第21話 週刊誌

  十二月十五日 月曜日

 男性誌『週刊サンデー』と『週刊時代』が、“清純派アイドルM.N.仰天の過去”とした記事を掲載し、明日発売で配本されているとの情報が入ったのは正午過ぎだった。

 嶋からの電話で、またマナをかくまう事となった。マンションで待機するよう指示された。


 男性週刊誌は、女性誌に比べて芸能ゴシップを扱いやすい。芸能プロや代理店よりも、出版社や編集部が力を持っているという事だが、かなり好き勝手を書く記者もいて、もめる事がないわけでもない。だが、記者たちも火のない所に煙を立てる筈もなく、これ以上荒だてないという約束でプロダクション側から週刊誌側にいくらか包むというのが通例のようだ。

 ただし発行部数も多い男性誌の場合、一度出ると社会的影響力も大きく面倒な事になりやすい。つまり、騒ぎが大きくなるという事だ。

 三時のワイドショーをつけると、画面にはマナが映った。

「明日発売の週刊誌で、過去のスキャンダルを報じられた直木マナさんが今、番組のリハーサルを終えて出て来ました」

 レポーターたちにもみくちゃにされるマナ。無数のマイクがマナの前を踊りながら遮っている。

「マナさん、一言お願いします」

「雑誌に書かれてる事は本当ですか」

「堕したのは、写真の彼の子供ですか」

 そばに嶋と風間の顔が見え隠れする。二人揃ってつらそうな顔をして歯を食いしばっている。

「ノー・コメント!」

 ぶれるカメラの前を嶋の手のひらが押さえる。

「『週刊サンデー』によりますと、はっきりと直木マナさんとわかる表記にて、人気アイドルM.N.が過去にレイプを受けた事があり、また妊娠中絶をした経験も持つ、と書かれています。マナさんの所属するオノプロダクションでは、同誌を訴える意向を明らかにしていますが、一方の『週刊サンデー』側はM.N.は直木マナさんとは特定しておらず、名誉棄損などには当たらないと反論しています」

 今にも乱闘が起こりそうな、神経の高ぶる映像を見ている最中、突然ドアを叩く音を聞いて胃が縮んだ。

 扉を開けるとマナが飛び込んで来た。今、テレビの中でレポーターたちに囲まれていた渦中の人だ。髪を乱し、少し息を切らして、仏頂面で立ちすくんでいた。

「今のわたしの気持ち、わかる?」

 中へ入るよう勧めて、いら立つ相手にはわざとゆったり質問に答える。

「今朝見たオリコンでわたしはまた一位だったのに、違う雑誌ではスキャンダルの女王。いったい誰が何の恨みで、わたしをこんな目に遭わせるの。マスターか、リュウか、はたまた‥」

「うるさい!あんたなんかにわかるもんか。だいたい、あんたがもたもたして犯人捕まえないから、こんな事になるのよ。ぶらぶらサンシャイン上ったりしてないで、仕事しなさいよ、仕事を。責任取ってよ。みーんな、あんたのせいだからね」

 荒れるマナの暴言を耐えて聞いた。感情をむき出しに出来る人間は、ある意味で尊敬に値する。我慢や譲歩をせず、自分に率直に生きるというのは人間本来の姿だからだ。普段感情を外へ吐き出していた人間が自分を抑え過ぎると、智子のようになる。

 俺は感情をぶつける壁になった。マナの気がすむまで、それを受け止めて立っていた。


 ひとしきり毒舌を尽くし、それから少し眠り、目覚めるとお腹が空いたと言って出前で寿司をとった。一言もしゃべらず平らげると、テレビをつけた。出る予定だった『紅白歌のベストテン』だ。

 無言で番組を見ていたマナが、女性歌手が出て来た途端に饒舌になった。

「奈保子ちゃんて、ほんとにいつもニコニコしてて何かいじめたくなっちゃうんだよね。ちょっと足りないんじゃない」

「芳恵ちゃんて、エッチな話が大好きなのよ。彼氏とは別れさせられたらしいんだけど、欲求不満なのね」

「良美ちゃんて、お姉さんの悪口ばっかり言ってるの。普段は思い切り仲がいいふりしてる癖に」

 女性週刊誌やワイドショーを成立させているのは、噂話と悪口陰口を好む女の習性だが、ここにも一人その典型がいた。皮肉にも彼女自身、いま日本で最も噂される存在となっている。

 それも彼女の発散になるなら、黙り込まれるよりはいい。ところが番組が終わると話題が無くなった。十六歳の年齢差は、会話に支障をもたらす。ビートルズもGSも知らない相手と、何を話せばいいだろうか。

「ねえ、あなたの事何か話してよ」

 モカのアメリカンを飲みながらマナが言った。

「星ジョージって芸名でしょ、本名は何ていうの」

「もう忘れた」

「ウソばっかり」

「芸名の由来を教えようか」マナがうなずく。

「バンドでデビューする時、目標はビートルズだった。俺はメンバーの中で目立たないポジションだったから、ジョンでもポールでもなくてジョージ。それとリンゴ・スターのスターを取って来て“星”」

「だから、星ジョージ?」

 久しぶりに女を笑わせた。

「その年で一人暮らし、裸の美女の誘惑に手も出さず、あなたってひょっとして」

「ホモでもインポでもないぜ。その証拠に結婚してた事がある」

「離婚したの?」

 それから、思い出したくない思い出話を一時間ほどさせられた。智子と俺が破局に至る物語だ。しかし、決定的結末を迎えたその日の悲劇については嘘をついた。

 マナが持って来たカセットをかけていた。山口百恵のベストアルバムで、なつかしい『ひと夏の経験』を聴いた。


 眠くなったと言って、マナは風呂に入っていた。

 山口百恵の曲は『横須賀ストーリー』に続いて『イミテーション・ゴールド』になった。

 そんな時、またドアをノックする音がして、飛び上がった。

「誰?」と聞くと、ワンテンポ遅れて、小さな声が戻って来た。

「私です。MIEです」

 ドアを開ける。

「ごめんなさい、急に。この辺だって言ってたから探してみたんです。あんまん買って来たんですけど食べますか」

「あの‥悪いんだけど今日は」

 背後で湯水の音が止まり、鼻唄が聞こえた時、俺の焦りは最高潮に達した。バスタオルを巻いただけのマナと、MIEの目が合った。

「ご、ごめんなさい。これ、よかったらどうぞ…」

 あんまんの包みを俺の手に置き、MIEは逃げるように去った。気は後を追っていたが、この間の悪さと複雑な事情を説明する台詞がすぐに浮かばず、足がもつれた。

「追っかけて行かないの?」バスタオルのままのマナが言った。

「もう遅いよ」

「彼女、追って来てくれるの待ってるよ」

「いいんだ。追いかけても仕方ない。言い訳出来ない」

「恋人なんでしょ。行きなよ。恨まれても困るからね」

「恋人じゃない」

「どう見ても恋人に見えたけど」

「ほっといてくれ。いいからもう休め」

 口を尖らせ不機嫌そうな顔をして、マナは奥に消えた。

 あんまんの包みを手に持ったまま佇んで、MIEを追うべきだったか、と後悔していた。

 一年以上も毎月トルコへ通って、想像を膨らませた女が、部屋を探すほど俺を気にかけている。それに手が届く時ためらう男は、所詮憶病者でしかない。女の気持ちを受け入れず、平気で傷付けてしまうのは、卑怯者に違いない。

 恋をしない主義などではない。こうやって何度もチャンスから逃げて来た。恋をできない、一種の病気なのだ。

 スピーカーの中の百恵が「ちょっと待ってプレイバック、プレイバック」と歌っていた。



 山口百恵はかつて、その複雑な家庭背景を週刊誌に抜かれた。親からでなく、記事によって出生の事実を知った。父親との、金にまつわるごたごたも全て活字になった。

 森進一との露骨な性描写を伴う雑誌記事は、“芸能界交歓図裁判”と呼ばれる訴訟へと発展し、今年百恵ら原告側が勝訴した。

 百恵は『蒼い時』において、これらのゴシップを扱ったマスコミを強い語調で批判している。百恵が偉大なのは、いかなる醜聞にも少なくとも表向き動じず、真実を受け止め、虚実には堂々と立ち向かった事である。それは自分に自信を持ち、後ろめたい思いを微塵も抱かなかったからこそ出来た。

 マナのように真っ黒な場合はどうすればいい。どんな態度をミス小野はとるつもりなのだろう。




   十二月十六日 火曜日

 今朝、事務所宛にまた脅迫状が届いた。四谷郵便局の昨日付けの消印入りだった。

「あなたたちが言う通りにしてくれないので、マナの過去を白日の下に曝しました。最後にもう一つ、とっておきの秘密があります。あの女の呪わしい生い立ちについてです。あなたたちの態度によっては、それも日本中が知るところとなるでしょう。もうマナは立ち直れないはずです」



 昨夜のMIEの訪問以来、また言葉が弾まなくなった俺とマナは遅い朝食を食べていた。けだるい気分でトーストとベーコンをかじりながら、山口百恵の『赤い絆』の再放送を見ていた。

 タバコが欲しいとマナが言うので、仕方なく外へ買いに出た。コンビニ前の角を曲がった所で、見た事のある顔を目にして足を止めた。

 記憶の比較的新しい棚から、その顔は出て来た。S社の三枝記者。森元編集長と喫茶店で会った時見かけた男だ。

 その男の動きは、明らかに雑誌記者が獲物に近づいている時のそれであった。決して近所のコンビニに買い物に来た素振りではない。 俺は部屋に舞い戻った。


 部屋では電話が鳴っていた。マナが受話器に手をかけたのを、「とるんじゃない!」と怒鳴って引ったくった。

 声は事務所の嶋だった。

「おい、そこはもう危ない。早くどこかへ移動しろ」

「S社の記者がうろついてる」

「あんたがかくまってるって、なぜか漏れた。ハイエナどもが池袋に向かってる。すぐに部屋を出ろ」

「出ろったって…」

 電話はそれで切れた。とにかく脱出だ。


 タクシーを呼び付けて部屋を出た。

 何回も後方を振り返り、用心のため二回乗り換えた。

「どこへ行くの?」

「どこへ行きたい?」

「そうだなあー、沖縄とか」

「よし、それで行こう」

 タクシーは羽田に向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る