第4話 うなじを剃ろう

「産毛剃って」


 先輩は言った。


「産毛ですか?」


 俺は訊ねた。


 放課後の部室。

 先輩は唐突に言った。

 俺は文庫本から顔を上げる。

 先輩は長い髪を手の甲で持ち上げてうなじを露出させた。


「うん。うなじの産毛は自分で剃れないから」

「確かに」


 先輩の言葉に俺は頷く。

 先輩は鞄からカミソリを取り出す。

 俺はそれを受け取って先輩の後ろに椅子を持ってきた。


「剃りづらいでしょ」


 先輩はそう言って髪の毛をポニーテールに結んだ。

 先輩が髪の毛を結んでいるのは珍しい。

 新鮮だ。

 俺は先輩の後ろに座ると、言った。


「じゃあ剃りますね」

「お願い」


 カリカリ。

 カリカリ。


 丁寧に肌を引っ張りながら剃っていく。

 すべすべだ。

 それにちょっぴし体温が上がっているのか、汗ばんでいた。


 俺が剃っている間、先輩は頭を前に倒し、目を瞑っているみたいだった。

 俺は先輩の背後にいるからその表情は見えないけど。

 ただ俺に産毛を剃られることに身を任せているような感じがした。


 しかし、白いうなじだ。

 背後から入ってくる午後の日光を浴びて白く輝いている。


 カリッ。

 先輩は小さく声を上げた。


「ん」


 俺は訊ねた。


「痛かったですか?」

「ううん、大丈夫」

「痛かったら言ってくださいね」

「言わないよ」


 俺の言葉に揶揄うように先輩は言った。

 俺は少し考えた。

 そして時間をかけてから、ゆっくりと返した。


「それじゃあ分からないじゃないですか」

「そうね」


 先輩は小さく答えて頷いた。

 俺は黙った。

 先輩は少しして言った。


「後輩君の好きにしていいから」

「手が滑ったりして、切れちゃうかもしれませんよ?」

「いいよ」


 即答だった。

 俺は再び黙った。

 そして再び考える。


「……本当ですか?」

「ホント」


 先輩は頷いた。

 俺はまた考える。


 そして手が滑った。

 つぅっと薄く血が垂れる。


「すいません」

「ううん、大丈夫」


 俺が謝ると、先輩は問題ないと首を横に振った。

 それから右手で傷口を触った。


「血が出てるね」

「手当てした方がいいと思うので保健室に――」

「ううん、大丈夫」


 先輩は俺の言葉を遮って言った。

 俺は訊ねた。


「痛くないですか?」

「痛いかもね」

「じゃあ」

「手当てしちゃうなんて勿体ないよ」


 ……勿体ない、ね。

 俺はため息をついた。


「いいんですね?」

「もちろん」


 先輩は頷いた。

 俺は先輩の背中から離れ、立ち上がった。

 先輩は結んでいた髪を解いた。

 髪でうなじが隠れた。

 そして振り返ってくると、満面の笑みで言った。


「これで見えないでしょ?」

「そういう問題なんですか?」

「そういう問題なの」


 どうやらそういう問題らしい。

 俺は思わずため息をつくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先輩は退屈している AteRa @Ate_Ra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ