硝子向こうの彼女

 陽が落ちて、何時も通りヨルが作ってくれたご飯で夕食を終えて。

 セイは、後片付けをしているヨルの背中を、離れたソファから見つめていた。

 横には寄り添うようにつつじが丸くなっている。

 手伝おうかと申し出ても、ヨルはゆっくりしていて下さいとやんわり断る。

 セイが戦力外であるというのは、原因の一つとしてあるかもしれない。

 だがヨルは、貴方は作業で疲れているのだから、と穏やかに制するのだ。

 ヨルだって、セイが工房で作業に打ち込んでいるのを手伝ってくれているのに。

 ふわふわなつつじの背を撫でてやると、可愛らしい声でじゃれついてくる。

 甘えてくるつつじを構いながら、セイは一つ息を吐く。

 貴方のお世話をするのが私の楽しみです、と優しく言ってくれるヨル。

 後片付けを終えて、明日の食事の仕込みまで始めた彼の背中を見ながら時見の言葉を思い出す


『君達は不思議な関係だ』


 そう、確かに不思議な関係かもしれない。

 セイとヨルは同じ場所で暮らしている。けれど、自分達の関係を説明しろと言われると困ってしまうことがある。

 とある職人の弟子とその職人の孫、正しく言い表すならそれだけだ。

 恋人でも夫婦でもない。異性の友人というわけでもない。

 誰も不思議に思っていないのか、思っていても口に出さないだけなのか、何も言われないけれど。

 客観的に見れば、同じ年ごろの男女が一つ屋根の下というのは要らない憶測を呼ぶだろう。

 だが、セイにとってヨルを異性として見ろというのは無理なのである。

 何故と言われてもうまく説明できない。

 ただ、セイにとってヨルはこの場所での日常においてそこに居てくれる存在ではあるが、意識する対象ではないのだ。

 だからといって、時見を意識しろと言われてもそれもまた無理と言ってしまう。

 嫌いではないし、好ましいと思ってもいる。だが、今は『何か』が違うような気がして、好意を口にされても本気に出来ないが……。

 祖父の弟子であるヨル。

 あの日、祖父が去った工房につつじと共に残されていた彼の言葉を、セイはごく自然に受け入れていた。

 ヨルもまた、セイを自然に受け入れてくれた。

 人を騙す怖い話とて転がっているご時世、もう少し考えれば良かったのでは、迂闊であると咎められても仕方ないのに。

 セイにとってヨルはヨルであり。

 ヨルにとってセイはセイである。

 セイがヨルと共にいること。ヨルがセイと共にいること。

 それが、正しく『満ち足りた』形であると今も心から思っている理由について、説明することが今もできない……。

 もう一つ息を吐いて、セイは傍にあったスマホに手を伸ばした……伸ばそうとした。

 そして、違和感に漸く気付く。

 静かにソファから立ち上がったセイをつつじは一声鳴いて見上げ、動いた気配とつつじの声に気付いたヨルが振り向いた。

 セイが二階ではなく工房の方へ歩いているのを見て、ヨルは首を傾げる。


「まだ作業をするんですか?」

「ううん。工房にスマホ置いてきちゃった」


 問いかけられて、セイは軽く首を左右に振って否定しながら苦笑する。

 今日は嵐のような時見の訪問があったので、色々と振り回されて調子が引きずられてしまったようだ。

 気づかれとも何とも言えない不思議な感覚に支配されるうちに、いつも手元に置いておいたはずのものも置き去りにしてしまった。

 今夜は推している実況者の配信があるのだ、備えておかなくては。

 そんなことを考えながら居間を出ようとしていたセイの背に、ヨルが笑いながら声をかける。


「置きっぱなしのほうが、夜更かししなくていいかもしれませんね」

「ちゃんと充電しないと、いざという時に電源きれちゃうでしょうが」


 見透かされている、と思わず引き攣った笑みになってまいながらセイは答えた。

 分が悪いのを誤魔化すように足早に今から出て、再び工房に足を踏み入れる。

 窓の向こうには月明かりに照らされた、漆黒の闇夜の庭。

 陽の光が入らない静寂に包まれた工房は、昼間とは違った場所にすら見える。

 並べられたステンドグラスの作品もまた、違った色と趣を湛えているように思う。

 足元に気を付けながら、セイは奥まったところにある作業机まで歩み寄る。

 探していたスマホは机の端に鎮座していた。

 手に取って確認し、特に急ぎの連絡や気になる通知など来ていないことを確認して安堵する。

 さて、それでは部屋に戻って少しゲームでもするか、と身を翻しかけて。

 視界の端にふわりと何かがゆれ、その光景は過ぎった。

 

(ああ、まただ)


 セイの視線の先には、とある『窓』がある。

 工房のある一面には、一際見事なステンドグラスの窓が嵌め込まれている。

 緻密な幻想的で、見る者の目を奪う程に美しい細工のそれは、まるでおとぎ話にでも出てくる魔法の扉のようだった。

 ヨルの話では、祖父が工房を去る間際に作り上げて設置していったらしい。

 職人として名を馳せていた祖父が技術の粋を尽くしたということで、大層素晴らしい出来である。

 だが、セイが目を止めた理由はそれだけではない。

 その窓……いや、その『扉』の向こうに、時折不思議な光景が映し出されるのだ。

 それは、一人の少女の姿だった。

 顔には靄がかかってはっきり見えない。

 制服は、市内のカトリック系の女子校のものだと分かるけれど……。

 とても真面目な少女のようで、いつも勉強を頑張っている様子である。

 目にするのが、大体勉強している姿であることからそれは察せられる。

 遊ぶこともなく、わき目も振らず一生懸命に、必死に。

 必死に打ち込む故に孤立していても、それでも少女は止まれない。

 けれども、何故かそれは『何か』に否定され、少女は打ちひしがれてしまう。

 いつも何かに耐えて、それでも必死に縋りつき。

 したいことがあっても、何かに興味を抱いても、それを口にすることすら出来ない。

 暗くて恐ろしい『何か』が、それを許さない。

 少女は逆らうことすらせず、それに従い。自分を抑えつけて。息をすることすら苦しそうで。

 見ているこちらもまた苦しくなる姿は、どうやらセイにしか見えていないようだ。

 最初見た時驚いて、ヨルとつつじを呼んだのだが、彼らは何も見えないと不思議がっていた。

 映る少女が現実の存在なのか、それともただの幻なのかは分からない。

 分かるのは少女が抑圧された環境にあり、努力を続けていても報われていないこと。

 何かしてあげたいと思うけれど、夢か現かすらわからない。ただ映し出される姿を歯がゆく見守るしか出来ない。

 見ているセイもまた息が苦しい程に胸が詰まっても、何もできない。


 硝子の向こうのあなた。

 ねえ、あなたは誰?

 私に何を告げたいの? 私は、あなたに何かできないの……


 恐怖と、もっと深い暗いものを孕む『何か』に支配され脅かされ、逃げられない。

 硝子窓が映し出す不思議の姿に、セイはただ遣る瀬無い思いを抱えて立ち尽くしていた――。


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