5話・村上家について
村上家
地元を離れ一人上京し東京の大学へ進学し僕は、そこでオカルト研究サークルに所属することになった。
サークルは学内でも1,2位を争う結構大きな団体だが、みんなオカルトに興味があるというよりは、何かを調べながら駄弁りたいといった、ようは暇を持て余した若人の集まりだった。
オカルトの研究や調査よりメンバーの親睦会の方が多く、本腰入れて研究しているものは一捻りで、またサークルのメンバーの出入りも激しかったので全員の顔と名前など覚えられない、烏合の衆だ。
僕もホラー小説は好んで読むが、その背景にある風土信仰や妖怪等といったものにそれほど詳しいわけではなく、ただなんとなく集まって小説やSCPの感想を言い合ったり友達のホラー系解説動画を作るのを手伝ったりその帰りに飲みに行ったり合コンしたりというサークルに所属する大多数のように、不真面目なメンバーだった。
僕とよくつるんでいたのは僕と村上くん、あと多摩という男と多摩の彼女の氷見さん、僕と同じ高校だった吉川という女子の男3人女子二人で、その中でも村上くんは不真面目を輪にかけたような人だった。
「オカルトとか興味ないです、彼女が欲しいので入りました。よろしくお願いいたします。」
居酒屋を貸しきって行われた新人歓迎会で、自己紹介時に村上くんは開口一番そうのたまった。
村上くんを人に説明する時、僕は「外見はミステリアスな文系」と称する。
いつも黒を貴重とした服に身を包み、それでいて清潔感があり、スラリと背も高く、顔も良い方で、大きな黒目がちな深い色の瞳。
表情のバリエーションは乏しく薄く笑うか、困っように眉を垂れるか、冷たいというわけではないが人を寄せ付けない空気を常に見に身にまとっていた。
教室の片隅でメガネを掛け文庫本を片手に一人座っていれば絵になるだろう。
そういった文系青年だった。
あくまで外見は。
あまりにも正直な自己紹介に、サークル一同はぽかんと口を開け一瞬静まり返ったが、すぐドッと笑いが起きて彼を歓迎した。
「そういうキャラに見えない」と言われギャップに惹かれた何人かの女子が連絡先を訪ねているのを見かけたが、彼女たちの誰一人村上くんと親密な仲になることはなかった。
僕は彼と仲良くなって村上八朔という人間は、は外見はともかく、中身は自己紹介通りの普通の青年だということを知った。
誰に対してても愛想が良い反面、いい人止まりで結局特定の彼女が出来ることはなく、僕と友人達と常に「モテたい」「金がほしい」「つかヤリたい」などつまらないことを駄弁っていた。
村上くんは実家住みで家族仲も良く年の離れた弟がおり誕生日に良い自転車を買ってあげたりしてとても可愛がっていた。また自分より先に弟に彼女が出来て寂しいが生意気だとかよく話していた。
家は中流家庭より少し上で金遣いが荒いわけではなかったがなぜかいつも金欠だとほざいていた。二言目には「空から金が降ってきますように」とお守りを付けたスマホを握り宝くじ購入サイトとぼーっと睨めっこをしていたり、時には複数バイトを掛け持ちし講義に遅れそうになることも良くあった。ウソを付くのが下手で遅刻理由で祖母を4回死なせている。
オカルトに対する知識も、自己紹介通りほぼ皆無に等しくさして興味もないようだった。
SCPの概念を理解するのに半月かかったり、ホラー映画の複雑な意図を理解できず僕に何回も説明を求めたりした。
地頭は賢く成績も良かったので、ただ興味のない事柄について深く考えることを好まない質だっただけである。
その無知さを武器にオカルト好きの女の子と仲良くしようといった駆け引きに使う器用さもなかったので、グループ内の女子二人以外と話すことは少なかったように思う。
何度か他校を含めた女子数名に好意を寄せられていたが「想像していた中身と違う」という理由と、「ちょっとブラコンがすぎる」という理由で長続きはしなかった。
村上くんは弟が体調を崩してから看病や送り迎えをするようになりバイトの数も減らしていた。
旅行が好きで休みを利用して金沢、北海道、名古屋にグループの男子3人で旅行にも言った。現地女性をナンパしてみようと試みて一回で失敗しそれ以降は観光とたまに風俗を楽しんだ。
「自転車を新調したんだ。弟の調子次第にはなるけれど、広島にサイクリングに行こう。」
そう言って旅行の計画を練っていた。
彼は、普通の青年だ。
あの日の1週間前。
旅行の計画事前確認のラインを送って既読になり「どちらかと言えばあり」というスタンプを返してきて以来、突然連絡が取れなくなった。
ズボラなところもあり既読スルーをしては翌日に直接会って返事を返すこともよくあったので、その日は気にもとめなかったが三日経ってもサークルに顔を出さなかったので彼のご両親に連絡を入れてみた。
家には一度帰っていたのでまた誰かの家に泊まって連絡を入れるのをうっかりしていたのだろうと思った。交友関係が広く、そういう事も多々あった。
その日は、大学からの帰宅途中、駅前がいつもより人でごった返していた。
利用客の多い駅ではあったが近所の中学生とその親子連れでホームが溢れてる。
タクシー乗り場には長い行列が起き、道路も渋滞し警察が交通整理をしていた。
最初、自分が気が付かないところで地震が起きたのかと思った。でも電車は混んではいたが通っていたし満員とまではいかず普通に乗れたので近所の中学校の帰宅難民と事件を聞きつけて押し寄せた人だとは夢にも思わなかった。
最寄り駅についてからスマホを取り出すとラインの通知バッチが溜まっている事に気がついた。
大阪の両親から親戚、明らかにはじめましての人まで僕の身を案じ、メッセージを送っていた。
多摩からかかってきた電話だけ出て、僕はようやく事件に気がついた。
ニュースサイトの動画で村上くんが、殺人容疑で逮捕されたと報道されていた。
「なんでや。」
口から出た言葉はニュース内のカメラフラッシュにかき消された。
いやいやいや、ありえへんやろ。
村上くんとの思い出で、特筆すべき変わった出来事はない。
彼女が欲しくオカ研サークルに所属していながらオカルトに対して興味がなく性欲と金欠を持て余す旅行好きの学生でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。
村上くんは何処にでもいる、青年だ。
あんな事をするような、人間ではないのだ。
翌日以降数日間だけ、サークルは村上くんが起こした事件でもちきりだった。
僕と違って村上くんはサークル内で他のグループとも交流をしていたのでみんな何処にでもいる普通の青年の村上くんしか知らなかったはずだ。それなのに、
「いじめられた弟の復讐に主犯者の女子生徒を殺したんだって。」
「だからって内臓まで食べるか?」
「いつもニコニコして何考えてるかわからなかったしなあ…」
「薬でもやってたんじゃないの?」
「変な宗教にハマってたって聞いたよ。」
「ああ、あの丘の上の白い施設のでしょ?出入りする所見たって人が…」
みんなサークルは活動をそっちのけで村上くんに対するあること無いことを噂したが、事件の凶行さが判明する度に外部の人間からサークルに対する誹謗中傷が相次ぎ気がついたときにはサークル活動であるオカルト研究に熱心だった数人だけを残し人はちりじりに去っていった。
仲良くしていた僕のグループのメンバーは、気弱い多摩が記者に執拗に追われ疲弊し大学を自主退学してしまった。吉川さんとはパッタリ連絡がつかなくなった。
氷見さんは多摩と別れた後、村上くんの無実を主張しビラを配ったり駅前で訴えていたが周りに煙たがれ先日あの宗教信者が着る薄いピンク色の作業着を着て、いつもニコニコして気味の悪い他の信者たちに混じって共に電車に乗っていたのを偶然目撃して以来姿を見ていない。
僕は休学届を出し暫く地元に帰って自室に引き籠もりながら事件についてのニュースを読み漁っていた。
一致しない。
僕が知っている村上くんと、ニュースで映る村上くんが。
村上くんが、バラバラになっていく。
思い出の彼と、ニュースの彼が、乖離していく。
弟の体調を心配していた村上くん。
被害者で弟をいじめた主犯の女の事を弟の彼女だと言っていた村上くん。
広島の旅行を楽しみにしていた村上くん。
「なんでや。」
理由が、どうしてもわからなかった。
どちらかと言えば小心者だった気がするし、弟へのいじめが許せなかったとしても相手を実際に殺すような憎悪を腹に抱えていたとは思えない。
宗教や薬など論外だ。
「なにがあったんや。」
『犯人は一貫して殺意はなかったと否定する一方、遺体を傷つけた事に関しては認めており…』
自分が知っていた村上くんは、あくまで一面でしかなかったと理解しようとして、他にも僕が知らない彼の顔が一瞬でもあったのだろうかと思い出そうとして結局彼の困ったような笑顔だけ脳裏に宿る。
いっそ氷見さんのように彼の無罪を主張する側に回れば楽になれるのだろうか。
一部メディアは冤罪説をわりと早くから唱え始めていたし、犯行当時暴行を受け酷い状態でとても人を殺せはしなかった事を根拠に、冤罪派と犯人派に分かれて討論する配信も増えている。
氷見さん曰く、弟が真犯人で彼を庇っているのだと言う。
弟は悪魔に精神を乗っ取られて犯行に及び、村上くんはそれを止めるためにあの日中学校へ侵入したのだと。
それも、違うような気がしてならない。
なぜ殺意を否定するのに、犯行を否定しないのだろう。
庇っているというのなら、どうして内臓を喰ったりなんかしたんだ。
――――そんなことをする、人間ではなかったはずだ。
暗い部屋の中で見えない答えをネットの海で探しながら2ヶ月が過ぎた頃、一通の手紙が届いた。
村上くんからだった。
心臓が跳ね上がった。
どっと吹き出した汗で震える。いささか乱暴に封を切り内容を目で追う。
最初に騒ぎに巻き込んだことへの謝罪と僕の体調の心配、そして自分はの怪我はもう大丈夫という当たり障りのない事と留置所での生活を綴ったあと、最後に一文、
「弥勒藤太という男から荷物を預かったら、弟に渡して欲しい。」
と綴られていた。
男の名前に覚えがない。
とっさにスマホで検索をかけた所、SNSには引っかからず街の事を綴った匿名掲示板のログから3年ほど前の書き込みで「スナック●●でママの彼氏を一升瓶で殴っていた」とだけ引っかかった。
今度はスナックと暴行事件で検索をかけたが事件はひっかからず、町名と一緒に検索をかけるとスナックは2年前に火事になったらしく現在は更地になっていることだけがわかった。
それよりも、手紙で事件についてなにも語らなかったのでそちらの方が気になった。
なぜ、話してくれない。
酷く、裏切られた気がした。
「なんでや。」
やったのか、やってないのか。
迷惑をかけたというのなら、なぜ説明してくれない。
検事とするどうでもいい話を書く余裕はあるのに、僕に説明する余力はなかったのだろうか。
何度文章を繰り返し読んでも何も浮かび上がってこなかった。
例えば、一言でも自分はやってないとあれば、氷見さんのように僕は全力で養護しただろう。
反省してなくてもやったと供述したのであれば、吉川のように黙って人生から彼の存在を消そうとしただろう。
もしくは、他のサークルメンバーのように手厳しく罵ったことだろう。
たった一言、話してさえくれたら、僕は。
ふつふつと湧き上がる怒りを腹にしまい込んだ。
怒りが憎しみに変わってしまうのが怖くて、家の中に籠もるのを止め東京に戻った。
復学届けを出し、知り合いに弥勒藤太という男を知っているか聞いて回ったが目ぼしい情報は得られなかった。
村上くんへ返事を書いて出したがなんの音沙汰もないまま、時間だけを食いつぶしながら更に半月が過ぎたある日、スマホに一通のメールが送られてきた。
「●月▲日14時半、村上の家の前まで来い 弥勒」
何時一体何処で僕の素性が割れたのか、全く身に覚えがなかった。
弥勒という男が何者かはわからないが、恐らくあまり治安がよろしくない人物だと言うのは薄々感じ取っていた。
自分の中の村上くんがそんな良くない男と交流があったのもうまく想像できない。
僕は本当に村上くんのことを何も知らなかったのだと思い知らされて悔しくて情けなくて、腹が減った。
無視してやろうか。
このまま村上くんを僕の人生から排除してしまおうか。向こうだって僕に何も話してくれなかったかじゃないか。なぜ今更、僕を頼るのか。
僕の腹の底は弥勒に見透かされていたようで、追い打ちをかけるようにもう一通、メールをよこした。
「逃げるなよ」
僕の実家の表札の写真が添付してあった。
「村上さん夜逃げしたわよ。」
当日僕は待ち合わ時間より早く着いてしまいまだマンション前でぼーっと弥勒という男が来るのを待っていた。
マンションがある場所は住宅街で、マンションの手前に少し小さめのスーパーと大手服屋が併設されいた。
僕はここに何回か来た事がある。
村上くんの家に上がって、きれいな母親に挨拶して、飼い猫を撫で、TRPGをして遊び、一泊停まったことさえあった。
村上くん一家が住んでいたマンションはあんな事件が起きた事もあって一時期マスコミやYouTuberや物見山が多数押しかけたようだが、事件から半年以上経って元の様子を戻しているようだった。
「あんた、村上さんの上の子とこのマンションに来たことあるでしょう。」
はあ、と力なく返事した僕を見かけた事があるという買い物帰りの中年女性と村上家の近状を話した。
「マスコミと野次馬とすごかったわよ。連日煩いったらありゃしなかった。村上さんの家の前で大声で怒鳴り散らかす輩もいてね、外出する村上さん親子も石や卵を投げつけられたり…私等も散々注意したけど、度を超えた輩は絶えなくてね、2ヶ月ぐらい前だったかしら…」
おばさんいわく、野次馬のうちの輩が一人、が玄関のドアを壊したのだそうだ。いつもは関わりたくなくて騒音に黙って耐えていたそうだが、流石に怖くて警察に通報したそうだ。
既に誰かが先に連絡を入れていたようで部屋から出ないように指示を受け、その1,2分もしないうちにパトカーがマンション前までやってきた。
おばさんは部屋から顔をのぞかせ固唾をのんで見守っていたらしい。
するとどうも様子がおかしいようで、警察はバカを捕らえてパトカーに押し込んだあと、戸惑った様子で応援を呼んだ。最初に通報した2階に住んでいる若い男性が困り果てながら事情聴取を受けているのを見た。
村上家の家の中は、家具を残した状態で誰もいなかったらしい。
「家具にはホコリが被っていて、少なくとも1週間前には逃げていたらしいのよ。身一つで…いえ、最低限のものしか持っていかなかったのね。下の子は退院して以来ほとんど家から出てこなかったし、奥さんも数日見かけていなかった。旦那さんは週に何回か出かけていたわね。買い出しとか仕事をクビになって新しい所を探していたんじゃないかしら。」
両親の実家は事件発覚から時間を持たず絶縁宣言をし、取材にも一切応じていなかったので夜逃げの事が明るみになるのに時間がかかったようだ。
朔也くんは重要参考人だ。僕は「大きな騒ぎになっていないということは、警察は引越場所を把握しているかもしれませんね」と述べるとおばさんはそうかもねと答えた。
「恐らくこのマンションの人間はみんな感謝してると思う。」
小江さんを知ってる?本当にひどかった…
低く落ち着いた声でおばさんは続けた。
「小江さん家、まだ誰かいるのよ。ほら先日ご両親が亡くなったでしょう?でもその事ではあまりマスコミやYouTuberはやってこなかったわねえ―――――こんな事言うと怒られるかもしれないけど、いい気味だと、正直思うのよ。小江さんにはみんな迷惑していた。迷惑なんてもんじゃなかった。厄災よ。触ってはいけないなにか。お葬式で揉めたらしいけどざまあ見ろだわ。身内のみにしても結構大きなお葬式をあげていてね、その割にこの間のご両親の葬式はとても小さいものだったらしいわ。詳しいことは知らないの、誰も参列してないもの。―――みんな、あの娘の視界に入らないようしていた。登校時間になるとみんな家に籠もって息を殺してやり過ごした。金欲しさに何人か当たり屋みたいにあの娘に関わりに行ったけど全員憔悴してマンションを去っていったわ。私の息子だって…未だにピンク色を見ると顔を引きつるのよ。あいつ、タバコの灰皿で息子の顔を3回も殴ったのよ!4日!意識がなかった!左目の視力が大幅に落ちたわ!傷は一生残るってお医者さんに言われた!お金なんかで解決するものですか。あんな額、渡されたって許せるものですか。―――2号のお姉さんなんて優しく道場なんかしたもんだから徹底的に粘着されて朝から晩まであのいかれたご両親に嫌がらせをされて自殺未遂までしたのよ!なのにどれだけ文句を言っても通じなかった。下の子の朔也くんは毎日引きずられて振り回されていつも傷だらけだった。殺されて清々したわ。八朔くんはよくやったわ。よく弟を守ったわ。」
少々興奮気味にまくし立てたあと、おばさんははっとして周囲を見渡した。だからね、と続けた。
「お友達だったんでしょう…八朔くんと。どうか気落ちしないでね。」
聞いてくれてありがとう、あげるといって缶コーヒーを手渡しおばさんはマンションの入口に消えていった。
貰ったコーヒーを飲みながらもう暫く待つと、マンション前に黒塗りの車が1台停まった。
中からいかつい助手席と運転席から黒服の男が二人出てきて後部座席のドアを開けた。
金色の短髪で顔にでかい一文字の傷が入ったラッパーのような格好をした若い男が先に降り腰を半分降ろし頭を下げた。習うように黒服二人も深々と頭を下げる。
もう一人、中から、まるでモデルのようにスラリと背が高い男が出てきた。
ジャケットに腕を通さず肩に羽織りに入れ首に金属の鎖とアクセをぶら下げていた。
黒い丸渕のサングラスをかけた瞳が見えないにもかかわらず男が随分端正な顔立ちをしているのがわかった。
足は長く僕より目線がひとつ上だったので恐らく身長は180を超えているだろう。
髪は上が栗毛下が黒のインナーカラーを入れた短めのワンレンのパーマで、襟足を一部伸ばし長い三つ編みを肩にかけていた。
おおきくあけた柄シャツからそこそこに筋肉のついた胸板と、腕にかけて入れ墨が見えた。
パッと見た所、優男に思えたが、サングラス越しの視線が僕に向けられた途端、ゾッと空気がすこしひりつくのを肌で感じた。
威圧感が、男がモデルでもなければカタギでもないと物語っていた。
「斉東多聞だな?」
はいと答えると男は手に持っていた黒いカバンから名刺を一枚取り出した。
「はじめまして、弥勒藤太です。」
そう言って手渡された名刺を震える手で受け取った。
「四代目八幡会本部長 弥勒藤太」と記されていた。
思ったよりとんでもない奴が来てしまった。
僕の素性を調べていたりスナックのママの彼氏と揉めたと聞いて、てっきり半グレ上がりかヤクザの下っ端あたりが来ると思っていた。
小さな声で斉東と申します、と答えながら男を伺う。20代後半といったところか、その役職を背負うにはいささか若い気がした。
「村上から何か聞いているか?」
「荷物を預かれとしか…」
「だろうな。」
深々とため息をついた男から香水とヤニの匂いが漂う。
男は他の三人にこの場で待機するように命じると俺についてこいと促した。
マンションの受付は事情を知っているようで、「お待ちしておりました」と頭を下げ、村上家が住んでいた部屋の鍵を弥勒さんに渡した。
僕は黙って弥勒のあとをついて行った。
1階の真ん中から西に2番目の部屋の前で立ち止まる。表札にはなにもなく扉には何度も殴りつけられたような跡があり、壁にペンキで殺人鬼とスプレーで書かれた文字を白く上塗りしていた。
さらにもう一軒隣をちらりと見る。
小江と書かれた表札。カーテンを閉めた窓の向こうで人影のようなものがこちらを伺うように動くのが見えた。
「親戚が住んでるんだってな。」
良い神経してるよ、とぼやきながら弥勒はそちらには視線を向けずボロボロのドアの鍵を開けた。
スリッパを拝借し中に入る彼の背中を眺めながら、そうなんですか、と返事を返した。彼は首だけ少し振り向いて、僕の方をちらっと見た。横目で見た彼の瞳は翡翠のような鮮やかな緑だった。
「手紙、村上からなんて来た?」
――――――彼に嘘をつかないほうが良い。
声色のなんとも例え難い圧力。キリスト教系の協会に入ったときの上から落ちてくるあの視線に似ている。逆らわないほうが良い。
なんとなく、そう直感し手紙の内容のありのままを話した。彼は見るからに不機嫌そうに顔をしかめ大きな舌打ちをついた。
「接見禁止中なのに疑問に思わなかったか?」
「―――――――村上くんからじゃ、ないんでしょうか?」
村上くんの名を語る誰かがいるということだろうか。弥勒は「いや、」と顔をそむけ前に向き直した。
「村上で間違いない。弁護士通じて誰かに代筆させたんだろ。かわいそうになぁ、お前、唾つけられてんぞ。」
一瞬なんのことかわからなかったが、ハッとして背筋が凍るのを感じた。日常生活を送る上で、何一つ気が付かなかった。そもそもその原因の半分は、眼の前の男である。
カーテンは取り除かれているにも関わらず、じんわりと家の中は暗かった。
玄関の入口の横の二部屋を素通りし、奥のリビングに入る。
失踪当時手つかずのままではなかったようで、きれいに片付けられていた。
電源が抜かれた冷蔵庫、動いていない冷房機、空の食器棚、壁に貼ったポスター跡やここに家具があったろう部屋角の色の違い、残っていた家具の上のホコリや部屋の薄暗さも相まってどこも小汚いように思えた。
「招き猫を探せ」と、弥勒さんがカバンからゴム手袋を出し投げてよこした。
「ここは俺が探す。お前は前を見に行け。」
弥勒は指輪を外すと自分の手にゴム手袋をつけ台所に入り、いささか乱暴に残っていた棚を物色し始めた。
逃げた所で表で待機している部下に捕まるのオチだ。腹をくくって手袋をはめ台所を後にする。
リビングにいた村上くんの母親に挨拶をするため歩いた廊下。今年に入っての事なのに、ずいぶん昔のことのように思える。
トイレと風呂を通り過ぎ、玄関まで戻ると入口すぐの東側のドアを見る。
かつての村上くんの部屋だった。
向かい側が弟の朔也くんの部屋だ。ほずみとひらがなで書かれたプレートがなくなっていた。
何回か、入ったことがあるのに初めて来たような居心地の悪さが背中を伝う。
奥からガシャンと何か大きな物が倒れる音が聞こえて、はっと我に返る。
探しものが見つからない弥勒藤太の機嫌は相当悪いようで、怒鳴り声のような「クソが!」という悪態が廊下にまで響いてきた。
意を決してドアに手をかける。
鍵はかかっておらずすんなりとドアは開いた。
さぁっと心地よい風が頬を撫でる。
その部屋は、明るかった。
ベランダの窓は少し隙間が開いていてそこから涼しい風が部屋の中を舞っている。
カーテンは取り除かれ、家具はすべて回収されていた。
日差しを遮るものがなく温かな光が部屋全体を包んでいた。
廊下、リビング、台所と全体的に仄暗くホコリまみれだったにもかかわらず、その部屋だけ綺麗に掃除が行き届いているようだった。
直前まで、誰かが掃除をしていたような、清潔さ。
かつての生活臭は残っておらずここに村上くんが居た形跡は何もなかった。
探していたものは、直ぐ目の前に置いてあった。
フローリングの真ん中に赤い座布団が敷かれ、その上に招き猫が一つ鎮座している。
形は何処にでもある招き猫のそれだが、いびつな姿をしていた。
大きさは20cmくらいだろうか。お店等でよく見かけるサイズ。
まず持っているものが小判ではなく人の頭蓋骨だ。
恐らく木製の胴体に真っ黒に漆を塗られ、その上に赤い塗料で縦縞に模様が入っている。
顔に口や鼻の縞の中心をぱっくり割るように、一つ目玉が大きく書かれていた。
―――――――――見つかった。
ドッと体中から汗が吹き出すのを感じた。
喉から嗚咽とともに溢れ出る、後悔。
そして体中を支配したのは、自分が何かとても悪いことをしているような、罪悪感。
――――――――申開きをせねばならない。
とっさに膝をついて招き猫に頭を下げた。床はきれいに磨かれていて顔を伏せる際、バツの悪そうな表情の自分とはっきり目があった。
いたずらがバレたときのような軽いものではなく、スーパーで万引きがバレたような、いや恐喝して金を盗んだ後のような、人を殺した後のような、重い罪を、隠していた本性が、それらが全て知られたくない人にバレたような気まずさ。
消えてなくなりたい。
なかったことにしたい。
もちろん僕は金を盗むような事もしたことはないし、ましては人を殺したことなどあるわけがない。
ただ、それらに匹敵するような、息苦しさが体全身を駆け巡る。
震えと汗が止まらない。カチカチと歯と歯がかち合わせる音と爆音で鳴り響く心音。
「申し訳、ございません。」
――――――これは誰に対する謝罪なのか。
思わず口から漏れた言葉をまるでこの間見たアニメのワンシーンのようだと何処かで他人事のように考えた。
「申し訳ございません。」
眼の前の不気味な形の招き猫を通じた、体中を見透かす視線。
太陽の光と心地良い秋の風が、更に自分が矮小な存在だと思い知らすように明るく照らす。
見て見ぬふりをしていたからか?
違うんです。
決して見て見ぬふりをしていたわけではない、本当に気が付かなかったのだ。
だって彼はそんな人間ではなかったのだから。
それとも神社で騒いでいた外国人を見て見ぬふりをしたことか。
上京したての頃、駅構内で眼の前で転んだ老人に手を貸さなかった事か。
大阪のスーパーで万引き犯が隣でパンを絡まれたくなくて盗んだのを黙って見ていたことか。
だって絡まれたら怖いじゃないか。
他の連中だって見ていて何もしていないじゃないか。
それとも村上くんの綺麗な表面だけしか見ていなかったことが罪なのか。
村上くんが、普通の人間だったと思い込んでいた事が悪いのか。
気がついた所で僕に何ができたと言うんだ。
ただの友人でしか無い僕が。
それでも。
謝らなければ、ならない。申開きをせねばならない。
悪いことをしてしまったんだ。
きっと、僕は許されないことをしてしまった。
この方はすべてを見透かしてらっしゃる。
そしてご立腹だ。
申し訳ございません。申し訳ございません。ごめんなさい、ごめん、ください。
「――どうか、お許しください、」
―――――●●●●様
「何してんだ。」
気がつくと真後ろに弥勒藤太が立っていた。
「見つけたなら、呼べよ。」
彼は僕の横を通り過ぎると招き猫の前でしゃがむ。
そして肩にぶら下げたカバンからトンカチを取り出し、勢いよく振りかざした。
ガンッという音が部屋中に響き僕は身を起こした。
大きな音の割に、招き猫は無傷だった。
彼は舌打ちするともう一度トンカチを握る手を大きく振りかざした。
再びガンという大きな音と共に招き猫が衝撃で倒れる。
しかし傷が全く入っておらず漆が反射してギラリとした光が一瞬弥勒のサングラスに写った。
弥勒はその後も力任せにトンカチを何度か打ち付ける。
逸れたトンカチが座布団越しに床に穴を開ける。
「やめてください」
そんな事をしてはいけない。止めようとして、視界に入った招き猫と目が合う。
あれだけ力任せに殴らたにもかかわらず、招き猫は無傷だった。
ワタが溢れてズタボロの座布団と穴の空いた床の破片にまみれながらも、招き猫本体は漆の層が剥がれてすらいない。全身の毛が逆立つのを感じる。酷く、怒ってらっしゃる。
はぁーっという大きなため息とともに弥勒がこちらに振り返り「ん。」とトンカチをこちらによこした。
「いや、僕では無理でしょう。」
そこそこに筋肉のついた弥勒さんですらかすり傷つかないほどびくともしないのに枯れ木のような僕の腕で壊せるはずがない。
「なんの為に呼んだと思っている。恐らく、お前じゃないといけんぞ。これ。」
「なんで…」
「知らん。そう言われたんだ。とっととやれ。」
断ってはいけない。それはわかっている。震える手でトンカチを握り招き猫に向き合う。
再び罪悪感が体中を駆け巡る。
申し訳ない、気まずい、帰りたい、ごめんなさい。許して欲しい。
先ほどのようなありもしない罪に対するものではなく、これからまさに犯す罪。
眼の前に招き猫、後ろに反社の男。
荒い息を繰り返す。
恐ろしくてたまらない。
コレは目視して良いものじゃない。
ましては壊して良いもので、決してない。
自分たちが来る前に誰にも気が付かれずに訪れ、丁寧に綺麗にこの部屋を掃除して、置いていった招き猫。
怒られる、誰に?許されたい、誰に。
ぎゅっと目を閉じる。
「ごめんなさい!」
「待て。」
力任せに振り下ろそうとした腕を弥勒に掴まれる。
「そんなに力は必要ない。軽くでいい。」
「え?」
少し肩の力が抜けた。
深く呼吸をする。
両手で握りしめていたトンカチを右手に持ち直し軽く持ち上げた。
言われた通り力を抜いて、カンと頭を一回叩いた。
ピシリと音がしてそこからヒビが入り真っ二つに割れる。
中は空洞で、さらっと少量の白い粉が溢れ、赤い絨毯に広がる。
体が嘘のように軽くなった。
それまで感じていた罪悪感が、脳内から静かに消えていく。
汗が止まる。
弥勒はしゃがむと粉を手にとって、舐めた。
咀嚼し、口の中で遊ばせ、眉間にシワを寄せてやがてうーんと呻く。
握ったままだったトンカチを奪い、鞄の中に戻し代わりに小瓶とスプーン紫色の風呂敷を取り出した。
小瓶に白い粉を入れ、入り切らないと座布団をひっくり返し紫色の風呂敷に真っ二つに割れた招き猫ごと包むと立ち上がった。
「帰るぞ。」
「あのぅ…」
部屋を後にしようとする彼に、待ったをかける。
サングラス越しに射抜くような彼の視線が降り注ぐ。
深呼吸して僕は頭の中で駆け巡る疑問の中から、一つ選んでゆっくり吐き出した。
「――――それ、朔也くんに、渡すんですか?」
指を指したのは、あくまで、紫色の風呂敷で包まれた方だ。
白い粉の方だと思いたくなかった。あれがなんなのか、知りたくなかった。
弥勒は一瞬驚いた顔をしたが、顔を般若のように歪ませ大声で吐き捨てた。
「冗ッ談じゃねえッ!!!」
胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。足が若干浮く。
「誰が渡すかッ!巫山戯るなよゴミカスが!!」
耳の奥でブゥーンと膜が震える感触がしたあと顔中の血の気が引いた。
怒った人間というのはこんなにも恐ろしかっただろうか、身の危険を感じ体がすくむ。
先程まで抱いていた恐怖とは、明らかに種類が違うものだった。
先ほどの恐怖は、本当に恐怖だったのだろうか。
足首に完全に力が入らなくなり全体重が右腕にかかると、弥勒さんは舌打ちして僕を振り払った。
勢いよく床に倒れ込む僕を、まるで汚物を見るような目で僕を見下ろしている。
そして我に返ったのか、首を軽く振り、先程まで僕の胸ぐらをつかんでいた右手で髪の毛をかきあげた。
その表情にはもう怒りは滲んでいなかった。
「――――帰るぞ。」
着いてくるように顎で促す。汗で濡れた手でなんとか体を起こして立ち上がり、外へ出る彼の後を追う。
アパートの前には黒塗りの車がもう2台増えていた。
ガラの悪そうな男たちが、弥勒の顔を見た途端声を揃えて「お疲れ様でした」と頭を下げる。
一番光沢のきれいな車に弥勒が先に乗り、手招きする。既に後ろを囲まれていた僕は為す術なく彼の隣に同乗する。
不味い現場を見てしまったのかもしれない。
僕はこれからどうなるのだろう。
車の中で弥勒さんがタバコに火を付ける。
副流煙が鼻の奥に入っていく。
あの白い粉は、――――――
――――何故。
何故、彼の部屋にあったのだろう。
誰が、彼の部屋に置いたのだろう。
そもそもあれは、何方だったのだろう。
僕にしか壊せない招き猫を、何処で調達したのだろう。
それを、彼の弟に渡して、どうしろというのだ。
証拠隠滅だろうか。
朔也くんなら確実に処分してくれると踏んだのかもしれない。
僕にそこまでの信頼がなかった話だ。
そして弥勒に見つかった。
そうだとするなら、もう手遅れだ。
僕は失敗している。村上くんの信頼に答えることができない。
理由はどうあれ、僕はもう、村上くんを信用できない。
連れて行かれた先は事務所ではなく喫茶店だった。
てっきり証拠隠滅で僕も消されるのでは…と怯えたが、どうやらまだそのつもりはないらしい。
客席が4つとカウンターのこじんまりした店で奥の4人がけの座席に通される。
僕らを下ろすと車は何処かへ去ってしまった。残った部下が二人店の前でタバコを吹かしていた。
「お疲れさん。好きなもん食っていいぞ。」
メニューを手渡された、コーヒーとチーズケーキセットを頼んだ。
本当は腹など空かせていなかったが、ここで恐らく食べ物を頼まなければ、彼のプライドに泥を塗る気がした。
弥勒はアイスティーのストレートとサンドイッチのセットを頼んだ。
ウェイトレスがメニューと注文を受け取り少々お待ちくださいとカウンターに戻っていく姿を眺めていると、弥勒さんはタバコに火をつけて一服深く吸う。それまでずっとつけていたサングラスを外した。
透き通る翡翠の瞳。目鼻立ちが整った顔立ち。彫りが深くもしかしたら異国の血が混じっているのかもしれないと思った。
何か、話さねばならない。
あの粉のこと、招き猫のこと、村上くんのこと。
今日は、汗ばかりかいている。
沈黙を破ったのは弥勒だった。
「ありえないんだよ。」
タバコの吸い殻を灰皿に押し付けながら弥勒は独り言のように呟いた。
「村上の事件。あれは、ありえないんだ。」
「何故…」
弥勒は運ばれてきたサンドイッチを二個鷲掴みにすると豪快に口を開け放り込む。僕はコーヒーには手を付けず、チーズケーキのフォークを手に取り続きを待った。
咀嚼しながら肘をつき翡翠の目が窓の外を眺める。
「俺の部下の部下…そのさらに下のやつがヤクを取り締まってんだが、―――そいつが変な客がいるって言っていた。その客は気前が良くてな、週末に必ずやってくる。純度が高いやつだけを、どれだけ値段釣り上げても嫌な顔も文句持たれず笑顔で買っていくだとよ。その癖このスパンで買いに来るにしては妙に小綺麗で中毒症状が出ている様子もなかった。――――これは流してやがるなって――売人が部下の部下に相談した。――そいつのこと調べ上げたらビンゴでよ。丘の上にカルトがいるだろ?ほら駅前で良くビラ配ってる薄いピンク色の作業着きてよ…―――――懺悔こそ救いだったかな。覚えてねえや。ま、そこの熱心な信者の一人ともう一人…………ああ、クソ。……ま、流してたわけだよ。金は取ってなかったそうだ。信者との密会を収めやビデオには、ごめんなさいごめんなさいって謝る女と若い男に大丈夫ですよって声かけて自分が買った薬を金も受け取らずそのまま渡していた。―――――良くねえよな?あそこの信者は口が軽い。あえてそうしてる。信者共をまとめ上げるために、腹の中をぶちまける癖つけさせて、嘘と真実を混ぜて外界との信頼を絶つのさ。そんなあぶねー所に、あいつはヤクを無償でバラ撒いてやがった。目的までつかめなかった。やつにも施設にも、なんの利益もないんだ。だけど、許せねえよな?駄目だよ、ただでさえ最近の警察は優秀だってのに………ちょっとでも尻尾掴まれると頭まで持っていかれる。」
―――わかるだろ?と4本目のタバコを取り出し、ふと気がついたようにタバコケースから残りの本数を「吸うか?」と僕に差し出した。
丁寧に断ると深々椅子に持たれ深く煙を吐き出す。僕は冷めたコーヒーにようやく口をつけた。
「んで、部下の部下とで拉致ってわからせたのが、事件の前日だ。」
コーヒーがむせ上がりそうになった。そうかと納得もした。
「事務所の地下で数人でボコった。頭をバットで打ち、爪を剥がし、右足を砕いて、耳に爆竹も入れた。ケツも掘ったな。―――――暇だから俺も何度か殴らせてもらった。気に食わねえ、そうだろう?ヤクを流していたことより、そっちがどうしても許せなかった。時間をかけて甚振った。その間、あの畜生は泣きもしねえ叫びもしねえ。呻き声をぐっとこらえてこっちを憐れむような、気味の悪い目でじっと見つめ返すんだ。そして言うんだよ。
「謝りましょう。謝れば、許されます。」
意味がわからん。今、罪を犯し断罪されてるのはテメーなのにな。―――そのテメーは結局俺等にもテメーの弟に詫びることもせず、最後はスタンガンで気絶した。俺は若頭が呼び出されて、一人、ガタイの良い新入りを見張りにつけて他のやつ引き連れてその場を後にした。―――――その時、帰ってきたら死んでると思ったんだよ。そのくらい、徹底的にやった。処理面倒くせえなって思いながら若頭がいる料亭に向かって、その日は若頭と飯食って、隣の部屋で女とヤッて、んで料亭から出勤して若衆に遺体処分してこいって言ってスポーツ新聞を手に取った。2枚目の阪神と広島の記事を読んでいたら突然、下の階から血相変えて若衆が戻ってきて「あいつが居ない」って言うんだよ。んな馬鹿なって地下に降りると、部屋中が血溜まりで真っ赤に染まっていた。――――真ん中に昨日見張りを命じた新入りが顎から上だけ残して落ちていた。他の遺体はない。やつの姿は何処にもない。事務所中、家具ひっくり返して探したが、新入りの顎から下と奴の姿が何処にも居ない。狐につままれたようだよ。事務所には足跡がなかった。手形も指紋も何もなかった。事務所から外に出た形跡がないんだ。監視カメラは俺等が出ていって直後から、部下が様子を見にいった間だけ、ごっそり切れていた。いっそサツにでも頼りてえ気分だったぜ。そうこう探して血溜まりの地下室を若衆に掃除させて上の事務所に戻ったんだ。事務所を探してるはずの部下が、スマホでニュースを呆然として眺めていた。サボってんじゃねえって怒鳴ると、兄貴、コレってスマホをこっちに向けてね。――――あー、下手なホラーより怖かったね。昨日、俺らが散々ボコボコにした野郎が、殺人事件で捕まってんだよ。被害者が俺の部下ならまだ…まだ納得できた。妹の同級生、しかも殺して内臓まで食ってやがった。」
エグい話をしながらも弥勒さんはサンドイッチだけでは足らなかったらしくパスタまで頼んで、ガツガツかっこみながら僕に話す。僕はチーズケーキの半分で気分が悪くなりフォークを握る手を机の上におろしていた。
「ありえないんだよ。あの怪我で、ハヤトを、新入りをぶっ殺して、足跡つけずに事務所抜け出して、更に中学校に監視カメラに映らず侵入し、弟の同級生の女子を殺して、食う。無理なんだよ、あの状態で、出来るはずがないんだ。」
「――――じゃあ、犯人は…」
「共犯がいる。」
僕が村上くんじゃない、と言おうとして、見透かしたように弥勒さんは遮った。
じっと翡翠が僕を睨む。最初に会った時のような空気が凍るのを感じる。
美しい人だ。だからこそ、余計に迫力があった。
「――――違いますよ?」
「さぁどうだろうな。」
おかわりのパスタを完食し、ナプキンで口の端のソースを拭う。
「でもそれじゃ、村上くんが犯人やなんて、無理やないですか。ありえへんって…」
「村上で犯人で間違えねえよ。それだけは真実だ、ただトリックがわからないだけだ。」
「そ、それは…そこまで言い張るんやったら…そ、そその共犯とやらは、一体誰で何人ぐらい…?」
「さあな。ボロボロのやつを担いで歩いて、証拠隠滅する。3人はいるんじゃないか?怪しいよな、特にあの丘の上の、」
弥勒さんはピッと窓の外を指さした。
丘の上に、白い真四角が5つほど連なったテトリスみたいな建物がある。
「あそこにいる連中にも話聞いたんだ。口は軽い。信憑性はかなり低いがな。そいつらが言うんだ。そうしたら最近入信した家族が逃げてきたっていうんだ。―――――身内が、罪を犯したから、許されたい助けてくれ、と。村上家のことだ。ただなぁ………」
「ただ?」
「話聞く限り一家の入信した時期は、事件の後なんだよ。でも村上がヤクを配っていたのは先だろ?元凶のような宗教に縋るかね…と。もう、考えれば考えるほどわけわかんなくなってさ。」
頭がこんがらがりそうだ。
今日だけで、村上くんの知らない顔が浮かび上がっては重なってぼやけていく。
「ハヤトの、仇をとってやりたい。」
弥勒山はアイスティーを一気飲みし、机に置いた。
「俺と一緒で親が早く死んだって言ってた。容量がいい、かわいいやつだった。顎から上を焼いて少ししか骨が残らなくてよ。親父が憐れんで無縁仏に入れるのは可哀想だって言って、別件で死んだやつらと一緒に祀ってやるために墓を注文した。まだ完成してなくて、遺骨はうちの事務所に置いてあるんだ。」
それまで威圧を持って話していた彼の声色が、少し震えている。
「誰に殺されたんだ?村上だけか?違う、なにか、いる。よくわからない。もやみてえな、なにか。そいつを調べて見つけて、この手でぶっ殺さねえと気がすまない。」
吸い殻を灰皿に押し付け、目頭を少し抑え俺の顔をじっと見た。
「お前は、本当に違うのか?」
ギクリ、となにかがバレたように驚いて弥勒山を見た。
あのときの、招き猫に退治した時のような、バツの悪い気分。
確かに、僕は何も知らない。
独り言のようなつぶやきに、安心を覚えなければならないのに何故だか、酷く、悔しかった。
――――――本当に僕は、何も知らない。
「僕は、何も知りません。」
チーズケーきの残りを手で掴み一気に口の中に入れて咀嚼する。コーヒーで流し込むと、今朝から何も食べていなかったことを思い出した。
「ああ、そうだよな。事件の時間にアリバイがある。俺が奴を殴っている最中も、奴が弟の同級生を殺している最中もだ。そして今日直接会って、あ、こいつに人殺しは無理だなってわかった。」
「それは…」
良かった。心から安心した。だが。
その様子を眺めながら弥勒はくくっと笑う。
「知りたくないか?」
悪魔のように絶妙なタイミングだと思った。
「村上が残したヤクが他にもあるかもしれないし、あの宗教施設に足がついたままなのも気分が悪い。俺は心配性でね、気になる事があると他に手がつかねえんだ。どうだ、お前も気になるだろう。家に引き籠もって暇そうにしてたもんな。」
なあ?
弥勒は続ける。
「違うっていう証をくれよ。」
最初から、この瞬間のために、弥勒は僕に接触をしたのではないか。
そう思えてしまうほど。
一瞬でも、悩めなかった。
迷いはなかった。
食べ終わってラインのアドレスを交換したあと店を出た。
家まで送ろうか?という弥勒の誘いを断った。もうとっくに実家もバレているけど、生活圏にこの男を入れたくなかった。
「サツに行って話してもいいぞ。」
別れ際に意外なことを口にされ驚いた。
「ああ、お前に信用がないってわけじゃないぞ。俺だってほんとにお前を疑ってるわけじゃねえよ。手口が手口だろ?それに知り合いがいるんだよ、広警上の方に。そいつに俺の名前出したら協力してくれる。多分、これはあいつの専門だ。似た話をいくつか知っている。心当たりは、ある。だが、俺が直接警察に行くわけにはいかないだろう?」
広島県警獣害対策課に山上伊吹という男がいると名刺をもう1枚渡された。広島まで行けということか。
サイクリングをしに行くはずだった、広島。
しまなみ海道を渡って愛媛の今治まで行こうと、話していた。
村上くんと多摩くんと氷見さんと吉川さん、もう一人、吉川さんが友達の女の子を連れてくると行っていた。名前は確か、
「西…」
「なに?」
「いえ、なんでもないです。わかりました。」
広島に行ったら、見えてくるのだろうか。何かが。
再び黒塗りの車に乗り込んで、弥勒は去っていった。
村上くんは。
普通の青年だったはずだ。
少なくとも、ヤクザにリンチを受ける事をしでかすような、そんな事をする人間ではなかったはずだ。
ましては薬物を――――――――
僕の中の村上くんが、どんどん塗りつぶされていく。
穏やかに、困ったように、微笑む彼の瞳が、黒く染まっていく。
赤い縦縞が入り、口と鼻を失い、代わりに大きな瞳がぱっくりと割れた顔からこちらを見ている。
村上くんが、人でなしになる―――――
それを黙って見ていた、だから僕は。
名刺を懐に入れ、家路につく。
最寄り駅で丘の上の宗教団体がビラを配っていた。
気になって1枚貰う。
ごめんなさいね、と渡された紙に書かれたのはよくある世界の終末や核戦争のことやテレビやメディアの陰謀論ではなく、ただ一文、
「悪いことをしたら謝りましょう」と
ごく当たり前の事が書かれていた。
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