夜空に咲いた華

 やがて、太陽の場所は緩やかに進み、空の色が変わり行く頃。

 セイは、ヨルと共に久しぶりに家の敷地の外へ出ることとなった。

 それが何時ぐらいぶりだったか、と思うに至り、やっぱり外に出なさすぎだと心の中に盛大な溜息を吐く。

 言い訳のしようがない、完全に引きこもりである。

 これからは、いくらヨルが世話を焼いてくれるからといって、少しは自分でも外にでるようにしなければと思う。

 花火を鑑賞できる場所までは公共交通機関によって移動するのだが、その乗り場に辿り着くまでが既に試練だった。

 ヨルが気遣いながら歩いてくれるので、遅れないように待たせないように必死で足を進める。

 セイの体力を考えて、普通よりも時間がかかると見越し出発の時間を決めたヨルは流石だと思った。

 通り過ぎる町の風景は、何故かセイの中にある風景と違って見える。

 夕暮れの色合いが見える不思議のせいだろうか。

 セイに歩幅を合わせて歩きながら、周囲を見回しながらヨルはぽつりと呟いた。


「この辺りも、大分変った気がします。……これからも、変わっていくでしょう」

「小学校、無くなっちゃうんだっけ」

「いずれ解体するそうです。……寂しいですね」


 セイが通っていた小学校も、生徒数減少により他校と統合され閉校となった。

 がらんとした建物の前を通り過ぎながら、セイは不思議な感覚を覚えていた。

 学校へ通い続けた日々、セイは一人ではなかった

 幼い頃の思い出だろうか。いつも隣に誰かが居た。

 同じぐらいの背丈で、同じ年ごろの誰か。

 今のヨルのように、気遣いながら先を進んでくれた子が居た気がする。

 一緒に、巡る季節を感じながら、この風景を歩んでくれていた気がする。

 それが嬉しくて、温かくて。子供の足には少し大変なはずの道のりも楽しくて仕方なかった。

 けれど、何時からかそれすらも出来なくなった。

 一緒にいてくれた子を、誰かが引きずっていこうとしている。


 ――この子はしなければならないことが沢山あるの。もう、あなたと一緒にいる無駄な時間なんてないの。


 その女の人は、叫んだ気がする。心を引き裂くような、激しく鋭い声で。


 ――この子は、貴方みたいな『余りもの』じゃないんだから!


「大丈夫ですか? セイさん」

「あ、ごめん。大丈夫……」


 閉じた学校を見つめながら、いつの間にかセイは立ち尽くしていたようだった。

 目の前には、心配そうな声で言葉をかけながら覗き込んでいるヨルがいる。

 今のは一体と思ったけれど、ゆるゆると頭を左右に振りながら、何とか笑みを浮かべ直して答えるセイ。

 何故か今のヨルの声に、高く済んだ声が重なって聞こえた気がしたのだ。


『……大丈夫? ……ちゃん』

「大丈夫だよ……ヨル」


 セイは一度頷いて見せながら、もう一度ヨルへと笑顔を見せた。

 それから暫くして、セイとヨルは花火大会の会場へと足を踏み入れていた。

 まだ花火が打ちあがる前だが、呆然と立ち尽くすセイの前には……。


 ――見渡す限りの、人・人・人!


人口減少が叫ばれているはずの街であるが、どこから出てきたのと叫びたくなるほどの凄い人である。

 花火を見ようと集った人々で、場はごった返していた。

 注意していなければ、あっという間にヨルをはぐれてしまいそうだ。

 久しぶりの外出がこれとは、出不精を極めた人間にはハードルが高すぎただろうか。

 すでに目の前がぐらついているような気がするが、ここで倒れるわけにはいかない。

 セイは必死に、手が白くなるほどにヨルの服を強くつかみ、ヨルの背にしがみ付いてしまう。


「……それじゃあ、私が邪魔になって花火が見えないのでは?」

「はぐれるよりまし!」


 この年で迷子というのも情けないし、この人込みで倒れて運ばれるというのも嫌だ。

 臨場感は充分に味わえている。如何にヨルが長身であるとはいえ、花火の全てを遮る程ではあるまい。


「大丈夫です。絶対にはぐれませんから、ほら、見て」


 安心させるように、ぽん、とセイの頭に軽く手を乗せたかと思うと、ヨルが促すように空を見た。

 そして次の瞬間、盛大な音と共に夜空に次々と華が咲いた。


「すごい…‥。すごいね、ヨル!」


 良い年齢なのだから、もう少し目の前の興奮を上手く表現する言葉はないのかと思うけれど。

 セイは、無邪気なまでに目を輝かせてヨルへと叫んだ。

 夜の闇を照らし出すのは、次々咲き乱れる大きな、そして鮮やかに眩い華たち。

 目を奪って離さない見事なそれらに、先程までの人込みへの怯えはすっかりと消えていた。

 黒い背景に次々咲いては散る華の数々にすっかり釘付けのセイの耳に、ふと微かな声が聞こえた。


「本当に変わらないね……」

「え? 何か言った?」

「いえ、何も。それより、ほら。次々あがりますよ?」


 ヨルが何か呟いた気がして問いかけたものの、緩く首を振ってヨルは否定する。

 セイは続けて何かを言おうとしたけれど、ヨルの言葉通りに花火は息つく間もなく打ちあがり続けている。

 華が開いて一つ散るごとに、形容できない想いが浮かび上がりかける。

 ああ、何故だろう。

 たまらなく、嬉しくて、切なくて。そして、とても『懐かしい』

 一瞬という刹那に咲き誇る美しいものを見た喜びと。『また、来られた』という脳裏に巡った理由がわからない懐かしさ。

そして、隣にヨルが居てくれることが説明できないほどに幸せで、同時に切なく思う思い。

 巡る様々な心を胸に。ヨルと並んで、セイはただじっと夜空を見上げていた。



 花火大会が盛況の内に終わってから暫し後、二人は家へと帰っていた。

 居間にいるのはセイだけ。

 ヨルはというと、楽しかったけれど人に酔いました、ということで早々に部屋へと戻って行ったのだ。

 セイにも、今日は夜更かしせずに早く寝て下さいね、と釘を刺すように残して。

 つつじは、ちょっと気になるからとそれについていってしまった。

 セイは、ぼんやりと宙を見つめたままソファに倒れ込んだ。

 思い出すのは、花火が終わって帰ろうとした時に目の前に差し出されたヨルの大きな手の平だった。


『この人込みです。はぐれたら大変なので、我慢して下さい』


 手を引いてくれるということだろう。

 子供じゃないのだからとセイは一瞬不貞腐れかけたけれど、ヨルの言葉は一理ある。

 一人では、移動を始めた人々の流れに飲まれてどこに行ってしまうかわからない。

 少し照れながら、セイはヨルの手を取った。

 手を引いて歩いてくれたヨル。

 ヨルの手の温もりが、セイが花火大会を思うと胸を過ぎる『悲しい』を癒してくれた気がする。

 何故そんなマイナスな感情を、あんなに楽しいイベントに抱いていたのかが不思議でならない。

 だが、歩幅を合わせてゆっくり歩いてくれる夜に手を引かれ共に歩くうちに、ふと思い出したのだ――前にも、誰かに手を引かれて人込みの中を歩いた気がする、と。

 多分、セイが子供のころだったと思う。

 一緒にきていた人達が、小さなことをきっかけに喧嘩を始めてしまって、楽しい時間は台無しになってしまって。

 セイが悲しんで俯いていると、目の前に手が差し出された。


 ――『一緒にかえろう』


 そんなことをしていいのかと躊躇うセイの手をとって、安心させるように相手は笑った。


 ――『好きなだけ喧嘩させておけばいいよ。もう、あの人たちはおいて、二人で帰っちゃおう』


 その笑顔を見て、声を聞いて、セイは安心した。

 そして手を引かれ、夜空を見上げながら一緒に歩いていった気がする。

 久々になかなかハードルの高い外出をした疲労は勿論ある。

 けれど、心は様々なものにざわめき、落ち着いてくれない。

 このままではとても眠れそうにない、と息を吐き、何か飲もうかと冷蔵庫へと歩き出しかけた時だった。

 もはや聞き慣れた車の音がしたかと思えば、止まった。

 もしかして、と思っているとチャイムが鳴り、インターホンのボタンを押せば予想通りの人物がそこに映る。


「仕事が少し長引いたんだ、夜更けになってしまってすまない」


 鍵を開けてその人物――何やら手に梱包された箱を手にした時見を招きいれたセイは、怪訝そうな表情で問いかけた。


「急ぎの用事でもありました?」

「……冷たい甘味をお求めだったのは、どこの姫君だね」


 こんな時間に、と言いたげに首を傾げたセイに、苦笑いしつつ答える時見。

 手渡された箱からはひんやりとした空気が零れているのを感じる。

 セイは、昼間散々冷たいスイーツを求めて騒いだ自分を思い出す。


「いや、まさか今日の今日で持ってきてくれると思っていなかったから」

「顔を見る口実になるなら、喜んで持参するさ」


 気まずそうに笑いつつ受け取り礼を述べるセイに対して、片目を閉じながら時見は実に嬉しそうな笑みを浮かべている。

 まさか本当に、しかもこんなに早く願いを叶えてもらえるとは思わなかった。

 そのうちのついででも良かったのにと思うけれど、今は素直にありがたいと思う。

 時見は居間を見回していたが、首を傾げた。


「ヨルは?」

「人に酔ったから、少し横になるって……」


 時見が怪訝そうな顔をしたので、セイは慌てて先程まで自分達が何処に行っていたのかを説明する。


「花火大会に行ってきたんです」

「花火大会か。今年も盛況だったろうな」


 道理で道が混んでいたと思った、と呟きながら言う時見に、セイは頷く。

 そして、楽しかったとセイが顔を綻ばせると。


「事前に言っておいてくれれば、浴衣をプレゼントしたのに」

「……教えなくてもジャストサイズなものを持ってきそうで怖いから嫌です」


 実に残念そうに時見が言うので、セイは思わず真顔で言い返していた。

 この人は、サイズを教えなくても寸分の狂いのない服を相手に贈ることができる気がしている。

 日頃思っていることを忌憚なく口にしたセイに、時見は実に楽しそうに続けた。


「目測でそれぐらい簡単だろう」

「やだ、この人」


 疑惑を肯定され、明確に引いた、と言った様子で後退ったセイを見て肩を竦めると、時見は踵を返して歩き始めた。


「今日は長居をしない方がいいと思うからね。セイも、今日は休むと良い。また来るから」

「はい。ありがとうございます」


 手にした箱を捧げるように持って見せると、セイは頷いて頭を下げた。

 そして、そのすぐ後にエンジンがかかる音がして、夜闇を切り裂くライトと共に車は工房から去って行った。


 ◇ ◇ ◇


「随分無理をしたものだな」


 ベッドに横になり、苦しい息に呻いていたヨルの耳に、不意に男の声が響いた。

 一瞬息を飲んだけれど、すぐに一つ大きな息を吐きながらそちらを見る。

 そこには、先程工房から去ったばかりのはずの男が居た。

 腕を組みつつ、その表情には僅かに咎めるような苦い色が滲む。

 彼は、今日ヨルが何をしたのか気づいたのだろう。

 それがヨルにとってどれほどの負荷となったのかを知るからこそ、無理を咎めているのだ。

 ヨルは身を起こそうとするが、相手がそれを手で制した。

 つつじが心配そうに見つめる先で、ヨルは苦笑の滲む息を吐く。


「どうしても、最後に二人で行きたかったんです」


 ヨルは宙を見上ながら言葉を紡ぐ。悔いを残して過ぎてしまった出来事へと思いを巡らせる深い声音で。

 男も、猫も、ただ黙ってヨルへと複雑な感情の滲む眼差しを向けている。

 二つの視線を受けながらヨルは静かに続けた。


「辛い思い出にしたままだったことが、心残りだったから……」


 理不尽な出来事で、彼女の中の記憶は『悲しい』になってしまった。

 彼女はとても楽しみにしていたのに、それが枷となって願うことすらしなくなってしまって。

 彼は気になっていた。

 だから、無茶と知っていても彼女を連れ出した。

 新しい思い出で、彼女の中の記憶が上書きされてくれますようにと祈って。


「もう、思い出で、悲しい顔をしてほしくないから……」


 呟く声音は弱弱しいけれど、どこか満足そうな響きがある。

 佇む男も、見つめる猫も、それ以上を彼に告げることはできなかった――。

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