第24話 オノプロ

「今週の第三位は、『ゆれる想い』直木マナ8090点!」

 久米宏は叫んだが、ミラーゲートは開かなかった。

「直木マナさんは今、別スタジオにいます。マナちゃーん!」

 暗いスタジオでマナが椅子に座っている姿が映し出される。

「はーい」と無表情に手を振るマナに、黒柳徹子が話しかける。

「マナちゃーん、お帰りなさい。みんな心配してたのよ。元気でしたか」

「はい、ありがとうございます。ご心配かけました」

「今日から仕事復帰という事で、あなたからもメッセージがおありでしょうけども、私から一言先に言わせて下さい」

「はい」

「今回あなたの身の危険を思うと、一時お姿を隠されたのはやむを得ない事だったと思います。でもあなたは決して、世間から非難される事は何もされていないんです。もし今、後ろめたいとか、恥ずかしいっていうお気持ちがあるとしたら、それは間違いですからお捨てになって下さい。変な目で見る人は無視していいです。堂々と今まで通りのあなたでご活躍されて下さい。本当にお帰りなさい。今日は出演して戴いて、私とっても嬉しいです」

 言葉が出て来ないマナ。沈黙の数秒、カメラはマナの目にズームアップされる。が、泣かない女の涙は今日もこぼれない。

「マナちゃん、言葉にはならないでしょうけど、皆さんには十分お気持ちは伝わっていると思いますよ。歌っていただけますか」

 久米の声にマナ、うなずいて立ち上がる。

 『ゆれる想い』のイントロ~


 このテレビを南新宿の大衆食堂で見ていた。

 マナは歌になると、毅然として声ひとつ詰まらせず歌い続けた。ランクは三位に落ちたが、マナは見事に復帰した。彼女はもう、華やかな向こう側の人間だった。

「このお姉ちゃんかい、強姦されたり中絶してたりしたってえのは。かわいい顔しちゃって、裏じゃひと通り済ませてるんだねえ」

 入口際に座った労働者風のオヤジがそう言った。テレビは店員にチャンネルをひねられ、急にドラマに変わった。

 カウンターに千円札を投げると席を立ち、俺は出口に向かった。

 十一時に事務所に行かなければいけない。空港で出迎えた嶋から、ミス小野の伝言を受けた。呼ばれた用事は十分に承知していた。

「おっと、ごめんよ」

 労働者たちの横を通り過ぎ様、ビール瓶を掴みテーブルいっぱいに中身をぶちまけた。

「何しやがんだ、あんちゃん!」

 立ち上がる、油臭い男の顔面に拳を打ち込む。さっきのオヤジが何か叫ぶが早く、席から引きずり起こして、テーブルに頭を叩き付ける。ぶちまけたビールをなめるようにオヤジはのびる。

 が、そこまでだった。相手は体力資本の酔いどれ筋肉男四人。こっちは、精力使い果たした失意のギプス男。

 京王だか小田急だかのイルミネーションが遠くに光っていた。ぼんやりした光を最後に意識が途絶えた。


 コート姿の人々が行き交う路上で目を醒ました。右腕を見たが、俺のロレックスの形は無かった。小田急デパートの大時計は十時半を回っていた。あわてて国鉄の駅を探したが、背中に激痛が走り再びその場に転んだ。


 四谷の事務所に駆け込んだのは、十一時半に近かった。

 暗い部屋に、窓際の社長席のスタンドだけが灯っていた。

「ママ、遅くなってすみません」

 背を向けていた椅子が回転し、ミス小野の顔がスタンドの灯に浮かび上がった。社長は目を閉じていた。

「いつまででも待つつもりだったわ、スクラップボーイ」

 目を開けたミス小野は、俺のひどい格好を初めて知る。

「あなた、走れメロス?何をしてきたか想像はつくわ。あなたとは長い付き合いだものね」

 ジャケットとスラックスは破け、鏡は見ていないが、顔は腫れているように思える。胃が痛み、立っているのが辛かった。

「新宿のバーで初めて会った時、私もまだ新米社長で、失業者のあなたは色んなアイデアを熱く語ってくれたわよね。まるで口説かれてるような錯覚にとらわれて、まんまと“スクラップ”なんてバンドを世に出しちゃった。その時は、何てユニークな発想をする人なんだろうって感心したけど、お互いあれは人生の汚点ね。でも、あなたが詞を書いた三枚目のシングル“愛のかけら”は名曲だったと今でも思ってる」

 俺は無言で、生えた樹のように立っていた。

「あの頃、別れた奥さんを思い出す度女に見境が無くなっていたあなたに、トルコを教えておごってあげたり、新人の女の子をあてがったりもしたわ。奥さんへの未練が振り切れるまで、随分時間がかかったよね。やっと出来た彼女が日テレの社長の娘で、騒ぎになって頭下げにも行った。覚えてる?七年もあれば色んな思い出があるわ。あなたの事は特別気にかけて来たつもりなの」

 ミス小野は冷静な態度と口調で続けた。

「ジョージ、私が今一番大切にしてるものは何だかわかる?」

 答えは口を出なかった。

 デスクの上にマナの新曲レコードジャケットの校正刷りがある。それを取り上げて、ミス小野は見つめた。

「北海道は寒かったかしら?」

 足が震えて来た。頭が浮遊を始めた。

「最近は私もこの世界じゃ力を持って来てね、私が声すればかなりの事は通るようになったのよ。気に入らない顔を二度と見たくなければ、それも簡単な事」

 立ち上がるミス小野。次の瞬間、剃刀のような平手が俺の頬を殴り、唸るような音を上げた。

 俺は持ち堪えず、床に崩れた。這いつくばった耳に、速い足音が近づいて来る。

「残念だわ‥」

 ミス小野のヒールの踵が俺の左肩を捕えた。電気が全身を走った。

「あなた、この世界向いてないのよ。田舎に戻って農家でも継ぎなさい。最後の親心よ、忘れないようにもう一度言ってあげる。消えて。あなたの噂を近くで聞いたら、すぐに潰しに行くからね」

 肩の圧力が消え、ヒールは遠ざかって行く。

「私もあなたの事は忘れるから、あなたもマナを忘れなさい。二度と連絡は取れないと思って、いい?」

 席に座るミス小野。タバコに火を点ける。

 やっと立ち上がる俺の顔に煙を吐きかける。初めて、飛び上がるほどの怒声を張り上げる。

「早く出て行きなさい!」



 何もかも、俺は失った。

 寒空が迎える日付の変わった街へ、からだだけが歩いていた。プラスティック・オノ・バンドの『ハッピー・クリスマス』が聴こえる。十二月になると耳にするこの曲を、これからはジョンの死と一緒に思い出さなければならないのか。

 記憶とか意識とかいうものが、それから消えた。





   十二月十九日 金曜日

 この日の記憶は半分無い。

 日が暮れてからマンションに戻ったが、コートや顔がインキまみれだったところを見ると、新聞紙にでもくるまって寝たのか。

 電話が何度か鳴ったが、からだが動かなかった。睡眠剤はないので、ビタミン剤を致死量ほど飲み込んで眠った。夢さえ見なかった。





   十二月二十日 土曜日

「何度も電話したぜ。いったいどこ行ってたんだよ」

 朝一番の電話はリュウの声だった。

「調べものはとっくに出来てるぜ」

「あったか?」

「何だよ、あれは。俺にあんなものを見せやがって」

「ショックだったか」

「とにかく見るだろ。今、新宿だ」

 意外にも気分スッキリと起き上がれた。ビタミンのおかげだ。



 新宿のファミリーレストランは空いていて、『別れても好きな人』が流れていた。

 リュウから渡された新聞記事のコピーを見た。十九年前の日付が入っている。

「マナに聞いた事はなかったのか」

「言わねえだろ、こんな事」

 濃いブレンドのコーヒーをおかわりした。

「この住所を教えてくれ」

「待てよ、行くのか」

「後は俺が調べる」

「これが、真奈美を脅迫する奴とどう関係してるんだよ」

「関係ない。俺はもう探偵じゃない。個人的な調査だ」

「何だって…そうか、そういう事か」

 レシートを持って立ち上がる。リュウが下から呼び止める。

「俺も行くよ」

「行ってどうする」

 リュウが立ち、今度は上から話しかける。五木ひろしの歌が聴こえてくる。レコード大賞の有力候補だ。

「あんたと同じ理由だ。俺にも知る権利あるだろ」

 にやりと笑うリュウは、意外に頭の回る名探偵かもと思った。こんな歌が耳に心地好くなったオヤジの心を見透かしていた。

「出よう。演歌は耳障りだ」

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