課金すれば世界は救われる、けども。
小串圭
プロローグ
電車を降りた俺は思わず「寒っ」と苦言をこぼした。
都内の11月空気は痛く冷たい。吐く息は白く染まっていた。
俺、
街頭が照らす住宅街を歩きながら「明日は休みだ。昼まで寝ようか」となんとなく週末の予定を考えていたところ、
――ヒュルルルル。
空気を切り裂く音が頭上から聞こえてきた。夜空を見上げてみても暗いから近づいてくる音の正体はわからない。だが確かに、ヒュルルル、という音は大きくなる。間違いなく何かが上空から降ってきている。
「え、なになになに⁉」
まもなくして、重々しく大きな物体が、落雷を連想させるほどの大きな音を鳴らしながら目の前に着地した。アスファルトにぶつかる巨大な物体。俺は驚いて尻もちをついた。
――ウルルルゥ……。
「え、え……」
唸り声をあげる「それ」を俺は見上げる。
住宅街の路地に落下してきたのは、宝石で生成された巨大な虫だった。形は
――ウギャアアア。
突如それが金切り声で叫んだ。
「うわあああああ!」
俺はそれに背を向け、全速力で走りだした。轟音が背中を追っかけてくる。宝石の蟻は6本の脚を器用に動かして、俺を追いかけてきているのだ。死から逃れるために、自らの足を必死に回転させる。
だがしかし、デスクワークで鈍った27歳の身体は、想像以上に持久力がなかった。
「かっ、はっ……!」
肺が焼けるように痛い。膝は釘が刺さったみたいに痛い。運動不足の身体を前準備なしに急にフルスロットルで動かしたことにより、各部が悲鳴を挙げていた。
「いっ……⁉」
足がからまり、俺は盛大にズサーっとこけた。
コケてもなお、轟音は容赦なく迫ってくる。振り返ると、宝石の化け物はすぐそばまで来ていた。衝突まで残り数秒。
「わあああああ!」
恐怖のあまり、俺は思いっきり目を閉じる。
暗い視界の中、死の衝撃に備える。
……今か、今か。
「…………あれ?」
覚悟していた衝撃は訪れなかった。状況を確かめるために、恐る恐る目を開ける。
背中があった。
西洋騎士の甲冑に身を包んだ少女の背中。
騎士の少女は、俺の壁となり、その小さな体躯で3mはあろう宝石の化け物を片手で正面から受け止めていた。
――ウキャアアアッ!
宝石の化け物は甲高い
「うるさいわね」
少女は空いている手で西洋剣を鞘から引き抜いた。宝石で
ガキンッ、という硬く甲高い音が住宅街に響く。
少女が西洋剣を振り、宝石の化け物にぶつけたのだ。巨体は吹き飛び、大きな宝石の塊が向こうまで転がっていく。だが蟻は、空中で翻す猫のように、瞬時に体制を立て直した。6本の脚はアスファルトをえぐりながらも綺麗に着地した。
対して、少女は剣を両手で構え、次の一手を警戒する。
――グンッ
宝石の化け物は、地面を掴むように踏ん張ると、頭部の触覚部分に光が集まりはじめた。
モーターが高速回転した時のような甲高い音を奏でながら、
光の強さと比例するように、化け物の身体は震え、果ては痙攣の域にまで達した。
衝撃に備えるような姿勢と、光を蓄えるような動き。
直感的に、次の行動が読めた。
「ビームだ!」
俺が叫んだと同時に、化け物は光線を伸ばしてきた。閃光が空気を震わせながら一直線に向かってくる。
「大丈夫」
俺に背を見せる少女は、剣先を天に向けて掲げた。剣道でいうなら上段の構えをした。
ビームが少女にぶつかる瞬間、剣を一気に振り下ろした。一刀両断。一直線に向かってきた光線は、少女の剣によって二手にさけ、塵となって消えた。
攻撃の後には隙が生まれる。
少女はダンッ、とアスファルトを蹴ると、宝石の化け物へ向かって駆けた。
蟻の頭部に向かって剣を突き立てる。突進の推進力をそのまま剣に乗せ、硬く鈍い音を鳴らしながら、剣は蟻の頭部に突き刺さった。
――グギャアアッ
苦しそうに蟻は叫ぶ。
即座に少女は剣を握り直すと、刃が上昇するように上へと力を加える。宝石内部に侵入した刃は宝石を砕きながら駆け上り、果てに頭部を炸裂させながら、脳天から飛び抜ける。
――ギャアアアアッ!
化け物の断末魔が深夜の路地に響く。核である頭を失った宝石の化け物は、水晶を地面に落下させたように、全身が見るも無残に粉々に崩れ落ちた。暴れまわっていた化け物は残骸になり、ついには塵となって存在の痕跡が跡形もなく消え失せた。
ガタンゴトン……。
遠くで走る列車の音が聞こえてきた。長いようで短い激闘は幕を閉じ、住宅街に静寂が戻ってきたのだ。
甲冑に身を包んだ少女は、ゆるやかな動作で西洋剣を鞘に納めた。
すると、甲冑が光となって弾けた。一瞬にして彼女の恰好は白いワンピース姿へと変化していた。息が白くなる冬の夜にしてはあまりにも軽薄な格好だ。普通に寒そうだ。
俺にずっと背中を向けていた少女は、くるりと、こちらへ振り返った。拍子に生地が薄いスカートがふわりと広がった
初めて彼女の尊顔を目にした俺は、思わず感嘆のため息をもらす。
人離れした美貌、神々しさすら感じる。
人形のような、なんて形容句があるが、まさにそれだ。ブルーの瞳で俺を見据え、後ろで束ねた金色の長髪を揺らしながら、一歩一歩とこちらへ歩んでくる。彼女の出で立ちがあまりにも美しくて、俺は思わず見惚れてしまった。
「貴方が、シンヤね」
透き通ったソプラノが俺の名を呼んだ。信也とは、たしかに俺の名だ。
「そ、そうだけど」
彼女は俺を見下ろすように立ち止まった。腰が抜けているせいで、脅威が去ってなお、俺は冷たいアスファルトにへたりこんでいた。
仁王立ちした彼女はチっ、と舌打ちをした。否定するような仕草に心にヒビが入る。俺を見下ろす鋭利な視線は、俺が「日高信也」でなければよかった、と言いたげであった。
「私が誰だかわかる?」心なしか声も機嫌が悪い。
「誰って……」
彼女とは初対面だ。けども、誰かは知っていた。
「アルマ・ベル・ウェストウィック……?」
疑念を胸に抱いたまま、俺が知る彼女の名前を呼んだ。その名が正しかったらしく、彼女は目を細めて頷いた。
「まさか、そんなはずはない」
俺は戸惑った。
俺の知るアルマは、スマホ向けゲームアプリのキャラクターであった。その風貌も、ぶっきらぼうな口調や声すらも、画面越しに見てきたそれだ。だからこそ、こうして目の前に実在していることが、信じられないのだ。
「疑うのも無理はないわね。別世界から来た私はこの世界にとっての異物だもの。でも私は、世界を超えてでも倒さなければならないヤツがいるの?」
「ヤツ……?」
「ディナル・ディスペア」
「私に手を貸して。ディスペアを倒す協力をしなさい」
仁王立ちして、アルマは見下す俺へと手を差し伸ばす。
これがアルマでなければ、偉そうな態度に苛立つのだろうが、美しい美貌や凛とした佇まいのせいだろうか、喜んで命令を聞き入れてしまいたくなる。
俺は呆けた顔で彼女へ向けて手を伸ばす。意志とは別に、手が勝手に動いていた。
架空の存在との協力に、俺は畏怖しながらも、どこかワクワクしていた。
退屈で鬱屈とした日常が一転する予感があった。
この手を握れば、日常を脱するこができる。
そんな期待が、握手へと手を導いた。
握手しようと伸ばした俺の手の平をアルマはパチン、と叩いた。
「へ?」
「はい、これで交渉成立」
アルマは冷ややかな声で呟いたのち、踵を返して背中を向けた。
「とりあえず拠点が必要だわ。貴方の寝床へ案内しなさい」
背中が離れていく。スタスタと歩き出してしまった。未だに俺は、呆けた顔で少しずつ遠ざかっていく背中を眺めていた。ちなみに手は
「ちょっと! いつまでそうしてんの! 案内がないと、どこへ行けば、わかんないんだけど!」
指でつまめそうなほど小さくなった彼女が、遠くで文句を言っている。
俺は彼女と握手するはずだった手の平を地面に密着させた。冬のアスファルトは氷のように冷たかった。二の腕に力を込めて、ようやくお尻を持ち上げた。
「ほら、早く来なさいよ」
「はいはい……」
急かされ、お尻を払いながら彼女の元へ向かう。
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