『もしも』の箱庭

「ヨル……」


 あの時失った少年ではなく、セイと同じ年ごろの青年が立っている。

 片腕に猫を抱いて、片手で自分の手を握ってくれている。

 記憶にあるより年を重ねた姿なのに、セイには相手が他の誰でもない兄だと分かる。

 目を見張ったままそれ以上を言えないでいるセイを見て、ヨルは少し苦笑する。


「ごめん。びっくりさせたよね?」

「……どうして、その姿だったの?」


 震えかける声を必死で抑えながら、何とか問いを口にする。

 戸惑いと共に紡がれた問いに、ヨルは少し照れた風に笑って見せながら言った。


「少しだけ、夢を叶えてもらったんだ」


 ヨルが抱いていた夢。叶えられなかった願い。

 それが今目の前のヨルがとっている姿。

 こみ上げるものに胸が詰まる想いで見つめる先で、ヨルは寂しげに笑った。


「君と一緒に生きられていたら、こうなっていただろうなっていう……君と同じ『もしも』の姿に」


 一緒に生まれたヨルとセイ。

 ヨルがあの時死んでしまわなければ、並んでいられた『もしも』の姿。

 そう思えば、今ここにいるヨルがとても切なくて。

 でも、きっとそれだけじゃない。

 そう感じたセイは、黙ってヨルを見つめてしまう。

 ヨルは、一度だけ何かを迷った様子だったが、やがて静かに語り始める。


「本当は、元の姿のままで現れるつもりだったけれど……」


 驚かせたくなかったのにね、と困ったように笑うヨルに、セイが言葉を失う。

 分かってしまったから。ヨルがかつての姿で現れることが出来なかった理由が。

 何故出来なかったのか。

 おそらく、それは。

 言い淀んでいたヨルは、続きを望むセイの眼差しに観念したように続きを口にした。


「……僕は、元の自分のかたちをとれなくなっていた」


 ――彼が『誰でもない存在』にされてしまっていたからだ。


 事実に気づいてしまい震える唇から何も紡げなくなってしまったセイを、ヨルは暫し黙って見つめていた。

 だが、やがて穏やかに再び口を開く。


「あの日、生死の境で彷徨っているセイちゃんの魂を『魔女』が狙っているのを見てしまった」


 事故によってセイは死に瀕していた。

 妹が生死の境にあり、危機が迫っているのに気付いた時。

 すぐさま妹を助けようとした少年は、あることに気づいてしまった。

 出来ないのだ。元の自分の姿をとることが。

 かつての少年の姿は存在した事実と共に封じられ、失われてしまっているから。

 セイの前に姿を現わそうとした時、彼はそれに気付いてしまった。

 形を持たないままでも、何とか漂う妹の魂に寄り添うことは出来た。

 だがこのままでは、セイに迫りくる『魔女』から彼女を守ることができない。何もできずに見ているしかできない。

 ヨルが焦り苦しんでいたその時、ある人物が彼の前に現れた。


「助けてくれたのが、時見さんだった」


 時見の名を聞いて、セイは思わず声をあげかけた。

 工房にお得意様として現れていたあの男性が、姿をとれないことに焦る少年の前にいつの間にか現れたらしい。

 そして、少しの間ではあるけれど手助けをすることができる、と告げて来たという。


「あの人は……」

「あの人はね『魔術師』なんだ。色々な『物語』を集めているって言っていた」


 いつも余裕のある笑みを崩さなかった、どこか不思議なところがあった男性。

 何処であるかもわからない不思議な場所で出会った人は、自らを『魔術師』だと名乗った。

 彼が集めているものについて聞いた瞬間、セイは思い出す。

 時見は確かに言っていた――自分は『物語』を集めていると。


「僕も詳しくは教えてもらえなかったけれど、あの人の力の源が『物語』なんだって」 


 あの時は何のことか分からないままだったが、一体彼の言う『物語』とは何なのだろう。

 いや、そもそも『魔術師』ということは、彼は人間ではなかった?

 少なくとも「普通の」人間でなかったことだけは確かである。

 分からないことだらけで眉を寄せてしまうセイに、ヨルも少し首を傾げ気味である。

 ただ、わかるのは。彼が『物語』を求めて、ヨルを助けたことだけだ。

 生者ではない少年に話しかけてくる『魔術師』と名乗る、一体何者かもわからない謎の男性。

 冷静に考えればあやしいとも、おかしいとも思うような状況だった。

 けれど、たとえそれが蜘蛛の糸であったとしても、救いを見出した少年は躊躇うことなくその言葉に縋った。

 ヨルの必死な姿を見た時見は、少しだけ苦笑して彼に対価について語ったという。


「君を守る箱庭を作り上げる間、傍で僕たちの『物語』を見守ること。それが、あの人が出してきた条件だ」

 

 束の間の夢であっても彼女を守るための箱庭を作り上げる条件として、時見は自身も『物語』の登場人物となることを望んだ。

 ヨルはそれを拒まなかった。ただ、守りたくて必死で、気付いた時には頷いていた。

 そして、魔術師と少年の契約は為された。 

 魔術師はセイの魂を軸に据え、必要なものを招き入れて。不要なものを書き替えて、あるいは排除して、彼女の為の世界を作り上げた。

 セイの魂を守るために、必要な箱庭を――。


「私を、守る……?」


 小さくつつじが鳴いたのが聞こえる。

 全てが戻って来た今、その鳴き声があまりに懐かしくて、涙が滲む。

 切れ切れに呟いた声は、ひどく呆然とした響きがあった。

 ヨルは箱庭を作る為に時見と契約を結び、時見は二人を見守る役回りについた。

 それは、全てセイを守る為だという。

 震える眼差しを向けるセイへ頷いて頷いたヨルの眼差しが、僅かに翳りを帯びる。


「本当は、すぐに身体に戻してあげられれば良かったけど。そのまま現実に戻すには、セイちゃんの魂は弱り切っていて」


 限界の状態で生きていたセイは、既に心が現実を……生きることを、拒絶してしまっていた。

 例え身体の生命活動が維持されたとしても、魂は直ぐに戻れないほどに弱っていた。

 そのまま戻しても、魂はそう時を置かずして再び身体から離れて、消え失せてしまっただろう。


「かといってそのままいれば、セイちゃんは『魔女』に見つかって囚われてしまう」


 時見の助力で一時的に目をくらましたけれど『魔女』はセイを狙い続けている。

 ただ闇雲に逃れ続けていても、いずれは見つかってしまう。

 それに、セイの魂が憩うことができない。

 だから。


「だから……セイちゃんが回復するまでの場所を作るのを手つだってもらったんだ」


 少年は、魔術師の手を借りて宝物を魔女から隠してしまうことにした。

 宝物自身が、もう一度自分の足で立つことができるようになるまで。

 もう一度、彼女が自分で歩いていけるようになるまで。


「あの人の助けを借りて、セイちゃんの記憶を軸にして、僕はあの工房を作り上げた」

「だから、あの工房では、私はあんな風だったんだね……」


 セイも、もう気づいている。

 工房での日々と、工房での『セイ』が、自分が抱いていた『もしも』の夢の姿だったということを。

 息をする事すら辛いような日々の儚い灯火であったのは、心の奥底に封じ込めた『もしも』の自分だった。

 時には馬鹿馬鹿しい夢想と自分で苦く笑うこともあった、かつて抱いた夢や願いを叶えられていたら有り得た『もしも』の自分の姿。

 あの工房は、自分がかつて望んだ姿であることができる場所だった。

 誰の顔色を伺うこともなく、明るく朗らかでいられて。

 誰に憚ることもなく、好きな趣味に存分に打ち込むことができて。

 夢だった硝子職人としていられる、祖父から預けられた工房。

 好きなことに打ち込みすぎて怒られてしまうこともあるけれど、それすら嬉しくて。

 手のかからない良い子ではなくて。人に世話を焼かれる、甘えることができるのが幸せで。

 お祖父ちゃんは元気に旅の空で、母親は存在しない。

 時々訪問するご近所さんやお得意様を迎えながら、居なくなってしまった本当に大切なものと、守れなかった大切なものと暮らす日々。

 ヨルは『魔術師』の手を借りて、それを束の間の現実とした。

 しかし、セイの魂を守りながら具現化させた箱庭に降り立った時、ヨルにはある異変が起きてしまったという。

 ただ『誰でもない存在』であることの呪縛は思いの外強く、彼は……顔は何もない仮面に覆われていた。

 魔術師は苦い表情をしていたが、彼はそれでも良かった。

 これで、暫しの間大切な妹を守ることができる。それだけで彼は十分だった。

 魔術師はあくまで一途にそれを思い続ける少年を見て肩をすくめると、その姿の彼を束の間の夢に、登場人物として組み込んだ。

 未完成だった箱庭は、ヨルが組み込まれたことによって完成する。

 ヨルが兄と名乗る事は叶わなかったけれど、箱庭の主の心が求めたものが足りて、彼女の世界は満ちた。

 あとは穏やかなで幸せな日々を過ごしながら、セイの魂が癒えるのを待つだけになった。

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