ネズミ王国へようこそ!
黒井羊太
その日俺は死にたかったんだ。
手に取った薬をじっと眺める。何の変哲もない錠剤だ。部屋で一人、俺はそれを眺めているが、どうにも口に入れる勇気はまだ湧かない。
死ぬ事ばかりを考えて死にそうな顔で道端を歩いていた時、それを見かけた見知らぬババアが俺にこれを渡したのだ。
「この薬を飲めば、楽しい所へ行けるよ……ひぇっひぇっひぇっ」
露骨に妖しげな笑いと共に去っていったババア。何となく受け取ってしまった俺。薬には僅かにババアの温もりが残っていた。
「……飲むのか、これを?」
自問自答するが答えは出ない。しばらくうんうんと唸った後、どうせ楽しい事など無い人生だと思い切り、その薬を飲んだ。
即座に倒れた。
気がついたら、そこはネズミの王国であった。某有名なネズミではない、リアルなネズミが俺を取り囲んでいた。
「目が覚めたか」
やたらと渋い声でその内の一匹のネズミが言う。身の丈は俺と変わらないくらい、二足歩行で正直気持ち悪い。
「ここは?」
「ネズミの王国だ、夢の世界へようこそ」
全然歓迎されている風ではないが、それは恐らくそのネズミの不器用さがそうさせているのだろうと自分を納得させた。
「君にはやってもらう事がある。来てもらおうか」
言われるがままに俺は王国の中心地にある宮殿へと連れて行かれた。
そこにいたのは、かつて映画で見た事がある男だった。
「もしかして、チャップリン?」
「いかにも」
チャップリンは無表情にプリンを食べている。全く喋らないチャップリンに代わってネズミが教えてくれる。
「この王は、少しも笑わない。この夢の王国の主が、だ。誰がどうしても笑わない。頼む、どうか王を笑わせてやってくれ」
喜劇王を笑わせなくちゃいけないなんて、あべこべではないか。心の中でそうツッコんだが、詮無き事と飲み込んだ。
とはいえ人を笑わせるだなんてやった事がない。ついさっきまで死ぬ事を考えていた人間がどうして人を笑わせる事などできようか。いや、できない。
「どうした、早くやれ」
ネズミが催促してくる。チャップリンはもう何個目かのプリンを平らげてる。時間ばかりが進み、俺の焦りが募る。
「ふ、布団が吹っ飛んだ!」
「ダメだ」
「そんな即座に!?」
「それはもうやった」
何て事だ、ネズミと同レベルだった。
「東京ガスでがす! 猫が寝転んだ! えんぴつがみえんぴつ!」
「……」
チャップリンは笑わない。
「どうした、時間が切れてしまうぞ」
「新ルール!? 因みに時間が切れると……?」
俺の質問に、ネズミは静かに首を横に振った。よからぬ事が起きるらしい。
その後俺は思いつく限りのギャグを放った。その全てが空振りに終わり、俺はその場にうつ伏せに倒れた。
「どうした、もう終わりか?」
何でこんな言われ方しなきゃならないんだ。ババアめ、楽しい所どころか、俺が楽しませる所というのはどういう了見だ。
だんだんと腹が立ち、そして俺はファイナルフォームへと至った。うつぶせの体を大きく仰け反らせ、足を高く上げて呟いた。
「エビ天」
王は笑った。途端、世界は電飾で満たされたように明るく、いや眩しく輝きだした。ネズミたちは喜びはしゃぎ、俺は胴上げされた。
その後は王国を挙げてのパレードである。その間中俺は胴上げされ続けた。確かに、楽しい気持ちに満たされたのだ。
俺は夢から覚めた。この楽しい気持ちが胸に灯っているのなら、俺は明日も生きていける。
ネズミ王国へようこそ! 黒井羊太 @kurohitsuji
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