01.都内六畳一間の豚小屋に姫騎士はご立腹

 スマホ向けゲームアプリ「世界をつむぐ聖剣」は既にサービス終了している。

 サービスが停止したのは、昨日のことである。

 俺は毎日ログインし、デイリークエストも課金も欠かさず行っていたのにもかかわらず、あっけなくサービスは停止した。大好きなゲームだったので、配信が終了する最後の最後まで俺はゲームをプレイした。

 日付をまたいだころ、ゲームの動きは止まり、アプリを立ち上げ直したらホーム画面にて「サービス終了」の案内が出た。

 俺は大変ショックを受けた。大げさかもしれないが、「世界を紡ぐ聖剣」は、俺の生きる糧であった。社会という草も生えぬ砂漠で生きていくのに、必要なオアシスだった。かといって、ゲーム内容が特別面白かったわけではない。キャラクターとの交流がよかった。

「世界を紡ぐ聖剣」では、ホーム画面にてキャラクターにタッチすると、キャラクターは「きゃっ」と驚いたり、「くすぐったい」と言いながらむっ、としたり、なにかしら反応をしてくれる。俺はその機能がものすごく好きだった。

 こちらの行動に対し、キャラクターが反応をくれると、まるである種のコミュニケーションが成立したかのような錯覚を覚えた。現実の人間が苦手な俺にとって、唯一のコミュニケーションの場がそのホーム画面だった。

 疲れたり、人生の路頭に迷ったりしたとき、いつもそうやって凌いできた。俺が今、首を吊らず、電車に飛び込まずにいられたのは、誇張表現を抜きにして、タッチに対し、リアクションをくれたキャラクターのおかげだ。

 そして、そのホーム画面にて最も俺を励ましてくれて、なおかつ「世界を紡ぐ聖剣」の主要キャラであるのが「アルマ・ベル・ウェストウィック」だ。

「狭い狭い! せまぁあああああい!」

 そんな彼女は、アパートの一室にて、叫んでいた。

「大きな声を出さないでくれ。近所迷惑になるだろ」

 俺の訴えを無視して家賃7万6畳ワンルーム(ロフト付き)をウロウロと歩き回るアルマ。大変不愉快そうな表情で、壁や天井を吟味するように見て回っている。

「こんな家畜以下の場所で過ごすなんて……屈辱だわ」

 悔しそうにダン、と地団太を踏む。

「やめてくれ。隣室に響く」

 彼女が怒るのも無理はないのだろう。アルマは姫騎士様だ。設定ではたしか、広大なお城に住んでいたはずだ。たしかにそりゃあ、それに比べたらアパートの一室は狭かろう。しかし、言っていいことと悪いことがある。

 東京というコンクリートジャングルにて、汗水たらして働いて、お金を稼いで、守り抜いてきた聖域サンクチュアリがこの一室だ。そんな努力の結晶を狭いだの家畜の寝床ねどこ以下だの好き放題罵られては気分が悪い。平たく言えばイラっとしたのだ。

「…………」

 しかし、憤りを覚えつつも事なかれ主義の俺は対立を避ける。俺が我慢すれば嵐は過ぎ去り、何も事件は起きないのだ。全体のために心を殺す。社会の荒波に揉まれる中で身に着けた処世術である。

 ピンポン、ピンポン、ピンポン!

 玄関チャイムがけたたましく鳴る。

「今度は何?」アルマの剣幕がいっそう濃くなる

「お前のせいだよ」

「ハァ?」

 苛立つアルマの横を通り抜けて、1メートル程度の通路を通り抜け、ガチャリと玄関度を開けると、隣の住人が佇んでいた。それはもう、大変ご立腹な様子で。

「お前さぁ……今、何時かわかる?」

 若くチャラい男の顔は俺より高い位置にある。体もガッシリしており、力勝負で勝てるビジョンが浮かばない。そんな男が嫌悪感をむき出しにしてこちらを睨んでくる。

「うっせぇんだよ……あぁ?」

 萎縮いしゅくした俺はすぐさま頭を下げた。

「……すいません」

「謝って済む問題かよ!」

「ひっ!」

 怒鳴り声に背筋が冷えていく。怒った人間というのは獣と一緒だ。感情の赴くままに嚙みついてきそうで、ものすごく怖い。

「こちとら夜勤で疲れてんだよ。とりあえず一発殴らせろ」

 胸ぐらを掴まれ、グイッと引き寄せられる。想像通り、なんと力の強いことか、振りほどこうにもビクともしない。男は逆の手で握りこぶしを作り、殴るために拳を振り上げた。今にも殴られそうな、その時、

「うっさいのはアンタよ」

 後ろからもう一つの苛立つ声。アルマだ。

 男はターゲットを変えたようだ。胸ぐらを掴む手が緩み、肉欲にまみれた下卑た笑みを顔に浮かべる。

「っへ、情けねぇくせに、いい女を連れ込んでんじゃねぇか」

 「どけ」と俺を突き飛ばすと、土足で家に上がり込み、アルマへと近づく。

「そこのひ弱よりも、俺に乗り換えねぇか? 退屈はさせねぇぜ?」

そんなこと言いながら男が手を伸ばすと、アルマは埃でも払いのけるように、伸びた手を払いのけた。

「アンタのまたぐらに付いたしめじなんて興味ないわ」

「へぇ、言うねぇ」

 余裕そうな台詞ではあるが、苛立ちのせいで声色は尖っていた。

「さっさとアンタ専用の豚小屋に戻りなさいよ。口から馬糞みたいな臭いがするのよ」

 プチン。

 男の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた。男はアルマに殴りかかった。

「危ないっ!」

 俺が叫ぶがいなや、アルマは男の拳をひょい、と避け、トン、と首元をチョップした。男は糸が切れたみたいにバタンと倒れてしまった。一瞬の出来事だ。

「え、死んだ?」

「馬鹿ね。眠らせただけよ」

「そうか」

 俺はホッと肩をなでおろした。

「アンタこそ平気なの?」

「…………」

 まさか俺を心配してくれるだなんて。意外な言葉に顔がほころんでしまう。

「平気だ。ほら」

 快調を表現するためにニッと笑うと、「そうじゃない」と呆れたように顔をしかめた。

「こんな雑魚にビビっていて、この先、戦っていけるのか、って聞いてんの?」

「戦うって誰と?」

「ディスペアに決まってんじゃないの。この世界は、脅威に晒されているの」

 世界は脅威に晒されている。

 あまりにもあざとい言い回しに俺は「世界滅亡の危機、ってか?」と茶化す。

「その通りよ」

 その言葉は真剣そのものだった。

 アルマは、本気で世界滅亡を危惧しているのだ。

 俺はたじろいでしまう。実感がないだけに、もしかして、本気でヤバい状況だったりするのか?

「と、とりあえず、順を追って説明してくれよ。何も知らない状態だと協力しようにもできない」

 言ったあと、今の発言は生意気だったか、と後悔したが、アルマは「それもそうね、悪かったわ」と素直に謝った。

「お、おう」

 急に丁寧な対応をされると、それはそれで困る。

「とりあえずこの雑魚を豚小屋へ返しなさい。話はそのあとよ」

 アルマはつまさきで床に突っ伏している男を指した。


 青年を引きずり、彼自身の部屋へ運ぶのはなかなかの重労働であった。

 腰を痛めながらも一仕事を終え、自室へ戻った俺は、カーペットが敷かれた床に腰を下ろし、ローテーブルを挟んでアルマと相対する。

 サファイアのような青い瞳が、俺を真っすぐ見つめてくる。純朴で美しく凛々しい尊顔。なんというか、直視するのが難しい。青い瞳をした金髪の白いワンピースを着た美少女。それが都内のアパートの一室に居るのはまぐれもなく違和感であった。

「遅いわよ」

 黙っていれば無害なのに、口を開けば棘が飛ばしてくる。

「……まず、ここに来るまでの経緯を教えてくれよ」

 微々たる傷心を抱えながら、俺は質問をした。

「わかったわ」

 そうして、アルマは経緯を語り始めた。

「私たちの世界は、魔物は出るし、国同士の争いはあったけれど、世界としての均衡は保たれていた。けど、『ヤツ』の出現により、根底から全てひっくり返ることになる」

「ヤツ……?」

 答えを知っていながらも、聞かざるを得なかった。

「ディナル・ディスペアよ」

 こうしてアルマの語りがはじまった。

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課金すれば世界は救われる、けども。 小串圭 @Mota0827

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