第3話 歯磨きをしよう

「歯磨きしたい」


 先輩は言った。


「すればいいじゃないですか」


 俺はそう返した。


 弁当を食べ終わった後。

 先輩は手鏡に向かっていーっとしながら自分の歯を見ていた。

 そして突然そう言った。


「そうじゃないのよ」

「何がそうじゃないんですか?」


 俺は訊ねた。

 彼女はむむむと腕を組んだ。

 そして言った。


「普通に歯磨きをするのは退屈なの」

「さいですか」

「というわけで」


 嫌な予感がした。

 先輩は組んでいた腕を解き、右手の人差し指を立てた。


「これで磨いて?」

「俺がですか?」

「もちろん」


 もちろんか。

 なら仕方がない。

 俺は頷いた。


「分かりました」

「じゃあお願い」


 そして俺に向かっていーっとしてくる。

 俺は人差し指を彼女の口の中に入れた。

 そして指の腹で彼女の歯を擦っていく。


 唾液でベトベトだ。

 うへぇ……。

 前歯を大体擦り終えると、指を離した。


 すると先輩は不服そうに言った。


「奥歯も」

「奥歯もですか」


 思わずため息をつく。

 そして今度はあーっと口をあけた先輩の口の奥に指を突っ込んだ。

 ゴシゴシと人差し指で奥歯を磨いていく。


 ちろ。


「舌で舐めないでください」


 俺はいったん指を抜くと言った。


「ごめん。ちょっと味が気になって」

「さいですか」


 それなら仕方がない。

 そして指を入れ直し、奥歯磨きを再開する。


「――これで終わりです」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「後輩君もやってほしい?」

「……お願いします」


 俺が言うと先輩は俺の口の中に人差し指を入れた。

 前歯を磨かれる。


 最初は口の中が乾燥していたのか、滑りが良くなかった。

 しかし徐々に唾液で滑りが良くなっていく。


 シュコシュコと磨かれていく。

 そのまま奥歯まで磨かれた。

 俺は試しに先輩の人差し指を舐めてみた。

 なんかしょっぱかった。


「舐めるのは一回までね」

「え? そんな」

「もうこれでお終い」


 それから彼女は奥歯を丹念に磨くと指を離した。


「ベトベト」


 先輩は自分の人差し指を見て言った。

 そしてその指をしゃぶる。


「うん。これで大丈夫」

「なにがですか」


 何がダメだったのか。

 何が大丈夫なのか。

 全く何も分からなかった。


 俺は自分の人差し指を見た。

 先輩の唾液が乾いていてカピカピになっていた。

 ちょっとしゃぶってみる。


「確かに大丈夫かも」

「でしょ?」


 先輩は満足そうに言った。

 そしてチャイムが鳴った。


「ねえ」

「なんですか?」

「指、洗う?」

「先輩はどうするんですか?」

「私? 私はもちろん洗わないよ」


 どうやら先輩は洗わないらしい。

 ……え? 俺?

 俺が洗ったかどうかは秘密にしておこうか。

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