お得意様の来訪
楽しい昼食を終えて少しすると由紀子は家へと帰って行き、また一人と一匹になる。
お腹もいい具合に満ちたし、休憩も充分だ。
そろそろヨルが帰ってくる頃だろうかと思いながら、セイはつつじを連れて工房へと戻ろうと一歩踏み出しかけた。
その時、セイの耳に車のエンジン音が聞こえてきた。どうやら車が敷地内に入ってきたようだ。
だが、ヨルもセイも車には乗らないのでヨルではない。
首を傾げ思案していたが、ふと心辺りに気付いて息を吐く。
ああ、そろそろまた来る頃だった、と思いながら見つめる視線の先で、居間の扉が勢いよく開いた。
「セイ! 元気にしていたかい!?」
「……人の家に勝手に入ってきて、元気ですね……
『やっぱり、時見さんだ』
「やあ、つつじも元気かい?」
玄関には鍵をかけ直しておいたはずなのに、高らかに叫びながらその人物は居間へと足を踏み入れる。
現れたのは、セイよりも幾分年長の長身の男性だ。
少し気崩したスーツはしっかりとした仕立てのものであり、顔立ちはかなり整っている。
余裕ある雰囲気の笑みを見た女性が色めき立ちそうな美男ではある。
男性は、猫であるつつじが喋っても驚いた様子はない。むしろ陽気に挨拶すらしている。
だが、セイからするとこの時見という男性は、きらきらしすぎて逆に胡散臭く感じてしまう。
ぞんざいに扱っていい人物ではないが、ついつい引き気味になってしまうのだ。
セイが辛うじて愛想笑いを浮かべているのに気付いているのかいないのか、時見は尚も笑顔のまま続ける。
「別に鍵を無理やりこじ開けたわけじゃないよ? 開けてもらったんだ」
「ご用ということなので、開けないわけにも」
上機嫌の時見の後ろから、同じぐらい長身の人影が現れる。
複雑そうな声音で言いながら続けた見慣れた仮面の人物の登場に、セイは軽く目を見張った。
「あれ、ヨル?」
『ヨル、お帰り』
「スーパーの前あたりで見かけたから拾ってきたよ」
時見のいうことには、工房に向かっている途中、買い物帰りで荷物を抱えたヨルが歩いているのを見かけたらしい。
どうせ行先は同じだからと乗せてきてくれたらしい。
ここからスーパーのある場所までは大分歩く。荷物を抱えて帰路についていたヨルを連れてきてくれたことについては素直に礼を言う。
だが、今日は作業に打ち込みたい心境だし、ある理由でセイはこの人が若干苦手だ。
出来るならご機嫌なうちに、この男性には穏便にご退場願いたい。
「せっかくお越し頂いて申し訳ないのですが。生憎今忙しいので、その……」
何とか笑みを作りつつ言いかけたセイを遮るように、時見は手にしていた紙箱を差し出した。
「今日のお土産は、スナッフルズのチーズオムレットだよ」
「ささ、座って座って! ヨル、お茶いれてね!」
市内でも有名なスイーツ店の名物お菓子を手渡されたセイは、綺麗に発言をひっくり返した。
先程までの引いた態度が嘘のように喜びを全開にした歓迎ムードになったセイを見て、男性達と猫はそれぞれの見解を口にする。
「清々しいくらい分かりやすくて、本当に可愛いなあ」
「私は些か心配です」
『セイ、お菓子好きだから……』
にこやかに微笑みながら好意的な意見を口にする時見に対して、ヨルは渋い顔である。つつじは苦笑いの雰囲気だ。
お菓子で餌付けとか今時子供にだって通用しないのに、と溜息をつきながらも、手にした買い物袋を片づけるべくキッチンへと消えていく。
勝手知ったる人の家、と言わんばかりにごく自然な様子で工房へと足を踏み入れた月見は、またも当たり前のように椅子へ腰を下す。
半熟オムレツのようにふわっととろける菓子にご機嫌な様子のセイは、今日の訪問の理由について時見に問いかけた。
「様子を見に来たのもあるけれど。実は、知り合いへのお祝いにステンドランプを贈りたいと思ってね。頼めるかい?」
時見もまた、先代の頃からの工房の客だ。それも、かなりのお得意の部類に入る。
市内で幾つか会社を経営しているとかで羽振りのいいこの男性は、ステンドグラスの蒐集家であるらしい。
先代から購入した品でもかなりの数であるというし、セイの作品も幾つもお買い上げいただいている。
そして、取り扱いの口利きをしてくれる他、今日のように個人的な注文を持ってきてくれることも多い。
先代が工房から去った後も何かと気にかけてくれる人を、ありがたいとは思っているのは本心だ。
出来る限り彼の依頼には答えたいセイは机にあった帳簿を開いて、今ある作業予定を整理して口を開く。
「今なら、そうかからないで作業に入れるとは思います」
「そうか。じゃあ、一つ頼めるかな」
セイの答えを聞いて、時見は鷹揚に頷きながら告げる。
帳簿に作業予定を一つ付け加えつつ、セイは続けて問いかける。
「モチーフに、何か注文とかはあります?」
「セイの得意な、星のモチーフで構わないよ」
ステンドグラスの作品を作る上で、注文に応じて様々なモチーフを使う。
だが時見が口にしたように、セイが好んで使うのは星だった。
星をテーマにした作品は、取引のある相手からも評判が良く、セイの代名詞ともなりつつある。
時見の言葉はつまり、好きなように作っていいよということである。
売れる為には節を曲げなくてはならないこともある世界で、好きなものをテーマに作らせてもらえるのはありがたいことである。
納期など細かい打ち合わせをした後、セイは感謝を口にすべく頭を下げる。
「いつも有難うございます」
「なら、いつでも私のところにお嫁にきてくれていいのだよ?」
頭を下げたまま、セイの口元がひきつった。
『また始まった』
呆れたようにつつじが言う。
恩人とも言える、客観的に見て好ましい男性を苦手に思う理由はこれだ。
時見は、折に触れてはセイに対して好意を――有体にいえば、折に触れては求婚してくる。
まだそんな心算はないし、今は工房の運営に専念したいので丁重にお断りをし続けているが、時見はなかなか諦めてくれない。
邪険に扱う訳にもいかない相手なので、この話題を出されると対応に本当に困る。
何と答えて切り抜けるかと思案していたセイの耳に、盛大な溜息が聞こえた。
「時見さん。セイさんで遊ぶのは止めて下さい」
「遊びなものか。私は本気だよ?」
二人分のお茶と温めたミルクを載せたトレーを手にしたヨルが、いつの間にかその場に現れていた。
仮面をしている故に表情はわからないが、その固い声音と纏う雰囲気からして、本心で時見の言動を咎めているのが伝わってくる。
ヨルの登場に安堵したように息を吐くセイ。
そんなセイと現れたヨルに順繰りに視線を巡らせると、時見は肩をすくめて見せた。
「まあ、今日のところはここまでにしよう。ヨルを本気で怒らせたくはないしね」
無言で紅茶の注がれたカップと菓子の小皿を置くヨルを見ながら、時見は苦笑する。
ヨルはセイの前にもカップと小皿を置いてくれて、熱いので気を付けて、と一言添えてくれた。
「君たちは不思議な関係だ」
猫舌故にカップを手に慎重な様子のセイと、つつじの前にミルクを置いているヨルを見て時見は優しい笑みを浮かべて言う。
その声音がとても複雑な響きを帯びているようで、セイは思わず目を瞬く。
ヨルもまた時見の方を、言葉を紡がぬままに見つめている。
二人分の戸惑いの眼差しを受けながら、時見は更に言葉を重ねた。
「けれど、君達には確かな絆がある」
そう呟いた男性の顔は、一瞬とても年齢を重ねた雰囲気を感じさせた。
セイが何かを口にしようとして、何も言葉に出来ずに躊躇っていた次の瞬間。
時見は先程までの朗らかな様子に戻ると、話題を切り替える。
問えなくて、触れられなくて。
セイもヨルもつつじも積極的にその話題に乗ったので、紅茶と菓子を交えた会話は明るく他愛無い会話が工房に響くこととなった。
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