第四話:お姉ちゃんを、ヨウがずーっと見てたの、アタシ知ってるから
ヒマワリの視線の先にいた鈴川らしき男はストライプで紺色をした細身のスリーピーススーツを着ていた。
髪型は大雑把に言えば、七三分けと言えるのだろうが、伝統的なイメージとはかけ離れている。
べたりと撫でつけたようなものではなく、根本から髪の毛を持ち上げたボリュームのあるものだ。
よく見かける、若いやり手のビジネスマンを想像してほしい。想像上のそれをそのまま具現化すれば、あんなスタイルの人間が生まれるだろう。
身長も高い。一八〇センチはあるだろうか。相対的に顔が小さく、スタイルはモデルと比較しても遜色はない。
「……あいつが……」
正直、姿を見るまでは、どんな悪辣なやつなんだろうなんて思っていた。そう願っていたのかもしれない。
しかし、視界の真ん中で捉えた彼は、誰に紹介しても恥ずかしくない大人の男そのものだった。
将来自分がそうなりたいと、こうありたいと夢想していた姿を、軽く超える程度には。
トレーは持たず、ドリンクを直接手に持ち、最も居心地が良さそうな席を瞳だけ動かして探している。
隣には、少しカジュアルなスーツを着た女性もいた。
ややあって、鈴川はぴったりの席を見つけたのか、隣の女性に目配せをしてそちらへ向かった。ソファーのある席の方へ向かっているようだ。
「隣の女の人……誰だろ」
ヒマワリがつぶやく。
隣の女性は絶えず笑顔を絶やさない。表情は取り繕ったものではなく、リラックスしていて、鈴川と彼女が気安い関係であることを感じさせた。
同じ会社の人間、か?
席まで歩く途中、鈴川がこちらに視線を向けた。
少しだけ驚いたような表情をし、隣の女性へ小さくなにかを伝えると、一人でこちらへやってくる。
俺達に、正確にはヒマワリに気づいたらしい。
「奇遇だね。こんにちは、ヒマワリちゃん」
「こ、こんにちは、鈴川さん」
鈴川がにこやかに挨拶をし、らしくないしおらしい声をヒマワリが出す。
腹が立つことに、声まで爽やかだった。非の打ち所がないとはこのことだろう。
「学校帰り?」
「はい。鈴川さんは?」
「得意先から帰る途中でさ。ちょっと休憩、ってところ」
ヒマワリが、肩口までは届かないボブカットの毛先を指で弄びながら、もじもじとする。
普段の様子からはとてもじゃないが想像できない姿だ。
「そっちの彼は……」
鈴川は、ヒマワリに微笑みかけた後で、俺に視線を移した。
「あ、違います! そういうんじゃなくて! えっと、隣に住んでる春原です!」
「僕はまだ何も言ってないんだけどね」
「あ……、そ、そうですね」
「でも、そうか」
なにかに納得したかのようにうなずき、鈴川が俺を見る。
「はじめまして。ユリカから話は聞いてるよ。春原ヨウ君だね?」
「……ども」
「ははっ。聞いてたとおりだね」
軽く笑い声を上げながら、鈴川が言った。
こいつはユリカさんから何を聞いていたのだろうか。思わず目つきが険しくなるのを堪えるのに苦労した。
「ああ、いや、笑っちゃってごめん。ユリカから、弟分みたいな子がいるって聞いててね。想像していた通りの好青年で嬉しくなったんだ」
しかし、目つきを柔らかく保とうとした苦労は水泡に帰したようであった。幸い鈴川は、俺が笑われたことに腹を立てたと勘違いしてくれたらしい。
話す内容も、口調も、嫌味が全く無くて、腹立たしい。
「どもっす」
「はは、少しつっけんどんなところも、ユリカが言ってたとおりだ。あ、ごめんごめん。別に他意はないよ、君みたいな男は嫌いじゃない」
うるせぇ。そう言い放てたならどれだけ良かったことだろうか。
ただ、この一分足らずのやりとりでよく理解した。
鈴川というこの男は、まさに俺がなりたかった、理想の大人そのもので、ユリカさんの隣に立っているにふさわしい人間だ。
男としてのレベルが違いすぎる。認めたくはないが、認めざるを得ない。
今この瞬間ですら気を抜くと、元々最底辺にあったはずの鈴川トウジという人間の評価がどんどんと上がっていきそうになる。
話すだけで、そこにいるだけで、好感度がどんどんと上がっていく。
だからこそ、イライラする。
でも、このイライラは、きっと。
俺自身に対するものでもある。
きっと俺は逆立ちしたってこうはなれないから。
「そのうち、君の家にも挨拶に行くと思う。ユリカたってのお願いでね」
「あー、聞いてます」
「うん。そのときは頼むよ。君のご両親にも、よろしく伝えておいてくれるかな?」
「うす」
言葉少なで、ともすれば失礼な態度とも取られかねない俺に対して、気にした様子もなく微笑み、鈴川はヒマワリを見た。
「じゃ、ヒマワリちゃん。そろそろ俺は行くよ。同僚も待たせてるし、まだ仕事が残ってるしね」
「あ、はい! お仕事頑張ってください」
「ありがとう。多分明日の晩くらいに、お邪魔すると思うからよろしくね」
「はい、是非いらしてください!」
ヒマワリがキラキラした笑顔で返事をする。
「そろそろ外も暗くなってくるから、二人共気をつけて帰るんだよ」
そう言って、鈴川はスマートに去っていった。
同僚らしき女性の元へ戻り、なにかを小声で話しながら座って、カバンから取り出したノートパソコンを広げる。
休憩とか言ってなかったか? いつ休憩してんだよ。
「はー、やっぱ鈴川さんだなぁ」
ヒマワリが惚けたような声を出す。
その声に思わず苛立ちがつのった。しかし、何も言えない。言えるはずがない。
何か言ったら言っただけ自分が惨めになる。
十二分に理解している。
「ヨウ?」
「あん?」
「すごい顔になってるけど大丈夫? ヨウのその顔、怖いんだけど」
言われてハッとする。知らず知らずのうちに眉間に力が入っていた。
いけないいけない。指でもみほぐす。
ついでに、ずっと笑顔を取り繕ろうとして失敗した結果引きつった頬も。
「そこは昔と変わらないんだなぁ」
「そこ、ってどこだよ」
「難しい顔すると、人相変わるところ」
「うるせぇよ」
ヒマワリがストローを口に含んで数秒、顔をしかめる。
「うわっ。うっすい」
すっかり氷が溶けてしまっていたらしい。つられて俺も、コーヒーを吸い上げる。氷が溶け切ったそれは、コーヒーとは言い難いシロモノだった。
口直しにとでも考えたのだろうか。ヒマワリがフライドポテトを一本つまみ、口に放った。
しかしそれも失敗に終わったようだ。薄いコーラを口に含んだときよりも、苦々しい顔をする。
「しなしなだ……」
そりゃそうだろうよ。
「帰るか……」
俺の言葉に、未だ女性と話し込んでいる鈴川を名残惜しそうに見てから、ヒマワリが小さく頷いた。
「そだねえ」
不味くなったフライドポテトとめいめいのドリンクを、程々に急いで消化した後。
ヒマワリが鈴川の元へ行き、一言二言挨拶をしてから、俺達はファーストフード店を後にした。
いつもの駅で、いつもの路線に乗る。
電車に揺られている間、俺とヒマワリの間に会話はなかった。正直ヒマワリがどんな表情をしていたのかも思い出せない。
しかし、ちらちらとこちらを伺う気配だけは感じていた。
電車を降り、ゆっくりと暮れていく空の下、家路をたどる俺の足取りは重い。
中学の頃、自主トレーニングでパワーアンクルをつけた時を思い出す。
後々、あれの効果はほとんどないというウェブ記事を見て、残念な気持ちになったことも一緒に、だ。
わかってる。
これは現実逃避だ。
「ヨウ」
ヒマワリが俺の名前を呼ぶ。
しかし、どうにも返事をする気にならなくて、俺はヒマワリをちらりと一瞥するだけして、また前を見た。
次の瞬間、ばしーん、と衝撃が肩を襲った。
ヒマワリの平手が俺を捉えたのだ。
「うわっ! びっくりしたっ! 何すんだ!」
「びっくりしてんのは、アタシだっ!」
「意味がわかんねぇよ!」
「なーに、しょげてんの! 少年っ!」
二の句が継げない俺の顔を、ヒマワリが両手で挟んで無理やり自身の顔に向けた。
「近いって」
「あの身持ち固いお姉ちゃんの婚約者だよ?」
知ってる。そんなこと。
「そんでもって、アタシの好きな人だよ?」
だから、知ってるんだって。
「そりゃ、良い人に決まってんじゃん!」
「わーってるよっ!」
「わかってない! わかってないよお!? ヨウはっ!」
しなびてしまった俺と対照的に、想い人と偶然会うことができて元気いっぱいな幼馴染は、俺が何をわかってないとおっしゃるのか。
あと、この近さで、叫ぶな。
ツバがかかってんだよ。
「ヨウだって、いいところいっぱいある」
「は?」
「少なくともアタシは、いくらでも挙げられる。ヨウのいいところ」
いやいやいやいや。
そんなわかりやすい慰めの言葉、今の俺は必要としてない。
「『そんなの嘘だ』って顔してる」
「してねぇよ」
「してる」
真剣な眼差しが俺を貫く。近くでよく見ないとわからない、日本人にしては少し薄い茶色の虹彩に、その中心の真っ黒な瞳に、俺のしょんぼりした顔が映っている。
「少なくとも、鈴川さんと比較しても、ヨウが負けてないところ、アタシは言える」
「んなもん――」
「お姉ちゃんを好きな気持ち」
言葉が詰まった。
「お姉ちゃんを、ヨウがずーっと見てたの、アタシ知ってるから」
今、そういうことを言わないでほしい。
なっさけねぇ。
鼻の奥がつんとなる。まるで海水でもすすったみたいに。
潮の香りみたいな何かが、鼻の奥、目の裏側いっぱいに広がった。
「っ! 離せっ!」
とっさに、顔を挟んでいたヒマワリの手を振り払って、距離を取った。
顔を背ける。
別に涙は流しちゃいないけど、それでも泣きそうになってる顔をみられたくなかった。
「どうしたあ~? 泣いてんのかあ~?」
「ばっ! うるせぇ!」
学生服の袖口で、目元をゴシゴシと拭おうとしてやめた。
そんなことしたら、「泣いているのか?」という問いに肯定を返しているも同然だ。
「どーにかすんだろっ?」
ヒマワリの明るい声が耳朶を打つ。
「昨日二人で話し合ったときの元気はどうしたよ~!」
うるせぇよ。
昨日はお前がすっかりしょげてたじゃねぇか。
そんな昨日の様子を思い出して、ヒマワリもこんな思いをずっとしていたんだ、ということに思い当たった。
俺よりも前に、ユリカさんと鈴川の婚約を聞いて。
きっと、おじさんおばさんも、すっかり祝福ムードで。
そんな雰囲気の中、きっとこいつは、もっと辛かったのだろう。
本当に情けない。
「ねぇ、ヨウ」
「んだよ」
「いやね? 話変わるんだけどさ」
ここに来て突然話を変えようとするヒマワリの胆力は恐れ入る。
「あの女の人、どう思った?」
「は?」
いきなり何を聞くんだこいつは。
あの女の人って。鈴川といっしょにいた、会社の同僚らしき女性のことか?
「どう思うも何も」
「っかー、これだから男は。ダメダメですなぁ」
「どういうことだよ」
「いや、怪しいなーって」
怪しいってお前。
「ただ一緒に仕事してるだけじゃねぇか」
「あの距離感とか、空気感とか、ヨウにはわからないかなぁ」
ずっと初恋を後生大事にしてる俺に、そんなのわかるわけないだろうが。
「ちょっと気になるんだよね」
「気になるからどうすんだよ?」
「うーん……」
ヒマワリが左右のこめかみに拳をぐりぐりと当てながら目をつぶった。
「まだわからんっ!」
わからねぇのかよ。
「でも、ちょっと考えさせて。今晩迎えに行くから」
「迎えに行くって……」
「ちょっと熟考したいの! 大丈夫、補導されない程度の時間にするから」
「お、おう」
まぁ、なにかしら考えたいなら、考えさせておけばいいか。
「あ、そうそう。連絡先、教えて? 不便でしょ」
言われて気づく。そう言えばそうだった。
俺はスマートフォンを取り出して、メッセージアプリのコードを表示させる。
そのままそれをヒマワリに差し出した。
「ほれ」
「ほーい」
数秒、「ありがと」と言って、ヒマワリがスマートフォンを俺に返した。
「おっけー。じゃ、夜に電話するから。電話がなかったら、アタシが亡き者になったと思ってよ」
「おう」
「『おう』じゃないよ! 面白いこと言ったんだから、触れて!?」
「全然おもしろくねぇ」
「ひっど~!」
ヒマワリのおかげなのか、少しだけ気持ちが楽になった頃。
いつの間にか、俺達は家の前まで来ていた。
「じゃあ」と、軽く挨拶を交わしてから、俺達はそれぞれの家に入った。
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