AF戦記
軟体ヒトデ
第1話グラビア雑誌の帰り道
日課だからといって深夜に買い物なんかするんじゃなかった。覚川刀動オボエガワトーゴは背中から迫ってくる圧倒的な殺意から逃げ惑いながら自身の軽率さを後悔した。
「はあ! はあ!」
今まで生きてきてこんなに汗をかいたのは初めてだが、不意に自転車のペダルを踏み外すような間抜けを晒さないのは幸運だった。もしもそうなってしまったら後ろから追いかけてくる死神に、命乞いをする間もなく切り刻まれているだろう。
先端がツルハシのように尖った四本の足を前後させ、ガチャンガチャンとおおよそ生き物らしくない足音は未だに遠ざかる気配がない。
(ちくしょう何なんだよあれは!? 何で俺が狙われてるんだ!)
泣き言を漏らすヒマすら与えてもらえない。大昔に見た未来からやってきた殺人ロボットに狙われる主人公の気持ちを味わいながら、地獄のロードレースを強いられた発端を思い返す。
トーゴにとってグラビアモデルの観賞は何よりも優先される趣味だ。特に今日はお気に入りの爆乳ガール、水蜜なごみの写真集の発売日。210mm×257mmという決して大きくない紙面にメイド服や体操着、下着姿をこれでもかと敷き詰めているのだ。女性の麗しい姿を拝みたいという健全な本能に抗える男はいない。男性店員が担当する深夜帯を狙って遠く離れたコンビニまで買いに行き、後は自分一人しかいないアパートで楽しもうと浮かれながらゆっくりと夜風に当たっていた帰り道だ。
薄暗い街灯だけがポツポツと並ぶ細い道に、行きがけにはなかったはずの縦長の四角い黒色の箱のようなものがあった。最初は誰かが捨てた冷蔵庫か何かと思い通り過ぎようとしたら、それは単眼のレンズを赤く輝かせ、聞き慣れない音と一緒に高速で何かを飛ばしてきた。
――ザシュ――。
左頬に熱を感じた。一瞬何が起こったのか分からず思わず手で触れると、見ていて気持ちのいいものではない赤黒い液体がべっとりと付いている。飛んできた何かが頬を切り裂いたのだ。死の予感を前に、安全運転など知ったことではないとばかりに自転車でその場を離れたが、黒い箱は下半分を四足に変形させると、アスファルトを砕きながら迫ってきて今に至る。
『オボエガワトウゴ。タダチニトマッテクダサイ』
無機質な電子声が呼びかけ続けてくる。これがフィクションの中なら笑える光景だが、当事者からすればたまったものではない。
機械の電子音に呼応するかのように心臓がクレームをあげている。高校を卒業して数ヶ月、運動らしい運動をしていない体が悲鳴を上げているのだ。
しかし力を抜けばあのバカでかい肉切り包丁によって切り刻まれるの。大した理由がなくても殺される不条理を受け入れるわけがない。
ガタンガタンとビニール袋に入った写真集がカゴの中で飛び跳ねる。遊びにしろ仕事にしろ何かに向かって情熱を燃やしたことのないトーゴがめり込んでいる数少ない趣味を否定したくないのに、お門違いな文句が次々と浮かんでくる。
女性店員を気にして深夜に行く必要はなかった。そんなにひと目が気になるのなら大人しく電子書籍にすればよかった。命が狙われているというのに場違いな後悔。思考が鈍り、どうでもいい思考が頭の中を駆け巡る。
「うわっ!」
体力の限界から全力でペダルを踏み外す。ハンドルに顎をぶつけて体勢を崩すと慣性に従って盛大に投げ出されて転がった。心臓はバクバクと激しく鳴り止まないが、体は力尽きて動きそうになかった。
痛い、疲れた、息苦しい。方向性の違う欲求が一気に押し寄せ、混乱した体が痙攣を起こす。
『オボエガワトウゴ。トマッテクダサイ』
動けないと悟ったのか、黒い箱はゆっくりと近づく。人工的な光に照らされた金属が妖しく光り、巨大な鎌を思わせる刃物が迫ってくる。
「た、たんま。……ごほっ」
(待ってくれ、頼む死にたくない)
もはや声すら出せない中で体を引きずるように後ずさる。喉はカラカラでまともに発声ができない。体は痙攣して立ち上がることさえできない。
勘弁してほしい。助けてほしい。もしも何らかの条件を満たせば見逃してくれるというのなら頑張るから教えてくれ。思い浮かんでは消える打開策の数々。万策尽きた。もうどうあがいても助からない。素直に諦めようとしても、それでも頭の片隅にある疑問が拭えない。
(何で俺なんだよ)
理由を知ったからといって受け入れる気はない。決して人に誇れるような生き方をしていなくても、理不尽に殺されるような悪徳を積んでいないはずなのだ。他人に迷惑をかけないように心がけてきた。その自負だけは人一倍強い。萎えた心を奮い立たせる動機としては十分であった。
「こんな所で、死んでたまるか!」
せっかく買った写真集を見ないまま死にたくない。エロい根性爆発させて買いに行った結果怪しい鉄の塊に命を奪われましたなんて、それまで他人と必要以上にかかわらずに生きてきて常識に疎い部分はあるが、客観的に恥ずかしい死に様であることだけは承知している。
だから自分は理由もなく命を狙われるような人間ではないと誇示し続けるために、限界を迎えてる体を起こして立ち上がろうとする。その時だ。
「な、何だ!?」
グニャリと周りの景色が歪み、電気のようなものが周囲を奔る。近くの電灯がバチッと大きな音を立てながらガラスの破片を地面にばらまいていく。
どういうことだ。何かの武器なのだろうか。非現実的な出来事が一気に押し寄せてきて混乱する。
『イレギュラーハッセイ、キドウヲカクニン。オボエガワトウゴノハイジョヲキョウコウシマス……』
飛びかかる黒い箱との距離がゼロになる直前。視界が真っ白に染まり、そのままトーゴの体ごと包まれる。
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