第25話 ノーコメント

 BMWの車内は、YMOの『ライディーン』が激しく響いていた。

 イエロー・マジック・オーケストラという名のこの三人組は、シンセサイザーを中心にしたテクノサウンドで世界的に既に有名だ。ポールまで影響を受けている。

「何とか言えよ。惚れたんだろ、真奈美に。それでこんな事まで調べちまってさ。隠さなくってもいいぜ。虜にさせる女なんだよ、あいつは」

「ノー・コメントだ」

「あんたらの業界じゃ、それは図星っていう意味なんだろ」

「それ以上オヤジを問い詰めるのは暴力に近いな」

「俺は暴力主義じゃない」

「でも、俺を殴るか」

「あんたとは違う」

「俺はお前を殴りたいね」

「どうして?真奈美の男だったからか」

 マナのからだに、初めて旗を立てたのは自分ではない。彼女に男の良さを刷り込んだのは、隣で運転するこの男に違いなかった。

「今、からだがぼろぼろだ。勝負はやめとくよ」

「しかしひでえ顔だな。それでも元アイドルかよ」

 話は弾んだ。目的地は驚くほど近く感じた。



 智子との結婚生活が終わった日。

 その日、みゆきにせがまれ初めて外泊をした。帰った部屋に智子の姿はなかった。ズタズタになった子供服の毛糸が散乱していた。

 翌朝、彼女の福島の父親から電話があった。銀座のホテルのロビーに呼び出された。

 父親と、背の高い若い男がいた。智子の兄に会うのは初めてだった。兄は俺の名前を確認するなり、殴りつけて来た。

 目が智子そっくりの父親の話はこうだった。

 智子は、大塚のラブホテルで男と心中未遂をした。従業員が部屋に入った時、ぐったりした男の首にはネクタイが巻き付き、倒れた智子の横には睡眠薬の瓶が転がっていた。

 二人とも死には至らなかったが、智子の正気は失われていた。自分を伊東ゆかりと名乗ったきり口を閉ざし、警察が実家に連絡をとるのに半日かかった。殺されかけた男は、彼女がかかっていた産婦人科の医者だった。

 病院にいる智子に、俺は遂に会わせてもらえなかった。やがて家族は、頭のおかしくなった娘を連れて田舎へ帰った。二度と妹の前に顔を見せるな、という兄の言葉を最後に、三ヵ月の結婚生活は幕を閉じた。

 それから十四年、俺は兄の言葉を忠実に守って来た。その後の智子を知らない。



「探偵だろ、そんな事いくらでも調べればいいのに」

 俺とリュウは、三島市内のスナックのカウンターに並んでいた。

「それは自分に禁じて来た。知らない方がいい事だってあるだろ」

「恐いんじゃないのか。奥さんの姿見るのが」

 俺は嘘をついていた。記憶にある智子の姿は、実は十九歳が最後ではない。

 目の前のブランデーを見た。この一ヵ月で何度目の酒だろう。十四年前、この酒で死にかけたというのに。

「幸せでも、不幸せでも、俺にとってはたまらない事実を目撃するだけだからな。まして、それでどうにか出来るわけでもなし」

「それを言うなら真奈美の事だって同じだろ。あんな事、俺は知らない方が良かったぜ」

 鋭い指摘だったが、答えは簡単だった。

「相手を知りたいのが恋の始めだ。発展しない事を知ったところで意味がない」

「真奈美に恋してるって、遂に認めたな」

 リュウが笑いながら、グラスをあけた。

「俺はお前を疑ってたんだ」

「何を?」

「お前が脅迫犯だと、しばらく思ってた」

「俺が?冗談はよせ」

「お前に聞いた話を全部犯人は知っている、強姦も中絶も。マナと関係した男は何人もいない。お前とマスターだけだ」

「真奈美に恨みなんかない。どうして脅迫なんか」

「こちらが聞きたい。俺に犯人捜しを依頼したり、マスターを犯人扱いして、殺してやるとか白々しい芝居を見せたり、手も込んでるよな。生い立ちまで知って、それでもマナを苦しめるのか」

「本気で言ってるのか」

「マナを愛した男なら、彼女の栄光を祝福してやれ。与えられる物を受けるだけなら、お前のは幼稚な恋だ。だからマスターにも取られたのさ」

「ふざけるな!」

 リュウが椅子を蹴って、俺の胸倉を掴む。

「話せるオジンだと思ってたが、いい気になるんじゃないぜ。いいかよく聞け、俺は真奈美の事件には無関係だ。ヘボ探偵、真奈美も趣味が落ちたもんだ」

 唾を顔に受け、次にはカウンターに背中の一番痛む所を激突させて、俺は床にのびた。

「俺を嗅ぎ回ったって無駄だぞ。もしそんな事をしたら殺す」

 最後にブランデーを頭からかけられた。おかげで顔の唾が洗えた。足を潰されなかったのが、せめてもの彼の情けと受け取った。






   十二月二十一日 日曜日

 リュウに調べ物をさせたのも、わざと怒らせたのもひとつの確認だった。

 一番怪しかった男の潔白が確信出来た。これ以上ご機嫌を取ってつき合う必要もない。

 脅迫犯が知っている事、切り札に持っているのは、今まさに俺が知りたいと思っている事だった。犯人が俺より数倍マナに詳しい事に嫉妬さえ感じていた。

 マナの生い立ち、そこまで知っている人間とは‥



 西池袋の商店街はクリスマスのにぎわい。

 丸井から東武まで歩く間に体験した光景を、親たちは小さい子供に何と説明するのだろう。「そーなんですよ川崎さん、A地点からB地点に行く間にサンタが五人もいたんです」B&Bだかザ・ぼんちだか忘れたが、そんな漫才も流行った。

 北口から東口に抜ける地下道の手前ににっかつの映画館がある。元“サファイア”クミ主演の『セーラー服・不純異性交遊』の看板に吸い寄せられた。


 ロマンポルノの観客に二十代以下の若者はあまりいない。入るのに勇気が要るせいか、一番性欲の捌け口を必要とするこの年代は、日大芸術学部前の江古田劇場以外ではほとんど見かけない。それがここではクミ目当てか若い男だらけで、三十代以上を探す方が難しいくらいだ。

 SM映画が終わると、気まずい休憩時間を挟んでクミの映画が始まった。

 クミ扮する主人公は、女子高に通う堅物なヴァージン娘。親友のふけたショートヘアは、不良の彼氏がいるちょっとススんだ遊び女。クミはこの親友にそそのかされ乱交パーティーに来てしまう。そこでヴァージンを奪われるが、相手の少年とその後も会っているうち、彼を本当に好きになり…という型通りのストーリーだ。

 クミが気ごちない喘ぎ声を上げる場面を見ながら、この女を抱いた時の記憶がよみがえった。

 無茶苦茶にして、と言った期限過ぎの消耗品アイドル。

 事務所で渡されたメモ。“もう一度抱いて”

 耳元で聞いた白々しい愛の告白。次にベッドで交わした会話。

 そう、あの時クミは俺に尋ねた、ある名前を…

 彼女に詳しいかと…


 ルービックキューブの面が一気に揃うのを見た。

 バックから攻められ喘ぐクミを後に、俺は映画館を飛び出した。



「はい、オノプロです」

「最後のチャンスだ。取り引きをしよう」

「脅迫には応じないぞ。記者会見を見なかったのか」

「明日の正午に渋谷の『アビイ・ロード』に来て下さい。必ず社長さんか責任のある人が来ること、いいですね」

「ちょっと待ってくれ!」

「合い言葉は、レット・イット・ビー」

「もしもし!」

「…‥」




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