「堕落論」「白痴」坂口安吾
青空文庫やカクヨムで掌編をいくつか読んだので坂口安吾祭りです。
🐣坂口安吾
1906年新潟出身。
坂口安吾、太宰治、織田作之助を中心とする無頼派・新戯作派に属する。
無頼派という呼び方は、坂口の『堕落論』『デカダン文学論』のタイトルイメージから。
新戯作派という呼び方は、第二次世界大戦後、旧来の私小説的リアリズム、および近代の既成文学全般への批判をおこない、江戸期の戯作(俗世間におもねった、洒落や滑稽を基調とした作品)の精神を復活させようという考えから。
その考えの通り、約24年間の作家生活では純文学のみならず、エンタメやエッセイ、フランス文学翻訳など幅広い著作を残している。
近代文豪らしく大胆な性格の持ち主。
🐣堕落論
【タイトル】堕落論
【著者】坂口安吾
【刊行】『新潮』1946年4月1日発行
※カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16817330652652786687
【ジャンル】エッセイ
🐣あらすじ
第二次世界大戦後、特攻隊の勇士も聖女も堕落する混乱した日本社会。
安吾は、人間性を考察し、戦争に負けたから堕落するのではなく、元から堕落の本性が備わっているのが人間であると指摘。
そして「人間の本性は、政治の変革などでは変わることも救われることもない」「そうした他者からの借り物ではない、自分自身の美なる真理を編み出すためには、堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要である」と、敗戦直後の人々に虚飾を捨てて人間の本然の姿に徹せよという指標を示した。
🐣文章が綺麗
坂口安吾の文章は美しい。後半に至るほど文があざやかになっていく。
>けれども私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。
>あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は燃えかけている家のそばに群がって寒さの暖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
『白痴』と合わせて読むと、彼が戦乱の破壊にどれだけの興奮を抱いていたかが理解できる。太宰治の『お伽草子』といい、戦中を経験した作家の書く破壊表現は厚みが違う。
しかしこの作品が発表されたのは1946年。敗戦直後の混乱期の中、食うにも困る中で、それでも人は文学を求めるのだと感嘆しました。
🐣白痴
【タイトル】白痴
【著者】坂口安吾
【刊行】『新潮』1946年6月1日発行
※カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16817330652652429761
【ジャンル】文芸
🐣あらすじ
敗戦間近の日本。場末の裏町の小屋に住む独身の映画演出家・伊沢は、時勢の流れに翻弄される映画業界や安っぽい演出を憎み辟易しつつも、会社をクビになることを恐れていた。
ある晩、帰宅した伊沢は、隣家に住む白痴の人妻が家に上がり込んでいるのを見つける。女は伊沢の愛情を目算に入れてやって来ており、その日から二人の奇妙な関係が始まる。白昼の空襲の際、白痴の恐怖と苦悶の表情を見た伊沢は、焼跡で人間の焼死体を見ながら、白痴の女の死を願った。
ある日、伊沢の町にも大規模な空襲が訪れる。白痴の姿を見られたくない伊沢は、みんなが立ち去った後に女と逃げる。「死ぬ時は一緒だよ」というと女は人間らしく頷き、伊沢は感動した。
火の海の中を懸命に逃げきり、女は豚のようなイビキをかいて麦畑で眠り始める。伊沢は女を置いて立ち去りたいと思ったが、そうしたところで何の希望もない。夜が白みかけてきたら女と停車場を目ざして歩こう、はたして空は晴れて、俺と隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうか…と伊沢は考えていた。
🐣感想
みんな大好き坂口安吾の有名作品。
芸術に身をやつしたい青年が、目の前にある現実という戦争に灼かれていくもどかしさ、白痴の女との関係が丁寧に描かれている。
偉大なる破壊の戦火により人々は焼鳥のように死んでゆく……という異常な状況下における主人公は、そこに「運命に従順な美しさ」を感じてしまうが、その「美」を寸前のところで思い留まり拒絶して、「平凡」に生きることを決意する。
全編に渡って文章が鋭く鮮烈でドラマチックで気持ちが良い。言語野を食べさせて欲しい。いわゆる純文学の、微細な心の機微を物々しい表現で描写するのを読んでると、「こんなに格好つけた表現で描いちゃっていいの?」と照れてしまう。
>どこへ逃げ、どの穴へ追いつめられ、どこで穴もろとも吹きとばされてしまうのだか、夢のような、けれどもそれはもし生き残ることができたら、その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、石屑だらけの野原の上の生活のために、伊沢はむしろ好奇心がうずくのだった。
>まだ二十七の青春のあらゆる情熱が漂白されて、現実にすでに暗黒の曠野の上を茫々と歩くだけではないか。
>どこに住む家があるのだか、眠る穴ぼこがあるのだか、それすらも分りはしなかった。米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起り、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。
↑「その/戦争の・破壊の・巨大な・愛情が、すべてを/裁いて・くれるだろう」という気持ちの良いリズムはもとより、戦争破壊巨大というネガティブで硬めのワードに続けていきなり『愛情』を持ち出して『裁いてくれるだろう』で〆るスタイリッシュさ。私もこういう言葉を使いたい。
🐣光を覆うものなし
【タイトル】光を覆うものなし
【著者】坂口安吾
【刊行】1951(昭和26)年11月1日
【発表】新潮 第四八巻第一二号※青空文庫
【ジャンル】エッセイ
🐣あらすじ
戦後、ヒロポンと睡眠薬中毒になった坂口は、当時流行の競輪に熱中し、八百長事件を告発するため証拠写真を提出する。
しかし自転車連合会の事情聴取後「加工写真では」と言われ、新聞にも思い違いと書かれてしまう。その反駁として『新潮』に発表した文章。
🐣感想
不正と煮えきらぬ態度に延々とブチ切れている。
地検に証拠写真を提出したと書かれてはいるが、この作品の発表後検察庁が調査に入ることはなかった。空振りに終わった坂口は一時期被害妄想に苦しむ羽目になったという。なんとも後味の悪い事件である。
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