4話・賽銭泥棒
賽銭泥棒
大正の話である。
ある村に手癖が悪い男がいた。
男は早くに両親を亡くし天涯孤独で村の酒屋に奉公に入って働いていた。
背は村の大人達より頭二つ程高く、力持ちで愛嬌もあり、村のみんなから好かれていた。
特に雇い主である酒屋の主は学校に行くために上京させた一人息子を地震で亡くしていており、身内がいない男を本当の息子のように可愛がり、男も主を実の父のように慕っていたという。
酒屋は繁盛していて男の他に村や他村から雇った若い衆を従えて、その中にまじり男は毎日汗水たらし真面目によく働いた。酒屋の主だけではなく村の者とも喧嘩をすることもなく、村の者も健気な男の身の上を心配しよく面倒を見ていた。
男には2つ、悪い癖があった。
一つは動物を親の敵のように嫌っていた事。
村の赤子に怪我を負わせた猫に憤怒し蹴り上げたり畑を荒らすカラスに毒を持って殺したり庭に糞をした猪を捕まえては苦しめながら屠殺した。
やりすぎたと注意をされても男はいたぶって殺す癖をやめなかった。
ただ村人に対しては温厚で優しく、手を挙げる動物は決まって人に害をなした獣だけであり村人に飼われ可愛がられていた文鳥や番犬などには一切手を出さなかったという。
もう一つ、こちらのほうに村人は頭を抱えた。
神社の賽銭を盗むのである。
男が盗むのは村の中央になる大きな社から近辺の小さな祠、仏閣にいたるまで、誰と同伴してようが関係なく、我が物顔でふん掴んでは懐に入れた。
盗むのは決まって賽銭のみで、人を恐喝することも人の家に入って盗む等といったは一切せず、週末には若い衆を集めては盗んだ金で買った酒を持ち込んで酒盛りをしていた。
主を始め、村の者は口々に「賽銭を盗んではいけない」と咎めていたがその度に男は「俺の村なのだから、問題はなかろう」と言って改めることをしなかった。
村の中央の社を収める神主も困り果てていたが、生活は氏子から直接のお供えで賄えていたし、なにより静かな平和な村に駐在が介入することを良しとしなかったので誰も通報することをしなかった。
男は神社をよく掃除をし、毎月の朔祭には決まって参列し氏子である主と共に祭の手伝いをしていた。
なにより男は大層な美男子で、神主の娘は男に熱を上げていおり、口だけ注意しながらも、盗む額も全額ではなくあくまで3ヶ月に一度、自分用の酒が一瓶買える程度なのでよく手伝う駄賃代わりだと男を放置していたそうである。
これはただの偶然かはたまたご利益か、男が賽銭を盗むと決まって翌日村人の誰かに少し良い出来事が起きた。
それは最初、箪笥の済から小銭が出てくるだとか、きれいな花を見つけただとか、母親の機嫌がすっかり治っていたり、仲違いした友達と和解したり、いつもは気に食わない姑に苛つかなかったりなど、些細な幸福であった。
だが、徐々に幸福の規模が大きくなった。
出稼ぎでいた夫が土産を持って帰ってきたり、くじで1等を当てたり、川から砂金が取れたりなどもはや偶然とは言い難いものに変わり、終いには果には干ばつ中に雨が降ったり、畑に虫が寄り付かなくなったり、病に伏せた村人の体調が改善したり、土砂崩れで男が住む村だけ土砂が避けるように流れ全員が無事だったりなど、命に関わる程、大きな幸運へと変わった。
ご利益とほんの少しの薄気味悪さを感じ、徐々に村から男の手癖の悪さを咎めるものは減っていったという。
「●●は神さんのおつかいかもわからんねえ」
と笑う酒屋の主に、普段は従順な男は珍しく怒髪天を衝き「あんな畜生と一緒にするな」と食って掛かったそうだ。怒りは長続きしなかったようで、夕方にはいつもどおり主に従順な大人しい奉公人に戻った。
そんな事が度々続いて、村ではあの男はそういうものだと誰もが納得して暮らし始めた。
その日は男は仲の良い若衆とともに遠出をし、汽車に乗り吉備の祭りに足を運んでいた。
背丈が人より頭2つ分程高い男はよく目立ち、人の多さに迷うことはなく男たちは女を引っ掛け朝まで遊び通した。
祭が終わり朝日が顔を出しお開きになり、酔った足取りを引っ掛けた女に支えてもらいで駅まで向かっていた。
男たちの財布はすっからかんになっていた。
道中にお稲荷さんの鳥居が見えた。
男はすすと引き込まれるように鳥居の真ん中の真下に立った。
「端に寄らんと危ないよ」と注意する仲間の声を無視し、そのまま仁王立ちに鳥居の向こうの祠を睨みつけた。
祠は小さなモノだったが、近辺の住人に大事にされているらしく、掃除は隅まで行き届いており、真新しい玉串が奉納されていた。
男は暫く祠を睨みつけた後、うんと頷いた。さぁっと風が男たちの頬をなでた。
「勝った。」
そういうと男はズカズカと鳥居をの下をくぐって入り込み、あろうことかよいしょと賽銭を方に担ぎ上げ戻ってきた。
慕われていたのだろう、ずっしりと思い賽銭箱に男と若衆はこれで村に帰っても飲むか、と笑いあったが一緒についてきた女はあっけにとられた。
そして―――
「賽銭泥棒!」
女の叫びを聞いた近辺の住人が何事かと外に出てきた。
若衆はすっかり見慣れていた光景が、人の道を外れた愚行であることを思い出して顔を青くした。
ぽかんとした男はあれよあれよと住人に取り押さえられ、騒ぎを聞きつけた駐在の手によりあっけなく御用となった。
取り調べにも男は悪びれた様子もなく、「俺が勝った」「あそこは俺の敷地内」「俺の金を持って帰って何が悪い」などのたまい一切反省もしなかった。
見かねた警察が「あの土地の人間がとても大事にしていたお稲荷さんだ。みんな怒っていたぞ。」と話すと男は酷く驚いた様子を見せた。
ぽかんとして、まるで雷に打たれた衝撃を受けたかのように目を見開いて、声を出さず魚のように口をパクパクと動かした。
声にならないうう、だのぐう、だの呻きをあげて床に突っ伏して、男は小さな声で「そうだった。」と呟いた。
「そうじゃった、あれを管理しちょるのは人じゃった。人のものを盗んでしまったんか。悪いことをした。」
それから男は一変して態度を改め深く反省した。
主の酒屋が保釈金を払うと申し出たが、他村から余罪があると訴えがあり、男は数年、刑務所に服役することになった。
服役中も大人しく看守の言うことによく従い、愛想よく振る舞って先輩の囚人に可愛がられ、模範囚として予定よりも早く出所することになった。
出所した男は迷惑をかけたとまず世話になっていた酒屋の主に深く頭を下げ、賽銭を盗んだ神主やお坊さんの家を一軒一軒謝罪して回った。
その後男は改心し、よく働いた。稼いだ金のほとんどを盗んだ賽銭の返却に回したという。
豪雨でお稲荷さんの祠が流されたときも浸水した自分の家を投げ出し修繕に駆けつけたほどである。
その返済も終わると、男は神主の娘を嫁に迎えた。
男が賽銭を盗まなくなってから、村では不自然な幸福が続くことはなかった。
男は40手前で土砂災害で岩の下敷きになって亡くなるまでの間、村から一歩も出ることはなく、穏やかに日々を過ごしていたという。
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