追憶の梅雨の中

snowdrop

雨の中

 冷めた部屋の窓から、静かな雨のささやきが、傷つけ合う喧騒をかき消していく。遅いとはいえ、ようやく訪れた雨季のはじまりに心が踊る。同時に思い出す。いつからだろう、誕生日がうれしくないものになったのは。大人になる前には、楽しくなくなっていた。

 壁にかかるカレンダーの日付には別段、印もついていない。数字の下に赤字で書いてあるのは「夏至」の二文字だけ。

 歳を重ねるごとに、仲良くなった子達と会えなくなるのをくり返したせいかもしれない。あるいは、祝いより勉強に費やす時間を優先させられたせいかもしれない。

 そういえば、誕生日プレゼントに欲しいものを買ってもらった記憶がない。欲しいものより、必要なものを買ってもらっていた気がする。

「誕生日に好きなものを買ってもらうんだ」と、黒い犬を飼っていた近所の子に、自慢されたことがある。だから、クリスマスに一度だけ、親にねだったことがあった。

 買ってもらえても、湧き上がったのはうれしさではなく、虚しさだった。そもそも自分はなにが欲しいのかわからない、と気付いたのだ。以来、なにか欲しいものがあるかと聞かれても、「べつに」と答えてきた。

 本当に欲しいものがなかったのか、といえば嘘になる。

 わたしには、いつも一緒にいた幼馴染がいた。病気になってからは、会ってはいけないと親からきつく咎められた。でも一度だけ、こっそり会いに出かけたことがある。

 寝たきりで、うわ言しか発せず、治療法もない。そんな幼馴染と会ってからは、病気が治ってほしい、ただそれだけを願い続けてきた。それ以外のものは、なにも欲しくなかった。

 願いは叶わなかった。年上だった幼馴染の年齢を、わたしはあっという間に追い越し、今日まで生きてしまっている。

 夏至の今日、また一つ、歳を重ねた。

 遅れていた梅雨の到来を、どれだけ待ちわびただろう。

 雨はやさしい。とうの昔に枯れ果てたわたしの涙の代わりに、降り注ぐ。一滴一滴が、言葉を紡いでいる気がしてくる。そんな雨をみていると、幼馴染や犬との思い出が、どんな影響を与えてくれたか振り返ってしまう。


 この日に限り、隣家に住む年寄り達の罵詈雑言は聞こえなかった。

 八十代女性と六十代の内縁の夫、夫の同僚と思しき六十代の男の三人が暮らしている。彼らはいつも口論をくり返している。その声は、窓を通して響いてくるのが常だった。

 建築関係の仕事をしている内縁の夫が留守の間、男に八十代女性の面倒をさせているのだ。帰宅した内縁の夫は、自身の身勝手さを棚に上げ、事あるごとに汚い言葉で男を罵り、従わせている。大人しく言うことを聞く男を見て、八十代女性も、好き勝手言うのが絶えない。 

 冬や天気の悪い日は、窓を閉め切るため聞こえにくいが、春が来てからは近所迷惑となっている。ある日、隣家の女性と顔を合わしたとき、「吠えるのは困るね」と声をかけた。女性は苦笑いを浮かべ、「さわがしくてごめんね、いうこと聞かなくて。わたしにはいい子なの」と答えた。 

 彼らはミニチュアダックスフンドを二匹飼っており、そのうち一匹は躾ができていない。人間の気配を感じるとすぐ、窓ガラスを震わせるほど吠えだす。ヘルパーが訪れる度に、飼い主たちは激しい口調で犬を叱り、静かにさせようとする。だが犬は、言葉を理解することもなく、キャンキャン怯えるだけだった。

 そんなことはしてはいけない。鳴き声を聞く度にわたしは、以前飼っていたペットのことを思い出してしまう。

 ペットの写真を自室の棚から取り出し、しばらく見つめていた。

 犬の名前はちいちゃん。秋田犬に似た白い毛並みの雑種で、くるりと尻尾をまるめていた。家にやってきたときは、まだ生まれて二週間ほどだった。見るからに小さく、ちいちゃんと呼んでいたら、それが名前となった。

 本当は猫を飼いたかった。しかし、親が以前飼っていた小鳥を食べられてから嫌うようになっていたため、犬をもらうことになったのだ。

 親の意向で飼ったこともあって、はじめは可愛がることもしなかった。それでも、一緒に散歩に行った。

 リードをつけようと目を離した一瞬、犬は勝手に外へ飛び出すことがよくあった。その度に追いかけた。

 子供の足では追いつくはずもない。それでも走るしかなかった。

 見失い、あきらめて家に帰ると、犬は遅かったねという顔をして出迎えてくれた。実に利口だった。

 一緒に過ごす中で、わたしはちいちゃんに寄り添った。頭をなでたり、顔や耳、首や背中、尻尾などをもみほぐしてあげたり、夜中吠える度に傍にいてあげた。目元の涙の跡も、きれいに拭いてあげもした。

 間違いない。わたしにとって心地よい時間であったのはもちろん、わたしたちに生まれた特別な絆の証でもあった。

 犬はときどき、ほっぺに鼻を押し当ててきたり、舐めてきたりした。油断していると、容赦なく抱きついてくる。服に毛がつくからと距離を取りつつも、辛いときは傍に座り、古い歌を口づさんで聞かせてあげた。

 幼馴染が亡くなった日。寄り添ってくれたのは、ちいちゃんだけだった。

 そんな飼い犬が半身不随の寝たきりになってしまったのは、ある冷たい雨が降る夕暮れだった。ほとんど寝たきりで過ごし、半月後に息を引き取った。その日も、雨は激しく降り続いていた。

 犬は人の言葉を話せない。だから耳を立てたり、尻尾を振ったり、ときに飛びついたり、ぐるぐる回ったり。あるいはクンクンと啼いたり、顔を上げて吠えたり。全身を使って訴える。

 吠えちゃだめ、といったところで伝わらない。だけど、わかろうとする気持ちがあれば、心を通わせることができることを教えてくれた。果たして、どれだけの気持ちをわかってあげられたのだろう。いまとなってはわからない。だけど、ちいちゃんと過ごした時間は、わたしにとって、かけがえのないものだった。


 夏至の日に梅雨入りした翌日。夕餉の後、わたしはリビングでテレビを見ていた。窓の外では雨が降り続け、アスファルトを削りながら飛沫を上げて走る車の音が聞こえる。

 テレビからは、保険と転職のコマーシャルがくり返し流れていた。それぞれユーモアとインパクト、前向きで希望に満ちた様子を映し出していたが、自分とはかけ離れた別世界にしか感じなかった。

 視聴したい番組は一つもない。時間と電気代の無駄。そう感じながらも、天気予報を見るためという理由を作ってソファーに座っていた。

 突然、画面には大型犬に寄り添う男性芸能人の姿が映し出された。

 番組の宣伝だろう。室内に腰を下ろしている彼の顔に、白い犬が鼻を押し当てていた。ナレーションから、森の中でみつかったその犬は、これまで人に飼われた経験がないことが語られる。はじめは犬小屋から出ようともせず、人間と距離を取っていた。水を飲み、ケージの外に出るまでになったが、部屋の隅から動こうとしない様子を映していた。

 その犬の姿に心を奪われ、自分の過去を思い出していたところ、不意に夕方のニュース番組に切り替わった。瞬間、わたしの心は過去と現在、そして未来へと飛んでいく。まるで、日常の喧騒から一時的に離れ、自分だけの世界に没頭するかのようだった。

 天気予報士の男性が、一日の天気の変化を、雨雲レーダーの映像とともに解説しはじめた。明日の激しい雷雨や一日の予想降水量などを話す声が、どんどん遠くなっていく。

 代わりに、先程見ていた番組宣伝に出ていた犬のしぐさが、なぜか頭から離れない。あの犬の姿を思い出すほど、心は自動的に、かつて愛情を注いでいた、ちいちゃんへと引き寄せられていく。

 テレビ画面に映る天気予報士は、週末から週明けにかけて、雷を伴った強い雨が降り続くといっていた。すでに、窓を打ちつけるほどの雨音が響いている。

 その夜、わたしは自室の棚に置かれているアルバムを手にした。ページをめくると、在りし日の思い出が、かすかに蘇る。

 猫でも犬でもなんでもよかった。そもそも、ペットを求めたのは、わたしが寂しかったからだ。頭のどこかで幼馴染が治らないことを理解していた。だけど、心の片隅では、ひょっとしたら治るかもしれない思いを捨てきれなかった。そんな夢のような日が来るまで、一人で待つなんて耐えられそうになかった。誰かに寄り添っていてほしかったのだ。

 こんな飼い主に、ちいちゃんは大切なことを教えてくれた。

 言葉が通じなくとも、心を通わせる方法があることだ。ただ傍にいる。それだけでどれだけ救われてきたことか。

 たとえ治らずとも隣にいる。それだけのことさえ、わたしは幼馴染にしてあげられなかった。

「わかり合うのに、言葉は必要なかったんだね」

 小さく息を吐き、窓を見ながら、犬と過ごした日々を思い出す。

 窓に打ちつける雨音が、わたしの心を静かに揺さぶり続けた。

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