第9話 秘話の終わり

 三週間後。花嫁行列がプタハ神殿の前を通った。


 たいそう綺麗な花嫁が輿に乗っている、と参拝者や神官達が騒いでいる。

 同僚から見に行こうと誘われたが、私は断り、いつも通り、残飯を乗せた皿を持って奥庭に出た。


 レクミラが可愛がっていた最も体の小さい仔猫が、私を見つけて走ってくる。暫く私の足元をうろうろとした後、レクミラがよく座っていた階段の一角へと駆けて行き、そこで一つ、弱々しい鳴き声を上げた。


「レクミラを探しているのか?」


 残飯が乗った皿を地面に並べ終えてから、その仔猫を抱き上げた。動物達が群がっている餌場に連れて行き、比較的競争率が低そうな皿の前に下ろしてやる。

 しかし仔猫は餌に口をつけず、物言いたげな目で私を見上げた。


「彼女はもう、ここには来ないよ」


 微笑みかけたつもりだったが、私自信が口にした言葉で、上手く笑えなくなる。

 いつまでたっても餌を食べようとしないその仔猫を再び抱き上げた私は、階段に移動し、腰をおろした。


「大丈夫だ。私がいるだろう?」


 レクミラがいつもそうしていたように、仔猫の喉を指先で撫でながら、尖った耳に囁きかけた。 


 私は多分、ずっとこのままなのだろう。

 明日も明後日も、来年も再来年も、きっと十年先も。ここで神官をしながら、昼休みに奥庭で野良ネコや野良イヌに餌をやり続ける。誰かと人生を分かち合う事もなく。

 なぜなら、レクミラ。彼女がどんなに私の運命を揺り動かそうとしても、私は頑として応じなかったのだから。

 ただ一つ、あの夜の出来事を除いては。


 あれは、野犬避けの呪文などではなかった。


【ジェド・メドゥ・ネチェルウ・ネブウ】

 神々の言葉を述べる。


【メフへトゥ・ジェト・イウ・ネチェルウ】

 全ての神々が永遠に世を満たし


【ディ・ネス・ヘテプ・ジェト】

 彼らが彼女に永遠の平和を与える。


【ム・ヘテプウ・ネチェル・ネス・ン・セジェム・シェセプ・チェヘネウ】

 彼女に神々の平和を与え、彼女は耳を傾け、喜びを受け取る。 


 どうかレクミラに、神々の恩恵を。

 どうかレクミラに、神々の愛を。


 腹を決めて前に進み始めた彼女が、この真実を知る必要はない。これは私の勝手な願いとして、胸に仕舞っておくと決めたのだ。


 レクミラ。どうか、たくさん笑っていて下さい。私に与えてくれたように、貴方のその朗らかな笑顔で、夫となる人に、新しい家族に。いつか生まれてくるであろう貴方の子供達に。多くの安らぎをもたらしてください。


 きっとできるはずだと信じています。こんな不格好な私さえも愛おしんでくれた貴方なのだから。


 そして願わくば、貴方自身が、誰よりも誰よりも幸せに。

 貴方がこの世での終焉しゅうえんを迎え、魂と肉体が離れ離れになったその時ですら、貴方の美しい微笑みが、その身に宿り続けているほどに。



~完~

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彼女と私の秘話 〜古代エジプト令嬢はカタブツ神官を誘惑する〜 みかみ @mikamisan

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