02.ゲーム世界 その1(国の終焉)

 剣と魔法が存在する世界で、アルマは生きていた。

 西にある緑豊かな山岳地帯。その奥地にアルマの国があった。

 街の中心には大きな城が建っており、王族は高い位置から国民たちを見守っていた。歴代の王には、王の証として宝剣が与えられる。代々それは受け継がれ、脅威から国を守ってきた。

 宝剣がアルマの手に渡ったのは、彼女が16歳の頃だった。

 父である王の早逝そうせいにより、アルマは未熟ながら当主となる。宝剣を受け継ぎ、彼女は騎士姫となった。当然、国民は未熟な棋士姫を快く思わない。彼らは口には出さずとも同じ気持ちを抱いた。あんな小娘が王になって大丈夫か、と。

 それを彼女自身が重々承知していたからこそ、宝剣の柄に血が滲むほどの鍛錬を行った。王たる威厳がないからこそ、せめて力だけは伸ばすべきだと考えたのだ。

 日々剣術を磨き、鍛えた力で街を襲う魔物を討伐した。時には建物を踏み潰すほどの巨大な魔物にも立ち向かう。相手が巨大であれ、強力であれ、民草を護るため、臆せず立ち向かい勝利を納めてきた。

 一方で彼女は、きらびやかなドレスとは違う庶民的しょみんてきな服をまとい、積極的に街に繰り出した。遊ぶためではなく、国民と交流するためだ。城から見下ろすだけでは国民の気持ちには寄り添えない、と考えたのだ。

 そういった小さな功績や姿勢が積み重なり、国民たちの疑心ぎしんは、信頼へと変わった。

 彼女は国民からしたわれる王となった。

 王とは、国民の命も、未来も、全てを背負う存在だ。

 責任は重大で、重圧も半端なく、こなすべき事柄は小さな身には有り余るほど多大で膨大であったが、それでも騎士姫という人生をアルマは誇りに思っていた。

 時には棋士姫、という己の運命を呪うこともあったが、今ではその運命を受け入れ、そして、全うしようと決意していた。

 しかし、ある出来事を境にきらびびやか王道は、野犬やけん蔓延はびこるけもの道へと変貌へんぼうを遂げる。

 全てはあの日、ディナル・ディスペアの来訪らいほうがきっかけだ。

 ヤツは、突如現れた。

 雲ひとつない晴天の青空から、落雷らくらいのように降り注いだ。何の前触れもなくディスペアは人々が集う繁華街はんかがいの中心に降り立った。

 ディスペアの姿は暗黒だった。炭のようにどす黒い西洋甲冑に身を包んでおり、亡霊のような不気味な雰囲気があった。

 突如現れたそれに、群衆たちは驚愕して立ち止まった。たくさんの視線が黒い甲冑に集まる。

「ふむ」

 360度、己に驚愕きょうがくする顔たちを一瞥いちべつすると、ディスペアはゆるやかな動作で虚空こくうでた

 ディスペアがでた空間から、突如、3mほどの巨大な宝石の虫が出現した。

 宝石でできた巨大なカマキリ。両腕に備わっているのは身の丈以上の巨大で鋭利えいりな鎌だ。それを人々に向かって薙ぎ払う。突然のことに、叫ぶ間もない。数秒も経たないうちに、カマキリの足元にいた人たちは胴体を二分割されてしまう。複数の切断面から大量の血が噴射し、あっという間に血の池が出来上がる。

 ――きゃああああ!

 誰かの悲鳴が合図となり、人々はカマキリから逃げた。

 群衆たちは押し合い、へし合い、誰もが我先に逃げようとする。各々が各々の脚を引っ張るから、ほとんどの人間が逃げ損ねた。カマキリは、近場の人間から殺していった。巨大なカマで、芝刈り機のように容易く、大量に、行進しながら、人々の胴体を薙ぎ払っていく。

 人々の悲鳴と赤い雨が降り注ぐ中、ディスペアは無感動に再び虚空を撫でる。また別の宝石の虫が出現する。今度は蟻だ。やはり見上げるほど大きい。それでいて動きは等身大の蟻と等しく速い。大型トラックが群衆に突っ込んだら、似たような光景ができるだろう。6本の脚を動かし、群衆へ突進していった。面白いほどに人の身体は吹っ飛んでいく。

 ディスペアその後も宝石の虫を何度も、何体も、何種類も出現させた。そのどれもが殺傷能力が高く人々を殺していった。

 阿鼻叫喚。魑魅魍魎。地獄絵図。

 走って逃げる子供を背中から殺し、両手で口元を抑え建物に隠れていた女性を見つけ出しては殺し、武器を握り勇敢ゆうかんに立ち向かう男を殺した。老若男女ろうにゃくなんにょ問わず、無慈悲に殺していく。

 山火事が如く、虐殺ぎゃくさつの波は国を蹂躙じゅうりんしていく。

 王国の軍隊が現場に到着したのは、ディスペアが出現して、20分後のことだ。普段は人々で栄える繁華街は、赤い死骸の海へと変わり果てていた。

 総勢3000人の軍人たちは憤怒ふんぬの炎を抱き、ウジャウジャうごめく宝石の虫へと立ち向かった。だけども、あまり意味がなかった。

 兵士が槍や剣で宝石の虫に攻撃するも、宝石で生成された硬い皮膚に傷を与えることはできない。魔導兵まどうへいが攻撃魔法で火や雷撃をぶつけるも、下級魔法ではひるまない。中級魔法でようやく微かなダメージを与える程度だが、中級魔法を使える魔導兵はごく一部だ。

 対して宝石の虫は軍勢ぐんぜい呼称こしょうできるほど増えていた。宝石一体に対し、兵士100人で立ち向かってようやくいい勝負となる。質も量も圧倒的に王国軍が劣っていた。

 必然、軍人たちも、一般人と同じように、ひとしく殺されていった。

 国の中で唯一、奴らに対抗できるのは騎士姫たるアルマのみであった。そのアルマは運悪く隣国りんこくとの会合かいごうのため国外へ出ていた。

 ディスペアが出現した頃はちょうど帰路きろの馬車に揺られていた。

「アルマ様!」

 うつらうつら、眠りに落ちそうになっていたアルマは、側近の鬼気迫ききせまる声に起こされた。

 なに、と聞く前に側近が青ざめている理由が視界に飛び込んできた。右腕にはめたブレスレットが赤く光っていた。

「……っ!」

 滅多に光らないそれに、アルマは動揺した。

 国からの救難信号。しかも赤はレベル5、国の壊滅的かいめつてきな危機を意味する。

 混乱する思考、せり上がってくる不安。ぐちゃぐちゃになりそうな心象しんしょうを封じ込め、努めて冷静になる。落ち着け、取り乱す前に王としての務めを果たさねば。

「貴方はこの馬車で来た道をそのまま戻りなさい。事情を説明すれば、隣国の王は快く受け入れてくれるはずよ」

「アルマ様は、アルマ様はどうなさるつもりで?」

 アルマは側近の不安を和らげるように微笑む。

「私は口へ帰るわ。みんなを護らなくてはいけないから」

 走る馬車、扉を開けて顔を出す。顔にぶつかる風を感じつつ、馬車から飛び出そうとしたら、服に引っ張られる感覚があった。

「アルマ様……」

 側近の彼女は、今にも崩れ落ちそうな顔で、アルマの服を掴んでいたのだ。

「大丈夫よ。安心して待ってなさい。必ず国を護ってみせるわ」

 己の不安を笑みで隠し、そっ、と優しく側近の頭を撫でた。そしてアルマは走行中の馬車から飛び出した。

 アルマ様、という声は、俊足しゅんそくで走る背中には追いつけなかった。走る彼女の移動速度はすさまじく、視界の景色は目まぐるしく変わる。いくつもの山や川を超え、日が落ちるころに国へたどり着いた。

 既に国は滅んでいた。

 さかええていた街は建物の全てが崩落しており、っていた人々は形の成さないしかばねになっていた。荒廃こうはいした故郷こきょうを見たアルマは、絶句したあまり言葉を失う。

「…………」

 自分がもっと早く到着していれば。自分が国を離れなければ。

 後悔してもしきれない後悔を心中で反芻はんすうする。心は鉛のように重く、倒れ伏してしまいそうだ。だが、よろめく彼女は、強く剣を握り、己に活を入れる。

 私は王だ。己の不甲斐なさを詫びるより、尽くすべき役目を果たせ。

 滲む涙をぬぐった目には、強い決心が宿っていた。青い瞳に移るのは、宝石の虫の軍勢ぐんぜい。国の残骸ざんがい蔓延はびこるそれらの数は、数えることを放棄してしまうほど大量であった。

 だからとて、退却たいきゃくする理由にはならない。

 ウジャウジャとうごめく宝石の虫たちを蹴散らし、まだ生きているかもしれない国民を救うのだ。

 一縷いちるの望みを胸に、アルマは宝剣を振るった。

「せやああああ!」

 雄叫おたけびをあげ、次々と宝石の虫を蹴散らしていく。一撃一殺のペースで、一体、また一体と宝石を砕いていく。確実に倒している。実力も圧倒的にこちらが上。なのに、勝つイメージが脳裏によぎらない。あまりに敵の数が多すぎて、終わりが見えないのだ。まるでこれは、スプーンで洞窟を掘るのと同じだ。全てを倒すために、あと何百回、何千回、何万回、剣を振るわなきゃならないのだろうか。

「うわあああっ!」

 無謀むぼうにひれ伏しそうな心を、叫んで鼓舞こぶする。

 砕き、砕いて、砕きまくって、また砕いたころ、朝日がアルマの頬を照らした。

 朝になっても、孤独な闘いは続いた。

 未だ生存者は見つからない。

 虫の数は衰えない。

「……ハァ、ハァ」

 7時間以上の戦闘により、アルマは肩で息をしていた。なおも、宝石の虫たちは、群れで襲ってくる。

「あああっ!」

 絶叫ぜっきょう。泥のような体にむちを打って、宝剣を振り回す。疲労困憊ではあるが、未だに実力的有利は揺るぎない。が、一体倒すのに手こずるようになってきた。

「あっ……」

 疲労と寝不足により、ふ、と一瞬だけ意識が遠のいた。身体の自由を失ったタイミングで、宝石のクワガタが突進を仕掛けてきた。

「くっ……」

 アルマの表情が苦痛によって歪む。

 避けきれず、鋭利なつのがアルマの脇腹をかすめた。微々たるダメージだったが、体勢が崩れ、決定的な隙が生まれた。その隙をカマキリが襲う。天高く振り上げた巨大なカマを、アルマの胴を切断すべく振り下ろされた。

 死、を予感したその時、

「止まれ」

 声がした。あでやかで、透き通った、うるしのような黒い声。

 ピタリ、と鎌は空中で静止した。周りに群がる宝石の虫たちも等しく動きを止めた。体を形成する素材が宝石だから、固まっていたほうがある種、自然だ。

「退け」

 オブジェと化した虫の向こうから、またも黒い声が聞こえた。それを合図に虫たちはぞろぞろと左右に別れ、声の主が通るための道を作った。

 パンパンと鈍い拍手を鳴らしながら黒い甲冑の人物が現れた。

 ガチャリガチャリと甲冑を揺らすその姿を見た瞬間、アルマは悪寒を背中に感じた。言語化できない違和感、とでも言うのだろうか、姿は黒い西洋甲冑に身を包んだ人間であるのに、人ならざる気配が彼にはあった。まるで深淵しんえんを覗いた時みたいな、根源的こんげんてきな恐怖を感じた。

 間違いない。この男が、諸悪しょあくの根源だ。

「勇敢だった。感動した。君の戦いで私の感情は動いた」

 ガチャリガチャリ鳴っていた甲冑の音が鳴り止む。ディスペアは手を伸ばせば届く距離で立ち止まった。

「……何者よ」

 一歩踏み込み剣を振れば、刃が届く距離にディスペアはいる。アルマは口を動かしながらも、針の穴ほどの隙も見逃さないつもりで、黒い甲冑の男を凝視ぎょうししていた。

「私はディナル・ディスペア。何者か説明するなら、そうだな……」

 隙。

 ディスペアは思考するため、ほんの一瞬、視線を落とし、アルマから注意を逸らした。

 まばたききほどの隙ではあるが、アルマほどのレベルになれば必殺のチャンスであった。反応よりも早い反射的速度で、剣を握る右手を振り、首をね、黒い兜を宙へ飛ばす。

 ――そのつもりであった。

「私は『敵』だな」

 ディスペアがそう答えるまで、アルマは動けなかった。

 彼女自身、死んでも認めないだろうが、事実、彼女はディスペアの異様な気配に怖気おじけづき、体が強張ってしまったのだ。

「敵……?」

 己の失態に動揺しながらも、努めて平静にアルマは答えた。

「いわゆるがんなのだよ。私は」

「周りくどい言い方しないで、直球で言いなさいよ。腹立つ」

「ならば言おう。私の狙いは世界滅亡だ」

「大げさな目標ね。高い理想は己を滅ぼすだけよ。世界と戦って勝てるはずがない」

「そう難しい課題でもないと思うがね。微々たる労力でこの国は亡びた。それを繰り返すだけだろ?」

 嘲笑ちょうしょう、黒い甲冑のせいで表情は見えないが、声のニュアンスからして彼は笑っていた。

 それがアルマの逆鱗げきりんに触れた。怒りにより我を忘れた彼女は、激昂げきこうする感情をそのまま攻撃を仕掛けた。次の瞬間、アルマの視界は黒く染まる。

 彼女の視界を塞いだのは、ディスペアの手の平だ。

 顔面を掴まれたのだ。

「直線的すぎる」

 涼しい声と対照的に、顔面を掴む腕は万力のように力強い。ディスペは腕にグッと力を込めると、アルマの後頭部を地面に叩きつけた。

「っぐっがぁ!」

 脳に衝撃を受け、意識が大きく揺らめく。それでもアルマは抵抗する。

 視界が遮断syだんされても直撃するように宝剣を闇雲に振るう。剣術とは程遠い乱暴な剣の軌道をディスペアはいとも容易く避け、頭蓋を砕くような勢いで、無慈悲に何度も、アルマの後頭部を地面に叩きつけた。果てにアルマは沈黙する。

 うなじからドクドクと血が抜けていく。意識がスーッと遠のく。

「騎士姫私は君に生きてほしいのだ。目標には、弊害が必要だ。私が君らの『敵』であるように、君らも私の『敵』で……――――」

 降り注ぐディスペアの声がどんどん薄くなる。そして、プツンと意識は途切れた。

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