同調した。

 だが、クルトの言葉によって刺された心は、いまだに俺に痛みを訴え続けていた。

 俺達の言葉にエリシャは少しだけなぐさめられたらしく、決意の宿った顔で言った。


「二人ともありがとう。でも、力のない理想が無意味というのはその通りだわ。私はもっと力をつけて、この国を変えていかなきゃ」

「…………でも、できるのかな。そんなこと」


 エリシャの決意に水を差したのは、アルスだった。

 いつも通りの胡散うさん臭い笑顔を浮かべて、やつは続ける。


「アシュメディア帝国は今の統治の仕方で、どんどん版図はんとを広げていってるだろ? 今の国政を動かしてる人達には、政治を変えるメリットがないんじゃないかな」

「それはそうだけど……でも、多くの人が教育を受けられるようになれば、才能のある人がもっと増えて国が豊かになるわ。それは全員のメリットになるはずよ」

「それはじゃないかな?」


 エリシャの言葉をばっさりと切り捨てると、アルスはクルトが去っていったドアを指さした。


「生徒会長みたいな貴族が、有能な人材の発掘を喜ぶと思うかい? 優秀な人が増えれば、今まで漫然と貴族に与えられてきた地位がおびやかされる。それは貴族にとって……今の国政を動かしている人達にとって、嬉しくないことのはずだ」

「それは……そうかもしれないけど」

「僕が思うに、彼らは国難でも起きない限り、んだよ。そんな人達を、どうやって説得して味方にするつもりだい?」


 ――こいつ、さり気なく「国を変えるより反乱を起こしたほうが早い」って言ってやがる。

 アルスとエリシャにとって非常にデリケートな話題に、俺は思わず割って入ろうとするが、その前にエリシャが真剣な顔でうなずいた。


「……確かに、あなたの言う通りだわ。この問題はもっとちゃんと考える必要がありそうね」

「厳しい言い方に聞こえてしまったら、ごめん」

「いえ、そんなことないわ。教えてくれてありがとう、アルス」


 エリシャが頭を下げるのに、アルスは戸惑った様子で頭をかいた。

 会話が途絶えた瞬間、微妙な空気がテーブルを覆う。

 俺とクラリスが目配せし合って別の話題を振ろうとするのと同時に、ツムギが人数分の酒をテーブルに運んできた。


「これ、店長がみんなにサービスだって」

「えっ? いいんですか?」

「ん。皇女様の演説に感動したみたい」

「演説って……そんなつもりはなかったんだけど」


 エリシャは苦笑したが、感謝を述べてサービスを受けることにしたようだ。

 アルスが全員に酒を配り終えるのを待ってから、クラリスは再びジョッキを掲げた。


「じゃあ、この国の明るい未来を願って、かんぱーい!」

「「「乾杯」」」


 俺達は再度ジョッキを合わせ、わだかまった微妙な雰囲気を忘れるように酒をあおった。

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