花火大会

 月が変わり、照り付ける陽射しが一層強さを増す。

 セイは、相変わらずヨルと共に工房で作業をしていた。

 つつじは出来る限り二人と居ようとするが、エアコンがあっても暑い工房に耐えかねて居間へ避難する。

 観光シーズンになると、近くにある外国人墓地にも観光客の姿が増える。

 外に人の気配を感じる事が増える中、工房の中は平穏な静けさを保っていた。

 硝子作り体験が出来る工房であれば、きっと立ち寄る人もありそれなりに忙しくなっただろうが。

 セイも考えた事がないわけではない。ただ、今の状態で外に工房を開いて、管理し運営していく自信がもてない。

 祖父も同じ考えだったようで、ここでただ自身の制作のみに打ち込んでいた。

 じわじわと身体の内側まで焼けていくような暑さは、体力ばかりか気力まで奪っていく。

 かなりの集中力を誇るセイをもってしても、時折作業の手が止まるようになってしまう。

 大きく息を吐き出しながら、作業台に上半身を伏せてしまうセイ。

 溜息と共に突っ伏していたところに、表面に水滴の浮いたグラスが差し出される。

 一息いれましょうと冷たい麦茶を勧めてくれるヨルを、セイは視線だけで見上げながら礼を言った。

 麦茶を口にすると、喉を清涼な感覚が過ぎていき、生き返ったような心地がする。

 セイの表情が緩んだ様子を見て、ヨルは安堵したように息を吐いた。

 伏せていた身を起こしながら窓外を眺めつつ、セイは不意にぽつりと呟く。


「時見さん、こないかな……」

「珍しいですね」


 ヨルが首を傾げつつ呟いた。

 普段、あれほど彼の人が来訪すると引き気味になっているというのに、と言いたげな様子だ。

 セイは強まりつつある陽射しに輝くような窓外の景色を見つめつつ、更に続けた。


「……ラッキーピエロのシルクソフトが食べたい」

「まあ、一応テイクアウトは可能ですけど。……溶けませんか?」


 ヨルに冷静に指摘されて、セイは一つ溜息。

 函館における有名なファーストフード店のソフトクリームは、いつも食べたいと思っているのに食べられなくて悔しい思いがある。

 一番近い店からここまで冷房をガンガン効かせた車で運んだなら大丈夫だとは思うが、確証はない。

 出向けばいいと言われそうだが、作業がある身としては工房を開けられない。

 けして、行くのが面倒だからではない。けして。 


「じゃあシュウェットカカオの、アイスポップとか、出来ればかき氷」

「後者はテイクアウトしていましたっけ?」


 市内のチョコレート専門店が期間限定で開く冷菓専門店がある。

 前者はテイクアウトであるはずだ。実際に誰かからお土産で貰った記憶がある。

 その時は、何故か食べられなくて悲しい思いをしたような……。

 だが、確かにボリュームたっぷりのかき氷をここまでそのまま持って来るのはテイクアウト可能だとしても難しい気はする。

 セイは口惜しげに唇を噛みしめていたかと思えば、気を地直した風に。


「きくちのコーヒーソフト……」

「さすがに距離の問題が」


 誰だったかが美味しかったと言っていたのを羨ましく聞いた覚えがある。

 コーヒーフレーバーのソフトクリームが有名な老舗喫茶店とは、函館のほぼ端と端だと言って差し支えない。

 如何に時見といえども、距離と時間の概念は何ともし難いかもしれない。


「ミルキッシモのジェラート……。サーティワン……」

「……つまり、冷たくて甘いものが食べたいということですね」


 次々にセイの口から零れ落ちるのは、市内で購入できる夏の甘味である。

 ヨルは盛大に溜息をつきながら、時見へと「いらっしゃる予定があるなら、冷菓の持参をお願いします」とメッセージを送ったようである。

 もはやあの人はスイーツ運搬係としてしか認識されていないのではとヨルは呆れたように呟くが、セイはすぐには否定できなかった。

 時見が来る=スイーツが食べられる、の図式が出来上がっているのは事実。

 そして、甘いものが食べられるならば、出来れば冷たいものがありがたいと思うのも切なる事実。


「せめて、今日のお昼はそうめんにしましょうか」

「ありがとう、ヨル……」

「拝まないでいいですから……」


 暑さにすっかり色々と削がれて力が抜けてしまっているセイは、ヨルを見上げつつ拝むような仕草をする。

 苦笑交じりに言ったヨルは、出来たら呼びますから、と残して工房から消えていく。

 ヨルの背中を黙って見送りながら、セイはもう一度作業台の上に崩れるように突っ伏した。

 色々な形でヨルがセイを気遣ってくれるのをありがたいと思うと同時に、申し訳なさが募っている。

 悩みの原因は、暑さばかりではないのだ。

 早く『星』を作ってあげたいのに、とセイは焦っていた。

 ヨルは、けして急かすようなことを言っていない。

 注文を優先してくれて構わないと言ってくれるけれど、セイは感じるのだ。ヨルが、セイが『星』を作り上げるのを切実に待っていると。

 ヨルだけではない。つつじも、セイが『星』を作るのを待ってくれている気がする。

 彼らが何故そんなにまでも『星』を願うのか。一体、自分はどんな『星』を作ればいいのか。

 デザインどころか、何を作るのかすら決まっていないことに焦っている。

 ヨルの為に、ヨルのことを思って作る『星』が定まらないことにもどかしさを覚えている。

 セイにとっての世界の一部である相手なのに、思いを形に出来ないことを苦く思ってしまう。

 自分達の間にある大切な何かを忘れてしまっているようで、苦しい。

 一番忘れてはいけないことを、無かったことにしてしまっているようで、悔しい。

 暫くして、ひんやりと涼しいそうめんを食すセイと、いつものようにそれを見守るヨルとつつじの姿が居間にあった。

 身体の暑さを鎮めてくれるような冷たく滑らかな喉越しに、ヨルへの感謝を口にしつつセイは食べ進める。

 そうめんが由紀子からの頂きものだということに話が及んだ時、セイがふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、今日は花火大会だって言ってたね」


 そうめんをおすそ分けにきてくれた時にセイも顔を合わせたのだが、その時由紀子が話題にあげていたのだ。

 夏に入って、函館では幾度か大規模な花火大会が開かれる。由紀子が行ったというのは、その先陣ともいえる一つ目のものだった。

 今年も孫たちが行きたがっているから、準備に大変なのよと。

 去年も行ったけれど、とても凄い人出で孫とはぐれないのに必死だったわ、と老婦人が苦笑していたのを思い出す。

 口にはしないが、セイも行きたいと思う。

 普段は外にでるのを億劫がるし、人が大勢集まる場所に自ら出かけていくなどとんでもないとも思う。

 だが、その花火大会だけは『行きたい』と思ってしまうのだ。

 けれどそれと同時に、何故か脳裏に『悲しい』と思ってしまい、つい口を閉ざしてしまう。

 行ったら、嫌なことがあったから。

 悲しい終わり方をしたから、行きたいと言ってはいけないと裡にある何かが自分を止めるのだ。

 だが、物思いに沈みかけたセイの耳に思わぬ言葉が飛び込んできた。


「セイさん、見に行きませんか?」

「え……?」


 目を瞬いて言葉をセイは一瞬言葉を失う。

 珍しいな、と思った。

 セイは確かに出不精の極みだが、実はヨルもセイをあまり外に出したがらない節がある。

 病院など確実にセイ本人でなければいけない用事以外、ほぼ引き受けて済ませてきてくれる。

 大概の場合、セイは外に出かけたとしても帰ったあたりには意識朦朧状態で、帰宅したらその足でベッドに沈む。出かけていた間のこともほぼ覚えていない。

それを踏まえての彼なりの対策ということかもしれない。

 だから、ヨルから外出の誘いというのは珍しい……いや、ほぼお初といっていい気すらする。

 きょとんと目を見開いたまま、セイはヨルをじっと見つめた。

 仮面のまま人込みに出ていって大丈夫か、と思わないでもないが、そもそもヨルは仮面のまま普通に外出しているではないか。

 『星』作りのいい着想を得られるかもしれないし、気分も変わるかもしれない。

 表情のない仮面は硬質さを湛えたままだが、何故か彼を包む空気は柔らかく温かで、懐かしさを滲ませている。

 答えを待つように沈黙していたヨルに、セイは一呼吸おいてから頷いた。


「……うん。行きたい」


 いつもの自分なら、頷かなかった気はする。

 外に出るのも、人の多い場所に行くのも気が進まない。

 でも、ヨルが言ってくれたのが、何故か不思議なくらい嬉しくて。

 一緒に花火大会に行くということが、胸に熱いものがこみ上げるほどに切なくて。

 客観的に見て苦手なことをしようとしているのに、気が付いた時には頷いていた。

 セイが頷いたのを見て、ヨルの雰囲気が安堵した風なものに転じた。

 是の答えを返してくれるのか、とても緊張していたらしいと思うと少し不思議に思うけれど、重ねて行きたい旨を伝える。


「それじゃあ、時間までに少し作業を進めようかな」

「はい。後片付けをしたらお手伝いしますから、先に行っていてください」


 いつもの自分らしくない自分に戸惑いつつも、不思議と弾む心も抑えきれず。

 セイは軽やかに身を翻すと、背にヨルの言葉を聞きながら工房へと歩き出していた。

 だから、セイは気づかなかった。

 つつじが気づかわしげに、ヨルに『大丈夫?』と問いかけたことにも。

 ヨルがつつじを撫でながら、一度だけゆっくりと頷いて見せたことにも。

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