第10話 スキャンダル

 今年の俺は“天中殺”なのかも知れない。行き掛かり上仕方なかったとはいえ、全く損な役を引き受けたものだ。

 嶋チーフ・マネージャー様は、俺の部屋を芸能記者の死角と見込んだ。一度は出て行けとまで言ったミス小野だが、役が立たない男にはそんな男なりの仕事を今回も与えてくれた。

 池袋から歩いて十五分のマンションは、アイドルを招くのに恥じないだけの場所ではある。高い家賃の部屋だ。一度芸能人をやったら、どん底の生活には戻れない。落ち目の、又は元芸能人という連中で、収入の割にいい家に住んでいるというのは多い。


「ビール、もっと買って来てよ」

 わが部屋にやってきたアイドルは、十分足らずで缶ビール二本を空け、ソファーにふんぞり返っていた。

「これ以上はダメだ。結構キテるんだろ」

「黙って買って来りゃいいの。言う事聞きなさいよ、早く!」

「ダメと言ったらダメだ!俺を軟弱な付き人と一緒にするな。なめるんじゃないぞ」

 マナは一瞬黙ったが、すぐに挑戦的な目で人を睨み上げた。

「怒鳴って女を服従させる男って、サイテイ」

「わがままが通らないと、ヒス起こす女も最低だね」

「誰の事言ってんの」

「俺の部屋に今いる人さ」

「何よ!」

「何だ?」

「何よ、今日くらい、飲ませてくれたっていいじゃない!」

 俺のテーブルは、哀れにも蹴飛ばされて横に倒れる。マナはパーカーを頭にかけてソファーに突っ伏すと、そのまま貝になった。

 俺はコーヒーメーカーにフィルターをセットする。

「コーヒーで我慢しな」

 静かさに落ち着けず、レコードをかける。ビートルズの日本編集盤『ラブ・ソングス』。選曲は満点ではないが、バラードばかり集めた好企画だ。二枚組の一曲目は『イエスタディ』。

「これ聞いたことある‥」

 パーカーで顔を隠したまま、マナが言った。

「ビートルズの『イエスタディ』も知らないでよく歌手やってるもんだな」

「英語の歌は意味がわかんないんだもの。ビートルズってそんなにえらいの?」

「今の音楽の元はビートルズが作ったようなものだ」

「ふーん、阿久悠と都倉俊一が作ったんじゃないの」

「ジョン・レノンとポール・マッカートニーだ」

「ふーん‥結構いい曲だね」




 自分の部屋で女とふたりきりになるのは久しぶりだ。十四年前、智子を口説いた時もビートルズが流れていた。

 智子を知って、初めて本気で女を愛した気がした。

 気が強く、わがままな女だった。が、それを欠点と認めつつ、彼女の全てを受け入れ、俺の全身をもって愛しんだ。

 会うとすぐに求めた。可憐な外見と裏腹に、淫らな面もあった。俺だけにそれを見せた。俺はどっぷりと彼女に溺れていた。




 コーヒーが湧いた時、マナはパーカーの中で眠っていた。

 睡眠時間三、四時間の生活だ。アイドルらしからぬ大きな寝息が、毎日の、そして今日一日の疲労を思わせる。

 抱きかかえてベッドまで運んだ。やせていても、女の皮下脂肪の感触は変わらない。発育の進んだ下半身に触れた指には、尻の肉が気色良く食い込んだ。

 横たえた美少女の、細胞のきめが細かい寝顔を見つめた。

 目尻をひとつの滴が流れ落ちるのを見て、灯りを消した。



 “アイドル”というのは、日本国独自の存在らしい。かつてのビートルズには追っかけの少女たちがいたし、『HELP!』という映画は『四人はアイドル』と訳されたが、美少女歌手に思春期の少年たちが熱狂するという現象は世界でも珍しいそうだ。

 圧倒的なアイドルに日本で初めてなり得たのは、恐らく天地真理であろう。八年前“白雪姫”として作られし人形は、後に南沙織、麻丘めぐみ、アグネス・チャン、浅田美代子、桜田淳子、キャンディーズと続く美少女アイドルの系譜の祖となった。

 山口百恵の出現により、アイドルに実力が伴う事もあると知らされる。また、美形ではないが可愛いという親近感だけでもアイドルになれる事を、松本ちえこや榊原郁恵などが証明した。

 石野真子が人気投票一位という“アイドル不遇時代”が二年ほど続き、やっと現れた有望株が松田聖子やマナであるわけだ。

 舞い降りた天使の一人が、ここで無防備に寝息を立てている。もっとも、天使にしてはあまりにも汚れているが… 





   十一月二十八日 金曜日

 朝には弱い俺が目覚めた時間、マナはまだベッドの中だった。

 クソガキとはいえ、女が泊まっているという高ぶりと、一昨晩の智子の夢のリアルなイメージがちらついて、なかなか深い眠りにつけなかった。

 それでも朝のワイドショーが気になって、テレビをつけた。その話題はトップニュースだった。

「今日発売の『女性ナイン』に掲載された写真は、匿名の投稿によるものですが、清純イメージで売り出し中の直木マナさんにとって、大きな打撃になるでしょう。関係者やファンの方々はショックを隠し切れない様子です。しかし当の本人は昨夜の『ザ・ベストテン』出演後姿を消したまま、依然行方はつかめていません」


「わたしって、指名手配の逃亡犯みたい‥」

 振り返ると、マナが立っていた。すっぴんで髪もとかさぬまま。

「スターの証拠だ。マスコミが君を血まなこで捜してる。一年前には考えられなかった事だろ」

「恐い…」

「恐いのは、何かを失う事さ。大事なものを失いたくなければ、俺に従うことだ」

 マナは素直にうなづいた。どこかで、きゅるるる‥と妙な音がした。蚊のような声がつぶやいた。

「おなかがすいた…」


 この頃は『セブンイレブン』なる店が都内各所に出来ていて、午前七時から買い物できる。二十四時間営業の店もあるらしい。「あいててよかった」というのが、キャッチフレーズだ。

 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の『テクノポリス』が流れる店に、変装したマナとやって来た。人からは仲の悪い恋人同士か兄妹か、それとも年の違う夫婦にでも見えるであろうか。

「ねえ、タバコ買って」

「そんなものは自分で買いな」

「お金持ってないのよ」

「じゃあ、あきらめろ」

「困ったなあー、タバコは万引きも出来ないしなあー」

「でかい声を出すなよ、あとで買うから」

 雑誌の並ぶ窓側に来て、マナの足が止まった。

 『女性ナイン』が並んでいた。その横には、スポーツ新聞各紙が大見出しで「直木マナ、セックス写真」「堕ちたアイドル直木マナ」などとぶち上げていた。

 俺はそれら全部をかごに入れ、ひとりでレジに持ち込んだ。


 三年以上使っていないトースターを出して、玉子とベーコンがたっぷり入った自家製ホット・サンドを作った。

 俺がキャベツに包丁を入れている間に、マナは『女性ナイン』や『東スポ』を読んでいた。あえて何も話しかけず、調理に没頭している振りをした。

 トースターのサビの味がするとか、ベーコンが高かった分だけおいしいなどと憎まれ口を叩きながら、マナは食パン三枚分をぺろりと平らげた。

 食後、マナが買ってきたセブンスターに火を点ける。

「この部屋、灰皿ないの?」

「俺は吸わないからね」

「酒もタバコもやらないなんて、つまんなくない?」

「若いうちから安易なものしか楽しみに出来ない奴こそ、人生損してると思うね」

「じゃあ、人生何が楽しみなの?」

「それは自分で見つけることさ。探せばいくらでもある」

 ゆうべのビール缶を灰皿代りに、煙を吐き出すマナの姿は、あの写真で見たあばずれ少女そのままだ。

 週刊誌の話題は、どちらからも口にしなかった。その話を始めるにはお互い覚悟が要る。まだ長い時間ふたりで過ごさなければならないのだ。

 睡眠不足のアイドルは、食後間もなく再び眠り姫になった。



 事務所に電話を入れた。嶋チーフが出た。

「マスコミは今日中には静かになるよ。社長がテレビは全部押さえたし、『ナイン』には電通から圧力かけてるとこだ。編集長は飛ばされるかも知れないな」

 『女性ナイン』の編集長は、オノプロを甘く見たようだ。もう昔のような弱小プロダクションではないのだ。

 テレビを押さえたというのは、各テレビ局に、ワイドショーでこれ以上マナを追えば、うちのタレントを歌番組などから引き上げると脅したという事だ。オノプロの歌手がひとりも出てこない歌番組など想像できない。

 電通から圧力というのは、広告代理店から、自社の広告キャラクター、つまりマナのイメージダウンを抗議するわけだ。女性誌は広告が多く、代理店には頭が上がらない。マナは来年カネボウのイメージ・キャラクターに決まっており、その広告料を考えたら、あんな記事を載せた編集長はあやまった程度では済まないはずだ。

「マスコミがおとなしくなっても、一度世に出たものはどう収拾をつけるんだ」

「あさっての日曜、マナに記者会見をさせる。どうしゃべらすかは検討中だ。記者やレポーターにはみやげを送って、余計な事を突っ込ませない。まあ見てな、誰もが納得できるような筋書きに持ってくから」

「仕事はどうなる」

「日曜までの仕事はキャンセルするが、月曜の『紅白歌のベストテン』から復帰させる」

 マナの生き死には日曜日の会見次第であろう。いかなるウソであの写真を正当化するのか。数十万のファンや、興味津々の大衆をうまく説得できるのか。今そのシナリオが練られているわけだ。

 俺のベッドで高いびきをかく、この生意気な小娘のために、いったい幾人の大の大人が奔走していることか。下半身の尻拭いまでして、彼女の持つ何を守ろうというのだろうか。

 明日のマナ受け渡しの打合せをして、電話を切った。


 マナの寝顔を見ながら、この淫乱がベッドで乱れる様を想像した。村木の辛気臭い顔が重なったが、どうしても目の前の美少女と並べられるツラではない。

 それはすぐに、この二、三日つきまとう智子のイメージとオーバーラップしていった。智子とのセックスが脳裏によみがえった。




 夏の休日にはよく、昼間から何も着ないで過ごした。二人とも真っ裸で寝転び、テレビを見たり、食事をした。

 どちらが先に欲望に負けるか、という賭けをした。

 智子が歩くと二つのゴムまりが戯れるように揺れ、それを見るだけで俺は抑えが効かなくなった。

 三回に二回が俺の負けで、あと一回は智子の方から求めた。不意に無防備のジュニアをくわえ込んで来るやり方が多かった。

 智子の乳房は大ぶりな分だけ感度も良かった。手を触れるだけで身をよじり、少し大袈裟に思えるほどの反応を見せた。乳輪が大きく、ラジオのつまみのような形の乳首が硬く突起すると、色白の乳房に血管の筋が薄赤に透き通ってくる。

「ああ‥ジョージ、ジョージ…」と、彼女は最中に俺の名前を呼ぶ。感じてくるほど、繰り返し何度も叫ぶ。

 その頬と耳たぶもピンクに染まり、上気した鼻に汗の玉がにじむ。耳たぶをそっと噛みながら、「好きだ」と何度も囁く。俺はひたすら「好きだ」と言う。好きで好きでたまらないのだから。



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