金の鍵

増田朋美

金の鍵

その日も暑い日であった。夏になれば暑いのであるが、着物を着ていると、暑いのではないかと盛んに聞かれることがある。だけど意外にそうでもなく、着物は肩のところから風が入るから、結構涼しかったりする。でも、この事実を知らないというか、知らなすぎる日本人が多すぎるのもまた事実である。

杉ちゃんとジョチさんは、ちょっと着るのは早いんじゃないかなんて言いながらも絽の着物を身に着けて、用事があって出かけたのであるが、帰りがけに、のどが渇いたからお茶でもかっていくかということになり、二人は汗を拭きながらコンビニへ行った。

「はあー、全く暑いなあ。早く冷たいお茶が飲みたいもんだぜ。」

「車椅子に乗っていると、地面が近いから、暑く感じられるのでしょうね。」

杉ちゃんとジョチさんがそう言い合いながら、コンビニの前を通りかかると、いきなりコンビニの自動ドアが開いて、小さな男の子が飛び出してきた。それと同時に、店員のおじさんが、その子の洋服を捕まえて、

「よし捕まえたぞ。今盗ったものを見せてみろ!」

とでかい声で言った。少年は、わーんと泣きながら、持っていた冷やし中華を差し出した。

「はあ、子供が万引きか?」

杉ちゃんがいうと、

「なにか事情でもあるのでしょうか。でもあの服装、どこかで見たことがあったような、、、。って、あ、もしかして、夢路君!」

ジョチさんがそう言うと、店員のおじさんは、

「何だ知り合いだったのかね。」

と、杉ちゃんたちに言った。

「ええ。知り合いといえば知り合いなんですが、お金なら僕らが払いますから、それよりもなぜ万引きをしたのか、聞いて見たほうがいいのではありませんか?」

とジョチさんがいうと、

「だって、我慢できなかったんだもん!」

と、小さな少年、つまり、竹中夢路くんは言った。

「わかりました。どうしてもラーメンを食べたかったと言うなら、僕らがラーメン屋さんまで連れていきます。なので、今日のところは許してあげてください。」

ジョチさんがそう言うと、

「まあな。あんたさんがそういうんだったら、そうするけど、でも、これ以上うちの商品を盗られちゃたまんないよ。そこはよろしく頼むね。」

と、店員のおじさんは、夢路くんをジョチさんに渡した。

「よしよし、じゃあ、僕らが行きつけのラーメン屋さんに連れて行ってあげるからね。親切なウイグル人のラーメン屋さんが、美味しいラーメンを作ってくれるさ。じゃあ行こう。」

杉ちゃんに言われて、夢路くんはうんと言った。ジョチさんが、先程万引きした冷やし中華のお金を払って、改めて店員のおじさんに謝罪し、二人は、用意していたタクシーに乗って、富士市の松本にある、ラーメン店、イシュメイルラーメンに入らせてもらった。

「はいどうぞ。」

ラーメン屋さんの席に座った夢路くんの前に、ぱくちゃんは、冷やし中華のたっぷりはいったお皿をおいた。夢路くんは、いただきまあすと言って、ものすごい勢いで冷やし中華を食べ始めた。

「やっぱり、よほど腹が減っていたんだね。」

と杉ちゃんがいうほどの勢いだった。

「すごい食欲ですね。それで、あなたは、どうしてコンビニで万引きをしようと思ったのでしょうか?確か、僕たちが児童相談所に相談したはずでは?」

とジョチさんは言うのであるが、

「そうだが、またこうして腹をすかせているとなると、日本の児童相談所は、本当に力がないってことになるな。」

と、杉ちゃんが言った。ということはそういうことなのである。なんだか謎掛けみたいだけど、児童相談所は本当に力がないということであった。つまり、親御さんと面会して、また自宅に戻ってしまったが、それでも、また虐待が続いているということである。もう少し、児童相談所が、虐待を防ぐためになにかしてほしいなと思うんだけど、日本の法律では、そういう力はまだないらしい。

「じゃあ、きくが、お前さんが最後にご飯を食べたのはいつだった?」

杉ちゃんは、夢路君に言った。その間に、ジョチさんが、服をめくって新たな傷が無いか確かめようとしたが、ぱくちゃんが可哀想だからやめようと言った。

「こないだの日曜日。」

と夢路くんは答える。店の壁に貼ってあったカレンダーを見てみると、3日間、夢路くんは食べ物を食べていなかったという計算になった。

「そうなんですね。それではその三日前の日曜日に、お母様と一緒に居たんですよね?その時、お母様の態度はどんな様子でしたか?」

ジョチさんがまた聞くと、

「いつも通りに仕事へ行ってくるねって言って、出かけていったよ。」

と夢路くんは答えた。

「僕が部屋から出ようとしたら、ドアがあかなくて。それで、僕は床に落ちていたハンガーで部屋の窓の鍵を開けて、それで窓の外から出て、ここに来たの。」

「はあそうですか。つまり錠前を破って、窓から出て、コンビニに行こうと思ったわけですね。それでは、部屋のドアは、開けられなくなるように細工をしてあったというわけですか。まあ犯人が、意図的に窓を開けるようにしてあったのかはわかりませんが、いずれにしても、そういうことであれば、」

「理事長さんそんなこと言ってたら可哀想だよ。」

と、ぱくちゃんが言ったので、ジョチさんはまた少し考えて、

「まあ、とにかくですね。ハンガーが床に落ちていないで、部屋の窓を開けられない状態であったなら、最悪の事態も考えられたかもしれません。それでは、児童相談所ではなくて、刑事事件として扱わなければならないかもしれませんね。」

と言った。

「そうなんだねえ。ウイグルでは、安い賃金でやってけないからとか、周りの漢民族にバカにされるとか、そういうことで夜逃げをしたことはよくあったんだけど、日本人の子供が、まさか家出をするとは思わなかったよ。しっかし、おかしな話だよね。ウイグルでは、すごい貧しい生活を強いられても、まさか子供が邪魔だから消してしまおうとは思わなかったなあ。それよりも、みんなで協力して、生きていこうっていうふうに持っていくのが当たり前だったよ。」

「まあ、ぱくちゃんにはよくわからないと思うけど、金持ちの国には、それなりの事情があるの。まあ、野生のチンパンジーは、自分の子供に危害を加えるオスにすごい抵抗するって言うけど、動物園で飼われているチンパンジーはそういうことはしないんだって。それと一緒だ。」

杉ちゃんとぱくちゃんは、そういうことを言っていた。

「イシュメイルさんも、杉ちゃんも哲学の話をしている場合ではありませんよ。とにかくですね。彼を母親のもとに連れ戻すのはこうなると危険ということになりますね。今日も、こういうことがあったわけですから、お母さんのもとに戻すのはまずいということになるでしょう。そうなると、どうしたらいいのでしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、夢路くんは自分が何をされたのかわかってくれたようで、

「僕をここで働かせて!」

と夢路くんはぱくちゃんに言った。

「そうですが、子供を働かせることは、法律ではできないことになっています。子供さんは、学校に行くことが義務付けられていますから。」

ジョチさんはすぐに言った。

「僕学校も行きたくない!家にも帰りたくない!」

夢路くんは、やっと本音を示してくれたようだ。

「なんだか尾崎豊の歌詞みたいな言葉が出てきたな。もうさあ、こうなったら、しょうがない!誰かに電話して預かってもらおう。」

杉ちゃんはでかい声で言った。ジョチさんもそうですねと言って、スマートフォンを出して何かを調べ始めた。

「しかし、ある意味では日本人は不自由だねえ。」

ぱくちゃんが夢路君にお茶をあげながら言った。杉ちゃんが何でと聞くと、

「だってそうじゃないか。みんな学校に行くしか選択肢が無いって僕らにしてみれば羨ましいことだけど、どこかで働いて、どうのってことは、できなかったわけでしょう?」

ぱくちゃんは、そう答えたのであった。確かに、ぱくちゃんの言う通り、学校に行けないのであれば、働けばいいという考えは日本ではありえない話だった。

とりあえず、杉ちゃんたちは、ジャックさんと武史くんに電話して、夢路くんを預かってもらうことにして、まず初めに母親がどこにいったのかを警察に調べてもらうことにした。杉ちゃんとジョチさんは、夢路くんを武史くんの家に連れていき、しばらく滞在させてもらうことにした。

翌日。

その日は土曜だったので、学校は休みであった。なので、武史くんに連れられて、夢路くんは製鉄所を訪れた。製鉄所と言っても鉄を作るところではなくて、居場所がない女性たちに部屋を貸し出す施設である。部屋を借りている女性たちは、その日は出かけてしまっていて、製鉄所に残っていたのは水穂さんだけであった。武史くんと夢路くんは、製鉄所で、水穂さんが弾いてくれるキラキラ星変奏曲に合わせて歌ったりして、楽しそうに過ごしていた。杉ちゃんなどはそれを見て、学校にいかないほうが、いきいきしているなと言ってしまったくらいだ。あんまり弾いて弾いてとせがむと、水穂さんが疲れますから、あまりしないでくださいよとジョチさんが注意してたとき、

「ごめんください。」

と、女性の声がした。

「あれ、誰だろ?」

と杉ちゃんがいうと、

「ごめんください。伊達五月です。近くにこさせてもらったので、ちょっと様子を見に参りました。上がらせてもらいますよ。」

と、言う声が聞こえてきた。

「ああ、伊達五月さんか。また変なところを見つけて日本の諸問題だと言って、演説の題材にするつもりだな。」

杉ちゃんがでかい声でいうと、水穂さんがそんなこといってはだめだよと杉ちゃんに注意した。

「伊達五月さんって誰?」

武史くんが聞くと、

「国会議員をしている伊達五月さんだよ。」

と水穂さんが言った。

「国会議員ってなあに?」

武史くんはそれも知らない様子だ。

「うん、みんながどういうふうに生きていけばいいか、みんながどうしたらシアワセになれるのかを、国会議事堂というところでお話し合いをしてくれる人だよ。」

と、水穂さんがいうと、

「そうなんだ!じゃあ夢路くんがシアワセになる様にしてくれる?」

と武史くんは子供らしく言った。水穂さんが、返答に困っていると、

「誰がしあわせになるようにですって?」

と、全身オレンジ色のスーツを身にまとった伊達五月さんが、水穂さんたちのところにやってきた。

「あのね。僕のクラスメイトの夢路くんは、お母さんに成績が悪いと叱られて、学校にも家にも行きたくないんだって。だから、おばちゃん、夢路くんのことを幸せになるように、国会議事堂で話してください。」

と、武史くんは演説するように、伊達五月さんに言った。伊達さんは、いきなり何という顔をしたのであるが、武史くんの顔は、真剣そのものであった。

「お願いします!夢路くんがシアワセになれるようにしてくれるんだったら!」

と武史くんはそう言って伊達五月さんに頭を下げるのであった。

「実は、こちらの子供さんなんですが、」

と、水穂さんが申し訳無さそうに言った。

「お母様が、彼を放置したまま家を出ていってしまったようで、まだ行方がつかめていないのです。児童相談所にもいったようですが、あまり役に立たないらしくて。それで、今、武史くんの家に居候しているのですが。」

「そうなんですね。私に対して、頭を下げる必要は無いのよ。今、児童虐待は本当に流行っているので、私達もなんとかならないものか検討中なんです。夢路君、君のお母さんは何をしている人なのかな?」

と伊達五月さんは、夢路くんと同じ目線になり、そう聞いてくれた。

「ホステスさんとか、そういう水商売をしている人?」

夢路くんは首を横に振った。

「それでは、何をしている人なんだ?大物議員さんにいってしまえ。だって、本当に日本の常識を買えてくれるのは、こういう人だけだよ。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「学校の先生。」

夢路くんは小さな声で言う。

「はあ、それじゃあ、なんだか先生としては失格だ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「まあ確かに学校の先生は激務で、自分の子供さんのことはかまってやれないということもありますよね。」

水穂さんも言った。

「それだから、児童相談所でも安全だろうと思われちまうんだろう。水商売とか、そういうことじゃないってことならね。」

杉ちゃんがまた言った。確かにそういうことでもあった。そういう職業ではないということであるなら、なかなか福祉制度の手が回らないということもある。

「だからおばちゃん。夢路くんを助けてください。おかあさんが夢路君のことを邪魔なやつだと思わないようにしてあげてください。」

武史くんはもう一度頭を下げる。

「そして、夢路くんが、お母さんに叩かれたりしないように生活できるようにしてあげてください。お願いします!お願いします!お願いします!」

武史くんの顔は真剣そのもので、一生懸命訴えていた。伊達五月さんは、そうねと小さな声でいった。

「子供は国の宝だっていうものね。」

「そんなことはどうでもいいから、夢路くんが安全に暮らしていけるようにしてあげてよ。もう子供が好きなのと、安全なのは結びつかない世の中になっちまったよ!」

と杉ちゃんが言った。

「わかりました。なんとかしてみましょうね。おばちゃんこう見えても、なんとかできる人だから、なんとかしてみるね。ありがとうね。」

伊達五月さんはそう言って武史くんの頭をなでてくれた。

「そういうことに気がつけるなんて、君は本当に感性のいい子だね。」

こんな褒め方ができるのは、伊達五月さんのような人でないとできないと思った。人を褒めたりするのは偉い人でないとできないというのはよく知られていることであるけど、実はもう一つ知らなければならないこともある。それは経済的に豊かでなければならないということであった。そうやって他人の子どものことを、いい子だと容認してあげられるには、自分自身に寛大であることだけではなく、他人に分けられるくらい、経済的に豊かな人であるということも必要なことであった。これは意外に知られていない事実でもある。なので、豊かでない人たちが、自尊心をなかなか得られない原因もそこであるのかもしれない。

「武史くんは、大変な子ですけど、純粋無垢で、可愛らしい子供さんです。僕がそこは保証します。」

水穂さんが静かに言った。もう暑さのせいかかなり疲れてしまっているような様子であったが、水穂さんはそう伊達五月さんに言うのであった。水穂さんのようなひとがそうやって他人のことを言うのもまた珍しいことであった。世の中単純では無いのである。

伊達五月さんは、わかりましたと言ってくれて、武史くんたちににこやかに微笑んで、そのまま製鉄所を後にした。あのおばちゃんに、伝わってくれたかなと武史くんは言っていたけれど、みんな伝わっていると言うしかなかった。

それから、数日が経って、なおも夢路くんは武史くんの家に居候を続けるのであった。やはり夢路君のお母さんは、戻ってこなかった。とりあえずジョチさんが、子供を放置して殺害しようとしたのではないかと通報してくれて、警察も捜査を開始してくれたようであるが、いずれも見つからなかった。もしかして外国へでも逃げてしまったのではないかと、水穂さんは言っていた。相変わらず夢路くんは学校へも行きたがらず、製鉄所で一人で本を読んだり、勉強をしたりして過ごしていた。時々、水穂さんが声をかけてくれて、一緒におはじきしたりしてくれるのであるが、それだけで精一杯な感がある。本当にやるせない風景といえばいいのかもしれないほど、夢路くんは惨めであった。

「ごめんください。」

と伊達五月さんの声がした。はあ何で今頃伊達さんが来るのだろうと思ったら、今度は中年の女性の声で、ごめんくださいと言う声が聞こえてくる。杉ちゃんが車椅子で、玄関先に行ってみると、確かにそこにいるのは伊達五月さんであるが、その隣に、一人の女性が立っていた。年は、多分夢路くんのお母さんがいればそのくらいかなと思われる女性だった。

「あの、こちらは、バイオリニストの、中鉢優子さんです。」

と伊達五月さんが紹介した。

「それがどうしたんだよ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。先日、夢路くんのことを彼女に話したところ、彼女が夢路くんを引き取って育てたいと申し出てくれました。中鉢さんは、音楽大学の先生で、ご自身、後継者がいないことに困っていたそうです。なので、私が夢路君のことを話したら、ちょうどいい子供さんがいたということで。」

と、伊達五月さんが言った。

「はあ、、、そうなのね。」

と杉ちゃんはそう言ってしまった。いくら杉ちゃんでもこうなってしまうことは予想できなかったのだろう。しかし、国会議員というのは本当にすごい立場だ。そうやって引き取り手を探して見つけてしまうのだから。

「それで、今回は顔合わせということで、夢路くんと中鉢さんを会わせてやってくれませんか?よろしくお願いします。」

と、伊達五月さんがいうので、杉ちゃんははあどうぞと彼女たちを中へ入れた。とりあえず、四畳半に行ってみると、夢路くんは、水穂さんのピアノに合わせて、歌を歌っていた。それはとても上手な歌で、音感もあったし、リズム感もしっかりしていた。

「ほら、私が言った通りでしょ、彼はとても感性が良さそうな子だって。」

と伊達さんが言う。

「初めまして。おばちゃんは、中鉢優子です。よろしくね、夢路君。」

と中鉢優子さんは優しそうにいった。夢路くんは歌うのをやめて、

「よろしくお願いします。」

と頭を下げた。中鉢さんは、夢路君の体に殴られた跡があるのを確認した。

「じゃあ、夢路くん、キラキラ星を歌ってみてくれるかな?」

と中鉢さんに言われて、夢路くんは、水穂さんのピアノに合わせて歌い始めた。まるで、これから先に起こる問題の扉を開いてしまった、金の鍵のような美しい歌だった。

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金の鍵 増田朋美 @masubuchi4996

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