第二話:話してみろ。お前の作戦とやらを

 ちょっと待て。待ってくれ。マジで、本当に、理解できてない。脳が理解を拒んでいる。

 そんな俺を見て、ヒマワリが呆れたような顔を見せる。


「なーに、金魚みたいに、口パクパクさせてんの~?」

「い……いや、だって、お前」


 ユリカさんの婚約をぶっ壊す。ヒマワリは確かにそう言った。

 許されるのか? 他人の幸せをぶち壊すような真似が。

 一人の幸せだけじゃない。ユリカさんと、その婚約者、二人分の幸せをぶっ壊す。

 そんなことが果たして許されるのか?


 未だに何を言えばよいのか判断しかねている俺を無視して、ヒマワリが話し始めた。


「シンプルにアタシの勘なんだけどね。鈴川さんは結構遊び人だったと思うんだ。きっとね」

「……それどこ情報だよ」


 ようやく口が動き始めたものの、俺が発することができたセリフはそれだけだ。

 俺の言葉を受けて、ヒマワリが「何言ってんだ、こいつ」みたいな顔をする。


「言ったでしょ? アタシの勘」

「勘はわかった。俺はその勘を信ずるに値する根拠ってのは何なんだよ、と聞いている」

「根拠ねぇ……」


 ぼそりと呟いたヒマワリの瞳が右上に移動する。


「鈴川さんね。イケメンなのよ」

「……ほお?」

「身長も高くて、そんで結構な大企業の係長。シュッとしてて、スマート。スーツがめちゃくちゃ似合っててえ――」

「おい、ちょっと待て」

「な~によお?」


 ヒマワリから出てくる情報は、あくまで鈴川という男のステータスだ。外面的な情報でしかない。

 顔が良い。身長が高い。大企業の係長。痩せ型で、すらりとした体型。スーツが似合ってる。


 スーツが似合ってるってのは、完全なヒマワリの主観だから置いとくとしても、だ。


「なんっつーか、浅い情報ばっかじゃねぇか」


 俺は半ば失望すら感じ始めていた。

 別にヒマワリが誰を好きになろうが構わない。俺には関係ない。


 けれど、それでも、だ。

 曲がりなりにも幼馴染が、そんな外っ面の情報で他人を好きになって、あまつさえ実の姉から奪い取ろうとするような人間であるなど、信じたくはない。


 それは俺の早合点か? そうであってほしい。


「つまり、お前はそれくらいのあっさい上っ面を撫でたような印象で、鈴川とやらを好きになったから、ユリカさんの婚約をぶっ壊したい、とか抜かしてんのか?」


 ヒマワリが眉間に縦皺を刻む。


「っとーに、ノンデリかあ? ん~なわけないじゃん」

「じゃあ、お前は、その鈴川って男のどこを好きになったんだよ」

「なーんで、ヨウにそんなこと教える必要があんのさあ」


 いや、なんでって。


「めちゃくちゃ大事なことじゃねぇか」

「大事? ヨウにとって。本当にそれって大事なこと?」


 当たり前のことを聞くなよ。

 婚約をぶち壊す。こんな近年稀に聞くパワーワードは他にない。いや、それは過言か。言い過ぎた。


 でも、それだけのことをしようと画策しているのだ。そのうえで、俺を巻き込もうと言うのだ。

 巻き込む当人をしっかりと納得させることができる理由がいるに決まっている。


「大事に決まってるだろ。お前、実の姉から、逆NTRしようってんだぞ?」

「えぬてぃーあーる?」


 なんで「ノンデリ」は知ってて、「NTR」は知らねぇんだよ。いや、なんかジャンルみたいなもんが違うし無理もないのか?

 言い直す。


「実の姉から、婚約者を寝取ろうとしてんだろうがよ」

「ねとっ!? ち、違うからあ!」

「違うのか?」

「ちーがーう! 絶対にノー!」


 どうやら違ったらしい。

 いや、待て。全然違くないだろ。


「でも、結局はそういうことだろうがよ」

「違うの! 少なくともアタシにとっては!」

「じゃあ、どういうことなんだよ」


 真剣にヒマワリの目を見据える。


 どんな方法で、それを成し遂げようと考えているのかは知らない。


 だが、姉の婚約を解消させ、ちゃっかりその後釜に座ろうとしている。


 それをNTRと言わずして、なんというのだ?


 俺の視線を受けて、ヒマワリがうつむき押し黙った。


「そもそも、ユリカさんと、鈴川ってやつは婚約してすぐなんだろ? お前が……俺でも良いけど、付け入る隙がどこにある?」

「そ……それは」


 俺だってなんとなく理解している。正確にはそうであって欲しいと願っている。


 ヒマワリは、そんな上っ面で他人を好きになるような人間じゃない。

 顔が良いだとか、スタイルが良いだとか、年収が高いだとか、偉いだとか。


 そんな些末で本質的じゃないものさしで他人を判断するようなやつじゃない。


 幼馴染だ。こいつがまるっきり変わってクズ女に成り下がったっていうなら話は別だが、その可能性は低い。

 人間なんてそうそう変わるもんじゃない。三つ子の魂なんとやらだ。


「お前が好きになるくらいの男なんだろ?」


 ヒマワリが唇を噛む。


「そんでもって、ユリカさんが好きになるくらいのやつなんだろ?」


 そう。

 まず、ヒマワリが俺を巻き込もうというのが間違いなのだ。


 勿論、負けるつもりはない。なかった。それは、その鈴川とやらだけじゃない。他の誰にも、だ。


 俺はそれくらいユリカさんのことを好きだ。彼女を幸せにできるのは俺だけだと。ひいてはユリカさんを自分のものにできるのは俺だけだと。

 そう信じている。


 けれど、恋愛ってのは、人生ってのは、思い描いたようにうまくいってはくれないってこともどっかで理解してるんだ。


 そして、ユリカさんは俺じゃなくて鈴川を選んだのだ。

 ……そもそも土俵に立ててすらいなかった感は否めないけど、そこはまあ、一旦置いておこう。


 鈴川というやつは、ユリカさんが、ついでにヒマワリが、好きになった男なのだ。

 そりゃもう、相当できたやつなのだろう。


 なればこそ、ユリカさんだって、鈴川とは硬い信頼関係で結ばれているに違いない。


「それに、仮にお前が策を弄して、ユリカさんの婚約をぶっ壊したとして、だ」


 ヒマワリは押し黙ったままだ。


「そんな軽々しく、婚約解消なんて事態になっちゃうような男で、お前はいいのかよ」


 数秒ほど沈黙が訪れた。

 俺はヒマワリの返事を待つ。


 しばらく待つと、重そうな口をゆっくりと開いてヒマワリが俺を見た。


「わかってる。わかってるんだよ。ヨウが言ってることなんてさ。全部わかってる。でも――」


 ヒマワリの顔が歪んだ。


「どうしようもないじゃん! 好きになっちゃったんだもん!」


 半ば叫ぶような声をヒマワリが出す。

 心臓が飛び出そうになったが、ちょうど今秋野家には俺とヒマワリしかいないことを思い出し、胸をなでおろす。


「アタシだって、悩んで、考えて、それでも諦められなくて、それでっ! なんでお姉ちゃんなんだろうって! アタシでも良かったじゃんって! だって、鈴川さんと先に知り合ったのアタシなんだよっ!?」


 狂ったように頭をかきむしるヒマワリが、泣いているかのように吐き出す。

 さらりと、新しい情報が出た。


 先に知り合ったのはヒマワリ。

 どういう経緯いきさつなのかは知らない。


 けれど、こいつがずっと抱えてきたものはきっと。


 ――今の俺と同じだ。


 なんで自分じゃないのだろう。

 先にユリカさんを好きになったのは俺だ。どこの馬の骨ともしれない鈴川とかいう婚約者よりも、俺のほうがずっとユリカさんをよく知っている。


 どうしてこうなった?

 なにを間違った?


 きっと何も間違えてはいない。俺も、ヒマワリも。


 ただ、ユリカさんにとって俺はただのガキだったってそれだけで。

 鈴川にとって、ヒマワリはただのガキだったってそれだけなんだろう。


 多分。


 気づけば、泣くように金切り声を上げていたヒマワリは、「泣くように」ではなく、正しく泣いていた。


「……別に、本気でどうこうしようなんて思ってないんだよ」

「うん」

「お姉ちゃんと鈴川さんの仲を引き裂けるなんて思ってないんだよ」

「うん」

「でも、何もしないでただ後悔するのは嫌なんだよ」

「そうだな」

「あがいて、あがいて、それで『だめだったーっ!』って、すっきりさせたいんだよ」

「わかる……と思う」


 すすり泣くヒマワリを見て、やれやれ、と思うと同時に、懐かしく感じた。


 男勝りで、ずけずけとはっきりした物言いをするこいつは、当時の同年代男子よりも少しばかり高い身長も相まって、そこらの悪ガキ以上にヒーローじみていた。


 けれど、自分ではどうしようもなくなった時、「もう無理だ」と感じたのであろう時、決まってヒマワリは俺の元へ来た。

 そしてボロボロと泣くのだ。ただただ、泣くのだ。


 その涙を見て、ひょろひょろのガキだった俺は、奮起してヒマワリに喧嘩を売った上級生に挑みに行くのだ。

 勿論返り討ちにあった。言うまでもない。


 しかし、ボロボロになった俺をみて、ヒマワリはいつだって笑った。

「ありがとう」なんて言って。


「しゃーねーな」

「……え?」

「話してみろ。お前の作戦とやらを」


 それに俺だって、このまま不戦敗は癪だ。

 どれだけ勝ち目が無くたって、一花咲かせて、そのうえで玉砕したい。

 そんな気持ちがないと言ったら嘘になる。


 だったら、乗ってやろうじゃないか。ヒマワリの言う「作戦」とやらに。


 ユリカさんが婚約してから、今日まで多少の時間はあった。ヒマワリも色々と考えてはいるのだろう。

 そうじゃなければ、あんな自信満々に「婚約をぶっ壊す」なんて、大言壮語を吐きはしない。


 さぁ、聞かせてくれ、ヒマワリ。お前の作戦とやらをっ!


 期待を込めた目でヒマワリを見る。

 ヒマワリはいつの間にか涙を止めて、神妙な顔で俺を見つめ返していた。


「……あのさ。ヨウ?」

「なんだよ。いいから早く話せって」

「いや、その」

「もったいぶるなよ。どんな無謀な作戦でも、二人で考えりゃ多少は成功率が上がるかもしれねぇだろ」

「えっとね……大変申し上げにくいんですけどお」


 なーにをまごついてんだ、こいつは。ただ、お前の考えをそのまま言葉にすれば良いだけだろ。


「作戦なんて、ありません」


 ところで、よくあるゲームを思い浮かべてほしい。氷系の魔法ってのは定番だ。

 ぴきーん、なのか、しゃきーん、なのか、どういう擬音語が当てはまるのかわからない鋭い音とともに、敵が凍りつくのだ。

 日本人に生まれたなら、いや現代の文明国に生まれた人間なら、想像に難くないのではないだろうか。


 まさに今、俺が、氷系の魔法を直撃させられた敵だ。

 放ったのは他でもないヒマワリだ。こいつは魔法使いだったのだろうか。


 いや、んなはずねぇだろ。


 てへへ、とヒマワリが舌を出す。


「……は?」


 十数秒かけてようやく絞り出した声がそれだった。


「冴えた方法とか、いい感じの作戦とか、ぶっちゃけると、ないですっ!」

「お前っ! いい加減にしろよっ!」

「わっ! ヨウが怒った!」


 怒った、だと? 怒るに決まってんだろ。

 ちょっと前までのいい感じに決まった俺の覚悟を返せ。


 つまりあれか? あれなのか?


「ノープランってことか?」

「いや、えっと、うーん」


 ヒマワリが両目を右手で覆い隠して、考える。


 そして、その手を外し、俺を見て、ニカッと笑った。


「ノープラン!」

「こんの野郎!」


 俺は衝動的にヒマワリの脳天にげんこつを落としていた。


「いっ……た! ぶった! ヨウがぶった!」

「うるせぇ! 壮大な前置きからの、どうしようもないオチにしやがって!」

「しょうがないじゃん! 自慢じゃないけど、アタシ、そういう策士っぽいムーブは苦手なのよ!」

「ほんっとーに自慢にならねぇ!」


 あー、もう。どうすんだよ、これ。

 なんかいい感じのプランがあるのかと思ってたよ。


 つまるところ行き当たりばったりってことじゃねぇか。

 頭をボリボリとかきむしる。


「じゃあ、改めて作戦会議だ」

「え? 協力してくれるの?」

「乗りかかった船だからな……。いや、乗りかかるどころか、片足すら踏み入れてないような気がするんだが」

「気のせい、気のせい~」


 調子の良いやつだ。ため息を一つ。

 分の悪い賭けをするのも、長い人生の中では一興だろう。そう思おう。でないと悲しすぎる。


 そして、そんな勝利期待値の超絶低い賭けをするうえで言っておかなければならないこともある。


「ひとつ」

「ん?」

「ユリカさんが傷つくようなものになるなら、俺はその時点で降りる」

「うん。アタシもお姉ちゃんを傷つけたくないし、喧嘩したいわけじゃないから」


 でも、それって結構無理ゲーじゃないか?

 まぁいいか。どうせダメで元々だ。


 もうどーにでもなーれ!!


「改めて、作戦会議だ」

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