二月二十二日(木)



静寂の隙間を縫い、各所からペラペラとページを捲る音が聞こえてくる。

一度溜息を吐くと、巳上悟(みかみさとる)は何枚にも重なった原稿用紙から視線を上げた。

「なんですか、これは・・・」

「どうだい、予想は合っていたかい?」

岸辺はそう云ってコーヒーを一口飲んだ。

「いやいや、無理よ。こんなの・・・」

秋野裕子(あきのゆうこ)も読み終えた原稿用紙を重ねながら呟いた。

「私も間違ってたわ。正直途中まで私かもって思っていたんだけど、残念」

渡美姫(わたりみき)は悲しげな表情を浮かべながら肩を竦めた。

「まさか僕とはなぁ。しかし、岸辺。君から見た僕ってこんな感じなのか」

川島良浩(かわしまよしひろ)は口元に微少を湛えながら、目の前に座る岸辺を見た。

「悪い悪い、一番合いそうなのが君だったからさ。勿論実際の君は優秀な弁護士であり、あの川島産業の次期社長という、素晴らしい人間だよ」

「おいおい、その云い方も少し馬鹿にしているだろ、岸辺」

「でも良浩、ちょっとこんな怖さあるわよね。常に微笑んでいる感じとか」

秋野は口元を釣り上げながら、渡に共感を求めた。

「そうね。終盤のナチュラルサイコパスな感じ、不思議とマッチしていたわ」

「おいおい、君らもそんなこと思っていたのかい。でも嬉しいよ、まさか僕が犯人なんてね」

川島は満足げな様子で、顎を撫でた。

「そんなことより可笑しいだろ、岸辺。なんで俺が最初に死んでんだよぉ、それにクスリなんて使わねぇし。俺が一番犯人に相応しいだろ」

ようやく読み終えた原稿を机に置くと、帆川歩(ほがわあゆむ)は不満げな面持ちで云った。

「すまんな、設定的に仕方なかったんだよ」

「歩はキャラ的に、一番最初に死ぬ感じだもんね」

秋野は悪戯っぽい笑みを浮かべながら云った。

「うるせぇな、それを云うならお前だろ」

「まぁ、仲のいいカップルだこと」

渡は机に突いた肘に顔を預けながら云った。

「こりゃあすごいな、おまけに俺まで出してくれるなんて、ありがとな・・・あ、どうも」

城崎譲(きのさきゆずる)は二杯目のコーヒーをウェイトレスから受け取りながら云った。

「譲も熱さえ出なければ来られたのにね」

「でも皆、小説内とはいえ殺してしまって気分が悪いだろう」

「いやいや全然、それよりも自分が作品内に登場する喜びの方が大きいです。でも欲を云えば、探偵役は岸辺さんだから仕方ないとしても、僕が犯人やりたかったですよ」

「それなら私もよ」

巳上と秋野は二人揃って岸辺を見た。

「駄目だよ、犯人役は譲らないぞ。岸辺、絶対このまま出版してくれよ」

「ああ、そのつもりさ」

「そんなぁ・・・それにしてもジョジョの見立て、よく考えましたね」

「ああ、丁度あの島の滞在中、ジョナサン・ジョースター等の主人公と同じように、城崎譲の苗字と名前の頭文字で[ジョジョ]になるって話で盛り上がったろう。あれがきっかけだ」

「成程〜。でもあの島への旅行も、もう一年前か〜、時間の流れって早いわね」

渡は感心した様子で、首を傾げて宙を見据えている。

「本当だ。丁度一年前の一昨日まで、あの島に行ってたんですよね。あっという間だなぁ」

「あの四日間、こんな小説みたいなことにならなくて良かったわね、悟は振り回されっぱなしだったけど」

秋野は口元を綻ばせながら、横に座る巳上を見やった。

「本当ですよ。帆川さんと川島さんには何度も怖がらせられましたもん、僕」

「悪いなぁ、悟。でも良かったじゃねえかよ、俺がやった死んだふりドッキリなんて、ほとんどそのまま小説で使われているんだからさ」

「そうだね。僕がやった先住者ドッキリも、こうして零人目ドッキリとして使ってもらっているし」

「三日目に良浩がネタバレした時の、あの悟の表情。今でも鮮明に覚えているわ」

「やめて下さいよ、裕子さん。僕あの時本僕達以外の人がいるんだって本当に怯えていたんですから」

「ゴメンゴメン、でも四日間楽しくてあっという間だったわ」

「そうねぇ。でも驚いたわ。あの時、この島を舞台に私達が登場する小説を描くとは云っていたけど、まさか本当に描いて、さらには出版までしちゃうなんて」

「僕は云ったことは絶対にやるさ。他の原稿執筆の合間に少しずつ描いて、丁度一年かかってしまったけど」

「でも、ちゃっかり最後自分を勝たせるのが、岸辺っぽいよなぁ」

城崎はにやけながらコーヒーを啜った。

「仕方ないだろう。最初はあのまま、川崎の計画が完遂して岸辺が眠らされたシーンで終えるつもりだったんだけど、それだと希望が無いからと思ってね。後から拘置所のシーンを付け加えたのさ」

「でも、私はこの終わりかたの方が好きよ。でも、最初の船に乗る場面の人物紹介で、自分のことを美青年って表現しちゃうところも、あなたっぽいわよねぇ」

秋野はオレンジジュースのグラスをストローでかき回しながら、にやけ顔で岸辺を見遣る。

「勘弁してくれよ、僕がそこまで自己陶酔しているように見えるか?自分の容姿を自分で説明するのもなんだから、以前君に云われた言葉の受け売りをさせてもらったんだ」

「あ〜、云われてみれば、そんなこと云ったことあるような気もするわぁ。あなたもよく覚えていたわね」

「もういいだろう。それより他の感想とかないのかい、君は」

そこで、これまでパラパラと原稿を捲っていた巳上が顔を岸辺の方に向け、小学生のように右手を上げた。

「はいはい。僕、気がついちゃいました。島の名前、僕達の通っていた高校の名前でしたよね。気づいた時、笑っちゃいましたよ。川島さんも読み始めた序盤で笑っていましたよね?」

「そうだね。随分粋なことするなって感心したけど、これって出版の際大丈夫なのか?」

「流石に実名を使うのはマズイだろうから、出版前に適当に差し替えるよ。この名前は、君達に読ませる今回のためだけに、ちょっとした遊び心でやったことさ」

「いやぁ、自分達が小説の登場人物になるって面白いわね。旅行も楽しかったし、また、行きたいわね」

「そうだね、今度こそ七人で。次の旅行も岸辺に小説にしてもらおうか」

「おいおいおい、勘弁してくれよ、川島。小説を一作描き上げるのにかかる労力を知らないだろう」

「冗談だよ、冗談。次の旅行の時は直前に熱を出すなよ、譲」

「当たり前だ。次こそチョイ役じゃあなくて、俺が犯人役をやりたいからな」

「おいおいおい、もう描かないと云ってるだろ」

「お願い、岸辺先生」

「馬鹿にしてるだろ、秋野」

曇天の空の下、S市某所のカフェには七人の声が行き交っていた。

「そうだ、せっかくの再会ですし、この後映画でも観に行きませんか?」

「良いわね、私前から観たかったやつあるのよ」

「どうせチープな恋愛映画だろ、そんなのお断りだぜ」

「おい、歩。一緒に観てやれよ、彼女がそれを御所望だ」

「そういう城崎さんも、結構恋愛もの好きですよね」

「バカっ、何で云うんだよ。」

「まあ、何を観るかは着いてから決めればいいよ、じゃあ行こうか」

川島がゆっくりと席を立つと、それに続くように各々が立ち上がりはじめた。

「ここは僕が払うよ、僕が皆をここに呼んだからね」

「え、いいの?あなたが自らすすんで財布を開けるなんて、珍しいこともあったものね」

「その代わり、映画チケット代と夕飯代は君が出してくれよ、渡」

「最初からそれが狙いでしょ」

「えっ、岸辺さん。財布持ってきてなかったんですかぁ?」

「じゃあ、皆個別会計で良いわよね。あなたの分は私が出すわ、原稿代にしては安いけど」

「じゃあ、映画代は僕が出しますよ」

「夕飯代は僕が出そう、それでもまだ全然お釣りが来るけどね。僕達からの感謝として受け取ってくれよ」

「助かるよ。悪いね、結局全部奢ってもらっちゃって」

「こいつ、最初からこれを狙ってただろ」

「歩、あなたの会計の番よ。早くして」

会計を終えた七人は店を後にし、銀色の光に照らされる街へと歩みでた。

今にも雨の降り出しそうな空を見上げながら、帆川はぽつりと呟いた。

「おい、天気大丈夫かよ」

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青藍島偽証殺人 岸辺 @nigezakana

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