9.決着
その通りだった。
いつのまにか、ほんの僅かな差が積もり、アルリオットの自陣の防御はいかにも薄くなっていた。
それほどに、ダリアの怒涛の攻撃は鋭く、また凄まじかったのだ。
アルリオットは自陣深く、つい先ほどまでは鉄壁のディフェンスに守られていたはずの〈冥府の大暴君〉をさらに逃がした。
逃がさざるを得なくなるような、あいての鋭い攻め手の連続だった。
「――ずいぶん悪いな」
アルリオットが思わずそう独語すると、ダリアはちらりとかれの顔を覗いた。
べつだん、勝利を確信するというようすでもない。
アルリオットは黄金いろの髪を掻いて乱し、何かのケモノのように唸りながら天井を見上げた。
かれじしんはまったく気づいていなかったが、それは、じつにかれの父にそっくりのしぐさであった。
いま、ダリアは〈正義なる黄金騎士〉による複雑な手順を駆使してアルリオットの〈悪辣なる司教〉を封じ込めにかかっていた。
〈神聖凌辱〉と呼ばれる戦術のひとつだが、深い読みを思わせるその鋭さが尋常ではない。
たちまち、本来であれば広い可動域を持つ〈悪辣なる司教〉は動きを封じられ、後退するしかなかった。
アルリオットは
もはや、あいての指し手に関する雑念はない。ことここに及んでは、ただ、この
たしかに〈黒〉はきびしいが、まだ時間はある。時計の砂は落ち切っていない。アルリオットは身を焼くような焦燥をこらえながら、かれの陣営の〈王〉である〈冥府の大暴君〉の脱出の道をさぐった。
逃げなければならない。何とかダリアの
だが、どれほど思案を尽くしてみても、その逃げ道のいずれもが、何らかの手順の先で封じられていることに気づくしかなかった。
すでに四方の退路がとざされていることを悟らざるを得ない。
万事休す。もう一切の道は断たれているのだろうか。
だが、アルリオットはそれでも、なお、死力を尽くしてさらなる展開を読んだ。
かれと少女と盤とを囲むさやかな森の幻影のなか、〈永劫なる奴隷〉が、〈幽魂の娼姫〉が、脳裡をせわしなく駈けまわる。
そうして危うく砂時計の砂が落ち切る、その直前、かれはついに指すべき一手を見つけだした。
防御のかなめである〈影の魔術師〉を、あえて前へ。せつな、ダリアの顔色が変わる。
「そんな――」
ひとこと、
いままでの劣勢をいっきに挽回するに足る好手であった。ダリアの攻めのほんのわずかな綻びを見のがさず、〈王〉である〈冥府の大暴君〉の防御を手薄にしてまで、〈影の魔術師〉を攻撃にもちいる。
一見すると奇異にも思えるが、その実、的確な一手。ダリアは攻め手を緩めるしかない。
そこから先は、たがいに時間を使い尽くしての力戦がつづいた。そして――たがいにまさに死力を尽くした激闘の果てに、ついに、決着のときは訪れたのだった。
「――参りました」
アルリオットは、口中で鉄さびのように苦い敗北の味を噛み締めながら呟いた。
ありとあらゆる手筋を読んでなお、もはや生き残る道はないと覚悟してのことだった。
かれのまわりで、しずかに、ゆっくりと森の幻影が消え、周囲のけしきと、かすかな雑音が戻ってくる。
かれは大きく息を吐き、やはり疲労したようすの少女へちらりを視線を向けた。ひたいからしたたる汗にぬれ、青褪めたその顔はいま、人ならぬ彫像めいて、ぞっとするほど美しく見える。
だが、彼女がありがとうございましたといって肩の力を抜くと、急にあたりまえの女の子らしく思えてきた。
「ダリアさん、といったよね」
「はい」
アルリオットが語りかけると、少女はこくりと頷いた。
不思議なことに、つい先ほどまで神のような確信に満ちているように見えた彼女は、この凄絶な勝負が終わったとたん、ふたたび、あの小うさぎのように臆病で自信なさげな態度に戻ってしまっていた。
いま、紛れもなく勝利したばかりだというのに、あたかもアルリオットが怒り出しでもしないかと心配しているように、視線を逸らし、その身を固く竦める。
いったいこの子は何なのだろう、とアルリオットは思わ巡らさずにはいられなかった。
何かよほど不世出の才能――そうなのかもしれない。しかし、それにしても、やはり何かがおかしい。
何か、〈黒金〉のあたりまえの手順において大切なものがひとつ、ふたつ、不足どころか欠落している印象を受ける。
たとえばあのリリスと比べてみても、この子の手筋はどこかふつうではない、とかれの長年の経験が告げるのだった。
それでも、どう伝えたら良いものか、言葉を選ぶこともむずかしい。
「その、どういったら良いのかわからないんだけれど、おれは、きみの手筋にちょっとした違和感を覚えることがあった。失礼な意味では決してないんだが、何というか――」
「無理もありません」
少女は、ひっそりといった。
「アルリオットさま、あなたが感じたという違和がわたしには理解できます。そう、それはきっと、わたしに実戦経験が致命的に不足しているところから来たものでしょう」
「実戦経験が、不足している?」
アルリオットは唖然と鸚鵡返しで答えた。
意味がわからない。ダリアの力量は、絶対に経験なしで成り立つものではない。むしろ、長い長い修練のくり返しによって、ようやく身につく可能性があるたぐいだ。
むろん、いくらか経験不足を感じさせないわけではなかったが、それにしても、決して致命といえるほど戦いを欠いていることはありえない。かれじしんの指し手としての経験がそう語っている。
しかし――
ダリアは
「信じていただけませんか? わたしはわずか数人のあいてを除いて、ほとんど対等の敵と〈黒金〉を指したことがないのです。戯譜なら読みました。頭のなかで幾たびとなく対局を繰りひろげたこともあります。だけれど、公式な実戦の経験はほとんどまったくないといって良いのです」
「そんな、ばかな――」
アルリオットは唾を呑み込む。
悪い冗談というしかない。それでは、おれはまったく経験のないしろうとに敗れたというのか。
いや、断じてありえない、あるはずのないことだ。ダリアの力は、その次元のものではない。たとえどんなに比類ない天賦の才にめぐまれていようとも、経験の欠落を埋められはしない。
そうだとすれば――彼女はいったい何をいっているのだ?
ダリアが切なげにため息を吐く。ふしぎと、その疲れ切ったようなけだげなしぐさには、ある種の色香に似たものがただよった。
アルリオットの背中を、ぞくりと冷たいものが奔る。
「信じていただけないことも当然です。けれど、獅子面神ミアーンにかけて、わたしはあなたの十分の一も〈黒金〉を指したことがありません。対戦相手といえば、街のごろつきくらいのもの。名のある指し手と指したのは、この大会が初めてです。だから」
ダリアはちいさく頭を下げた。
「アルリオットさま、あなたにひとつお願いがあるんです。良ければ、ですけれど、その――」
いかにも告げづらそうに言葉を
何か、よほど図々しい願いででもあるのだろうか。アルリオットは安心させようと薄く笑顔を浮かべ、先を促した。
他ならぬ同じ〈黒金〉指しのことだ。大半のことは叶えてやるつもりだった。来週の準々決勝に出場できない以上、もう、あしたからの予定もない。
だが、じっさいに彼女の口から洩れた言葉は、かれの予想を大きく超えていた。ダリアは、こういい出したのである。
「わたしに、〈黒金〉を教えていただけませんか」
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ある異世界で両親に捨てられ娼館で育てられた陰キャ人見知りコミュ障の天才美少女ダリアは、過酷きわまる環境を打破するため、ときに国家の命運すら左右する闇黒と頽廃の戦略的ボードゲームで王国最強をめざす! @KusakabeSubaru
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