第三話:っつーわけでよ、兄ちゃん! 茶、しばきに行かへん?
放課後。ホームルームの終わりを告げるチャイムとともに担任教師が教室から出ていく。
がやがやとした喧騒がいつもよりも煩わしく感じられる教室の中で、俺は大きくため息を吐いて机に突っ伏した。
クラスメイトらがそれぞれの放課後の予定に移るべく、部活の活動場所に向かう準備をしたり、友人等と目的地を相談したり、そんな人間の声がいやに遠く聞こえる。
ヒマワリと今後の
話し合いをした結果、「なにをすればよいかわからない」ということだけがわかった形となった。
無理もない。
俺もヒマワリも、ドラマや大人向け漫画で描かれるような恋の駆け引きなどとは無縁だ。
つまるところ、まだまだ子供なのだ。
俺がアイデアを出せば、ヒマワリがその粗を指摘する。
ヒマワリがアイデアを出せば、俺がその粗を指摘する。
特段険悪な空気になるわけではなかったが、堂々巡りの議論が続いた。
結局、何も決まらず、ヒマワリの両親が買い物から帰宅したのを契機に解散することとなった。
そして今日。俺はユリカさんが婚約したという事実をようやっと現実のものと受け入れ始めていた。昨夜から徐々に実感が湧き始め、今となってはもう何も気力が起きない。
さっき吐いたため息に色がついているのであれば、きっと真っ青な色をしていたのだろう。もう一度、同様の青色吐息を口から出す。
ヒマワリと一緒にあれこれと話し合っていた昨日が嘘のようだ。思えば、空元気だったのかもしれない。
信じがたい事実から目をそらすために、身体が防衛反応を起こしたのだろう。
帰宅し、風呂に入り、夕飯を食べ、さあ明日の予習だ、と意気込もうとした瞬間から、身体の力は徐々に抜けていった。
もしもゲームのように俺のヒットポイントが見えるなら、今その数字はきっと一桁だ。もしかしたらゼロかもしれない。
瀕死。気絶。戦闘不能。どれに当たるのだろうか。「はいになった」だろうか。比喩表現としてそれが一番正しい気がする。「ハイになっていた」状態から「はいになった」のだ。目も当てられない。
誰か俺に蘇生魔法をかけてくれ。でも失敗すると埋葬されてしまうので考えものだ。
おかげで今日一日の授業が右から左だ。一応進学校を謳っているこの浦園高校は、一日で消化するカリキュラムの量がとんでもない。
尤も他の高校の事情がわからないので、正常なのか異常なのか判断しかねるところではある。
兎にも角にも何が言いたいか、一日授業を休んだり、サボったりすると、一気に置いていかれるのだ。
そのこともため息の理由の一つである。この状態が続くと、成績が落ちる。
とは言え、俺が一心不乱に学業に勤しんでいるのは、ひとえにユリカさんに似合う男になるためだ。ユリカさんを手に入れるだけの力を持った男になるためだ。
ためだった。
ユリカさんが婚約し、ほぼ失恋確定という現在の状況で、勉学に精を出す意味はないのかもしれない。少なくとも今の俺にとっては。
しかし、これまで励んできた努力を無駄にすることもない。このまま毎日の予習復習は続け、堅実に進んでいくべきだ、と心の中の理性が告げている。
それが一番正解に近い。人生経験の足りない子供でも理解できる理屈だ。
「でもなぁ……」
今は少し休みたい。頑張れそうにはない。しばらくは。
あぁ、帰らないとなぁ、と思いながらもぼうっと虚空を見つめていると、やおら教室が騒がしくなった。
ただでさえ決して良いとは言えない精神状態のせいか、普段よりも煩わしく感じていたのだ。
端的に言えばうるさい。
上体を起こして、周りを見ると、クラスの男どもの一部が窓から身を乗り出して騒いでいるようだった。
何が起こった? と疑問に思い様子をうかがう。
「おい、あれ。校門にいる子! キリジョの制服じゃね?」
「遠くてちゃんと見えねぇけど、結構可愛いだろ。雰囲気」
「彼氏でも待ってんのか? キリジョの彼女なんて羨ましくしかねぇだろ!」
キリジョ? 霧口女子校?
いや、まさかな。まさかまさかだ。
ほぼ確信に近い、嫌な予感がした俺は立ち上がって、窓に群がっている男子どもの後ろからちらりと覗く。
嫌な予感は的中していた。
ヒマワリだ。あいつなんでいんだよ。
霧口女子校は、ここらでは有名な女子校だ。
何が原因で、いつからそうなったのかは知らないが、一般的にお嬢様学校として認知されている。
この辺の男子高校生にとって、「キリジョの彼女」というのは、一種のトロフィーであり、アドなのだ。
まぁ、俺はユリカさんから、「女子校の実態」というものを、かなーりマイルドな表現で聞いていたものだから、あまり幻想を抱いてはいないのだが……。
ついでに、再確認したが、やはりヒマワリは一般的には美少女にカテゴライズされるらしい。
見ている連中がさっきから、あいつを全力で褒め称えている。上品な表現、下品な表現織り交ぜて、だ。
クラスの女子に冷ややかな視線を送られているとも知らずに。
じゃなくて、今気にすべきはヒマワリだ。
あいつは、一〇〇パーセント俺を迎えに来ている。大方、昨日の打ち合わせの続きをしようとでも言うのだろう。
いきなり押しかけてくる前に、一言連絡くらい入れろよ、と一瞬思う。が、そういえばヒマワリと連絡先の交換なんてしていない。
家の方針でスマホを持ち始めたのが中学の真ん中くらいだった俺は、その頃すでにヒマワリとは疎遠になっていた。当然SNSやらなんやらでつながってはいないし、連絡先もわからない。
あー、嫌だ。このまま泡を食って出ていけば、明日以降俺の居心地が悪くなるのは間違いない。
良い意味だろうと、悪い意味だろうと、あまり目立ちたくはないのだ。しかもこの場合だと悪目立ち以外の何物でもない。
しばらくほとぼりが冷めるのを待つか? それが良いかもしれない。
しかし、そうは問屋がおろさなかった。
がっつり目があった。ヒマワリと。
そういや、あいつ、視力二・〇だった……。俺も悪い方じゃないがヒマワリには負ける。
幼馴染が俺にしっかりと視線を固定しながら何やら大げさに口を動かした。
なんとなく伝えたい言葉がわかってしまう。「さ・っ・さ・と・し・ろ」か「は・や・く・で・て・こ・い」とか、その辺だろう。
俺は頭を抱えたくなるのをなんとかこらえ、覚悟を決めて立ち上がった。
「もー、遅い! アタシに気づいてから五分くらいだらだらしてただろ!」
「しょうがねえだろ。お前。キリジョの看板を自覚しろ」
「えー? 美少女のアタシと噂になって、ヨウ的には美味しい思いできるから、ウィンウィンでしょ~」
自分の顔が整っているのを自覚してやがる。
「そんなことないよ~」という否定の言葉待ちの魂胆が透けて見える、過度に自分を卑下するタイプの人種は癇に障るものだが、こうもはっきり自分で「美少女」とか抜かされるとそれはそれで腹が立つ。
「死ね」
「あー! ひどい! 死ねとか人に言っちゃいけないんだ! 召されよ!」
召されよって、「死ね」を丁寧に言っただけじゃねぇか。お前も同類だ。
そんなふうに軽口を交わしながら歩き始める。
「で? 昨日の話の続きか?」
「まー、それもあるけどさ」
「『それもあるけど』? 他にあんのかよ」
「いや、アタシとヨウって結構話さなかったじゃん? 中学上がったくらいかな?」
「あー、まぁ、そうだな」
なんだ? 今更。
「いや、その割に、昨日結構昔みたいな感じで話できたから、さ」
「できたからなんだよ」
たたたっ、とヒマワリが俺の前に歩み出てくるりと振り返る。
スカートがふわりと舞い上がり、真っ白な太ももがあらわになった。
別にいやらしい気持ちとかはない、はずだ。でも男なら誰だってそこに目が行くものだ。男の性なのだ。俺は一体誰に言い訳しているのだ?
そして、にやにやしながらヒマワリが俺を見た。
「もいっちょ確かめる!」
「待て、話が見えてこない」
「いちいちうるさいなぁ、ヨウは。今アタシの太もも見てたの気づいてるんだから。エッチなヨウには、詳しく説明しませーん!」
「なっ! そ、それはっ!」
だから、男の性なんだって! さっきの言い訳は、ヒマワリに向けられるものだったらしい。
「っつーわけでよ、兄ちゃん!」
ヒマワリがはつらつと言った。
「茶、しばきに行かへん?」
関西人に万が一聞かれたらひんしゅくを買いそうな関西弁で。
そして、言いながら俺に詰め寄る。
「待て。顔が近い」
「あ、ごめんごめん」
§
学生がお茶をするなんて言っても、大層な喫茶店には入れない。
バイトでバリバリに稼いでいるというのであれば話は別だ。しかし、何分浦園学園も、霧口女子校も、特別な理由のないアルバイトは禁止されている。
したがって、「茶をしばく」などと言いながらも、入る場所は自ずと決まってくる。
「マックかよ」
「マック嫌い?」
「いや、別に、好きも嫌いもないけどさ」
妥当だとは思う。だが、どうしてもファーストフード店というのは、騒がしくてかなわない。
ま、贅沢は言えない、か。俺もヒマワリも、どちらかと言うと金欠高校生だ。親からもらった少ない小遣いをやりくりして生活しているのだ。無駄遣いはできない。
二人でレジに並ぶ。
「いらっしゃいませ。お持ち帰りですか?」
大学生くらいだろうか。女性の店員がにこやかに言った。
「ヨウは何?」
「コーヒー」
「りょー。お姉さん、アイスコーヒーとコーラで。どっちもMサイズ。あー、あとポテトのLサイズを一つ、お願いします」
「かしこまりました。お会計、八〇〇円になります」
レジを操作した店員が、金額を告げる。
とっさに財布を出そうとした俺を、ヒマワリが悪巧みをしてそうな顔で一瞬見て、それから店員に向き直る。
「あと、お姉さんの極上のスマイルを一つもらえると、アタシ今日これから頑張れちゃうかもです」
「あはは、私ので良ければ」
「お姉さん本当きれいですね。あ、八〇〇円ですよね。どうぞ」
「はい、ちょうど頂戴します」
なにやら、ヒマワリが店員をナンパし始めたと思ったら、あれやこれやという間に支払いが終わってしまった。
レシートを受け取ったヒマワリが、店員に小さく会釈してから、ニ、三歩下がる。
ってか、なんでこいつが払ってんだよ。
学生とは言え、こういうのは男の甲斐性を見せるシーンじゃねぇのか?
俺は財布から八〇〇円を取り出して、ヒマワリに差し出した。
「ヒマワリ。ほれ、八〇〇――」
「あー、そういうのナシ! アタシが誘ったんだから、アタシが払う。なにか問題ある?」
「いや、でも」
「ノープロブレム! 社会とはそういうものなのです!」
食い下がろうと、口を開いたが、ちょうど商品の用意が済んだらしく、俺は手に持った八〇〇円の矛先を失う形となった。
ヒマワリが「ありがとうございます~」と言いながら差し出されたトレーを受け取る。
「さ、座るよ」
「いや、会計」
「男が細かいこと気にしない! じゃあ、次はヨウのおごりね」
有無を言わさないヒマワリの態度に、うぐっ、と言葉をつまらせた。
どうやら、この手の中の八〇〇円は財布にしまうしかないらしい。
情けないったらありゃしない。
そんなこんなありつつも、ファーストフード店の奥の方の席にヒマワリと向かい合って座る。
「じゃあ、ゴチになります」
「うむ! 心底ありがたがって飲むように!」
さっきと言ってることが違うじゃねぇか。とは言え、冗談だということはわかっている。「ははあー」と返しながら自分の分のコーヒーを取って、ストローを口に含んだ。
「……コーヒー、ブラックで飲むんだ」
「あん? あー、そうだなぁ」
「ちっちゃい頃は甘党だったのにね」
「そりゃ、まぁ。好みくらい変わるだろ」
コーヒーを飲み始めたのはいつだっただろうか。
最初は、砂糖とミルクがないと飲めなかった。
しばらくして、格好つけて、ブラックで飲むようになって、それが当たり前になって。
「アタシ、まだコーヒー飲めないや」
にへら、とヒマワリが言う。
「あ、でも、スタバのやつは飲める!」
「ありゃ、コーヒーじゃねぇよ」
「えー?」
他愛もない話をする。
婚約をぶっ壊す。その話をしていた昨日が嘘のように、なんでもない会話。
ただ、数年ぶりに深く話すようになった幼馴染なのだ。
一切の溝を感じていないといえば嘘になる。
俺とヒマワリは、疎遠だった数年間の空白を埋めるべく「なんでもない会話」に華を咲かせようとした。
その時だった。
「あ……」
ヒマワリが何かを話そうとした、その口のまま間抜けな声を出した。
「鈴川さんだ……」
言葉を受けて、振り返る。ヒマワリの視線の先には、すらりとした、いかにも爽やかで、それでいて大人の色気がある男が座っていた。
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