第五話:しゃーねー。決行日はいつにする?
「今晩、ヒマワリとちょっと出かけてくると思う」
「あら? なんか久しぶりじゃない?」
我が家には門限というものはない。
放任主義なのもあるだろうし、長年の信頼を得た結果でもあるのだろう。「真面目な良い子」だとよく言われるため、後者が強いのかなと思っている。
しかし、一つだけ不文律の掟がある。
それは、「外出する際は、そのことを告げてから出かけること」というものだ。
そういう事情もあり、夕飯時、母さんにヒマワリと出かけるということを告げた。
テレビを見ながら、二人で話していた父さん母さんが驚いたかのように、わずかに目を見開いて俺を見る。
「すっかりアンタからヒマワリちゃんの話聞かなくなって、どれくらいかしら。こないだ久しぶりにヒマワリちゃんが遊びに来たけど……」
「いや、まぁ、うん。それもあって、久々になんか色々話すようになって」
「あら、そう」
特に深い話を突っ込まれもせず、了承を得られた。
それだけで興味を失ったのか、はたまた詳しく聞くのは野暮かと思っているのか。
父さんと母さんがテレビのバラエティ番組の話に戻った。
俺は少しだけ胸をなでおろしながら、自身の分の夕飯をかきこむ。
あと一口で食べ終わる、というところで、ポケットの中のスマートフォンが鳴り始めた。
俺は残りを口に放り込んで咀嚼しながら、スマートフォンの通話ボタンをタップした。
『もしもし~、ヨウ~?』
「むぐっ、おう。ちょっと待ってくれ」
『あいよお』
スマートフォンを耳に当てながら、手速く食べ終わった食器を片付けて、リビングを出る。
「待たせた」
『んーん。よかよか』
「それで?」
『おー。ちょっと作戦考えたから、家出てきてくれる?』
「わかった」
返事をした後、すぐに電話がぷつりと切れた。
さて、ヒマワリはどんな作戦を考えたのやら。
ろくでもない確率が五割、とうてい作戦とは呼べないようなものである確率が五割、といったところだろうか。
まぁ、いい。付き合うと決めた。
「じゃあ、出てくる」
リビングのドアを開けて、父さんと母さんにそう言うと、「あんまり遅くならないようにねー」という母さんの注意が聞こえた。
軽く返事をして、靴を履く。
玄関のドアを開けると、門前にヒマワリが立っていた。
「よっ。さっきぶり、ヨウ」
「おう」
ヒマワリは、太ももまで丈がある淡いピンクのだぼっとしたパーカーを羽織り、黒いキャップを被っている。
パーカーで隠れてはいるが、よくみると青いショートパンツがちらりと見え、真っ白で形の整った細い脚がすらりと生えていた。
部屋着をちょっとだけ外行きにしたような、そんな出で立ちだ。
さっきまでのキリジョの制服姿が、正統派お嬢様系女子といった印象なのに対して、今はラフで活動的な女子といった印象を受ける。
中身を知っているからあまり感じないが、こうやって見るとやはりヒマワリも十二分に美人だと言えるのだろう。
改めて認識する。
「ようし。じゃ、公園にいこっか」
「あそこか?」
「うん」
ヒマワリが言っているのは、家から徒歩五分くらいの小さな公園だ。
小学生の頃、よくヒマワリと駆け回って遊んだことを覚えている。
二人で並んで、閑静な住宅街を歩く。
桜が咲き始めたとは言え、まだ夜は寒い。
「お前、下寒くないのか?」
「別に~」
別に、だそうだ。明らかに寒そうに見えるが、本人が言うならそうなのだろう。
「なあに~? ヨウ。アタシの生脚にメロメロかあ~?」
「お前なあ」
「冗談冗談」
にへへ、とヒマワリが笑う。
「そういうの、あんま言わない方が良いぞ」
「ん~? いっちょ前に心配してくれてんの?」
「別に心配とかじゃねえ」
「大丈夫、大丈夫。アタシだって人は選んでるから」
「あ、そ」
そんなことを話しているうちに、目的の公園に着いた。
昼間子供が遊ぶために作られた公園だ。灯りも無く、真っ暗だ。
公園に足を踏み入れた途端、たたた、っとヒマワリがブランコまで走っていって、勢いよく座る。
「おっ! わわわっ!」
勢いをつけすぎたのか、バランスを崩しそうになり、脚をバタバタとさせた。
数秒ほどじたばたしていたが、なんとかバランスは保てたらしく、「セーフ」と言いながら俺を見る。
やれやれ、と思いながらも、俺も隣のブランコに座った。
「久しぶりにブランコなんて乗ったなあ」
「この歳になってブランコに良く乗ってるやつの方が珍しいだろ」
「あはは~、ごもっとも~」
ヒマワリが地面を蹴って、ブランコを漕ぎ始める。
その姿に、小学生の頃のヒマワリがダブって見えた。
ブランコを漕いで、どれだけ遠くにジャンプできるか、良く競ったものだ。
俺はひょろひょろボーイで、ヒマワリは活発な運動っ子だったからか、いつも負けるのは俺だった。
そうして遊んでいたある日、いつものようにジャンプしたヒマワリが、飛び方を誤って頭から落ちた。
決して少なくない血を流しながら、わんわん泣くヒマワリの姿が今でも焼き付いている。
確か、中学校に上がるちょっと前くらいだったか。
泣き続けるヒマワリと、その歳で見ようはずもない大量の出血に、あたふたしながらヒマワリをなんとか連れ帰った。
その時のことは慌てすぎてあまり記憶にない。
しかし、帰ってから母さんにこっぴどく叱られたのは覚えている。
――ヒマワリちゃんは女の子なんだから!
勿論、少しずつ無意識に感じ取ってはいた。
なにしろ女子の方が成長は早い。
徐々に自分とは違う形になっていく、ヒマワリの身体をなんとなく不思議に思ったものだ。
「懐かしいね」
俺の思いに呼応するかのように、ヒマワリが言った。
「覚えてる? アタシがブランコから落ちたの」
まさに、俺も今それを思い出していた。
数年間ほぼ会話がなかったとは思えない息の合いっぷりだ。
「お前めちゃくちゃ泣いてたよな」
「うん。で、ヨウが慰めながら、家に連れ帰ってくれてさ」
「で、おばさんが救急車呼んでな」
「あはは、そのへんはあんまり覚えてない」
ざざーっと音を立てながら、ヒマワリが地面に脚をついてブレーキをかける。
「さって、思い出話もこの辺にして」
そう言ってブランコからヒマワリが降りた。
「どうすんだよ?」
「結論から言います」
「おう」
「鈴川さんの会社に張り込みます!」
「え……っと。お前マジで言ってる?」
「マジマジ! 大マジ!」
五分五分で、ろくでもない方になったようだ。
「っても、学校あるだろ。流石にサボるってのは」
「もうすぐ春休みじゃん」
「……あー……」
とっさに出した逃げ道はあっけなく塞がれた。
「ヨウはいつから?」
「確か、二十五日」
「うん。一緒だね」
ヒマワリが小憎たらしい笑みを浮かべる。
「じゃ、決まり」
「鈴川の会社、場所はわかってんのか?」
「もち」
「んで、張り込んでどうすんだよ?」
俺の疑問に、ヒマワリが「んー」と唸って、上を見上げる。
「わかんない!」
そして、溌剌とした様子で発した裏腹な答えに、思わずブランコから落ちそうになった。
「わかんねぇのかよ!」
「うん。でも、最低限、あの時いた女の人に話は聞きたい」
「顔覚えてんのか?」
「バッチリ!」
「気が進まない。拒否権は?」
「ナシ! 拒否ったら、お姉ちゃんに『ヨウがアタシの太ももに釘付けだった』ってバラすから」
「ちょっと待て! 別に釘付けじゃねぇ! やめろ!」
「ふっふっふ~、ならばアタシの指示にしたがうのだ!」
どうやら、どうあがいても、こいつのろくでもない作戦に付き合わされる運命のようだ。
小さくため息を一つ。
「で?」
「ん~?」
「張り込んで、あの女の人に話を聞いて、何が出てくるってんだよ」
「わかんない」
「そこも想定してねぇのかよ」
仮に、仮にだ。鈴川という男に、ユリカさんに知られたらまずいなにかがあったとしよう。
そして、その上で、ヒマワリの言うように張り込みをしたとしよう。
だが、あの完璧超人っぷりだぞ?
俺達が張り込みをして、バレるようなヘマをするはずがない。
それに、そもそもが、鈴川という男がそういうやましいことをしているなんて考えづらい。
結婚してしばらく経った、マンネリ夫婦じゃねぇんだぞ?
そして、ヒマワリは気づいているのだろうか。こいつが抱える大きな矛盾に。
「ヒマワリ」
「なに?」
「仮にだ。鈴川が、ユリカさんにバレたらまずいことをしているとしよう。万が一だ」
「……あー」
「お前は、婚約者にバレたらまずいようなことをする男を、そのまま好きで居続けるのか?」
「確かに、そうなるね」
あちゃー、みたいな顔をヒマワリが浮かべる。「その発想はなかったわ」とでも言わんばかりの。
「そこまで考えてなかったのかよ……」
呆れる。
何もかもに整合性が無い。
「鈴川さんがそういうことするなんて全然考えてなかった」
「お前、最初『鈴川さんは結構遊び人だと思うんだ』、とか言ってたじゃねぇか」
「それは~。学生の頃……とか? のイメージで」
「学生の頃の話を今更掘り出してもしょうがねぇし、会社に張り込んだところでそんなものは出てこない」
穴だらけの作戦。そんなものに付き合えというのだろうか。
「そもそも、お前最初、俺にユリカさんに告白しろ、なんて言ってたよな。あれで本当にどうにかなると思ってたんなら、お前ちょっと考えなさすぎだぞ」
「そ……そこは、ちゃんと考えてたもん!」
「何をだよ!」
俺が爆砕する未来しかありえねぇだろうが。
鼻息を荒くしてツッコミを入れまくる俺を見て、その後で空を見上げて、ヒマワリがぽつりぽつりと話し始めた。
「あのね。お姉ちゃんね。婚約したこと自体は嬉しそうなの」
婚約したこと自体? ってどういうことだよ。
「でも、なんかね。ちょっと不安そうっていうか」
「はあ?」
「ほら、お姉ちゃんもキリジョじゃない? で、その後は女子短大。男の人と全然接点無いのよ。少なくともアタシは聞いてない、知らない」
だろうな、とは思う。俺だって、ユリカさんが男を連れて歩いているところなんて見たことが無い。
「で、鈴川さんと知り合って、付き合い始めて、ほとんど婚約するまで。その間なんと三ヶ月!」
「さんっ!?」
「早すぎるよねぇ。でさ、鈴川さんはいかにもモテそうな感じじゃん?」
「まぁ……」
癪ではあるが、あれでモテなければ、どこの誰がモテるというのだろう。
「お姉ちゃん、きっと『自分は鈴川さんに釣り合ってるのかな?』とか思ってるんだと思うの」
「それは……。心配しすぎだろ」
「心配し過ぎかどうかは知らない。だから、あのときはヨウにもワンチャンあるかも、って思ったのよ!」
あるか? あると思うのか?
ヒマワリが言ってるのは、いわゆるマリッジブルーってやつで、一過性のものだ。
やっぱり俺を爆砕させる気マンマンだったんじゃねえか。
「お前……」
「ごめんって。短絡的だったのは認める。アタシもどうかしてた」
ヒマワリが遠い目をする。
「そんでもって、今もどうかしてるんだ。きっと」
恋は人を狂わせる。ありきたりだが、真理だ。
そう思う。
ヒマワリの今までの行動には何一つ合理性がない。
本人がその口で言っていたが、こいつも今更自分がどうこうしてなんとかなるなんて思っちゃいないのだ。
思っちゃいないのだろう。
でも、人を好きになった時、人間ってのは恐ろしいほど馬鹿になる。
「ホンネを言うとさ」
「おう」
「まずはお姉ちゃんよりも……それは無理だとしてもお姉ちゃんぐらいには、鈴川さんのことを知っておきたいんだよ。きっと」
ヒマワリが俺を見る。
「お姉ちゃんの旦那さんじゃなく、
そういうことなら……。
百歩譲って理解できなくもない。
「だめ、かな?」
本当に、恋ってのは人間をどうかする。
理性では、こいつの作戦に乗るなんて、時間の無駄だとわかっちゃいる。
でも、可能性がゼロやマイナスじゃないのなら、それに賭けたいと思ってしまう自分もいた。
「……っあー!!」
頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。
「しゃーねー。決行日はいつにする?」
きっと、今取れる選択肢の中で最も愚かなものを、俺は選んだ。
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