第23話 沖縄

  十二月十七日 水曜日

 朝はとうに来ていたようだが、あいにく外は雨の気配だ。

 マナの寝顔を見て昨夜の事件を夢でないと確信する。一人ベッドを抜けて、九時半を指した時計を見る。朝の勤めを一通り済ませてから電話をかける。

「星だけど、ママに伝えてもらえる?マナと一緒に北海道にいる。札幌道産子ホテル、電話は011…」

 電話が終わる頃、背中にマナを感じた。裸のギプスを後ろから撫でられ、肩に頬の重みを覚えた。

「おはよう…」

 女と朝を迎えるのが新鮮だ。振り返り、抱き寄せてキスをする。数万の男たちのアイドル、ひと月前のクソ娘と、こんな行為をしてるのはまだ目が覚めていないという訳か。

「いつまでここに居るの?」

「部屋は二泊でとってる。事務所から連絡があれば戻る」

「連絡なんて来ないんでしょ。そうしたくせに」

 貧血顔の小娘の整った目鼻を見た。

「ずっとこうしていたい」

 腕と髪が一緒に絡みついて来た。


 遅い朝食を一階のカフェでとる。あいにくの雨は観光気分を流し、コーヒーが終わるとまた部屋に戻る。

 やしの茂った海岸がテラスから見えるのが恨めしい。

「せっかく沖縄に来たのに」とマナはつぶやき、東京と同じテレビを見ていたが、平日の昼間に碌な番組はない事にやがて気付く。

「つまんないね。そうだ、トランプやる?」

 バッグからトランプを出す。

「待ち時間に楽屋でよくやるんだ」

「何をする。ポーカーか」

「ババ抜きと神経衰弱しか知らない。ね、神経衰弱しよう。わたし強いんだ。賭ける?」

「何を」

「一回負けたら着てる物一枚脱ぐ。どっちかが裸になるまで」

「最後に負けた方はどうなるんだ」

「勝った方が自由に出来るの」

 そんなゲームは智子とよくやった。どちらが勝っても結末に変わりはない。


 時を忘れゲームに熱中した。昨日までは想像も出来なかったひと時だった。十何年も前、こんな時間を過ごした確かな記憶があった。

 マナは口ほどに強くなかった。俺はアンダーシャツとトランクス、マナは白いレースのパンティー一枚になっていた。左手で小さな胸を隠しながら、右手でめくったラッキーセブンが揃った。

 なかなかの好勝負だ。残り一枚ずつ背水の陣で臨んだ決勝、俺はラスト8カードを残らず戴き勝利を手にした。

 最後のものを取って、マナは無防備な姿となった。上も下も隠そうと奮戦するが、それがますます刺激的な眺めとなる。

 オールヌードのアイドルとあと一戦交えた。わざと負けて窮屈そうな息子を表に出してやると、マナのからだへ飛び込んだ。

「自由にさせてもらうよ」

 床にねじ伏せた裸の天使にそう言って、無茶苦茶に求めた。白昼の南の島の一密室にて、互いに乱れ合った。そこは世間の騒ぎとは無関係の、二人だけの別世界だった。


 二人とも何も着けないままで、三時からのワイドショーを見た。

「昨日小野社長による記者会見が行われた、直木マナさんの週刊誌暴露と脅迫問題ですが、ご本人は依然身を隠したままで、発表によりますと今週中にはテレビ復帰を果たすとの事です。ただ、脅迫には屈しない態度を社長は表明したものの、それにより犯人がどんな動きを見せるのかが心配されます」

 明日か明後日にはマナを返さなければならない。彼女もそれを思ったようで目と目が合った。どちらともなく、相手のからだに手を伸ばした。

 テレビは続けた。

レポーター「今回の問題についてどう感じるか、街の声です」

二十代少年「マナの過去はショックだったけど、それを抱えて頑張ってる彼女につけ込む脅迫犯はもちろん、マスコミも許せない」

四十代男性「その人の事よく知らないんだけど、話聞いて腹立だしく思うね。週刊誌やワイドショーが犯人と一緒になって彼女を傷つけてる訳だろ。歌手は歌が上手けりゃいいんだからさ、そのゴシップを知りたがる大衆だって反省しなきゃいけないよ」

十代少女「マナちゃんかわいそう。みんな応援してる」



 浴槽の中俺の上にマナがいて、尖った乳首が二つ湯面から覗いたり入ったりして浮かぶのを白い首筋越しに見ていた。流れる湯を弾き飛ばす若い肌が、俺の萎びた皮膚に吸い付いていた。振り返るマナの唇を、斜めにかじりながら舌を絡め合った。

「新宿でけんかしたよね」

「俺の声までキライだと言った」

「そうだっけ?」

「見るのも不愉快だとも言ったな」

 小さな両の乳房を手で弄んで、湯の中に揺らめく黒い草を滑稽な気分で眺めた。

「わたしにいつから魅かれてた?」

「いつ、俺が惚れてるなんて言った?」

 湯の中から鉄拳が飛び出して来る。

 そんな質問に答えられる訳がない。教えて欲しいのはこっちだ。

「お前は俺だけのものじゃない。日本中のアイドルだろ」

「今はあなただけのもの」

「ママに殺される。商品に手を出したと知れたら」

「わたしたちに何もなかったなんて思わないんじゃない。ママは鋭いんだから」

 マナはからだごと振り返ると、太股で俺の腰骨を挟む。

「ひねくれ者。言ってごらん、わたしが好きだって」

 目の前に迫る顔のあどけなさに、後ろめたさを覚えて苦笑する。彼女の唇が尖る。

「あなたもね。みんなすぐに消えてくんだ。男から逃げられる性質(たち)の女っているらしいけど、わたしがそう」

 こんな時、気の効いた台詞が出ないのが俺だ。滑って逃げて行きそうなマナのからだを、離れないよう抱き止める事が俺の表現だった。欲望が甦るのを感じた。マナの尻が持ち上がる。

「ここが返事してるよ」悪戯っぽくマナが笑った。



 マナが髪を乾かしている時、俺は電話をダイヤルしていた。

 03から始まる番号だ。最後の桁を回した時、マナの指がフックを押さえた。

「事務所にはかけないで」

 マナの顔は今にも降り出しそうな曇空だった。

「お願い、明日の朝まで」

 俺はこの顔に弱いのだとその時わかった。唇を塞がれ、ぶっきら棒な力で押し倒された。

 俺は溺れていた。こんな夜に小娘に飲み込まれ、深く沈んだままだった。






   十二月十八日 木曜日

 ペニスの先端が気だるい快感を憶えていた。スッと引いたように目が醒めて来ると、最近少し膨れて来た腹の下で、動く黒髪を発見した。俺の下半身はまるで無防備で、淫乱娘の襲撃に遭って落城寸前だった。

 俺が目覚めた事に気付くと、マナは天使の微笑みを見せた。朝陽の中のスナップを、眼の裏のフィルムに永久に焼き付けた。

 マナの舌の動きを血管に感じながら、このまま溶けてしまうのではと思った。俺が溶けたら、マナとベッドは泥だらけになるだろう。


「ねえ、わたしって歌手の才能あると思う?」

 マナの唐突な質問。二人はまだベッドの上にいた。

「ママがこれほど入れ込んでるんだ、才能あるんだろ」

「あなたの意見を聞いてるの」

「才能は感じるが、この世界八割以上は運だ。今のお前は最高にラッキーとはちょっと言い難い状態だろ。歌手で大成するのはこれからどう運を開いて行くかだな」

「運命ってどうすれば変えられるの」

「それは俺が一番知りたい。でも世間は同情的だし、カムバックもすぐだし、お前上向きだよ」

「下向きにしたい時はどうするの」

「下向きにしてどうする」

「ラッキーでなくていい。自分の運命に逆らって生きたいの」

「人の運ていうのは生まれつきだからな。お前の両親が合体した時から、全部決まってるんじゃないか」

 何の気なしに発した言葉の中にあった“両親”に気が付いた頃、マナは黙り込んだ。

「でも、俺ほどの疫病神はいないぞ。いやでもツキが無くなるからな、運も変わるかも」

 取り繕う俺を無視してマナは起き上がる。

「ずっと一緒にいてくれないなら、そんな事言わないでよ」

 返す言葉を見つける前に、小さな裸のヒップはバスルームへと消えた。


 シャワーから戻ると、マナは服を着始めた。あっという間に出掛けられる格好になる。

「事務所、わたしが電話する」

 うなずく俺の前でダイヤルが廻される。

「もしもし、マナです。ママいます?…‥あ、ママ、これから帰ります。今、沖縄。ベストテン?出ます。間に合うと思います…」



 ホテルを出る時も、飛行機の中も、俺たちはほとんど口をきかなかった。怒っているのではなかった。隣には誰もいないかのように、マナは口を閉ざした。俺はマナに従った。

 羽田への着陸をアナウンスが告げた時、隣のマナを見た。

 彼女は唇を噛み締めていた。そして、黙って俺に頭を預けた。俺も何も言わず肩を抱いた。

 今朝まで、皮膚が溶け合うほどにからだを合わせていた二人だ。離れる時は痛いに決まっている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る