第4話 士官学校に入学する。メインヒロインと出会う。

 士官学校に入学するまでの一ヶ月はバタバタだった。

 士官学校は伯爵以上の貴族の推薦があれば優先的に入学できるため、入学試験のたぐいはなかったが、帝都への引っ越しの作業が大変だった。

 帝都での暮らしは学生寮を使わせてもらうことになったが、引っ越しの荷造りに手続き、授業で使う教科書や制服の準備など、とにかくやることが多かった。


 そんな面倒な作業もついに終え、俺は晴れてセレナイフ領を出て帝都に戻ってきた。


   ◆


 国立士官学校は、アシュメディア帝国の帝都アシュバイルの新市街――貴族の別邸が並ぶ区画にあった。

 学生寮から士官学校に続く道は桜並木になっていて、今日みたいな春の日に通るとなかなか壮観だ。

 俺は学生カバンを片手に持ちながら、ぼんやりと桜並木の下を歩いていた。


 ついにエリシャと再会する日が来た。

 あれから五年が経ったが、彼女はどうなっているだろう。

 初めて会った時のメンヘラムーブには面食らったものの、原作での彼女はああいう姿は一度も見せず、大衆から求められる『完璧な皇女像』を体現してみせていた。

 だからこそ、反動であんなメンヘラになってしまったのかもしれないが……俺との出会いで、彼女の人生がよくない方向に変わっていないか心配だ。


 そんなことを考えながら歩いていると、前方で学生がもめているのが見えた。


 薄桃色の髪を腰まで伸ばした女生徒が、赤毛の男子生徒に絡まれている。

 男のほうは強引に女生徒の腕をつかみ、自分の元に引き寄せようとしているのに対して、女生徒のほうはその腕からやんわりと逃れようとしているようだ。

 周りの学生達は遠巻きにそれを見ながらも、「関わり合いになりたくない」と言いたげに誰も二人に近づこうとしない。

 怪訝けげんに思って見ていると、ようやくその原因がわかった。


「……あの赤毛、うちのバカ兄貴ロルフじゃねえか」


 そういや、あいつも士官学校に入学してたんだよな。

 俺が一人で入学準備をしている中、ロルフの野郎はメイド達に手配を丸投げしていたらしく、あくせく働いていた俺を嘲笑あざわらっていやがった。

 ロルフが女生徒ともめているのは……女癖が悪く、プライドの高いロルフのことだ。大方、通学路でナンパしてみたものの、相手にされなくて引くに引けなくなってる感じか。

 相手の女生徒も、周りの学生も、さすがに帝国最高位の貴族であるセレナイフ家の御曹司おんぞうし相手に、強く出られないのだろう。


 …………仕方ない。バカ兄貴の面倒くらい、セレナイフ家で見るとするか。

 入学手続きをサボったバカ兄貴に対して、ちょっとくらい仕返ししてやりたい気持ちもあるしな。


 俺は早足で進むと、ロルフの腕をつかんだ。


「そのへんでやめとけよ」

「貴様、誰に向かって口を――」


 俺の投げかけた制止の声に、ロルフは顔を真っ赤にして振り向き――俺の顔を見るなり、途端に侮蔑するような笑みを浮かべやがった。


「どこの身の程知らずかと思えば、お前か。セレナイフ家の面汚しの分際ぶんざいで、しゃしゃり出てくるな」

「お前こそ、こんな往来おうらい醜態しゅうたいをさらしてていいのか? 親父殿の耳に入ったら、さぞかし大目玉をくらうと思うが」


 親父殿の話を持ち出すと、ロルフは急激に顔を青ざめさせた。


「ばっ、バカ言えっ! こんな些細なこと、誰がお父様のお耳に入れるっていうんだっ!」

「貴族連中はゴシップ好きと相場が決まってるからな。無様ぶざまをさらす時間が長いほど、噂におひれがついて広まるもんだぜ。例えば……俺の体質のこととかな」


 ――セレナイフ家の六男は魔法が使えない無能者だ。

 貴族連中がそんな陰口を叩いている場面を、俺は帝都やセレナイフ領の近隣で何度も目にしてきた。

 大方、噂を流しているのはロルフやその取り巻きの貴族だろうが、ああいう噂は光の速度で広まるし、セレナイフ家の力をもってしても噂を止めることはできない。


 ロルフは苦々しげに女生徒と俺を何度か見比べたあと、負け惜しみのように俺に嘲笑ちょうしょうを浮かべた。


「……ハッ! お前が女子の前で格好かっこうをつけたいってのは、よくわかったよ。ここは不出来な弟を立ててやろう。お前みたいな無能者がいい格好できる瞬間なんて、せいぜい今くらいだろうからな」


 捨てセリフを吐くと、ロルフはつかんでいた女生徒の腕を放し、俺の手を振り払って早足で校舎のほうへ歩いていった。


 一応これで、女生徒にヘイトが向かないように事を収められたかな……?

 俺がロルフの背中をぼんやり見送っていると、唐突に横から声をかけられた。


「あ、あの」


 声をかけてきたのは、先程までロルフに絡まれていた桃色髪の女生徒だった。


 ……なるほど。ロルフが声をかけたくなるのもわかるくらい、彼女は相当な美少女だった。

 少し幼さを感じる大きな赤い瞳は、今は少し萎縮いしゅくしているようだが、普段はきっと快活な性格なのだろうと想像できる。

 士官学校の赤を貴重したブレザーを身にまとっているが、大きく突き出した胸と腰のせいで、妙に色っぽく見えた。


 彼女は俺の目をじっと見つめてから、ぺこりと頭を下げてきた。


「助けていただいてありがとうございました。上手いあしらい方がわからず、困っていたので……」

「いや、こっちこそバカ兄貴が迷惑をかけてすまない」

「あの……ご兄弟ってことは、あなたもセレナイフ家の?」

「ああ。俺はカイル・セレナイフ。妾腹しょうふくで不出来な末っ子だよ」


 自虐気味の自己紹介をすると、女生徒は反応に困ったような顔をしてから、豊かな胸に手を当てて自己紹介を返してきた。


「私はクラリスと言います。アシュメディア帝国の貴族にも、カイルさんのような方がいると知って少し安心しました」


 聞き覚えのある名前に、俺はとっさに記憶をたどる。

 クラリス……確か原作で聞いたことがある名前だったような……


「あっ」


 その名前が意味するところに気づいて、俺は思わず間抜けな声を上げていた。


 ――クラリスって言えば、『葬国そうこくのエルロード』のメインヒロインじゃねえか!

 最初は平民をよそおっているが、実際は十年前に帝国に滅ぼされたモルダード王家の末裔まつえいであり、モルダード王家から代々輩出される強力な光魔法の使い手――聖女と呼ばれる存在でもある。

 主人公アルスと最初に親しくなるヒロインであり、アルスとともにアシュメディア帝国を――ひいてはエリシャを――打ち倒す超重要人物だ。


 つまり、エリシャの敵じゃねえか!

 俺が愕然がくぜんとしていると、クラリスは不思議そうに首を傾げた。


「あの、どうかしましたか?」

「い、いや……なんでもな」

「はっ!? もしかして、カイルさんも私の体が目当てで!? 『この借りを返したかったらわかってるよな、ぐへへ』的な!?」


 いきなりクラリスが顔を赤くし、自分の体を抱きしめるように両肘りょうひじに手を置いた。

 そのせいで豊かな胸が余計に強調されるが……そんな色っぽい状況をよそに、俺は妙に冷めた気分で原作を思い出していた。


 …………そういや、こいつはこういうやつだったな。

 クラリス・モルダードは尊い血を引く聖女でありながら、平民として育てられたせいで下ネタや下世話な話題が大好きな耳年増なのだ。

 原作でもこうして下ネタやエロい話題を振っては、主人公達を困惑させたり、慌てさせたりしていたっけ。


 俺が呆れ顔で見ていると、クラリスはかわいらしくぺろっと舌を出した。


「すみません。カイルさんはこういう冗談が通じる方とお見受けしたので」

「……あのな。そんなこと言ってるから、ロルフみたいなバカに目をつけられるんだぞ」

「いやだなあ。親しい人にしかこんなこと言いませんよ」


 俺とお前がいつ親しくなったんだ――と問い詰めたいところだが、無駄なのでやめておく。

 俺の反応を見て、クラリスは楽しげに笑っていた。


「ふふっ。正直、士官学校に通うのは気が進まなかったんですが……今は少しだけ、学校生活が楽しみになりました」


 それだけ言うと、彼女は軽やかな足取りで校舎へ歩いていった。

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