「偶然にも最悪な少年」グ・スーヨン
【タイトル】偶然にも最悪な少年
【著者】グ・スーヨン
【刊行】角川春樹事務所>ハルキ文庫
【発表】2002年6月
【ジャンル】エンタメ>現代ドラマ
ティーンエージャーヤケクソロードムービー。
🐣作者
作者のグ・スーヨン氏は1961年山口県下関市生まれ。在日韓国人二世。
もともと広告・映像畑出身。『ハードロマンチッカー』『偶然にも最悪な少年』など、故郷・下関を舞台にした作品、在日韓国人をテーマにした作品を手掛けています。
🐣あらすじ
舞台は00年代東京。日本人と在日朝鮮人の両方からイジメを受けている在日韓国人の男子中学生・カネシロヒデノリ。渋谷のチーマー・タローさんと万引きを繰り返し、合コンで出会ったエキセントリックな女子高生・由美とも一悶着を起こす。
そんな中、姉ナナコが在日韓国人であることを苦にして自殺。姉を韓国まで運んでやりたいと考えたヒデノリは、タローさん・由美と共に一計を案じる。
姉の死体を病院から盗み出し、車で東京から下関、小倉へと向かう一行。しかし、行く先々でヒデノリは博多で人を刺し、小倉で強盗をはたらく。なんとか韓国行きの船を確保したカネシロ達だが……。
🐣この作品との出会い
この本に出会ったのは中学校の図書室でした。まばゆいイエローのハードカバー、毒々しい響きのタイトルに心臓を刺され、ふと手に取ってみたのです。
00年代前半作品らしく退廃的でドライでスレてる雰囲気が印象深く、長らくタイトルを覚えていました。
現実世界の雑踏の雰囲気、刹那的に必死に生きる少年少女、隣り合わせにある具象としての死、ニライカナイ幻想、社会常識には抗いきれない、かといって社会常識を受け入れたところで社会の歪みににあっさり殺される(タローさん) 、軽い気持ちで女をキズもの(物理)にして軽々しく「一生責任取ります」っていう男女カップル。
性癖の原点となった作品のひとつで、十年以上経った今でも読めば読むほど愛情が募ります。
🐣カネシロヒデノリは『壊れている』?
主人公カネシロヒデノリは、突き出されたナイフを素手で握り「壊れている」と評され、女子高生にコーラをぶちまけ「あんたおかしいんじゃないの!?」と激昂される。けれど本人は、「壊れてないすよ、壊したいだけ」と宣います。
ではそもそも作中に出てくる「壊れた」とはどういう状態をさすのでしょう。
アリストテレスが「人間は社会的動物」とも評したように、人間は社会を構築せずには生きていかれない。「壊れた」状態とは、社会から脱した状態≒他人と正常な関係を築けず、社会規範から逸脱した状態なのだと仮定します。
カネシロは渋谷を中心にチーマーやシャブ中の友人とつるみ、家出もしばしば、万引きばかりしているスレた少年。不謹慎なムードを好み、実姉にも「あんたっていっつも失礼よね、昔から」と評される、「いい人」が大嫌いな不良少年です。
カネシロは幼い頃から在日朝鮮人であることを理由にいじめられてきました。小学生のころに両親は離婚し、母親は姉を引き取り、現在カネシロは理屈っぽくて自己顕示欲の強い父親と生活しています。通う中学校でも他校(朝鮮中)相手にもいじめられてカーストは最底辺。つるむ不良にも実は愛想笑いで相手しており、内心唾を吐いてバカにしています。
この点だけでみれば確かにカネシロヒデノリは壊れています。一般的な社会規範に適合できていないのですから。
ここで壊れていると評される理由は、
・共感性に欠ける
・不謹慎を好み反社会的
この二つに分けられます。
🐣共感性に欠ける
彼の人格形成は、「在日朝鮮人」というアイデンティティ、それが原因で受けたいじめ、それに対する親の対応に拠るところが大きいでしょう。彼の経歴と人格の関連について考えてみます。
まずは前者、感情の希薄さと共感性の低さについて。
カネシロは元々冷めた子供だったわけではないようです。家族を「お父さん、お母さん」と呼んでおり時折それが「オヤジ」に変わるところ、タローたちに幸福論の話を吹っかけるところなど、中学生らしい、年相応の幼さも見えてきます。
幼いヒデノリはいじめっ子に泣かされて帰っており、本人も回想するように「ここで感情を抑える方法を覚えた」のです。そして母親に、「ホントのこと言われて、何がそんなに悲しいの?」「そんな奴らはぶっ飛ばしてやりなさい」と叱り飛ばされます。カネシロはそんな母をかっこいいと感じました。
作中、中学生たちに暴行を受けるシーンがありますが、「痛いけど痛くない」「いじめられてるけどいじめられてない」と、カネシロは執拗に自分の感情を否定しようとしています。
感情は報われない、余計なことで傷つきたくない、壊れたオモチャを抱えてメソメソするやつなんてちっとも面白くないと何度も強調しているのです。
暴行を受ける中で、「こんなくだらないことで傷つかないやり方を覚えたから」とカネシロは呟きます。乖離状態でみずからの感情を否定することは、カネシロにとっていじめから心を守る手段でした。
フラフラしてて危なっかしく、在日韓国人であることを理由にいじめられ、「家族なんてヤクザと同じ」と言い切るヒデノリ。
しかし彼は自分のルーツ(在日韓国人であること)を「最終兵器」って大切に携え、姉の亡骸を連れて韓国に行こうとする皮肉な構図が胸に刺さります。
🐣反社会的で不謹慎な性格
日本人にも韓国人にもなれず、排斥されどこにも居場所のないカネシロ。彼は渋谷のチーマーとつるみ、スレた価値観とあきらめを身につけざるをえませんでした。
カネシロが善人を嫌うのは、彼らに「差別者」としての欺瞞性を感じているからです。
作中、カネシロは同じ中学の佐々木先生にいじめについて慰められるシーンがあります。しかし彼は「ボクのことを自分と同類だと思ってるからこんなことを言う」「偉そうにしてるくせに片手落ち」と感じている様子。
自己顕示欲と虚栄を「見て見て病」と名付け、極端に嫌う彼は、悪意こそが人間の本性に近いと考えていたのでしょう。
🐣 イッちゃってるのは確かだな
そんなカネシロは中盤から完全に、「イカレて」しまいます。
カネシロは友人が痴話喧嘩で刺されたのを見て、「遂に血を見てしまいましたね。なにがなんだかわかんないけど、イッちゃってるのは確かだな」と評していました。
その直後、膨らみ続けた『在日朝鮮人』としてのアイデンティティが、姉の死をきっかけに彼を下関へ走らせます。カネシロは幼少期に母親と離別していますが、姉ナナコとは仲良しでした。その気丈な姉が、在日韓国人として差別を受けることに耐えられず、手首を切って自殺した。
カネシロは姉の死体を盗み出し、博多で人を刺し、小倉で強盗をはたらき、タローさんにも「もっと頭いいと思ってた」と呆れられるほどに、到底理屈に見合わない行動をとります。
刺した相手にお辞儀をして「なんだか愉快になった」と言って、口答えしなかった父親の電話を切り、「やっちゃう(いじめに仕返しするために暴力を使う)ってどんなことかわかんなかったけど、今なら分かる」と宣う。
この時点では読者とタローら部外者にとって、カネシロこそが「なにがなんだかわかんないけど、イッちゃってるのは確か」な存在になってしまうのです。
🐣カネシロが壊したかったもの
壊れてないすよ、壊したいけど。
このセリフはずっと「カネシロが他人を壊したい」という意味なのだと思っていました。でもカネシロが完全に壊したいと渇望していたのは自分自身ではないでしょうか。
序盤のカネシロヒデノリは、吐き気癖に苛まれています。環境に苛まれて歪んでしまい、いろんなものを吐き出しながら、ぎりぎりのラインで人格を保っていたのです。しかしその歪みが、突如もたらされた姉の死をきっかけに爆発した。
筆者が民族性を理由にいじめを受けず、苦しみゆえに感情を切り捨てずとも生きてこられたのは、偶然運が良かったからにすぎません。
カネシロは、偶然差別の根付いた環境に生まれ、偶然離婚による家庭崩壊を経験し、偶然いじめられ、偶然不良とつるむことになり、偶然姉を失いました。
正気と狂気は紙一重です。壊れるべくして壊れた人間を、誰が責められるでしょう。カネシロは偶然にも最悪な方向へ舵をきらざるを得なかった、壊れてしまった少年でした。
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