14話・哀悼を貪るもの・後編
後編
警察から出てくる私を待っていたのは世話になったヒヤシンス園の職員だった。
18歳で園を出た後も度々連絡を取っていた女性だ。
ふくよかな体躯を揺らせながら駆け寄ると千鶴ちゃんと呼んで私の体を包みこんだ。
久方ぶりに感じるぬくもりに縋り付いて泣いた。
事情はあらかた聞いていたようで、喪服の心配をする私に他の職員が貸してくれるから大丈夫よと慰めてくれた。
ラインで氷見から葬儀の日程に関する連絡が回ってきた。
解剖から帰ってきた後に通夜、その翌日に葬儀という日程だった。
職員の車に載せられて一緒にヒヤシンス園に行った。
「千鶴ちゃんのうちはここだからね。離れなくてはいけなくても、千鶴ちゃんの実家、私達は家族だよ。遠慮しないで。今回は、気の毒だったねえ…」
話を伺っていたのだろう、年が近い20代の職員が自分の喪服を準備して待っていた。手早い対応に頭が下がる。
サイズは若干違っていたが1日着るだけなのでありがたく借りることにした。
そして葬儀の当日。
多少ぶかぶかな喪服を身にまとい葬儀会場を訪れた。
『故 吉川静江葬儀会場』と書かれた看板を前に警察署で湧き上がった屈辱を反芻している。吉川が死んだのは私の所為だが、直接手を下したのはあの卑しい虫けらだ。
「ごめんなあ、千鶴。お前の友達だったのに。」
苛立ちを鎮めようと昨晩電話越しで謝る彼の声を思い出す。
「俺が作った縛りを抜け出そうとして、人の法や風習に従わんのはいけん。謝って赦したらもう手を出してはいけん決まりじゃ。単純明快な理よ。それを反省してなかったと理由つけて襲うのはルール違反じゃ。全く、名前なんぞ与えるけぇ強ぅなってつけあがる。所詮”そっちの畜生”じゃけえな。そっちのことはそっちで解決せにゃならん。それでも見つけ次第駆除するが……――――実はの、俺がこうして顕現するのを快ぅ思わん輩がいる。ほんまはね、過剰に干渉するのは程々にせんといけんのよ。」
電話越しでため息が漏れる。
私は無理しなくていいよとだけ返す。
元より彼の力など期待していない。
「せめて俺の眼の前でなんかしてくれりゃあねえ……」
彼はあれやこれやと言い訳をするが、出来る範囲で自分ができることを精一杯やろうとしている。
物語に出てくる白髪の美丈夫も各地を放浪してたのは直接なら手を下せるためか。
彼は私が知る限りでは、人間を愛していると曰いながらその人間を直接守る事をあまりした様子はなかった。
眼の前で倒れた人間に、手を差し伸べるだけの優しさは持ち合わせている。
実家の手伝いも、バイト先の仕事も、ボランティア活動も積極的に行っている。
人の為によく働く男だが、踏み込んではいけない一線を常に超えないようにしていた。
彼は、人の営みに興味がない……いや、理解を示さない。
ツイタチの語る人類愛も随分いい加減なものだが、彼のほうが放任気味である。
彼は見つけた動物を禍津物だと勝手に決めつけ、徹底的に痛めつけて上下関係をわからせようとしていた。興味がないのではなく、区別がつかないのだ。
一方でツイタチは畜生を禍津物という新しいカテゴリーを作ってやり、名前までつけて管理しようとするツイタチは彼より懐が深い。人を守りたいが、禍津物にも慈悲を与えたい。
彼より、神として良く出来ていると言える。
良く出来ているが、同時に酷く薄っぺらい。
ツイタチはただ、人間が欲しがる神の慈愛をただ並べているだけにしか過ぎない。
実際にこのアカウントは吉川を見殺しにしたし、村上を止めることも出来なかった。
彼の妄言が真実か否か、今の私には判別つかない。
どちらがいいか、わからない。
妄言が真実でなければいいと願う一方で、あの紛い物の存在を認めたくない。
ただ一つはっきりしていることがある。
私も、彼も、兄も、教団も、警察も、教団も、ツイタチも……あの禍津物の存在に頭を悩ませている点である。
兄の部下を殺された、サークルが崩壊した、薬をばらまいた、色々な事が重なりあっているが、敵対する必要はないのだ。
人の法と情に倣うから、ややこしくなる。
村上だけが、この構図の枠組みに入らない。
兄の部下を殺して逃げるために禍津物の手を借りている。
禍津物を利用しているのか、完全にコントロールする術でも身につけたのか。
宮比は村上は底が知れないと言っていた。
村上は人を食らって禍津物に成り代わろうとした。
御使いに焦がれるならともかく、あの畜生共に。
いや、村上が只人であるなら御使いと禍津物の区別などつかないだろう。
現にツイタチが紛い物であるかどうかも、見破れていなかった。
虫けらが飛び回る気配を感じる。
まだ、こちらの様子をうかがうか。
それとも新たな獲物を探しているのか。
腹は膨れてるだろうに。
私は無知で愛想を振る舞うだけ女の仮面を被ると、会場に足を踏み入れる。
中には30人ほどの人が参列していた。
棺の近くの席に座り、青い顔で消沈した遺族は参列者の挨拶に力なく答えていた。
母親らしき女性は両手で顔を覆ったまま震えている。
彼女を傍で支える男性と視線が合う。恐らく死の前日に訪れたという兄だろう。
私の顔を見ると一瞬般若のような険しい顔つきをしたが、直ぐに目を逸らした。
彼もまた、彼女の死を誰かの所為に押し付けたいのだろう。
宮比の言う通り、彼女の死因は心臓発作によるものと片付けられた。
もっとあの家に滞在していれば……という後悔を、彼も抱え続けて生きていくのだ。
深々と頭を下げると受付に香典袋を渡し名簿に名前を書く。
一番後ろの席に座ると目の前によく知った顔の若い男女が数人座っているのがわかった。
サークルに所属していた者たちだ。
あの事件以来、おおよそ半年ぶりに見る面々だった。
私のようにただ所属していただけの者たち。
話しかけようかと思ったが、顔だけ知っていて深く話し込んだ事がない人たちばかりだった。
瞳に覇気がない。皆一様に青い顔をしている。無理もないだろう。宮比はあのサークル内で禍津物に狙われて罪悪感を抱き身を破滅している者が吉川だけではないと言っていた。次は自分の番かもしれない。いや、もうすでに罪悪感を抱いているものもいるだろう。
身だしなみが乱れている者が2,3人いる。
特に私の一つとなりに座る男性はパツンパツンの喪服を身にまとい、垢だらけの長く伸びた髪は耳より少し下の位置で黒色と明るい茶色に別れていた。
目の下まで伸びた前髪のと、ニキビだらけの頬。
死ぬ直前に会った吉川の様子に似ている。
確かに覚えがあるはずなのだが、どこの誰か思い出せない。誰だったろう。
「お待たせしました。」
そう言って私と男の間に座った女の顔を見て、ようやく男の素性がわかった。
見窄らしい太った男に寄り添うお女は、真っ黒な葬式の中でひときわ目立つほど派手だった。
青に近い銀色に染めた髪、長くたっぷりとした付け睫毛とくっきり入ったアイライン。爪は少し長めで真っ黒に染められていた。手に持っているカバンも、黒に統一しているがおおよそ葬式に持って来るにはふさわしくない装飾品がくくりつけられている。
「多摩くん……京子ちゃん…?」
消えそうなほど小さな小声で囁いたにも関わらず、2人は気がついてこちらに顔向ける。
氷見京子は私の顔を見ると、一瞬驚いた顔をして「お久しぶりです。」と軽く会釈をした。
いつもは相手を刺し殺すのかと言わんばかりに長々とした付け爪を付けているが、流石に控えたようだ。よく見ればメイクもいつもより断然おとなしい。
氷見京子は母親が組長のお気に入りのイロで、兄が気にかけていた女だ。吉川の親友だった。
サークルの中心にいてリーダーのように仕切っていた多摩誠司。あのイケメンが今は見る影もない。
「お元気でしたか?千鶴さん。」
氷見は派手派手しい見た目に反して誰に対しても敬語で話す。
自分を卑下しているからでも相手を見下しているからでもない。性分なのだと以前会ったときに話していた。彼女はいつも平成初期のギャルに憧れて、当時をリバイバルしつつ、現代のギャル衣装ファッションを取り込んだ格好していた。彼女を育てた母親が平成を生きたギャルなのだ。明るく真っ直ぐ無敵だったと話したのはいつの頃だったか。
「久しぶり京子ちゃん。」
「ええ、千鶴さんもお変わりなくて嬉しいです。お兄様は元気ですか?最近お会いしていないので心配です。」
兄の話題が出た瞬間、目を逸らし俯いていた多摩の肩がビクリと震える。あの野郎、また私の知り合いになにかしたらしい。
「お兄ちゃん?元気だよ~。相変わらずの食いしんぼだよ。斉東くんは?」
会場をぐるっと見渡したが斉東の姿がない。
晦とツイタチ、双方から”人でなし”と言われた彼は、先日会った時も顔色がとても悪かった。吉川の死でとどめを刺され意気消沈しているのだろうか。彼には兄が付いているので万が一という事もないだろうが。
「多聞くんはお通夜に参列したので今日は遠慮したそうですよ。何しろ、広島に用があると言ってその日の新幹線で喪服のまま向かってしまわれたらしいです。」
「そう……」
広島……――――ということは晦か山上に会いに行ったのか。
自身が人でなしかどうか、確かめに行ったのだろう。
晦は兎も角、山上ならはっきりとした答えを導き出せなくとも、斉東を励まし支えくれそうだ。少なくとも兄に頼るよりは断然良い。兄が絡んでないとも言い切れないが。
「ごめん、俺やっぱり……」
息苦しそうに多摩が立ち上がる。瞳からは焦燥感が見える。キョロキョロとあたりを見渡す。何かに怯えている。話では事件後にマスコミや野次馬、配信者に追われ精神を疲弊して引きこもってしまったと聞いている。
「ええ、わかりました。お気をつけて。」
「駄目!」
帰ろうとする多摩を立ち上がって引き止める。
多摩は驚いてボサボサの前髪からこちらを凝視する。
ニキビと肥満で分かりづらくなったが、やはり整った顔立ちをしている。あのイケメンの面影はまだ残っている。
「人のいる所にいて。一人にならないで。」
吉川は、そうして死んだのだ。
一人になったから隙をつかれた。
「ほら、人といたほうが気が紛れるしぃ。折角久々に会えたんだからもう少しお話しようよ。」
私の訴えに多摩はぐうっと唸り声を上げながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「み、見捨てないでくれ…ッ俺は……」
「大丈夫ですよ。」
氷見は同じくしゃがみ込むと彼の背中を懸命に撫でる。
「赦してくれ京子、赦してくれ…俺、俺……」
「表に向かいのものが車が用意してあります。貴方を決して一人にはさせません。大丈夫、私もみんなも貴方を赦していますよ。この人と少し話をしたら私もすぐに向かいますから、さあ。」
多摩は氷見に抱えられ立ち上がる。入口の方にいた若い男がよろめく多摩の側に駆け寄ると支えながら会場を後にした。
「誠司はもう駄目だと思います。」
多摩を見送った氷見は悲しげな表情を変えないままそう呟いた。
「哀れな人です。何度も村上くんが注意したのに、結局聞きませんでした。」
「……そんなぁ、怖いこと言わないでよ。」
立ち上がると氷見の視線が私よりずっと低いことに気がつく。
彼女が今日履いているパンプスのヒールが低いのだ。ずっとこの女は厚底の靴を履いていた。
「人がいても関係ありませんよ?アレに見つかると謝り続けないと助かりません。向こうが飽きて離れるまで。」
「何を……」
「宮比警部とお話してきたのでしょう?その前には多聞と貴方のお兄様と、ツイタチ様を名乗る田舎のお坊ちゃまと。」
「……」
一体何処から情報が漏れたのか。
思い当たるのは教団のスタッフをしている日吉勝だ。
下品な猿顔を思い出して内心で舌打ちをする。
あの教団は総じて口が軽い。誰も彼も罪を許し合う事が教義の一環なので、安心して気が緩むのだという。なんでも打ち明けるべきだと白状や密告を推奨している。
「吉川さんは謝って許される間の隙を突かれたってこと?飢えた禍津物が執拗だったから?」
私は仮面を被るのを辞めた。もうこの女に媚を売っても仕方がない。
全てを知っていて白を切ってもおそらくは無意味だ。
氷見は私の様子をみて一瞬きょとんとした顔をしたがすぐニッコリと微笑んだ。
「貴方の口から禍津物という言葉が出てるくなんて驚きです。そうですか、貴方もその名前を受け入れましたか。」
「名付けてカテゴリーを分けるのは良くないんだってね。でも、私達から見てあれは通常の動物とは全くの別種でしょう?便利なのは使わないと損だよ。」
「ふふっその考え方は好きです。実に人間らしい発想ですよ。」
まどろっこしい説明が不要だとわかると、氷見は安堵したように椅子に腰掛けた。私もそれに倣って腰掛ける。
「千鶴さん、貴方はどうして静江さんが亡くなったのだと思います?」
氷見は真っ直ぐ座ると前方に見える吉川の遺影を見つめる。その視線はとても寂しげで、心から悲しんでいる様子を伺えて少し安堵する。
「遺体の様子は伺いましたか?」
「いや…、どんな様子だった?」
「頭の中がすっからかんだったそうです。」
氷見はこの辺、と右耳より少し上を黒い爪でトントンと叩いた。
「この辺の頭蓋骨に不自然に丸い穴が空いていたんです。ドリルで空けたように。」
「脳を吸いつくされたなら、死因は心臓発作で片付けるにはおかしくない?」
「そうですね。でも皮膚は無傷だったんですよ。生まれつきの可能性も否定できません。」
「でも……」
「鼻や目、耳からの吸引した痕跡は一切見つからなかったそうです。脳を吸ったのはその穴からなんですって。しかもそれは一瞬の出来事だったんですよ。」
「どういうこと?」
氷見はこちらを振り向くと口元だけ笑みを浮かべた。額から汗がたれている。
「遺体が運び込まれた時、頭はずっしりしていたそうです。解剖する前に検死官がぎゅうっと言う何かを吸い出す音が聞こえたんだそうですよ。そしていざ解剖すると頭には何も入っていなかった。」
「遺体から脳を吸ったってこと?」
胃の中で液体が暴れまわる感触がした。
「そもそも救護隊員が駆けつけたときには事切れてましたからね。死因は心臓麻痺で間違いないんでしょう。」
話していて、氷見もこの手の話に耐性はないのだろう。気分を悪そうに口元を手で覆う。
「大丈夫?」
「ありがとうございます。……彼女は衰弱していました。心臓発作は貴女に会った後、掃除をしようと動き回ってそれで……だったんじゃないかなと個人的には思うのです。」
氷見がもう片方の手で私の手を握る。その時自分の手が震えていると気がついた。
「でも……」
その手を握り返さずに私は顔を遺影に向ける。
写真の中で微笑む彼女は、よく知ったはずのいつもの美しい姿だった。
あのやせ細った骸骨のような出で立ちではない。
棺の中をまだ見ていない。
――――――見るのが恐ろしい。
「私が……あの時、帰らなかったら…――――」
「違います、千鶴さん。」
こぼれ落ちた後悔を氷見はすかさず拾い上げる。
「これは、誰の所為でもありません。」
本当に、そうなのだろうか。
氷見は慰めようとしてくれているのだとわかると、堪えきれず涙が溢れ出る。
「でも、夜通し許し続けたら……彼女は…ッ!」
「……正直に申し上げますと、私も今日この日まで貴女を責めようと思っていました。」
ハッとして向き直ると、彼女は顔を歪ませて悔しさをあらわにした。
「私は毎日静江さんを見舞っていたのです。あれらに食い殺されないように、毎日訪れては彼女を許しておりました。本当は教団の支部に連れて帰りたった。八朔くんの事もありましたから、不信感を捨てきれなかったのでしょう、断固拒否されたので叶いませんでした。」
「京子ちゃん……」
「憎らしいと思いましたよ、貴女を。彼女を捨ててお兄様と多聞と会って探偵ごっこ。眼の前で死にかけた友人を見捨ててよくやるなと。でも……」
ぎりぎりと黒く長い爪が私の手の甲に食い込む。痛みに思わず眉をひそめる。
「それでも、貴女の所為ではない。貴女がどれだけあれらに怒りを抱いているか……目の当たりにして気がついたのです。」
「そんなに、私怒ってた?」
「ええ、獲物を食い殺しそうな獣のようですよ。ご自覚ないのですか?」
「それ、警察の人にも言われた……」
自分でも思っていた以上に仮面を被りきれてなかったようだ。何が女優志望だ。下手くその大根、笑わせる。
「貴女は、何も悪くない。―――――悪いのは、あの禍津物どもだけだ。」
「………。」
顔を上げたその先の瞳の色に、黒くなにかが濁るのを見えた。
「―――――そんな風に、村上の事を無実と信じているの。」
「――――ッ。」
そう指摘すると、氷見はぎょっと顔を歪ませた。
弱みに付け込む手段を私はよく知っている。
相手を許し共感することだ。
握られた手を払うと喪服の端を掴んだ。
「村上と今も連絡を取っているんでしょう?村上も唆されただけだと、本気で信じているの?」
「八朔くんは!!」
彼女は思わず大きな声を上げ立ち上がった。
ざっと視線が私達に注がれる。
視線に耐えきれず彼女の腕を引っ掴んで会場の外に出た。相変わらず清々しい青色の空が出迎える。
入口のドアの向こうに多摩が乗っている白いワゴンが目に入る。
助手席に座った多摩は頭を抱えて震えていた。
「京子ちゃん。村上が何をしていたか、知っているの?知った上で、それでも無実だと思っているわけ?」
「当然でしょう!!」
掴んだ私の手を振りほどくと再び声を張り上げひみは肯定する。
「知ってますとも!!村上が、彼の弟にどんな悍ましいことをしていたのかも!!薬を買って配っていたことも!!貴女のお兄様に焼入れされた事も!!」
「京子ちゃん!」
フーっと大きく息を吐きだしながら氷見は続ける。
「みんなあること無いこと八朔くんを攻めるから……真実が知りたくて教団に入ったのです。教団に入って彼の身の潔白を証明しようと……でも調べれば調べるほど彼の手は汚れていた……あの男は、一切の手段を選ばなかった。」
氷見は一本の毛も飛び出さぬほど整えられたお団子を解くと、ぐしゃぐしゃと黒い爪でかき回す。
「村上は……――――あいつは、禍津物に成り代わろうとして、獲物を横取りしたんだ。」
「でも……殺してはいない!!!」
「食べたんだろ。あれはもう人間の業から逸脱した。」
「でも…人はまだ殺していない。それだけは……それだけは………」
「どうしてそこまで信じられるの。」
「友達になりたいからよ!」
氷見はそう叫ぶと頭を抱えその場にしゃがみ込んだ。
「八朔くんと、ちゃんと友達になりたいの!!悪い!?」
荒い息を落ち着かせようと深く深呼吸をして、顔を上げる。涙でアイラインが少し落ちている。
「私が困っている時手を差し伸べたのは八朔くんだわ!八朔くんは、……――――私を殴り続けた父を警察に突き出してくれた!誠司が反社に焦がれたときは二度と関わらないと決心させるまで説得もしてくれた!おかげで誠司は随分丸くなったのですよ、あのサークルに入る前は本当に酷い男だった!静江の癖を理解し救ったのも八朔くんよ!」
「吉川さんの癖?」
「静江は貴女が好きだったのよ!どうせ気が付かなったんでしょうけど!」
思わぬ告白に面食らった。
それは……――――本当なのだろうか。
吉川さんが、私を?
村上ではなく?
「何故……?」
「やっぱり、そうだった。貴女、多聞くんと一緒ですね。」
氷見はあははと乾いた声で笑いながら髪をかきあげる。
笑みに含んでいるのはあからさまな軽蔑だった。
「そうですね、ええ、そうでしょう。あのサークルの……――――いえ、私達のグループの中で、八朔くんの友達は多聞くんしかいませんでした。」
そんなはずはない。
いつも楽しそうにつるんでいたではないか。集まって騒いで旅行して、何処にでもいる大学生の仲良しグループだったではないか。
「貴女は気が付かなかったんでしょうね。あのサークルでつるんでいた者はみんな、八朔くんに救われた”信者”ですよ。八朔くんのカリスマの元で、安心と信仰を得て、甘い蜜を吸っていた蟻に過ぎません。八朔くんの教えを広め、拡大していった勢力。――――多聞くんだけは、打算なく彼と付き合っていました。」
多聞の顔を思い出す。
平凡な、それこそ印象に残らない男だった。
最後に会ったあの日、彼は酷く疲弊していた。
涙を浮かべ童のように兄に縋る姿は滑稽ですらあった。
「多聞は私達が何をしていたのか、気が付かないわけではない。ただ、関心がなかった。――――いいえ、違いますね……意図を理解できなかった。貴女もそうでしょう?ただ楽しそうに集まって騒いでる、そういう認識しか持てなかったんでしょう、どうせ。」
嘲笑う氷見の様子に、私は先日の晦の様子をを思い出す。
あの日の通話で、教団内が活気づいていると話していた2世連盟を晦は興味がなさそうにぼんやり眺めていた。
晦は昔からそういうきらいがあるので、家のことをよく手伝いながらも神道の行事のなんたるかをあまり理解してはいなかった。
ツイタチ信仰が根付く地域の話をしていた彼は、何処まで他人事のように話した。
――――――あれは他人事などではなかったのか。
「ガチ勢にもそういう質の方が多かったですね……あの方々は最初から警戒して近づいて来ませんでしたね、ああいう人は傾倒しているようで客観的に”信仰”を見る用心深い所がありますから……でも何故なのか私自身よくわからないんですけど、貴女と多聞の”それ”がそういう質とは違う気がしてなりません。」
取り乱した息を落ち着かせながら自問するようにひみはボソボソと話す。
「静江は最期まであなたに恋焦がれていました。八朔くんに嫉妬して、八朔くんもまたそうだったんでしょうね。だから多聞の……――――を、………りして……」
そう言って、氷見は顔を式場に向ける。
中から読経が聞こえてきた。葬儀が始まっていた。
「それを理解し許されても彼女は狙われたままでした。私にはどうすることも、もう出来なかった。そして……」
氷見はワゴンに視線を向ける。釣られるように追うとワゴンの中で多摩が天井を向いてよだれを垂らしていた。手には注射器が握られている。目は虚ろだ。
「もう、駄目なんでしょう。誠司は。どれだけ私達が許し続けて、あれらから守った所で本人がああでは……」
最期まで、抗ってみるつもりはありますけれど…と氷見は瞳を閉じる。
「貴女にも、どうすることも出来ないのでしょう。あれらは私のような人間風情が太刀打ちできる代物ではないのですよ。ツイタチ様ですら制御できないものたちです。貴女だってそうです。」
氷見は手櫛で髪をすくと私に向き直る。もう表情からは怒りも悲しみもない。ただ哀れみだけがあった。
「残念です。」
首を振る。
諦めている。
無理はないと思う。
同時に、無性に腹が立った。
あまりにも勝手な怒りに我ながら呆れる。
「もう風習や信仰が役に立たないと…?」
「それだけでは不十分になってしまったのですよ。あの日、失敗したから。」
あの日、村上が人を辞めた日。
つみしろを作る過程と儀式について、ただの対処法なのだと思っていた。
しかしこうも明確に罪悪感が結界になるなら、そちらに注力するはずである。
罪悪感で押しつぶされて気が触れてしまうなら、そうならない無垢な童を作り出す。
呼び寄せているのでは……――――?
「あの日、朔日の贄は捧げられませんでした。」
彼もつみしろの儀式の全貌を話さなかった。
儀式から導き出される意図が理解できなかったからだ。
本来のつみしろを作る目的は、彼や私の認識とは大きく違うのではないか。
「村上が禍津物から獲物を横取りして、つみしろを食ったから儀式は失敗した?」
「ええそうです。だから”縛り”が一つ解かれて、あれらはツイタチ信仰の信徒から、信徒が側にいるもの、そして信徒とただ知り合っただけのもの、段々と範囲を広げていっていいます。」
正直……と氷見は軽く首を横に振る。
「私も朔日の贄を作る理由と意味を、完全に把握できていないのです。ただ、わかっているのは、失敗したからあれらの活動が活発になった。そしてそれを威嚇する御使いの力が衰えています。」
「ツイタチは……それで何をしている!?」
あれだけ腹を立てておいて、そこまで領地で暴れられて、ただ怒っているだけなのか。あの薄っぺらい人類愛を掲げる男は。
「いえ、ツイタチ様はツイタチ様なりに奔走してくださっています。だから罪悪感を人に抱かせる。やりすぎて逆に潰してしまっているけれど……それでも理はツイタチ様の人に対する精一杯の慈悲ですよ。」
理屈はわかる。
出来る範囲で精一杯人を守ろうとしている。
だが、人がやろうとしている企みに関心がなく、また人同士、人と獣の間……此方側の出来事に首を突っ込むほど干渉をしない。それは彼も同じだ。
全知全能を謳いながら、禍津物を駆除して人を救おうとしない。
だが、この歯がゆさは何だ。
なにかが、違う。
なにかが、間違っている。
あの畜生どもはつごもりの目を欺けるほど、器用な生き物ではなかったはずだ。
誰に入れ知恵を与えられた?
頭の中で招き猫が手招きをしている。
あれは彼か?
彼を模した紛い物か?
―――――どこまでが、”彼”だ?
「次は、失敗しません。」
静かに、氷見は宣言した。
「誠司は間に合わないかもしれない。でもその次の犠牲を黙ってみているわけにはいきません。教義に反します。」
そうだ、彼女たち教団も敵ではないのだ。
警察……宮比もそうであったように。
やり方が違うだけで、人を守りたい目的と意思は同じだ。
「次……」
「良い供物を仕入れることが出来ました。次こそは、失敗しません。完遂してみせましょう。人を守ろうとする、ツイタチ様の御慈悲に答えるために。」
贄。
供物。
其の者を犠牲にして目くらましで助かってどうなる。
禍津物も生き物である以上進化しているように、人もまた進化していく。
その過程で人の業が積み重なっていく。
つごもりやツイタチでは庇いきれないほど膨れ上がっていく。
「私達はこれから帰ります。どうか貴女は最期まで見送って差し上げてください。これを。」
ひみは小さなカバンから折りたたまれた財布を取り出した。
中の名刺を1枚、私に差し出す。
『悪いことをしたら、ちゃんと謝りましょう
つきはじめ東京支部若芽会サブリーダー
氷見京子
mail:●●●_●●●@✕✕✕.jp
tell:△△△-□□□-▽▽▽▽』
「私の助けが必要でしたら是非連絡くださいね。なんなら尋ねてくれても構いません。」
それでは…と翻し、ひみはワゴンの後部座席に乗り込んでいった。
氷見を見送ると会場の中に戻り、再び一番後ろの席につく。
坊主が奏でる読経。すすり泣く声。遺影の中で微笑む美しい人。
厳かな空気に全身から力が抜ける。
ほろりと頬に温かい液体が伝う。
ごめんなさい。
貴女の想いに気が付かなくてごめんなさい。
怒りに我を失って、偲ぶ事を疎かにしてごめんなさい。
本来、罪悪感とはこうして溢れ出るものだ。
無理やり植え付けるツイタチのやり方は間違っている。
本当にこれでしかあいつらから人を守る術はないのだろうか。
もっと他にやりようがないのか。
『只今よりご焼香に入ります。喪主吉川様、ご遺族の皆様、ご参列の皆様の順にご焼香をお願いいたします。』
みな涙を流している。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何処からともなく謝罪の言葉が聞こえる。
サークルに所属していた同期も沈みきった顔で列に並ぶ。
私は一番最後だった。
遺族は私の顔を見るなり一様に顔をしかめた。
遺品から、私に関するなにかが見つかったのかもしれない。
それとも警察から別の事情を聞かされたのかもしれない。
あまり良いものではなかったのだろう。
遺族と遺影に頭を下げる。
真っ向を指で摘むとブーンという羽音が耳に響いた。
ただ頭上を飛び回っていた羽音が、幾重にも重なって次第に音が大きくなる。
カタカタ、と棺が細かく揺れている。
一瞬地震がと思ったが、揺れているのは棺の蓋だけだ。
周囲がざわめく。
『お静かにお願いいた…ジジッ…ブブブブ…』
アナウンスの声が掻き消える程、羽音が大きくなっていく。何かが会場を飛び回っている。
「吉川さん…?」
抹香を床にこぼすと、ゆっくり棺に近づいた。
空けられた棺の小窓を覗き込むと、痩せこけた彼女の顔はそこになく、フィルターの向こう側は真っ黒だった。
照明を受けて灰褐色のそれが鈍く光る。
光が、無数に蠢いている。
羽音がうるさい。
バンと音を立てて蓋が外れる。
そこからもぞもぞとした何かが溢れ出てきた。
――――タガメだ。
「うわぁああ!!!」
いの一番に大きな悲鳴を上げたのは読経を唱えていた住職だった。
「虫だ!」
遺族、親族、参列者、スタッフ達が次々と悲鳴を上げる。
大量のタガメが棺の中で蠢いて、溢れ出ている。
タガメはあまり飛ばないらしいが、やつらは羽を広げて遺影に飾られた花々の周りを飛び回る。
阿鼻叫喚と羽音が式場を包み込んだ。
なんだ、これは。
参列者逃げ惑い我先にと入口に殺到している。
視界の端で、腰を抜かした彼女の母親を抱きかかえようとする彼女の兄の姿が目に入った。
映画で似たような光景を見た気がする。
あれは確かフンコロガシだった。
そのうち一匹が私の眼の前を浮遊する。
本来目がある所に、老人の顔が二つとついている。
一方は老婆で、数本、歯が抜けている。一方は禿げ上がった爺で口から涎が出してう。
『お前のせいだよ。』
老婆の顔が、よく知った友人の顔に歪んでいく。
『慈悲にあぐらをかいているのはどちらか。』
爺の顔の半分が多摩に似た若い男の顔へと変わる。
『お前の存在は無意味だ。』
キャタキャタ笑いながら私の周りを飛び回る。
うるさい。
『お前ばかり……と妬むのも終わりだ。』
うるさい。
『お前が、赦した所で……』
『だってお前………―――――』
―――――――人でなしじゃないか。
「ああああああ!」
ぷつりと何かがキレたような感覚を覚え、私は雄叫びを上げながら眼の前の虫けらを振り払うと、両手を棺の中に突っ込んだ。
腕に、服に、髪に、肌に虫がまとわりつく。
背筋が凍るより先に、怒りで頭が沸騰しそうだった。
「虫けら……ッ!!虫けら風情が!!!」
なおも遺体に食らいつく虫をかき分けて彼女を引きずり出そうとする。
払っても払っても虫はまとわりついてくる。
「やめろ!やめろ!私の友達に触るな!!!」
死してなお、貪るか。
死肉から情報を食らうか。
冒涜的な虫けらが。
かき分けた虫の先に、干からびた腕が見える。
「ごめんなさい。」
食い尽くされて、細く小さくなってしまった彼女。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
執拗な虫けらは肌の下を蠢きながら肉を吸っている。
彼女の口に、耳の中に虫が入り込もうとして手を大きく振るってはたき落とす。
悔しさで視界が滲む。
何故、こんなにも私の腕は非力なのだろう。
以前は、こんな畜生、簡単に退治できたのに……
以前?
いつの話だ。
まぶたを閉じると、彼が私を見ていた。
愛らしい顔でニッコリと微笑み、手を差し出す。
紛い物か、本物か。もう区別がつかない。
助けてくれ。
力をくれ。
この際、偽物でも構わない。
答えるように、私も拳を前に突き出した。
指先が触れたのは彼女の額だった。そのまま首の後ろに手を回すと、引きずり出して彼女の遺体を抱きしめる。
―――――これは確かに美味そうだ。
口から溢れた涎が彼女の頬を濡らす。
美味そうな腐敗臭が鼻を霞めて、ぐっと思いとどまる。
我慢しろ。
違う。
私に用意された馳走は「これ」じゃない。
ゲラゲラ笑いながら私の周りに纏わりつく虫けらに、口の中でありったけの軽蔑と嫌悪を混ぜた唾液を吐きつける。
途端、か細い悲鳴を上げながら虫けらの頭が爛れるのが見えた。
まだ繋がった顎は上下に動き、嗚咽を上げながら、よくもと形だけ描く。
棺桶の中で彼女を貪っていた虫が集まって、一つの大きな塊になる。
襲いかかろうとするそれから、身をかがめ彼女に覆い被さる。その時…………―――−
「どいて!」
亡骸を抱いて泣きわめくしか出来ない私の肩を誰かが掴んだ。
そのまま勢いよく後ろへ引きずり出す。
尻餅をつく。体にまとわりついた虫が地面に転がる。
「汚れたくなければ、下がっていなさい。」
眼の前に現れた人影は私を振り返ることなく前に立ち、懐からスプレー缶のような何かを取り出すと虫にまみれた遺体に吹きかけた。
吹きかけた箇所からじゅわっと音を音を立て虫けらが蒸発する。
彼女の遺体から虫が勢いよく飛び退いた。
逃げ惑う虫を追うように人影は何度もスプレーを吹きかける。
ツンとしたアンモニアの匂いが鼻に入る。
――――――尿だ。
人影は振り返ると私を引き倒した方の手で懐から手帳を取り出す。
『警視庁捜査一課 宮比初子警部』
「警察よ!」
バタバタと数人の足音が止まり、一瞬静まり返る。
「ガスが充満しているわ。指示に従って避難して!早く!」
オロオロとした参列者を、宮比の他に駆けつけた警察が、手慣れた手つきで会場の外へ誘導する。
宮比は再度スプレーを噴射すると虫けら共は悲鳴を上げ逃げ惑った。
数回追いやるように噴射すると、虫が蒸発した煙とともに、天井へと吸い込まれて、消えた。
参列者が避難し静まり返った会場の中に、私と宮比の2人と干物のように吸いつくされた彼女の亡骸だけが取り残される。
会場の外から2、3度悲鳴が聞こえたが、それも聞こえなくなった。
「ごめんなさいね。」
宮比はかがんで遺体をそっと棺の中に横たえるとポケットから取り出した白いハンカチでスプレーが付着した彼女の頬を拭った。
「後でもう一度式場の方に洗ってもらいましょうね。」
宮比は両手を合わせ瞳を閉じると軽く黙祷を捧げる。
1分程してこちらに向き直り、肩まで切り落とされた髪をかきあげた。
「なーんか、早い再会になっちゃったわね。」
「私もそう思います。」
宮比は私の前に座り込むと汚らしい汚物を触るようにスプレー缶をつみま見上げて床にそっとおろした。
「誤解しないで聞いてほしいのだけど、普段から持ち歩いてるわけじゃないのよ?」
「そう……でしょうね。それは?」
「山上から聞いたの。」
知ってる?と尋ねられ、はいと答える。
「山上警視ですね。広島県警獣害対策課の……」
「良かった、話が早いわね。彼の入れ知恵よ。神は……いいえ、神に近しいものは人の不浄を嫌うの。」
宮比はぺっぺと手を払いながら立ち上がり、蒸気タバコを取り出すと口に加える。
「八野聖が死肉を漁ると聞いて効くかどうか不安だったけど、効いて良かったわ。」
「で、それは一体誰の……」
「言っとくけど私じゃないわよ?聞かないで頂戴。提供者のプライバシーと尊厳に関わるわ。黙秘します。」
宮比は大きく蒸気を吐き出しながら慌てて訂正をする。
「糞だともっと強いらしいわね。まあ、うんこ投げつけられてひるまない奴は神にも人にもいないでしょう。」
それを聞いて、酷く安堵した。
「人にも……退治ができるんですね。」
希望だった。
謝って赦す以外に対処法が存在したのだ。
正直あまり取りたくない手段ではあるが。
「誰の糞尿でもいいというわけではないわ。特別な人間がそれ用に捻り出した新鮮な汚物じゃないとあまり効果がないんですって。それも効くやつと効かないやつはいるし、完全に息の根を止めることは出来ない。ただ追っ払うだけで、気休め程度にしかならないみたい。」
「それでも……助かりました。」
「他にも方法があるみたいだけど……――――山上のように特殊な力を持ったオカルト刑事じゃないと駄目みたい。」
やーねーと大げさに宮比は首を降る。つい先日まで妙にイライラしていた態度が、今では愛らしさすら覚える。つくづく、私は自分本位で現金なものだ。
私もカバンからハンカチを取り出すと彼女の頬を拭った。
やせ細ってはいたが、先ほどと状況とは打って変わって死に顔は穏やかだった。
ごめんなさい。
ありがとう。
もういいよ。
心から謝り、そして赦す。
拭い終えて一瞥をくべると、宮比に向き直った。
「宮比警部。こうして再会しちゃったし、ついでに私を利用しませんか?」
へぇ、と彼女は不敵に笑う。貼り付けられた厚化粧の下に少し戸惑いが含まれている。
「兄のことを知る限り全てお話します。」
「それは……――――いいの?捕まるわよ、貴女のお兄さん。」
「構いません。むしろ捕まえてください。あの男は世に出ていない方が、社会のためなんです。」
「願ってもだけど、見返りは何かしら。私に出来ることは?」
「もし、なにかあったら私の身を守ってください。」
私はハンカチを終い、今度は名刺を取り刺すと彼女に差し出す。
先ほど氷見京子から貰った月初めの連絡先が書いてある名刺だ。
「私はここに潜入しようと思います。」
「貴女……」
「吉川が殺されたのは、つみしろ………贄の代わりを求めているんです。」
つみしろの儀式は失敗に終わった。
卑しい畜生共は常に腹をすかせている。
次を用意していると、氷見は言っていた。
次にこうやって殺される相手が、誰か。
それが誰か。
なんとなく、予想がついた。
――――――――村上八朔の弟の、村上朔也だ。
何故そう思い至ったのか。半分が直感で、半分が疑惑だ。
小江あかりはつみしろであったが、畜生の視線と、罪悪感を抱いていたのは朔也の方だった。
村上が畜生から獲物を……小江あかりを横取りしたのも、儀式の失敗の一因だろう。
だが、もし畜生が”間違えた”のなら……―――――
神ですら、人の区別など禄についていない。
畜生がつくはずもない。
もしその人物が、予測通りなら……―――――最悪の予感が胸を過る。
儀式や思惑など、兄の知ったことではないからだ。
あの男は見栄だけを気にして生きている。
きっと朔也を見つけ次第、利用しようとするだろう。
止めなければ。
その為に、彼を探さねばならない。
――――――少なくとも、兄より先に。
「村上朔也が、次のつみしろかもしれないんです。」
「ほう。」
「因みに警部、村上朔也とその家族の居所は?」
「ごめんなさい。それはわからないの。教団に匿われてる事はわかってるんだけど……」
そこまで呟いて宮比ははっと目を見開いた。
「――――教団に侵入して確証を得たいの?」
「はい。」
「無茶だわ。」
驚く宮比に、私はにっこり笑って見せる。
「はい。無茶です。だから私を利用して、力を貸してください。」
すっと右手を差し伸べた。
その手を宮比はとっさに掴もうとして、さっと引っ込める。
「駄目よ。流石にこれ以上一般人を巻き込みたくない。」
「斉東くんはあれだけ利用しているのに?兄に取り込まれてますよ、彼。」
「彼はッ!山上くんのお墨付きが合ったからよ。ツイタチのアカウントに影響を受けないのは彼だけだから……」
「私のことも、山上警視に是非話してみてくださいよ。多分同じお墨付きが貰えますよ。」
斉東多聞も、恐らく私と同じ人でなしだ。
あのアカウントは不快ではあるが、罪悪感を覚えることはない。
ただ心配なのは彼が警察より兄の方に傾倒している点だ。魅了されたのだろう。兄に完全に骨抜きになる前に、山上がうまい具合に引っ張ってくれると良いのだが。
宮比は瞳を閉じて再び深くため息を付いた。
「私は顔が割れてるから、一緒にはいけない。信頼できる部下をつけるわ。貴女のほうが年が近いから仲良くしてあげて。」
「ありがとうございます。」
差し出した右手を宮比は力強く握り返す。
「こちらこそ!本当に人手がまるで足りなんだからね!」
手を離すとスタッフが逃げ出す際に散らばった菊の花を拾い上げる。
スプレーの尿がついていないことを確認し、もう一度彼女が眠る棺を覗き込む。
ツンとしたアンモニアの匂い。
あの時のお部屋の異臭よりずっとましだが不快なものには変わりない。
ありがとう。
ごめんなさい。
もういいよ。
もう一度繰り返して、両手を添える。
尿は追っ払うだけなら、まだあいつらはまだこの世を野鯖っているだろう。
悔い改めていた、貴方を襲った畜生ども。
仇は必ず取る。
――――そして、貴方のように食い殺されようとする命を助ける。
それが、貴女を見て見ぬふりをして見殺しにした、私に出来る最大の餞だ。
「始末をつけなきゃね。また明日署まで来てくれる?」
「はい。」
菊の花に口をつけると彼女の手元の上にそっと乗せる。
もう一度両手を合わせて深く頭を下げると私はその場を後にした。
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