第20話 フェニックス

   十二月十三日 土曜日

 真夜中の二時過ぎに電話が鳴った。

「桑田だ。事務所に戻ったそうだな。もう食えなくなったか」

「何時だと思ってる」

「背骨は何本折れてた?ギプスして仕事出来るのか」

「用だけ早く言え」

「いいか、何も調べなくていい。社長にどう言われたか知らないが、これは俺の仕事だ。余計な事はやめて部屋で寝てろ」

「誰か鈍臭い奴がいるからって、俺が呼ばれたらしいんだがね」

「次はチンポコの骨を折るって言ったよな。俺の恐さを忘れたのなら、また教えに行くだけだ」

 そう言って電話は切れた。



 実を言うと、脅迫犯など本気で突き止める気はない。マナがテレビに出られない事などどうでもよかった。骨が疼くからだで、あれだけの手掛かりから面倒な捜索など気が進まない。それは桑田がすればいい事だと思っている。

 会社に戻る事に応じたのは、その方が何かと都合が良いからだ。金も入る。情報も得られる。事務所にも出入り出来る。三秒でそう計算したのだ。

 脅迫犯もさることながら、俺にはまだ村木の問題が頭から離れなかった。ミス小野らが出した安易な結論には、どうしても賛同できなかった。なぜなら、マナに対する悪意において脅迫犯と写真の送り主は共通している。それは単なる悪戯ではない、やはりマナをよく知った者の妬みや憎しみを底にした行為だ。村木が写真を送ったのならば、脅迫犯は村木の亡霊か。

 いや、村木は最後までマナを愛していた。では誰が?



 夕方、事務所へ行った。予想通りミス小野は居ず、若い社員ばかりだった。

「ちょっと資料を見せてもらうよ」

 奥の書類棚のある部屋に直行し、引き出しを漁っていると、若い社員が入って来る。

「マナの資料はどこだ」

「ど、どうされるんです」

「脅迫犯捜しの参考にだ、当たり前だろ」

「社長から、星さんをここに入れちゃいけないって」

「なら、すぐ出て行くよ。資料さえ見つけたらな」

「困ります。社長に殺されちゃいます」

 それらしいファイルを手に取ってめくった。マル秘のスタンプが押された、見覚えのある桑田の筆跡。万藤真奈美の文字。家族構成、母・万藤百合子、まで目に入ったその時だった。

「何やってんだ、この野郎」

 背中から俺を羽交い締めにしたのは、嶋の腕だった。

「調べをさせないつもりか。犯人は見つけなくていいのか」

「知りたい事があるならこちらで教える。勝手に資料を見られちゃ困る」

「わかった、わかったから放してくれ」

 やっと力を抜いた嶋を突き放して、出口に向かった。

「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団~」

 嶋を茶化す歌を唄いながら頭の中では、とっさに目に焼き付けた幾つかの文字を忘れないように復唱していた。




   十二月十四日 日曜日

 世界中がジョンの死を悼む中、『スターティング・オーヴァー』がビルボードで急上昇していた。今日、ニューヨークでは追悼集会が行われるらしい。

 二枚目のシングルは『ウーマン』に決まっているそうだ。アルバムで一番しみる名曲である。


 リュウに電話した。妻ひろみのか細い声が出た。

「リュウは出かけてます。あの、何か伝えましょうか」

「じゃあ、帰ったら電話欲しいって」

「はい、星さんですね」

「奥さん、俺の事知ってるのか」

「え‥ええ、聞きました」

 という事は、夫とマナの関係も知っているのか。

「ひろみさん‥だったかな、ひとつ聞いていいかな」

「は、はい…」

「先週の月曜日とか火曜日、ご主人は三島にいた?」

「はい、いましたけど」

「長い時間出かけたりは?」

「仕事には出ましたけど…あの、どういう事でしょう」

「いや、それならいいんだ」



 夕方にリュウから電話があった。

「久しぶりだな」

「ああ、ひょっとして電話くれたか」俺の言葉。

「いや、してない。いろいろ忙しかったんだ」リュウの返事。

「そうか。今日はな、ちょっと頼みたい事があるんだ」

「何だ、俺があんたに仕事頼むんじゃなかったのか」

「マナが今大変なんだ。マナを助けたかったら、これから俺の言う通りに動いてくれ」

「俺に指図するのか」口調に棘が入る。

「マナのためだ。君しか頼める人間がいないんだよ」

 少し言葉が途絶え、リュウの迷いが伝わった。

「わかった、何をすればいいんだ」

 単細胞の頭を操るのは容易い。

「まず静岡で一番大きな図書館へ行ってくれ。そこで一九六〇年と六一年の地方新聞を閲覧するんだ」

「あんた、写真事件追ってるんじゃないのか」

「そのうちわかるはずだ。今は黙って指示に従ってくれ」

 有能な助手が出来た。俺の素姓まで調べ上げる凄腕だ。



 突然、飛鳥健から電話を受けた。

「ジョンの追悼の意味も兼ねて、フェニックスを再結成したいんだ。来年四月から半年間限定で、新曲のレコードを出して、ツアーもしようと思う。もちろん参加してくれるよな」

 強引に話を押し進めるやり方は昔のままだ。馬場幸一郎はこれを嫌って脱退した。

 フェニックス…久しく聞かなかった名前だ。

 十年もたってオヤジになったメンバーで、あれらの曲をプレイするつもりか。確かに話題にはなるだろうし、飛鳥健がいればまるで売れない事はないだろう。

 何より俺にはカムバックになるのだ。

 考えさせて欲しい、と答えて電話を切った。



 赤ん坊が流れて一月半、俺はいわゆる追っかけの少女と親しくなった。まだ十六歳の高校生で、みゆきという名前だ。

 ラブホテルがまだ連れ込み旅館と云っていた時代に、鶯谷の線路際の暗い一室で染みのついた布団の中、みゆきの純潔を戴いた。彼女の目当ては馬場幸一郎だったようだが、いずれ捨てるつもりの重荷を下ろした後は俺にぞっこんとなった。

 俺もまた時間の許す限りみゆきと会った。パートナーと噛み合わなくなった男が、噛み合うパートナーを求めるのは当然の成り行きだった。決して美人とは言えなかったが、器量の悪い子は不憫さに似た愛情を感じさせるものだ。みゆきと出会ってから、そわそわしながら相手と待ち合わせること、手をつないで歩くこと、昔はこうやって女を笑わせたこと、などを思い出した。

 そして、感じない乳房があること、陰毛の形や濃さは人それぞれで違うこと、フェラチオにも上手い下手があることを、みゆきから教えられた。

 勘の良い智子にこれが隠し切れるとは思わなかった。その日が来るのは意外に遅かった。が、それは最悪の形で訪れるために、ゆっくりと確実にカウントダウンされていた。


 

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