第5話 結・後
永い、永い夢を見ていたような気分だった。目が覚めると薄闇の中にいた。ああ、私は殻の中にいたんだったと思い出す。
周りの厚い殻を指先ですこしずつ剥いていき、ちょっとずつ外の空気を取り入れる。ろうそくの揺らめく光が差してきて、外が見える。私は、様子を伺った。私を拘束していたベッドの上。ロウの燃える明かりだけの部屋。そして私を縛り付けていた手錠は殻の中にぽつりと落ちていた。おそらく、体が大人になる段階で、外れたのだろう。何も変わってないようでありながら、どこか、全てがちっぽけに見えた。そして、ガカリの作ってくれた翻訳機も一緒に落ちているのに気づく。私はすこし悩んで、それを拾い上げた。
殻から這い出、自分の体を確認する。以前に比べて変わっていたのは、背中に羽が生えていたことだ。それは薄衣のような白い羽だった。その羽を動かそうとしてみる。
最初は上手く動かす感覚がわからなかった。羽の根元がうずくように感じられる。でも、自分の体の延長なんだ、という自覚をしてからは、上手に動かすことができた。
大丈夫。私は飛べる。
私は、外へ繋がる扉へと新しい足で歩み寄る。
私は、自由になる。
・・・・・
「ここからは警備が厳重だ……さて、どうするかな……」
僕たちは、男に渡されたフードを目深に被り、人目を避けるように、建造物の間を縫っていった。
ニンゲンの国は、巨大なブロックがそれぞれの役割を果たしているようで、今は住人の居住区ブロックへと延びる、橋ぐらいありそうな輸送パイプの上を渡っていた。居住区、と言えども、僕たちの村のような、家々が散在している様子ではなく、文字通り、巨大なブロックが宙に浮いていた。それらをつなぐのが、高架線であり、極太のケーブルであり、僕たちの渡っている輸送パイプだった。
ニンゲンの男がそうつぶやいたのは、パイプを通って、それに這うケーブルをつたって登り、便宜的に橋にしたハシゴを渡ったあとの研究区ブロックに差し掛かるところでだった。点検用に出入りするための扉がついている。扉の向こうからは、
ガカリは、「正面突破だ!」威勢よくそう言った。
「我々のテーザー銃に手も足も出なかった奴の言うことではないな」
男がガカリの言葉を一蹴する。
「今はそのテーザー銃っていうの、持ってないの?」
「持っているが、たった1丁だ……。警備兵に囲まれたら、ひとたまりもない」
「なんか、いい手はないのかな……」
どうしようか。僕たちが考えあぐねていると、扉の向こうがなにやら騒がしくなる。
「どうしたんだろう……。まさか、僕たちの侵入がバレたとか……?」
「いや、そのはずはない……。おとなしくしていろ、様子を見てくる」
男は注意深く、扉を開けて、身を滑り込ませる。残された僕たち四人は、ひそひそ話し始めた。
「どうしよう……。ただ待ってるだけでいいのかな」
「おとなしくしていろ、だってさ。偉そうに……やっぱなんかアイツ、怪しくない?」
ツグが男が消えた扉に、目を向ける。
「だよなあ……」
「いまいち、真意が掴めないんだよね」
そんなことを話していると、男が戻ってくる。
「トナリ様が逃げたようだ……。それと、これはお前たちには直接関係の無いことだが、この城の中にいる民衆が暴動を起こしたようだ……」
「暴動って、大丈夫なの? それ」
「まあ、民間人の暴動にすぎないからな……。警備兵にすぐに鎮圧されるさ。だが、良いタイミングだな、これは……」
「良いタイミングとは?」ラジオさんが聞き返す。
「トナリ様を混乱に乗じてこの城から連れていく事ができる、って話だ。またとないチャンスだ」
「確かに、この上ない状況かも……」
「二手に別れて、トナリ様を探そう。俺とお前たちで別れよう」
「わかった」僕は頷く。
ツグは「ちょっと! 私たち、土地カン無いんだけど!」と抗議する。
「これをやる。この城の大まかな全体像と、トランシーバーだ。周波数を合わせよう」
僕たちはそれを受け取り、男の手ほどきを受けて、通話できる様にした。もしかしたら、ラジオさんで信号をキャッチできるのでは、と思い、試してみる。
男は顔を背けてそのトランシーバーとやらに「あー、あー、テスト」と語りかけた。
すると本当にラジオさんから音声が出力された。男は、
「お前らの技術……便利だな」などと言っていた。
「ニンゲン様ほどではないっすよ」ガカリは得意げだ。
トランシーバーはもしもの時のために、受け取っておいた。男はフードを目深に被り、
「よし……お前らがやるべきことはトナリ様をこの城からどこかへ逃がすことだけだ……分かったな?」
僕たちは強くうなずく。
「気を付けろよ、反体制側の中でも、亜人に対して強い嫌悪を持った者はいる。彼らだって一枚岩ではないんだ」
そう言うと、扉の向こうに消えていった。
「正念場だな」
ガカリが言った。
「ニンゲンの国だから、亜人だってバレないようにしないとね」
ツグはそういい、ぐっとフードの前を掴んで下ろす。
「私のカラダの事も頭の一部に刻み込んでおいてくれ」
雑音交じりの音で、ラジオさんが言った。
「よし、いくよ」
僕の合図で、扉の中に入っていく。
「なによ、これ……」
ツグが青ざめる。
そこには、ニンゲンの裸体が秩序めいて並んでいた。均等に並んだ透明なガラスの容器の中の液体が、首の無い男女の体を浮かべていた。カラダたちは直立するように中にいて、ごぼごぼと吐く泡に合わせてゆらゆらと蠢いていた。だだっ広く真っ白な天井に人工の光があって、白いタイルの合わせ目に流れた血液をつまびらかにしている。
喧騒は無く、しんとしていて、耳が痛くなるような静けさがあった。
「どういうことだろう……。さっきまであんなに騒がしかったのに……」
「暴動がどこかに移ったんだろ」
僕の言葉に、ガカリは苦い顔をして答えた。
「思ったよりも危険な状況かもしれないな……」
そう言うラジオさんの声に、僕たちは不安と焦燥に駆られる。
「トナリは、無事なのかな……」
ずっと、憧れだったニンゲン。そのニンゲンが住んでいる国にもロマンを感じていた。だが、こんなところに居たくない、そう思えるほどに、目の前の現実は酷かった。
トナリを早く探さなければ。トナリが、ケガでもするかもしれない。そして、それ以上の事が……。
僕が進もうとすると、ガカリが声をかける。
「おい、ヒロ。こっち来てみろ。あと、ツグは来るな」
「なんで、私だけ……」
「後悔するぞ」
その言葉におじけづいたのか、ツグは「分かった」とだけ言って、ガカリから目を背けた。
きっと、ガカリの方の床に、血が流れてきたのを見たのだろう。
僕は、生唾を飲んで、ガカリに歩み寄る。
ガラスの背後の、僕たちの死角だった所に、ニンゲンがうつぶせになって死んでいた。一目で分かった。頭がカチ割られていたからだ。
「これ、見てみろよ」
ガカリが死体の足元を指さす。
「これ……あのフードの人が僕たちに撃ってきた機械じゃん」
「コレ、もらっとこうぜ……。いざという時のために」
「分かった。じゃあ、ガカリ、君が……」
僕がガカリに持たせようと勧めると、ガカリは首を横に振る。
「いや、これはお前が持ってろ、ヒロ。これでトナリを助けてやれ」
僕はその銃を見つめると、懐にしまいこんだ。
「分かった。……じゃ、そろそろ行こうか」
「ああ」
ガカリと僕は立ち上がると、トナリを探すためにこの場所を出た。
周辺には黒煙と炎がもうもうと上がっていた。それでも、人は一人も居なかった。あるとすると、転がっている死体だけ。僕たちはだんだんと焦り始めた。
「トナリ! トナリー! 返事なさい!」
ツグは必死に声を掛けている。
「あの人に連絡とってみよう!」
そういって、ツグにラジオさんのスイッチをいれるように促す。
「ザ、ザー……どうだ? トナリ様は見つかったか?」
ノイズ交じりの男の声。
「いや……こっちは何も。そっちはどう?」
「ああ……トナリ様の目撃情報があった。なんでも、第二左翼の方で歩いているのを見かけたらしい」
「分かった。そっちに行ってみるよ。じゃあ……切るね」
「ああ。気を付けろよ」
ぷつ……と小さな音がして、男の通信が切れた。
「第二左翼だって」
「行ってみましょう」
僕達は地図を見て、そちらのほうに向かってみることにする。
「やれ!」「殺せ!」「撃てええええ!」「助けて!!」「馬鹿野郎! こっちは味方だ!」「がっ!」
「ギャああ!!」「殺す!! 殺してやる!!」「何やってんだてめえ!」「死にたくないいいい!!!」
そこは修羅場だった。僕たちが第二左翼に向かった時、暴動のエリアはそこまで広がっていた。ちょうど左翼ブロックの下部の付け根に当たる場所だ。
誰も彼もがバールや警棒などといったもので武装していて、目の前の相手を無力化しようと躍起になっている。怒号が途切れず聞こえて、怒りの声や、すすり泣く声も聞こえてくる。時には、笑い声すら耳に入ってきた。騒動による煙やガスなどが充満していて、それが敵味方の区別を分かりづらくしており、それが狂乱に拍車をかけた。
体制側も、暴動を起こした側も、顔に殺意をにじませて、殴り合ったり撃ち合ったりしていた。その騒然さだけで、僕の方もアドレナリンが湧き上がるのを感じる。そこにあったのは、地獄だった。
僕らは物陰に隠れて、事態が収まるのを待った。
しばらくして体制派が全員倒れると、暴徒の中で歓声が上がる。
僕らが隠れていたところへ、一人の人間が近づいてくる。
ばれていたようで、逃げるのは間に合わなかった。
「あなたたち、大丈夫? けがはない?」
僕はどう言うべきか必死に頭を巡らしていた。僕たちを助けてくれた男は、こう言っていた。「反体制側の中でも、亜人に対して強い嫌悪を持った者はいる」、と。この人が亜人に対して嫌悪感を持っているならば、暴力に直結するような状態で、自分たちの素性を知られるのは危険に思えた。
僕たちの間に、緊張感が走る。
「だ、大丈夫です」
僕はやっと、それだけを言った。
「そう? ケガとかしてない? フード、取りなさいよ」
目の前のニンゲンの女性はこちらをジッ……と見つめている。言葉は優しくても、本当にこちら側の人間なのか、疑っている目だ。
次第に、もやが晴れてくる。ガカリのとがった鼻先が、目立つようになってくる。ガカリは何気なく、うつむいて、フードをさらに目深に被り、鼻先を隠した。
「……ねえ、本当に大丈夫? 頭とかケガしてるかもしれないから、そのフードを取って――」
女はツグのフードを掴んでくる。辺りには反体制派のニンゲン達が集まりだしていた。
「ちょ、ちょっと、やめなさいよ……」
ツグは抵抗する。うずくまるようにしてフードのフチを握って抵抗する。声色は何気ない風をよそっていたが、その抵抗は必死だった。
別のニンゲンがそんな僕たちに疑問を抱いた。
「……お前ら、本当にこっち側なのか?」
「そうだ! おとなしくしてろよ」
「顔見せてみろ、顔!」
わらわらと集まっていたニンゲン達は、今やその輪を狭くして、僕たちを包囲していた。武器を掲げている者もいる。
ヤバい!
暴漢達に服をひっつかまれて、顔があらわになる。
「亜人だ!」「亜人がなんでこんなところにいるんだよ!?」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!!」
その時。
――悲鳴とともに、ニンゲンたちは倒れていく。
暴漢を治めたのは、僕たちを導いてくれたあの男だった。
僕らを案内してくれた男は、テーザー銃で暴徒を鎮圧、その場に倒れさせる。男の手元の銃は、ぱちぱち、と火花を散らせていた。
「助けに来てくれたんだね!」
僕は男に向かって、声を掛ける。だが、
「……」
男は何も言わなかった。
そして。
男は僕らに、銃を向ける。
僕らは固まった。
「許せ……。蛮族ども……逃げてくれるなよ……」
僕たちは動けなかった。
彼は唇を噛み締め、こちらに銃を向けたまま、動かなかった。
僕には、彼が葛藤しているように見えた。
――緊張の中で、どのくらいの時間がたったかわからない。ついに男は、
「ダメだ……できない……」
その銃を下ろした。
僕たちはホッとする。安心したせいか、脚の力が抜ける。
「どうして……そんなことしたんだよ?」
ガカリが、男に話しかける。だが、男は額にいくつも脂汗を流していた。
その表情から感じられるのは、恐怖。
男の背後の薄闇から、低い、女のしゃがれた声が聞こえてくる。
「やはり役立たずだったか?」
そして、伸ばされた手から、男に銃が突きつけられる。
ぷしゅ、というあっけない音とともに、男が首から血を吹き出す。最初は赤い霧のように、その次は槍でも貫いたのかと思うぐらい勢いよく。
その凄惨な光景に、ツグは吐いてしまう。ムリもなかった。僕たちだって、目の前で起きたことが信じられなかった。目と口をいっぱいに開いて、男の体が倒れてゆく様を、スローモーションのように見ていた。
「優秀な男だったのだがな……。だが、問題はあるまい」
現れたのは、長い髪を逆立てた、切れ長の目を持った女だった。濃いウルトラマリンのアイシャドウが、冷徹な印象を与えている。
「じょ、女王……!」
トナリの義母にして――この国の支配者、女王だった。
男が呻くように彼女を呼ぶ。口からは血の泡をこぽこぽ吹いていた。
「なんだ、生き汚いな、ケーザ。再教育してやろうか?」
女王はつぶれたカエルでも見るかのような目で、僕たちを助けてくれた、ケーザと呼んだ男を眺めていた。
「……なんで……」
僕はやっとのことで声を絞り出すことができた。それに対して女王はこちらを向く。
「何か問題でも? 蛮族の子よ」
「なんでそんなことするんだ……?」
ギリギリと奥歯を噛み締める。
「こいつは役立たずになったからだ。私の命令を聞いていれば良かったものを……。それに、お前らのような蛮族すらこの城に入れるとはな」
まったく嘆かわしい、と女王は首を横に振った。
「そんな事の為に、この人を殺したのか……?」
僕は懐に手をやり、銃を掴んでいた。おもむろに、目の前の暴君にその銃口を向ける……。
女王に引き連れられた警備隊は、一斉に僕に向かって銃をかざした。
女王は、警備隊に待て、と手で制す。
「やってみろ。おもしろいものが見れるかもな」
「やめておけ……。それは――テーザーなんかじゃない。実弾が出る「本物」だ」
男がひゅーひゅーと喉を鳴らし、僕に警告する。
黙れ、と女王は一発、男の頭に銃弾をブチ込む。
やがて、静音が場を支配した。
僕は生唾をぐっと飲み下す。口の中がカラカラだ。
「本物」……。それは実際に人を殺せる道具だと言うことを意味していた。僕たちに向けられた気絶させるだけの銃なんかじゃない。
「――だそうだが? どうするんだ?」
「やってやるよ……!」
僕は怒りで目の前が暗くなった。あるのは女王の姿だけ。血流に合わせて、視野が脈打つ。こいつのせいで、何百人ものニンゲンが死んだ。こいつのせいで、僕たちを助けてくれた男は死んだ。こいつのせいで、トナリの恩人は死んだ。こいつのせいでトナリはみじめな思いをした。こいつのせいで……。
「ホォ……。お前にそれができるか? 蛮族の小僧」
「なめやがって……!」
奥歯をギリギリと噛みしめる。
僕は引き金に力を入れて、
バイバイ。
そして今までありがとうね、僕の憧れ、ニンゲン。
目の前のニンゲンを殺害し――。
「ヤメテ!」
聞き覚えのある声だった。
どこか舌っ足らずで、機械を介したノイズの入った声。
――トナリ!
だが遅かった。引き金を戻す指の操作が、間に合わず。
弾は発射された。
女王の耳をかすめて、散った髪の毛がハラ、と床に落ちた。
無事だった……。
僕は倒れ込んで、肩で息をする。涙が、ぼろぼろと頬を伝う。
トナリが駆け寄ってくるのを感じるが、僕はそちらを見る余力もない。
「人を殺す能力もないか……。蛮族にしては良い度胸だったがな。まあ、私は死んでも良かったが」
その余裕のある冷笑的な笑みを残したまま、女王は語った。
「人の命をなんだと思ってんだ!」
僕に駆け寄ったガカリが吠える。女王はフッ、と鼻を鳴らした。
「人の命など、私の国の技術の前ではどうとでもなるのさ」
「どうとでもだと……」
「そうさ。わが国では先日、クローン技術の成功に至ったのさ。それも、記憶も能力も受け継げるような。だから、私は死んでも、いくらでも生きていけるのさ……」
僕の脳裏には、研究ブロックに並んでいた人体が浮かんでいた。
女王が獰猛な笑い声をあげる。
「ハハハ!! これこそがわが悲願! 永遠の人間の国を治めること! ハハハハハ!!」
「いかれてやがる……!」
「クク……。今までは目障りだったが、もはやそんなことはどうでもいい。王が亜種族と子を成した事を秘密にしていけるのであれば、生かしておいてもよい。さっさと消えろ。どこへでも飛び立ってしまえ」
膝をついている僕にトナリは声を掛ける。
「ヒロ」
「トナリ……」
「アンナ人ノ為ニ、ヒロガ罪をオウ必要ハナイヨ……」
「うん……うん。そうだね、トナリ……」
「……」
しばらくの間に、トナリは変わった。羽が生えた、ということもそうだが、僕には雰囲気が変わっているように感じた。まるで、何かを吹っ切れて、覚悟をもったような、そんな変化がトナリにはあった。
「トナリは、変わったね」
「ウン……。ワタシ、大人ニナッタヨ」
「そうだね……羽も生えて」
「ワタシ、ヒロガ無事ナラ、ソレデイイカラ。――ジャア、行クネ」
「飛んでいくのかい?」
「ワタシ、アトメサンニ託サレタカラ、自由ニナラナキャイケナインダ、ズットソウ思ッテタ。ダケド、私ガ、私自身ガ飛ビタインダ、ソウ思ッタカラ、私ハ飛ンデイク。コノ体デ、コノ羽デ」
トナリは思いの丈を僕にぶつける。
「そっか、トナリ、自由になるんだね」
「ウン」
「そっか……。」
僕は胸が張り裂けそうになる。だけれど、その気持ちの正体はわからなかった。
「ヒロ、ワタシガ飛ブトコロ、見テテ」
トナリは城の淵になっている高いところへとあがった。
トナリは神秘的に見えた。階下のあちこちでは煙が立ち昇り、真っ赤な炎が上がり、銃声がこだまして悲鳴が聞こえている。そんな中でも、羽を広げた純白のトナリの姿は、美しかった。
トナリの羽は、ゆっくりと空気をかき混ぜるみたいに動き始める。その動きが段々と早くなっていった。
トナリは、頭から落ちるようにして、傾いていく……。
そんな中、ラジオさんはなにかを呟いていた。
「あの姿……トナリ……どこかで見覚えが……あの姿はまるで……。……!」
そして、ノイズ混じりの悲鳴に似た声をラジオさんが出力する。
「ヒロ! トナリを助けろ! トナリは「飛べない」!」
ラジオさんの声を聞いた僕は走り出す。
「きゃああああああああ!」
墜落していくトナリ、ツグの悲鳴。
――飛べなかった! 僕はトナリを助けようと城の淵へと駆けていく。
僕は、跳んで、腕をめいっぱい、伸ばした。
掴んだ!
間一髪、僕の右手はトナリの手首を掴んでいた。
でも、このままだと、トナリと一緒に真っ逆さまだ。
何やってんだろうな、僕。それでも、後悔は無かった。
ピタリ、と落下が止まる。ガカリとツグが僕の足を掴んでくれていた。
「無茶するなよな!!」
そう言いながら、ガカリは僕を上げてくれた。
「お前はな、蚕の亜人と人間のハーフなんだよ。飛べるべくもなかったんだ、最初から」
トナリを引っ張り上げる僕らを見ながら、女王はせせら笑った。
「カイコ……?」
僕の疑問に、ラジオさんが答える。
「カイコというのは、人間が糸を作るために、家畜化した虫なんだ。飛んで、逃げることもできない。ただただ人間に飼育される虫の事だよ……」
「逃ゲルコトモデキナイ……?」
うずくまるトナリ。顔を膝にうずめて、白のタイルが涙の小さなしみを作った。
「ワ、私ハ……ドウスレバ……。モウドコニモイケナイ……」
城の淵でうずくまるトナリの肩に手を乗せて、僕は語る。
「トナリ、聞いて」
「……」トナリは何も言わなかった。
「僕ね、僕がお宝を探すのは、そこにロマンがあるからだって思ってたんだ」
僕はそこで一度言葉を探すように言葉を止めた。自分の気持ちをトナリにそのまま伝えられるように。
「僕はロマンを追求してたんじゃない。僕にとっての欠けたものを埋めようとしてたんだ、こんな話でわかる?」
「……? ワカラナイ……」
トナリは大粒の涙を湛えたまま、僕の顔をじっと、その大きくて黒い目で見つめている。うるんだ大きな目の中に、僕の姿がある。
「なんて言ったらいいんだろうか……」
すでに言葉にはできている。ただ、自分の弱さを見せることに抵抗があるだけだ。ただ、トナリは、傷ついて、もがき、苦しんだのだと思う。僕はそんな相手に対して、自分を偽るのか?
それに気づいた僕は、口を開く。
「僕は、オタカラのロマンを追求してたんじゃない。オタカラの人間の残留思念に触れることで、僕はひとりじゃないんだって、そう思いたかったんだ……。いつも、ガカリもツグも居てくれたのにね……。
」
トナリはふるふる、と首を横に振る。そんなことはない、とでも言うように。
「だから僕、トナリが来てくれて嬉しかったんだ。ニンゲンとのハーフで、半分だけど、僕と一緒の境遇なんだな、って嬉しかったんだ」
「嬉シカッタ……?」
「ああ、嬉しかったんだ。トナリが、ニンゲンとのハーフだって知って、ニンゲンとの繋がりができた! 僕もニンゲンの国に行きたい! そう思ったんだ」
「ソンナノ……」
トナリは再び顔を伏せる。僕は自嘲して、話をつづけた。
「……今は違うよ。トナリがニンゲンとのハーフだからじゃない。トナリが、そのままで居てくれるだけで、僕と一緒に笑ったり、泣いたりしてくれるだけで、僕は幸せなんだ」
トナリは顔を上げる。
真っ赤な顔をして、僕を見上げていた。
「だからトナリ、僕たちと一緒にガナン星で住もうよ。もうどこにも、逃げるために飛び立っていく必要はないんだ」
トナリは、涙を我慢するかのように、顔をくしゃくしゃにしていた。そんなことしても、もう涙が零れてた。
「帰ろう、トナリ」
「ウン……」
僕たちは抱き合った。震えるトナリの体温が暖かくて、肩口がジワリ、と濡れた。
「ふん、興ざめだな……。好きにしろ。だが、王の子であることは隠し通すんだ。分かったな?」
一部始終を見ていた女王は死んだ魚を見るような冷めた目をして、そう言った。
「……ワカッテル」
トナリは強く、頷いた。
「まだそんなこと言ってやがるぜ……」
「この国の根幹に関わることだからな……」
女王は踵を返し、黒煙の中に消えていく。
僕らはフードの男に手を合わせ、その場を後にした。暴動にはそこかしこに遭遇したが、何とかやり過ごして巻き込まれはしなかった。ポッドがつけてある場所にたどり着き、みんなで乗り込んだ。
僕と、ガカリと、ツグと、ラジオさんと、それからトナリ。
「四人はちょっと狭いな……。このポッド」
ガカリが僕の肩を軽く押して、そんなことを言う。
「そうね……。ヒロ、こっから出ていきなさい」
ツグが冗談を言う。
「無茶言わないでよ……」
僕はなんだか疲れ果て、うとうととしていた。
「四人じゃない。五人だ。私の事を忘れてもらっては困るな。……しまった!!」
「! どうしたの!?」
「私の新しい体を見繕うのを忘れていた……」
「……まあ、そのうち何とかなるでしょ」
「戻ろう! ヒロ! あの量産されていたカラダなら、一つぐらい失敬しても構わんだろう!」
「え~……。正直、あんな所にはもう戻りたくないよ……」
「よし! 出発!」
ガカリが威勢よく、ジェットの噴出スイッチを入れた。
「私の体~~!!」
僕らは笑いあった。それは虚勢のようなものだったけれど、トナリも笑っていたのを見て、僕はすこし、安心する。
ポッドはニンゲンの国からすこしずつ離れていく。みんな、小さくなっていくニンゲンの国を感慨深げに眺めていた。
帰ろう! 僕らのガナン星へ!
・・・・・
私たちがガナン星に帰って、あっという間に、三か月がたった。
トナリはこの星の生活に慣れ、この星の言葉も少しずつだけど、話せるようになってきた。
私は今、私――ツグの家の庭にいて、ガカリと一緒に雑談を交わしている。
ガカリは外にいるヒロに目を向けている。ヒロは私の庭の近くでゴミ漁りをしていた。未だに、ゴミ漁りはやめられないようだ。ヒロ曰く、「ロマンとかはなくなったけど、なんだかんだ習慣になってるみたい」とのこと。それはもはやゴミ漁りが好きなのでは……? と思ったけど、言うのをやめておいた。否定されて話が長引いても面倒だし。今日もヒロは鼻歌交じりにゴミを掴んでは投げ、掴んでは投げ、している。
そんなヒロを眺めている私に、ガカリが言葉をかけた。
「ホント、ヒロって鈍感だよな……。あんなプロポーズみたいなこと言っておいて……」
「何も進展ナシ、だなんてね……。相手の心どころか、自分の心にも鈍感なんだから……。」
トナリがかわいそう、と私はため息交じりに愚痴をこぼす。「全くだ」とガカリも肯定する。
話題のトナリは、ヒロのすぐ近くのかつてポッドが落ちてきた場所の石碑になにやら落書きをしていた。
「それにしても……いたずらっ子になっちゃったわね、トナリ……。妹がきかんぼうになっちゃったみたいで、お姉さん、寂しい」
「誰がお姉さんだ、誰が」ガカリがすかさずツッコミを入れる。
「――まあ、元々は明るい子だったんだろうな。閉じ込められてから、気持ちをふさぐようになっただけで」
私はガカリのその言葉を聞いて、涙ぐむ。
「ちょっと、泣かさないでよ!」
「悪い悪い。……お前、そんなに泣き虫だったか?」
「元からこんなもんよ」
そう言い、トナリに目を向ける。
トナリはヒロのもとに駆け寄って、なにやら言葉を交わしていた。そして、
「ツグ! ガカリ! こっち! ヒロがオタカラ見つけた!」
トナリの明るい声がこちらに響いてくる。
「行きましょうか」
「そうだな」
私たちは腰をあげて、二人のもとに駆け寄った。
ポッドが落ちてきた日に私の父が建てた石碑には、こんな落書きがしてあった。
可愛らしく丸っこい字だった。
「十八月十二日、私たちはこの出会いを忘れない」
END
ゴミ漁りヒロと落ちてきた少女 霧_悠介 @_kilyusuke
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