第2話そこは知らない世界

「いでぇ!?」




 ふわりと無重力を体感し、視界がクリアになった瞬間に落下。硬い地面にケツを打ち付け、声を上げながら悶絶する。


 次いで凄まじい轟音を立てながら黒い箱が足元に落ちてくる。舞い上がる砂埃から姿を表して一瞬緊張するが、その無残な姿に唖然となる。




「壊れてる?」




 いつまでも襲いかかって来る様子がない。よく見ると到る所がボロボロになっており、割れ目からバチバチと火花が飛び散っている。刺し貫こうとしていた肉切り包丁を支えるアームは落下の衝撃で中央で折れている。


 おかしい。さっきまで破損らしい破損など見受けられなかったはず。機械が人間よりも脆いとは考えにくいので落下による結果とは思えなかった。


 立ち上がって辺りを見渡す。朽ち果てた石造りの建造物や柱のようなものが並ぶ寂れた建造物が広がっている。




「ここ、どこだ?」




 どう見ても現代の日本に存在するものではないだろう。夜空の星々と月明かりに照らされたそれは何百年も昔から放置された都市のようだ。都会では決してありえない自然の光に照らされた光景に、なんと綺麗だろうかと意味もなく見上げると。




「……っ」




 絶句するしかなかった。


 雲ひとつ存在しない夜空には無数の星々が輝き、特に存在感を放つ満月は、まるで土星のような細長いリングを纏っていた。


 知らない場所というだけならまだ良かった。さっきの一瞬で遠く離れた場所に移動できた理由など説明できないが、日本国内のどこかであると思えば気が楽になっていた。




(何だ、ここ?)




 さすがにジョークだと笑い飛ばしたくなるが、頭上の月の存在がそれを否定する。タチの悪い夢であってほしいが、冷気を含んだ風が頬の傷を撫でた痛みから、これは紛れもないリアルであると思い知らされる。


 恐る恐るポケットのスマホに手をかける。襲われるまではしっかり繋がっていたはずのインターネットの接続が切れていた。


 最悪だ。命の危険から脱しはしたものの、最悪であることには変わりない。


 足元で壊れているこいつは何なのか、どうして命を狙われたのか、ここはどこなのか、そもそも帰ることができるのか。疑問が疑問を呼んで、鈍い頭をフル回転させても解決の糸口さえ掴めない。


 だというのに、今の心境は落ち着いていた。下手をしなくても二度と元の世界に帰られないという恐怖は確かにあるが、それでもあの時よりはまだ幸運であると判断できるだけの余裕があるのは、人とほとんど関わらずに生きてきたからこそなせる処世術であろうか。


 一度大きく深呼吸し、僅かに残っと不安を吐き出す。とにかく今はここがどこなのかを知らなければ、遠目に目線を移すと、一緒に飛ばされたらしい自転車と、こうなった原因とも言える写真集が目に入る。




「……今更これがあってもな」




 八つ当たりするほど感情的になれず、ビニール袋に包まれたお宝を胸に抱く。時期を考えずに衝動的に買ったのは他ならぬ己の責任。被写体の美女には何の責任もないのである。


 その時だ。強い地響きを感じた。一秒間隔で、しかも揺れはどんどん強くなっていく。




「今度は何だよ!」




 今更怖いものなどない、別の世界に跳ばされる以上の驚きなどまず存在しないのだ。来るなら来いと震源の先にある巨大な壁を見上げると。




「っんな……」




 一瞬止んだ振動は止み、にょきっと、藤色の体表の巨大なロボットが見下ろすように顔を出してきた。


 左手で壁の最長部を手すりのように持ちながらこちらを覗き込む鋼の巨人。たとえるなら隙間なく鎧を着込んだ重騎士であろうか。しかし首や関節を動かすたびに聞こえる甲高い音が、目の前の巨人が生身でないことを主張している。






(あ、これは助からないな)




 巨大な存在と対峙することは、ややこしい理屈などなくても絶望的であると視覚的に理解できる。


 自転車を飛ばすだけで逃げられた黒い箱などとは比べ物にならない。これから逃げるには飛行機でも使わなければ不可能だろう。しかも右手にはバカでかいライフルまで持っているときた。確定した人生の終わりを前にもはや恐怖はない。足の震えはピタリと止み、写真でしか見たことのない両親が待っているであろう天国へ行く覚悟を決めた。




(せめて、死ぬ前に可愛い女の子とキスしたかったな)




 死の間際に漏れ出した未練のみっともなさも今なら許される。そう思った時だ。




『ど、どうして遺跡に人間が!?』




 気品のある声がエコーとなって発せられた。


 無骨な見た目から想像すらできない高い声に虚を突かれた。勿論、それはロボットの声ではないと分かっている。ただ見た目と可憐な声色とのギャップが激しすぎるだけだ。




「お、女の子?」




 うろたえているとロボット左半身が突然火花を散らす。金属同士がぶつかりあう不快な音が何度も反響し、硬直していた体がビクリと爆音に視線を向けると、高速で迫る黒いロボットたちが見える。




『ローグズ!? まだ生き残りがいたなんて!!』




 藤色のロボットが体勢を変えて右手の銃を発射する。ダダダダッと目にも止まらない速度で撃ち出される鉄の塊は正確に一機を捉え、赤い煙を立ち上らせながら爆発する。唯一銃を装備していたらしい味方をやられて残りの三機は焦っているのかその場でバラバラに動く。包囲しようとしているのか。


 銃の乱射を続けながらその場で大きくジャンプ。トーゴの目の前で着地する。局地的な大地震に立つこともままならずに尻餅をついてしまう。




『そこの人、機体の左手に乗って下さい!』




 片膝を付いてしゃがんだかと思うと、ずいっと巨大な左手の平が目の前に降りてきた。




「は?」


『早く! ローグズに殺されたいのですか!』




 鬼気迫る叫びでも、その気品さはまるで損なわれていない、間違いなく可愛い子などと考えながらトーゴは四つん這いになって手に乗ると、ロボットは再び立ち上がって銃をばら撒いた。耳を閉じても凄まじい轟音が鳴り響く。




『ハッチを開きますので中に入って下さい!』




 プシューっと胸の装甲が捲り上がる。いくつも重ねられた鉄の板が順に開放されていき、声の主がこちらの腕を引っ張る。


 決して広いとは言えない内部空間の中で立ち上がってそう言う少女と目が合う。


 つなぎのようなスーツを着た、自分よりもひとまわりほど背の小さな少女を視界に収め。




「大丈夫ですか!?」




 一瞬、トーゴの中の時間が止まった。




(お、おおぉっ!)




 可愛い。


 明らかに地球ではない別の世界で、今まさに命が危ういのに場違いな感想だった。


 それでも、女性に対して並々ならぬ情熱を持つトーゴにとってその少女はそう評するしかないほどの美貌だった。


 水晶のように艶やかな青い瞳を収めたつり目。


 負けん気が強そうだけど、少し幼い印象を与えるおでこを出した顔。


 淡い栗色の髪を首元まで短く揃えたボブカット。


 何より目を引くのは、普通ならありえない先の尖った耳。


 現実と空想が混ざりあった、おとぎ話に出てきそうな小さく可憐な少女に、心を奪われた。




「……あの、真っ赤になってますけど大丈夫ですか?」




 場違いなリアクションを取る男の心情を知る由もない少女は、目をパチパチとさせながら尋ねる。




「あ、いや! 別に深い意味はないよ!」




 さすがに貴女に見惚れていましたなんて空気の読めないことを言えるほど図太い神経は持ち合わせていない。両手を振りながら無実を証明する。




「そうですか、何か非常に品のないオーラを感じましたがまあいいです」




 少女は小さく咳き込むと、座席に腰掛けて備え付けられた右モニターに指を添える。




「予備のマガジンも使い切ってしまって弾数も多くありません。リバイアサンが回収に来るまでまで何とか耐えないと」




 目にも留まらぬ速さでモニターに文字を打ち込む。タイピングなどまともにできないトーゴにはそれだけで神業と思えるほどの正確さと速度。


 正面モニターには機体のカメラが捉えたロボットたちの姿が映り込む。ぱっと見は人間に見えなくもないが、まるで動物のようにつま先で立つ構造をした足、顔に相当する部分には妖しく光る単眼。


 何よりも相手を切り裂くことのみを考えた巨大な刃物を付けた両腕。見ているだけ生理的な嫌悪感を醸し出す。まるでゲームに出てくるクリーチャーのようだった。




「遺跡を破壊されるわけにはいきません!」




 ぐっと足元のペダルを踏みつけると、信じられない速度で敵へと接近する。有効射程圏内と描かれる電子文字。それを合図に少女は銃を発射。




「うごごごごごっ!!?」




 横で立っていただけのトーゴが圧倒的な速度に耐えきれずにコクピットの中で跳ねる。強烈Gによって金属の壁に頭や腕に叩きつけられる。




「ちょっと待て! そんな動かしたら俺が!!」


「男なら堪えてください!」




 悪気はなかったのだろうが、それでも敵との距離を維持しながら少女は右上の棚の扉を開ける。未開封のお菓子が雪崩のように崩れ落ち、地面に転がる手のひら大の箱を渡してくる。




「耐G用のタブレットです。スーツが破損したとき用の間に合わせですがないよりはマシかと!」




 敵の接近を知らせる警戒音とはまた違う音が響く。おそらく今乗っているロボットのものと思われる全体図が左モニターに映し出される。腰部に装備されたスラスターが何度も赤く点滅し、何度もエラーと訴えかけている。




「ここに来るまでに戦闘しすぎた!」




 愚痴ると少女は加速を緩める。まるで理解出来ないが不具合が発生したらしい。おかまいなしに接近する三機をマシンガンで牽制する。弾の数が心もとない。




「他に武器はないのか? この機体ならロケットランチャーが標準装備されてるだろ!」




 敵は遠距離攻撃ができない近接型三機。両腕はマニピュレーターではなく肉厚な刃物が備え付けられている。動作は並程度だが燃料切れを起こさないので背中のスラスターで無限に距離を詰めてくる。対してこっちは基本性能は高いが一機のみで弾数の少ないマシンガンと近接武器だけ。状況は決して良しとは言えない。




「この近辺での戦闘は想定外なのでマシンガンしか装備してないんです。いや、まず何で知ってるんですかっ?」


「それはもちろん、……あれ?」






(……待て、何で俺はそんなことを知ってるんだ?)




 あまりにも自然に受け入れてしまい、ようやくそれがおかしなことであると気づいて首を傾げた。


 意識せずに出てきた言葉と思考の発端が分からなかった。何で俺はこの機体の特性を知っている? 何でモニター越しに見える敵の特性を理解できる? そんな知識も理解力もさっきまでは存在しなかったはずなのにである。


 ふと、右手首の違和感に気づいた。固い無機物が肌を押しのける不愉快な感覚。おもむろに見ると、そこにはそれまで存在しなかった緑色の宝石が埋め込まれている。




「な、何だ、これっ?」




「まったく、遺跡に突っ立ってたり機体特性を知ってたりと怪しい人ですね!」




 左モニターの機体の左腕部分が青く表示され、CHAINBLADEという文字が出てくる。




「この程度の相手ならマシンガンもスラスターもいりません。近接武器だけでも……っあ」




 不敵に笑った少女の横顔が一瞬曇り、すぐに苦悶に満ちた。




「あ、ああっ。うぁっ!」




 歯を食いしばり、何を堪えるかのように胸に手を当てがいながら、唸り声をあげている。


 さっきまでの余裕がまるで嘘であるかのように苦しみだし、呼吸もままならないのか、一切の躊躇なくスーツの上チャックをお腹の部分まで下ろし、一気にさらけ出す。




「お、おい、どうしたんだ!?」




 健康的で細いお腹。小さな体に反して華やかな下着に包まれた乳房がぶるんと揺れる。あまりにも魅力的すぎてこんな状況にもかかわらずドギマギしてしまう。




「こんな時に、発作、なんて……」


「発作!? 何を言ってるんだ!」




 下唇を噛む歯から赤い血が滲み、額から脂汗を止めどく流す様に動揺が隠せない。それは機体の挙動にも現れ、好機と見た敵の一機が突っ込んでくる。




「敵が来てるっ!!!」


「ぬう!!」




 巨大な刃物が頭部にふれる直前、少女が操縦桿を引いて紙一重でかわす。再びマシンガンの掃射。定まらない照準のまま多くが無駄打ちになっていき、これが尽きたときが終わりなのだと告げられたように思える。




(最悪だ、このままだと!)




 再び近づいてくる死が真綿のように首へと巻き付く感覚に陥る。三機は刻一刻と迫ってきている。このまま何もせずに立ちすくんでいては殺される。かといって外に出たところで結果は見えている。


 どうすれば良い、自分に何ができる。思考を巡らせながらコクピットの最奥、火器管制やレーダー分析要員用の座席が目についたのが偶然なら、苦しく悶えながらも、生きる意志を捨てない少女がその小さな手をトーゴの手に重ねたのも偶然だった。




「ごめん、なさい。……偉そうなことを言って、助けられなくて……」




 ぎゅっと、汗のにじむ手で弱々しく握りしめ、不安を和らげようとしてくれた。


 不甲斐なさを詫ている。この現状を唯一打破でき可能性を持つ自分の情けなさを嘆いている。こんな小さくて、自分よりも戦いなれしてなさそうな女の子が。


 その健気さと優しさが、男として醜態を晒していたこと。何よりもこの絶望を回避する術があることを教えてくれた。




「操縦権限を後席に移してくれ、俺が何とかする」


「え?」




 同意を得る前にトーゴは後ろのシートに座り、手渡されたタブレットを噛み砕く。腰をつかせ、左右に固定されている操縦桿を握りしめた瞬間、浮かび上がった。AFF-13 アメシストの操縦方法、その用途を。




(そうか、そういうことか)




 このコクピットに入った瞬間、今まで知らなかったはずの銃の種類、ロケットランチャーだのマニピュレーターだの、興味すらなかった専門用語がスラスラと口にできた。


 その兵器に関する情報を必要な分だけ送ってくれていたのだ。右手首で怪しく光る緑の宝石が、脳に学習させていた。






「な、何を勝手な! そもそも操縦できるんですか!?」


「やり方が分かるだけ、実際に動かすのは初めて」


「馬鹿にしてるんですか!? 素人が即興で操縦できるものではありませんよ!」


「苦しんでる君に言われたくない! ここで死ぬより足掻いたほうががマシのはずだ!」




 時間を掛けて説得する猶予はない。怒気を含んだ言葉に観念した少女は震える指でタイピング。機体の操縦権限が後席に移った。


 敵、個体名ランナーは距離にして十mまで迫っている。接敵し、両腕の剣で攻撃されるまで一秒とかからない。




「させるか!」




 使えないマシンガンを投げつけ、ペダルを思いっきり踏み込む。アメシストの側腰部に装備されている小型スラスターを低出力モードにして地面に噴射。


 既に推進剤が枯渇寸前で飛行などできるはずもない。しかし砂埃を撒き散らし、敵の目を欺くことはできる。


 この世界の学者によると、ローグズの熱源探知は敵がいることが分かる程度の性能で、聴覚は自分たちの動く音が邪魔をしてあまり機能していない。


 まともに使える視覚は頭部の単眼。一時しのぎに過ぎないが、僅かなスキを生み出してくれる。


 畳み掛けるなら今しかない。味方と距離があるランナーへと走り、アメシスト左腕部に突き出たグリップ。刃渡り約2mほどのAF用マチェーテを右手で抜き取り、操縦桿上部にあるトリガーを親指で押す。




 ギュイイインッ!!!




 刀身の根元からてっぺんまでチェーン状に連なった小さな刃が高速で回転。けたたましい音を発するチェーンブレードは目標を見失っているランナーを捉えた。




「一つ!!」




 腹部を貫かれ、金属同士が擦れ合う不協和音を奏でながら一機が機能を停止。数発までなら戦車の主砲すら耐える装甲タイプすら両断するチェーンブレードに、近接タイプが耐えられるわけがない。


 だが敵も間抜けでもない。味方を倒されたことに気づいた一機が正面から両腕を振るう。両腕共に5m以上の長いリーチを持つ肉厚のソードとAFのブレードがぶつかり合う。


 激しく爆ぜる火花はひとつひとつが人間を飲み込めるくらいの大きさだった。それによってランナーの一つ目が照らし出され、一層嫌悪感が沸き立つ。




(いける、力はこっちが圧倒的に上だ。このまま押し切る!)




 一歩、二歩。


 出力差から少しずつ後ずさるランナーに追い打ちをかけるようにアメシストを前進させる。


 このまま弾き飛ばしてガラ空きになった胴体を貫く。それができなくても先に折れるのは相手の得物のはず。




「後ろからも迫ってます! 左に跳んで下さい!!」


「っ!!」




 少女の声に反応してトーゴは操縦桿を傾け、機体を横へと移動させる。後方から振り下ろされた巨大な刃はアメシストを捉えることなく、救出対象であるはずの味方を右肩から左腰にかけて袈裟斬りにしてしまう。


 オイルのように真っ黒な燃料が破損した箇所から吹き出し、赤い爆炎となって衝撃波が襲う。




「今、だ!」




 よろめく最後の一機に向けてチェーンブレードを横一線。急所である頭部が切り離され、残された胴体は数秒フラフラとよろめき、すぐに倒れ伏した。


 ドロリ、と残った残骸は熱にさらされた飴のように溶け出し、地面を黒く塗り替え、その中心には同じく黒い飛沫を浴びたアメシストの巨体だけが残った。




「はあ、はあ……」 




 すべての敵の撃破を確認し、張り詰めていた空気が氷解するのを感じ、どっとシートにもたれ掛かる。


 危なかった。動かし方や適切な攻撃方法、相手の行動パターンを直接詰め込んでくれるとはいえ、それを行使するのは数分前までただの一般人だった自分なのだ。ロクな訓練も積んでいない中でよく戦えたのだと自画自賛したくなるほどだった。




「敵勢力の殲滅を確認。……すごいです! 初めてでローグズを三機も倒すなんて!」


「……違う、咄嗟に君が教えてくれたからだよ。俺だけじゃやられてた」




 まるで自分のことのように立ち上がり、目の前ではしゃいでくれる少女――なぜか口元が汚れている――の気持ちの良い賛辞を受け、我に返ると急に気恥ずかしくなる。




(君のおかげだよ)




 何がよく戦えただ。最後の敵の存在を忘れて棒立ちし、危うく後ろから斬り殺されようとしてたのはどこの誰だ。苦しい思いを堪え、的確に指示して活路を開いてくれたのは他でもないこの子ではないか。




「それより大丈夫なの? さっきまであんなに苦しそうだったのに」


「ああ、それなら心配無用です。さっき専用のお薬を食べて収まりましたので。長期の作戦行動にかまけて疎かにするなんて情けない。後で艦長に怒られますね」


「それなら俺の責任だ。役に立たないと思うけど頑張って弁護するから……」




 熱に浮かされていた精神が冷静さを取り戻し、ぼやけていた視界がクリアになる。




「っっっ!!」




 絶景とは、まさにこの状況のことではなかろうか。


 前席から乗り出し、上半身ごと近づく少女のスーツは前がはだけたままであった。目に優しい薄い緑色のブラジャーはまるでメロンの模様のようで、少女の実った胸部に合わせてぶるんぶるんと左右に揺らしている。




「どうしたんですか? 急に鼻の下なんか伸ばして……」




 露骨な変化に訝しんだ少女は、こてんと首をかしげ、何気なしに視線を落とす。


 数秒の沈黙の後、ようやく自身のあられもない姿を認識し、もう一度互いの目が合うと、小さな顔が熟しきったりんごのように真っ赤に染まり。




「ち、ちょっと待った! まずは落ち着いて!」


「……不潔!!」




 閉め直すこともなく容赦のない正拳突きをトーゴの顔面に炸裂。でろんと伸び切った鼻から血を吹き出し、握りこぶし大の陥没を作る。




「メーデーメーデー! こちらアマリ! アマリア・リシュ!! 身元不明の男性にコクピットの中で裸にされました! 今まで何度もこういう経験をしてきたかのようなイヤラシイ顔で! 至急助けてください!」




少女、アマリはこめかみの小型無線機で仲間と思わしき人物に、それはもう誇張と捏造をこれでもかと詰め込んだ悪意ある報告を繰り返す。それは鼻の痛みを忘れさせるには十分すぎるほどの内容だった。




「ちょ、ちょっと待ってくれ! 上がはだけてるのは君が勝手にやったことだろ!?」


「この私が男性の前でそんなはしたないマネをするわけがありません! 観念なさい不埒者! このまま裁判所に直行して極刑です!」




 支離滅裂すぎる。さっきまで共に勝利を喜びあった仲とは思えない敵愾心に、さすがのトーゴも苛立ちを憶え、疲労を無視して立ち上がって前に立ち上がる。




「あのなあ、仮にも命の恩人に向かってその言い方はないだろ!」


「それとこれは別問題です! 本当に偶然なら何で目を逸らさなかったのですか!」




 痛い所を突かれて反論しようとした口が塞がる。


 普通女性があられもない姿をしてしまえば、どれだけ煩悩にまみれた男であろうと、世間体や良心によって培った本能で自然と見ないようにするはず。それに異を唱えることは男性という性別そのものへの偏見を、他ならぬ男であるトーゴが助長することになる。


 しかしこのまま言われたい放題では冤罪を解くことができない。せめてアマリがもう少し冷静になってくれれば解決の糸口が見えるのだが。




「命の恩人であろうと女性の尊厳を踏みにじる男に情状酌量の余地はありません! 逮捕です!」




 ガシッと左手を捕まれ、どこから取り出したのか二つの銀の輪っかを鎖で繋いだ犯人逮捕の必須道具、手錠をかけようとする。




「ま、待て! いくらなんでもそれはやりすぎ!」




 さすがにこんなことで犯罪者の烙印を押されたくない。腕を引っ張って強引に抵抗するが、ふらつく体がバランスを崩し、小さな段差を踏み外してしまう。




「うお!」


「ふにゃ!?」




 意地によるものか、力強く手首を掴んでいたアマリは引っ張られる形で体勢を崩す。背中をぶつけたトーゴは倒れ込むアマリの体を支えようとするが。




「あぶな!」




 ぐにゅっ。




 突き出した両手はアマリの肩ではなく、緑のブラに守られたおっぱいを鷲掴みしてしまった。




「ぅぉぉ……」


「ふぇ?」




 それは今まで生きてきた中で初めて触れた感触であった。


 柔らかい物のたとえとしてマシュマロや水風船、スライムなどが用いられるが、目の前のものはそれらとは比べ物にならない甘美な触り心地だった。ギリギリ手のひらに収まりきった豊満な乳房は、ぐにゅっと揉むとスライムのように変形し、指の隙間から脂肪が漏れ出す。




 ムニュ、ムニュ。




 二度三度、その容姿から不釣り合いな大きな胸を何度も揉んだ。手の動きに沿ってスライムのように形を変えるほどの柔らかさが興奮値を高める。グラビア雑誌を愛好するほど女性に、それも一部が突き出る魅力的な肉付きに強い関心を持つトーゴは罪悪感など毛ほども覚えず、世界中の男を虜にするであろう形を持った桃源郷を手中に収め。




「……エッロ」


「きゃああああああ!!!」




 我に返ったアマリがこれまたどこかから取り出した電気を帯びた警棒、スタンロッドによって煩悩にまみれた頭を殴打された。

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AF戦記 軟体ヒトデ @Tomahawk

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