第19話 脅迫電話

   十二月十一日 木曜日

「ミスター・ホシ?」

 振り返った俺の背中に五発の銃弾が撃ち込まれる。

 MIEが、倒れる俺の体を支えようと手を伸ばす。俺はアパートメントの階段を三歩上ると、喉からごぼごぼと血の塊を溢れさせてひざまずく。

 霞むわが目に映るのは、MIEの悲しく歪む顔。ハニー、そんなに悲しまなくていい。俺はきっと生まれ変わって、再び君とめぐり逢い…

 とどめの銃声が響き、背骨に激痛を走らせる。鈍い銃音が何発も何発も鳴り続ける…


 鳴り続ける鈍い音は、マンションの扉を叩く音だった。

 明け方MIEの部屋から帰り、ベッドにもぐり込んでからそれほど眠った気がしない。今は七時くらいか。背骨がひどく痛い。

 ドアから覗いたレンズの中に立っていたのは、何とミス小野だった。背後に若い男を一人連れている。

「いるのはわかってるわ。ジョージ、早く開けて」

 チェーンを外すと、ミス小野は自分でドアを押し開けて部屋へ上がって来た。

「おはよう」と言いながら、コートのままダイニングの椅子に座る。テレビの上の時計は八時半を指していた。

「まだこんな部屋に住んでるの。あなた失業者なんだから贅沢出来ないんじゃない。家賃きちんと払えるの?」

「事務所やめた人間の事だ、放っておいて下さいよ。朝早くからボディガード付きで、いったい何なんです」

 ドアの脇で、若い男が後ろに手を組んで仁王立ちしている。

 ミス小野は急に溜め息をつくと、大きな頭を垂れた。

「ジョージ、まずこの前の事をあやまりたいの。あんな仕打ちをして後悔してる。あなたの事はまだ名簿から外してないのよ。オノプロにはあなたが必要だとよくわかったの。本当に‥」

「ママ、何が言いたいんです。いつものようにストレートに言ってもらえませんか」

 しおらしい演技から解放されたミス小野は、ジッポでタバコに火をつけるといつもの口調を取り戻して言った。

「脅迫犯を捜して欲しいの」

 やはりそう来たか。

「それは桑田の仕事のはず」

「桑田じゃ埒が明かないの」

「そうやって桑田と俺を天秤にかけるんですね」

「たかが脅迫犯ひとり一週間かかってまだ見つけられないのよ、あいつ。その間にマナはテレビにも出られない。この年末の大事な時に、これ以上もたもたしていられると思う?」

「もっともだ。でも、俺を引き戻す理由はそれだけですか」

「どういう事?」

「今俺が調べてる事をやめさせたいんでしょ」

「いったい何の話?」

「マナの家族にはどんな秘密があるんです。俺の骨にひびまで入れて、いったい何を隠してるんです」

 ミス小野は音のしそうな着け睫毛を吊り上げて、コーヒーカップでタバコを消すと、椅子を蹴った。その音は骨のひびに来る。

「あなたの言ってる事はさっぱりわからないわ。もう時間がないから私の質問にだけ答えて。会社に戻って脅迫犯捜しをするか、それともオノプロを敵に回して飢える覚悟か」

 ミス小野に二歩近づいた。ボディガードが一歩前に出た。

「さあ、どっち?」

 三秒考えて俺は答えた。

「俺は、ママの子ですよ」



 最初の脅迫電話は十二月三日、この内容は嶋から聞いた通り。

 ベストテンの降板を無視されて、五日にかかってきた電話は新米の女の子がとった。事務所にかかってきたこの二つの電話は、二十代くらいの若い男の声だったという。

 だが、八日にフジテレビに爆弾を知らせた電話は、若い女と証言されている。

 脅迫状の方は、電話より早く三日の朝届いた。お決まりの新聞雑誌の活字切り貼りだ。ミス小野から受け取ったコピーを見たが、なぜか封筒だけは手書き文字になっている。例の定規を当てた文字である。

 最初にK社に届いた封筒を取り出して比べた。そっくりだ。その特徴を隠した文字はなぜか女の筆跡のように思えた。そして、三週間前は思わなかったのだが、どこかで見た事がある気がした。

 二通目の脅迫状は、九日の朝、フジテレビの騒ぎの翌日、おれの恐さがわかったならばテレビへの出演をやめろと、やはり切り貼り文字が入っていた。封筒は定規文字だった。

 ただし、K社宛ての封筒とは違う点がある。消印が三島ではない。一通目が新宿、二通目は消印なし。つまり、四谷のオノプロ事務所のポストに直接投函されたという事だ。

 そして、五日の電話を録音したテープを聴いた。


「もしもし!もしもし!」

「十六歳、妊娠中絶、中野病院…」

「どういう事ですか?」

「マナに聞け。汚い過去は消えない。処女のふりをして、自分だけいい気になるな。お前の栄光の蔭で、泣く者の苦痛を思い知れ」

 明らかにマナに対しての深い恨みをうかがわせる電話であった。ハンカチか何かでフィルターをかけているため、暗くこもって聞きづらいが、その声はどこかで聞いた事があるような気がした。あるいはもう、俺は犯人と接触しているのかも。



 『ザ・ベストテン』の一位は三週連続の『ゆれる想い』だったが、マナはVTRのみの出演であった。外せないレコーディングという事だが、どこへでも中継車を走らせるこの番組において、テレビ拒否のニューミュージック系以外でベストワン歌手が生出演しないのは異例の事だった。




   十二月十二日 金曜日

 捜査に行き詰まった刑事は、最初の現場に戻るらしい。『女性の友』のK社へ行く事にした。

 むさくるしい森元編集長と、この前と同じ喫茶店で待ち合わせた。

 森元は先に来て、若い男と話していた。俺を見て男は立ち上がり、一瞥しただけで、人の前を挨拶もせずに通り過ぎた。

「誰ですか、あれ」座りながら尋ねた。

「S社の記者で三枝って云ってね、例のマナちゃんの写真記事を書いたのが彼だ。その件でかなり大目玉を食らったらしくて、うちに来たいってさ。もちろん断ったけどね」

「ひねた感じの奴だな」

 灰皿はもう溢れそうなのに、森元はさらにタバコに火を点ける。

「写真送って来た中年男、自殺したんだって」

 反論するだけ面倒なので何も答えない。

「マナちゃん、脅迫されてるそうだね。まだ犯人わからないの」

 さびれた店だが、コーヒーはうまい。キリマンジャロを頼む。

「悪い噂を耳にするよ。直木マナは中学時代レイプされたとか、高校の時中絶したとかさ。社長は握り潰してるつもりだろうけど、マスコミ内でこれほど聞かれるって事は、誰か流してる奴がいるって事だ。注意しないと、こういうのは大体いつか漏れて外に出ちまうんだよ」

 スモッグのような煙をもろに吸い込みながら、俺は言った。

「実は教えて欲しい事があるんです、編集長」

 森元は二十代の頃、同じく雑誌記者をやっていたミス小野と恋人関係だったという噂だ。ミス小野の人生で唯一の男性が森元という説もある。今の姿からはきわめて信じ難い組合せだが、二人とも典型的な業界人という点では共通している。

「いいとも、僕なんかでも犯人捜しの役に立つかな」

「ただし、ここで話した事は全てオフレコでお願いしたいんです。うちの社長にも」

 社長という一言で、森元は椅子に座り直した。

「どういう事?」

「約束してもらえますか」脅しの時の目で森元を見据えた。

 森元は目をすぐにそらし、点けたばかりのタバコをもみ消した。それから無言で、首を人形のように上下に何度か振って、また取り出したタバコを口へ運んだ。

「直木マナについて、タブーになっている事は何ですか」

「タブーだって?」

「掲載も取材も避けるように、オノプロから事前に告げられている部分があるでしょう。編集長と社長の仲だ、きっと聞いている筈だ。それを教えて下さい」

「それは…」

「ない、と言うつもりですか」

「脅迫犯には関係ない、と思うけど」

「関係ないかもしれないが、それはあなたの憶測だ。みんなして包み隠そうとしている事を俺は知りたい。あなたなら、協力してくれますよね」

 テーブルに厚く膨らんだ茶封筒を置いた。森元は思わず黄色い歯を見せて、首を左右に振った。

「勘弁してよ、星ちゃん」と言いながら封筒に手が伸びる。それより早く、俺は封筒を手で押える。中には万札五枚と、同じ大きさに切った新聞紙の束が入っている。

「お互い損は無しだ。悪いようにはしない」

「君には敵わないな。社長には絶対内緒だよ」

 封筒を差し出し、急いでポケットに入れるように言った。元恋人との約束より現金を選ぶ、そういう人間も業界には必要だ。

「直木マナについて、男関係はもちろんだが、必ず小野社長のチェックを受けて掲載するように言われたのは」

「言われたのは?」

「家族についてだ。家族の事は出来るだけ書くな、とまで言われたよ。特に」

「特に?」

「母親に関しては、絶対に触れるなって」

「理由は?聞きませんでしたか」

「聞けなかったよ。だいたいこんな時は決まってる。母親は死んでるか、あと部落とか外国人とか」

 マナの秘密、それは表に絶対出せない母親の姿にある事は間違いがなさそうだった。



 池袋へ帰る途中、電気塔となったのっぽのサンシャインが目に入った。気がつくと、夜景が広がる展望台にいた。

 夜の街に灯る電気の光は、そこにある命の数だ。幸福な人も不幸な人もいる無数のドラマを高い所より見下ろして、昼間には感じられなかった心境に初めて達した。

 ふと振り返った数メートル先に、俺を見つめる瞳があった。

「神様になれた?」

 夜にサングラスをかけ、並びのいい歯をむき出して笑う若い女。

「狙われた女がこんな所にいていいのか」

「むしゃくしゃした時は、ここが一番なの」

 サングラスをとりながら、マナは俺に近づくといきなり手を掴んだ。「こっちの方がいい」と引っ張って行き、あちこちの景色を説明し始める。

 きわめて無邪気で明るく、とても落ち込んでここへ来たとは思いにくい。ノーメイクの顔は瞼が腫れぼったくテレビとは別人だ。整ってはいるが、田舎臭さが抜け切らないお上り娘の顔だ。

「ねえ、聞いてる?」

「え?‥ああ、ぼんやりしてた」

「ジョンのショックがまだ尾を引いてるの?」

「神様が死んだんだ。二、三日じゃあヘラヘラ出来ないね」

「どうせわたしはヘラヘラしてるよ」

「それより、風邪治ったのか」

「まだ声が治んない。歌手の大事な喉をどうしてくれるの」

 夜景のパノラマに包まれて、他愛無い話をした。恋人同士ならロマンティックなデートスポットでも、何の関係もない男女には無意味な舞台設定でしかない。いや、キスをしていればまんざら無関係でもないか。

「テレビに出られなくて、つらいだろ」

「ううん、忙しくなくてちょうどいい」

「こんな所にいてヤバくないのか」

「だから、ボディガード付きだよ」

 十メートル向こうで、風間がこちらを見ていた。

「ずーっと、あの男付きっきりなんだ。いやんなっちゃう」

「またエスケイプしたらどうだ」

「この前もあいつママから大目玉食らってたから、あんまりいじめちゃ気の毒だしね。今度わたしがはぐれたらあいつクビだもの、新婚早々かわいそうでしょ」

「風間をいたわる気持ちなんてあったのかい」

「え、なに?」

「何でもない。それよりお前、今日は何で来たんだ」

 風間がやって来て、会話を遮った。

「こんばんわ、星さん。偶然ですね」

「ああ、大変だね毎日」

「星さんは呑気でいいですね。お願いだから早く犯人突き止めて下さいよ。夜景なんか眺めてる場合でないんじゃないですか」

 先頃ゴールインした風間は、オノプロでは田舎のプレイボーイと異名をとっていた。受け持った三人組の女の子のうち二人を口説いて、どちらにもふられたのだが、もう一人口説かれなかった子がこれを暴露し、その頃からこう呼ばれるようになった。

 タレントとマネージャーがデキてしまうケースはよくあるが、マナとこんなチビとでは想像も出来ない。あれは、一緒にいる時間が多いという、もっともらしい理由のせいだけではない。男と女はそれほど安易なものとは違う。

 付き人は女性タレントの体調を管理するため、生理までも把握する。男女関係としてはかなり異様で、かつ微妙なものと言える。俺がマナならば、こんな男に教える前に首を吊るだろう。

「もう時間だ、紅白のリハーサルに遅れる」

 風間がマナの背中を押して、帰りを促した。

「じゃあ、また」と、マナが小さく手を振った。

「来てるんじゃないかと思ってさ」

 後ろ足に離れながら、マナが小声で言うのが聞こえた。

「ね、いいことあったでしょ」

 行こうとする彼女を呼び止めた。

「マナ!」

 声は届き、マナは一瞬振り返ったが、既に見えなくなった風間を追って、やがて視界からフレームアウトした。

 聞きたい事は、聞けなかった。



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