第22話 ワイドショー

 ミス小野は、脅迫に屈しない態度を決めた。午後三時より自ら記者会見を行う事にした。

「それではこれより、オノ・プロダクション社長によります直木マナの週刊誌暴露の一件に関する特別記者会見を行います」

 フラッシュの中、ミス小野がマイクに口を近づける。

「今日私がわざわざこの場に出て来ましたのは、主に二つの事を皆さんにぜひお伝えしたいと思ったからです。最初にまずお断わりしておきますが、直木マナの過去について、今日はここで一切お話しするつもりはありません」

 ざわめく記者たちの雑音で全く聞き取れないが、レポーターの何人かが口々に何か言っているらしい。

「質問は後にして下さい。いいですか、私に最後までしゃべらせて下さい」

 毅然とした口調と、ただでさえ恐い風体に場内は次第に静まった。

「まず、時に私たちの味方でもあるマスコミの皆さん、あなたたちには表現の自由が認められています。剣より強いペンを武器にしたあなた方に恐い物はないでしょうし、時に神になった気がする事もあるでしょう。でも、せっかくのそれをもっと世間の役に立つ事にお使いになったらどうですか。他人の下半身を覗き見しては、手招きするような低い志で、格好だけジャーナリストを気取っている方たちの多いこと。それを覗きたがる大衆がいるのも事実です。が、あなたたちの仕事熱心が、当然のプライベートを持つ一個人としてのタレントの人生を、いくつも狂わせている、その事について一度でも考えた事がありますか。タレントにプライベートなどないとおっしゃるかも知れません。でも、十九歳の少女が運命に流され歩んできた過去を否定し、可能性を秘めた未来を絶つ権利があなたたちにあるの?彼女の人生を地獄に変える必然性を持ってる人がいて?いたら出て来てちょうだい。あなたたちにも人に知られたくない事の一つ二つあるでしょ、それが日本中に知れ渡ったら、あなた、ねえ、そこのあなたどうするの?どんな気分?タレントだって人間なのよ。自分たちの行為が他人にどんな苦痛を与えてるか、どれだけの大きな力を持っているか、もう一度考えてみて下さい」

 水を打ったように静まりかえった場内に、マイクの反響のみが鈍く響いていた。

 ミス小野は、会場を見回すように首を傾け、薄笑みを少し浮かべるとさらに続けた。

「今、私たちオノ・プロダクションは、ある心ない人間により脅迫行為を受けています」

 再び騒然とする会場。

「二週間程前より脅迫犯は直木マナの引退を迫り、応じなければマナの過去のあらゆる秘密を公表すると、手紙や電話で再三に渡って脅しをかけて来ました。テレビへの出演をやめろという要求も最初は無視して来ましたが、フジテレビへの爆破予告、週刊誌への暴露行為など敵の行動がエスカレートするに及んで、現在マナは安全をとり、テレビ出演を既に八日間控えております」

 ここでミス小野は突然立ち上がった。

「皆さんはその脅迫に、意図せずとも加勢したんです。マナをどん底へ落とそうという犯人の目論見は皆さんの協力で完成しつつあります。マナはもうぼろぼろです」

 会場内を見渡し、マイクを手に持ち上げる。

「でも、私たちは犯人にひざまずく事はしません。心ない犯人がもしこの会見を見ていれば、私は言いたい。あなたの思うようにはなりません。マナには引退などさせない。年末の音楽賞や紅白にも出します。あなたがマナのイメージダウンをどんなに図ったとしても、現実それでマナの人気が落ちる事があったとしても、マナは実力で生き残る歌手です。私が見込んで全てを注いで育ててる子ですから。もしあなたが言う通り、あなたが一度でもマナを愛した事のある人ならば、それはわかってるはず。あの子は素晴らしい子です。彼女をこれ以上悲しませないで。美しい想い出があるならそっとしまっておいて。お願いです」



 那覇空港のテレビで、俺たちは記者会見を見た。

 マナは無言で立ちすくんでいた。行こうと促すと、

「どうなるの、これから」とつぶやいた。

「ママは素晴らしいよ。これでお前にも希望が見えてきた」

「わたしには全然見えない」

「お前は生き残れる。ママにまかせてれば大丈夫だ」

 うなだれるマナの肩を抱いて歩いた。沖縄とはいえ、十二月の風は冷たかった。



 突然の脱出と移動で二人とも恐ろしく疲れていた。

 海沿いのホテルに着き、別々の部屋に入ると、まだ夕方だったがベッドに倒れ込み、死んだように眠った。事務所への報告さえ忘れていた。少し良かった背骨がまた疼いた。

 何かはわからないが、淫靡な夢を見ていた。それを醒ませたのは、ドアをノックする音だった。

 覗き穴から見ると、マナが立っていた。ドアを開ける。

「どうした」

「入ってもいい?」

 ホテルの浴衣を着て、髪の毛は濡れて、くしゃくしゃになっている。貧血症のような蒼い顔をして、肩は落ちていた。

 時計を改めて見た。十一時。五時間も眠ったらしい。

「ずっと起きてるのか」

「夕方少しうとうとしたけど、あとはずっとテレビ見てた。見る番組もなくなって、でも目が冴えて眠れなくて」

 力なくソファーにのけぞり、ため息をつく。

「おなかも空いてきた」

「あんまんなら、あるぞ」

 昨晩MIEにもらったあんまんが、バッグの中にあった。

「嫌よ、それ昨日のじゃない」

「じゃあ、ルームサービスをとろう」

 シャワーを浴びている間に、沖縄とはいえ特に代わり映えのないピラフとライスカレーが届いた。マナはピラフを選んだ。

 テーブルを挟んで二人、深夜のディナーをいただく。浴衣の胸元に髪がかかるのを、目の前に眺めながら。

「こうしてご飯一緒に食べるの何回目だろ」

「よく食べてるな。お前がにんじん嫌いなのがわかるほど」

「夜もよく共にしてるし」

「妙な言い方だな。でも歯ぎしりする事を知ってる」

「まるで恋人みたい」

「そうだな、鈍感な初心者よりは余程お前には詳しいぜ」

「裸もバッチリ見られちゃったし」

「ケツの形は見てない。ケの形は覚えてるけどな」

「バカ!」

 スプーンを振り上げて笑うマナ。彼女の笑顔の特徴が、小さな八重歯にある事を今さら初めて気がついた。

「ねえ、昨日のあんまんの女の人、どういうご関係?」

「ご関係か。ちょっと説明しにくいな」

「そうね、いかにもややこしそうだった」

「ややこしくはない。一言で言えば友達だ」

「友達が夜にあんまん買って部屋に来ますかねえ」

「本当に友達だって」

「別に言い訳しなくたっていいじゃん。関係ないよ」

 マナ、ピラフを半分以上残して席を立つ。

「星さん、恋人いないの?」

 ベッドに歩きながら、後ろ姿がそう言った。胸にどきりと来たのは、この女が俺を“星さん”と呼んだのが確か初めてだからか。

「いれば、今頃せっせとラブコールでもしてるよ」

「マメなわけね」

「ちっとも。そういうとこが欠けてて女には縁遠い」

「そんな感じ。昨日の人も追いかければ恋人になってるのに」

 ベッドに腰掛けるマナ。浴衣の膝が割れて一瞬白い膝がのぞく。俺はライスカレーを食べ終わる。

「甘えられる恋人がいなくて、よく生きていけるね。わたし、誰かに愛されてる自覚がないと、淋しくて淋しくて耐えられない」

「俺は嫌われ者だからな、愛されてるなんて言われたら、かえって警戒してしまうね」

「愛されたくはないの?」

 長い髪を踊らせて振り返ったマナと、目が合って視線をずらした。その目がまだこちらを向いているのがわかる。

「つまんないテレビ消して、真っ暗になった部屋に一人でいて、次から次へと嫌な事思い出して、これから私どうなるんだろうって、思えば思うほど落ち込んで、初めて来る沖縄のホテルで心細くて、このまま自殺でもしちゃおうかなんて考えたりして、そんな時、ひとりぼっちでそばに抱いてくれる人がいないなんて…」

 言葉が途絶えたので視線を戻すと、マナは震えていた。振り返った時には、膝にこぼれる物が見えた。

 記者会見以外で、初めて見た彼女の涙。

 そばに歩み寄っていた。俯いたマナの前に立った。

「淋しいよ…」

 顔を上げたマナの瞳が、まるで海の波光が漂うように閃いた。また目をそらしてしまう。まともに目も見られないなんて何てことだ。思い切って見つめ返すと、真剣な大きな瞳が迎えていた。

「あなたは淋しくないの?」

 身動きが出来なかった。それは自分ではないようだったが、たぶん自分だった。信じ難い感情を認める自覚をした。

 抱きしめていた。

 細いからだを包み込み、背中をまさぐると自分の骨に響いた。それでも両腕は捕らえたものを離そうとはしなかった。

「星さん…」

 唇を探した。荒々しくそれを吸った。応える強い力を感じた。

 倒れ込んだシーツの上を泳いだ。自分の息遣いと相手のそれが、どちらか分からなかった。

 MIEとの時、自分にブレーキをかけたものは今は無かった。本能がその必要を持たなかった。偶然ではない運命という言葉と、智子の顔が横切って行くのを見た。

 そして、リュウ、村木の手が重なってマナを愛撫するイメージがちらついた。振り払いながら、彼女の顔を見定めようとした。

「星さん…」

 名を呼ばれるごとに火がつく気がした。浴衣に手を入れると肩を滑って、痩せたからだがすっぽりと腕の中に収まった。

 マナの手が俺のシャツをたくし上げた。シャツがからだを離れる時、痛みが走った。

「ギプスしてるの?」

「気にするな」

 唇を唇で塞いで、手は浴衣の紐をほどく。浴衣はベッドに広がり、その上にピンク色のスキャンティー一枚のマナが乗っている。その一枚さえ、脇の紐ひとつで簡単に肌を離れた。

 蛍光灯の照らす下、横たわる裸像を上からたっぷりと眺めた。マナはからだをくねらすように起きて、しがみ付いて来る。痩せたからだは思いのほか柔らかく、しなやかに俺に貼り付く。

「離さないで。ずっと抱き締めていて」

 また唇を貪り合い、裸の胸同士をぶつけた。俺の腰にマナの手が回り、二人を隔てる布類は全て無くなる。

「マナ…」

 互いの名を何度も呼び合い、相手が持つ物を探し、目に焼き付けた後、自分の物と組み合わせた。それはぴたりと合ったように思え、心地好い喪失感と満足感を同時に与えてくれた。

 事務所に連絡を入れてない事をなぜか思い出していたが、マナの呻く声で掻き消された。

「マナ‥マナ…」

 こみ上げるその時、愛しい女の名を繰り返し呼んでいた。


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