手紙

松松

手紙

カーテンから漏れる春光を浴び私は目が覚めた。時計を見るとまだ6時。仕事も用事もないのにまだ寝とけばよかった、そう思った。とは言いつつ普段余裕を持って過ごすことのない時間を自由に過ごすことが出来ることに少し心が躍った。冬の面影を感じる寒さに凍えながらゆっくりと立ち上がると、私はベランダに向かって歩き出し、コップに半分残したままのコーヒーを片手に口に咥えたタバコに火をつけた。そうやってふと訪れた朝のささやかな幸せに浸っていると、突然何かを思い出して歩き出した。そういえば最近全くポストみていないな。特に普段は気にすることもないが何故かそう思った。ポストの前に着き、中身を確認したが気にしたことを後悔してしまうくらいに内容はいつもと変わらないものだった。ただ一通だけ、鮮やかなチラシの束にあるのは不自然な素朴で無機質な手紙があった。宛名も差出人の名前もない。中を確認するまでは誰からでどんな内容かも分からなかった。私は徐にその手紙を読み始めた。

「拝啓、君

伝えたいことがあってここに書いた。しかし読んでくれなくてもいい。というのもこの手紙を書いたことで半分は目的を果たしたから、もう半分は勝手に出て行った君への負い目と文章の稚拙で痛々しい表現が恥ずかしいから。昔から手紙とか文章には憧れがあったのだ。もし読み進めてくれるのであれば笑わずにみて欲しい。

私は好きだの愛しているだのそんな言葉は嫌いだった。だからそんな言葉を求められる度に嫌気が差した。言葉は所詮心にはなり得ない。自分の心と相手が受け取った言葉の重みに齟齬があると自責の念を感じてしまうから。自分には正直でいたかった。偽った自分を愛して欲しくはなかった。もちろん君のことは嫌いなわけではなかった。でも趣味だって合わないしまめな君と怠惰な私とでは時間の感覚だって合わない。心からの言葉を言うにはあまりにも置き去りにしているものが多かったように思う。愛を求める君の姿は欲望に溺れた怪物のようにも見えた。それも最初は愛おしいとまで思った。時間が経てば自分も受け入れられると思っていた。でも時間が経つたびにこれがずっと続くかもしれないと、恐れた。気づけば君から逃げていた。

これも言い訳。結局は自分が未熟で身勝手なだけ。あるとき君から「私は空っぽな人間なの、ごめんね」と言われた時、むしろ怪物は自分ではないかと思った。そんな鬱々とした気持ちから解放されたかっただけだったと気づいた。それを謝りたかった。ひどいことをした。ごめんなさい。


思えば私は君の名前すらも覚えていない。好きなものも覚えていない。記憶にあるのは朝日が心地よく漏れる大きな窓と君の苦手だったコーヒーとタバコ。苦手なくせに笑って付き合ってくれていたのはやっぱり嬉しかった。それ以外は覚えていない。でも愛していた。それだけを伝えたかった。

私は小説家を目指すことにする。やはり憧れは止まらないものだ。この歳からでも充分挑戦できる。と思う。文を書いて人に伝えるという点においてはこの手紙はこれから著名になる大作家の記念すべき処女作といえよう。最初に目を通せたことを誇りに思って欲しい。

まあそんなところだ。

ありがとう。

君にはもう会えない。敬具」


気づけば一時間くらいは経ったのだろうか。この文量の手紙を読むのには持て余してしまうくらいの時間をかけていた。結局何を伝えたいのかはよく分からなかった。ただ先程とは一転して凍えるような寒さはもうなかった。「こんなんじゃ小説家なんてなれないね」そう呟いて手紙をライターで燃やした。遠い空を見つめ、涙をひと粒だけこぼして部屋に戻った。


眩しすぎた光をカーテンで遮ってコーヒーとタバコを捨てた。そしてまた眠りについた。


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手紙 松松 @ammm_1001

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