第9話 ザ・ベストテン

 芸能記者たちが騒ぎ始めたのは、午後三時過ぎ。マナはアルバムのレコーディングをキャンセルして、既にTBS入りしていた。四時頃には大方の記者たちがTBSの玄関前に集まって、実は中にいる淫乱アイドルを待ち伏せた。

 こういう連中は俺がアイドル・バンドだった頃からいて、人の下半身ばかりのぞき込んでは、めしを食っている。アイドルの身でも、今の立場でも、うっとうしい存在だ。昔はスポーツ新聞や女性週刊誌が中心であったが、テレビにワイド・ショーなる番組が流行り始めてからは、芸能レポーターと称する奴らまで増えて、ますますたちが悪くなった。『モーニング・ショー』『小川宏ショー』『三時のあなた』『三時にあいましょう』、朝八時半と昼三時は、芸能人には魔の時間だ。


 マナは関係スタッフ以外寄せ付けない状態において、リハーサルに臨んだ。以前に増してご機嫌が悪いようで、付き人の風間がののしられる声がスタジオの隅まで聞こえた。

 周囲にも、腫れ物に触るようなピリピリした空気があったが、必死に平静を装うマナ自身の“ゆれる想い”をひしひしと感じた。はたしてリハーサルの歌は最悪だった。いつもの感情移入が全く無く、心ここにあらずというのがありありであった。

 ついにリハーサルも中途にして、マナはスタジオから出て行った。肉親が死んでもステージを空けるなと言われるこの業界で、プロとしてまだ甘い。

 俺は本番が終わるまで待機する指示を受けていた。村木のことが気がかりだった。




「今週の第一位は、『ゆれる想い』直木マナ 8990点!」

 久米宏の声にミラーゲートの前のくす玉が割れ、一位獲得歌手が登場するのを、スタジオ外のモニターで見ていた。

 マナは口を手で押さえて、肩を揺らせながら現れた。

 今週の順位はマナには隠されていた。ゲートの裏で出番を待つ間、次第に自分の順位が分かってくる。松田聖子が二位になった時点で、マナはもう感極まったらしい。

「マナちゃーん、一位よ。ずっとあこがれてたベストテンの一位なのよ、あなた」

 黒柳徹子に抱きかかえられて、やっとのことでカメラ位置に入った。司会者の質問にも、まともに返答できない。昨日まで、そして今日一日の出来事が、頭の中でごっちゃになって渦巻いている事だろう。だが、ここで歌がお粗末になったのではプロ失格だ。興味津々にモニターを見守った。

 花束を左手いっぱいに抱えて、マナはセットに立った。雪に囲まれた銀世界をイメージしたセットで、人工粉雪がかすかに舞っている。薄いピンクのフリフリ衣裳が映える。イントロが入る。


 ♪どちらが好きなの?

  どちらを選ぶの?

  誰に聞いてるの?自分のことでしょ

  その人は強いよね

  でもあの人はやさしいよ

  十九にもなって決められないの?ダメな子ね

  ふれるだけでこわれそうなの

  このゆれる想い


 顔を上げて歌い始めた時から、普段の表現力豊かな直木マナが取り戻されていた。ふれるだけでこわれそうな、恋にゆれる美少女を見事に演じている。全ての個人的感情はイントロのうちに押え付け、涙ひとつこぼすでもなく、乱れることなく歌い続けた。

「星さん」歌の途中で、付き人の風間に呼ばれた。

「そろそろ搬入口に回って下さい。トラック着いてますから、先に乗って待ってて下さい」

 歌は終わっていなかったが、哀れな付き人の言う通りに動いた。


 機材、楽器の搬入口に大型トレーラーが停まっていた。運転手に手で挨拶した。五分刈り頭も無精髭もごま塩色のタメさん、世話になるのは久しぶりだ。緊急時にはいかなる車も運転して、我々を助けてくれる。

 タメさんが後部の扉を開いて合図をすると、俺は辺りを見回して、ちょうど大きな扉に隠れるようにして荷室へ入った。

 中にはソファーだけが置いてあり、そこにひとり座って後を待った。

 九時五十五分、番組は終わった。

 すぐに大勢のスタッフが音をたててなだれ込んで来た。車輪付きの移動式ハンガーに、ある限りの衣裳を掛けたもの。目にも止まらない程のスピードで、ガラガラと何台もやって来る。

 俺はソファーに座ったまま、見ているだけ。

 扉が閉まるまで一分余り。スタッフに見送られ、タメさんのトラックが発進する。



 外は見えないが、トラックがTBSから道路に出るのを感じる事が出来た。

 薄暗い白熱電球がゆれる下、数台のハンガーの中に紛れて、ピンクの衣裳を着けたままのマナの姿があった。

 しゃがみ込んで、幽霊のような恨めしげな目でこっちを見ている。

「ここに座ったらどうだい」

 この娘と口をきくのは、よく考えると初めてだ。けだるい声が帰ってきた。

「わたし、どこへ行くの?」

「俺のマンションだよ。あさってまで、そこでマスコミから隠れるんだ」

「あなた、だあれ?」

「何でも処理屋の星ジョージだ。前に挨拶したと思うけど」

「会った人を全部覚えてられないよ」

「そうだ、早く地味な服に着替えるんだ。途中で乗り換えなきゃいけない」

「ここで?」

「俺はこいつをかぶってるから」

 一番そばにあった衣裳を取って、頭からかぶった。

「早くしろ」

「命令しないでよ。何であんたみたいな人にえらそうな口きかれなきゃいけないの」

「失礼をば致しました。お早く、お洋服を、お召しになって下さいまし」

「どうしてこんな暗いとこで、わけの分からないオヤジと二人でいるのよ。ったく、天国から地獄に落ちたみたい。いったい何をしたっていうの。さっきのベストテンで一位だったんだよ、わたし」

「セックスをして、写真を撮っただろ」

 うるさい声が止まった。

「騒ぎを大きくしたくなかったら、黙って俺の言う通りにして下さいますかな」

「気に入らないヤツ‥」

 ハンガーを引っかき回して、服を選んでいる音が聞こえる。

「服は出来るだけ地味で目立たない奴を頼みます」

 衣ずれの音がしてきた。やっと服が決まったらしい。

「ここにクレンジングがあるから、メイクも落として下さいな」

 目隠しにかぶった服は、目が荒くて透け透けだった。

 ピンクの衣裳を脱いで、同じ色のひもみたいに小さなパンティーだけになったアイドルの姿が見えた。見てはいけないものも、見られる機会にはしっかり見るのが中年のおやじだ。

 やせっぽちだが、下半身の方はしっかりしている。胸はほとんど隆起が見られず、乳首だけがその上にぽつんと付いて、鋲のように尖っている。

「もう少し地味目の服がいいんじゃないか」

「えっ?」

「あ、いや、寒くないか」

「平気よ」黄色いポロシャツをかぶり、アイドルの裸身が消えた。

「あなたの事思い出したよ。初めて『夜ヒット』に出た時に、フジの廊下でママと一緒にいたでしょ」

「そこまでは覚えてない」

「絶対そうよ。何か困った事が起きたらこの人が助けてくれる、その代わりこの人に隠し事は出来ないんだ、って風間が言ったのを覚えてるもん」

 そう紹介されるのは、まず俺くらいだろう。

「もう、いいよ」

 目隠しを外すと、目の前にいたのはアイドル歌手の姿ではなかった。赤のパーカーに紺のミニ・スカート、白いハイソックスのハマトラ・ファッション。ありふれたスッピンの少女だ。大きな丸めがねをかけ、髪を上げてキャップを目深にかぶれば、もう顔も分からない。これで表を歩いても、誰も直木マナとは気付かないだろう。

「別人みたいだな」

「化けるのがうまいんだよ」

 トラックが止まった。扉が開く。

「後楽園だよ」

「タメさん、ありがとう」

 TBSから外堀通りに出て、もっと早く着く地下鉄の駅はあるが、着替えの時間を見て丸ノ内線の後楽園前になった。ここから池袋まで三駅で行ける。

 タメさんのトラックはすぐに発車し、俺とマナも素早く入口の階段に隠れ、降りて行った。



 丸ノ内線は空いていなかった。幸いシーズンオフなのでジャイアンツファンはいなかったが、残業帰りまたは一杯やった後のサラリーマンやOLで、立つ所も無かった。

 車は追跡される心配があるからと、電車に乗り換える提案をしたのは嶋チーフ・マネージャー様だ。不特定多数の乗客たちに囲まれる心配の方は心配しなかったのか。


「座れないの?」

「すぐ着くから辛抱しろ」

「何よ、やな言い方」マナはふてくされて、奥の方へ歩いて行く。

「そばにいろよ、はぐれたら困るだろ」

「えらそうにしないで!」さらに突き進むマナの腕をつかむ。

「放して!気安くさわらないで」

 そばにいた会社員グループが振り返る。

「こんな所で目立ってどうする。頼むからおとなしくしてくれ」

「命令しないって約束する?」

「するよ」

「わたしの言う事何でも聞く?」

「聞くよ」

「じゃあ、部屋に着くまでにビールを買って。買ってくれないなら、ここに座って泣いちゃうからね」

「わかりました。買わせていただきます、お姫さま」

 風間の苦労をあらためて痛感した。同時に、これからの二日間が思いやられてゾッとした。


 意外にも、直木マナに気付く者はいなかった。それほどマナは普通の地方出の娘にしか見えなかったし、地下鉄で乗り合わせた他人に関心を寄せるほど、東京人は暇ではない。

 ベストテン一位の歌手が、今頃丸ノ内線で吊革につかまってるなんて、誰が思うことだろう。

 赤い電車は、池袋のホームに到着した。


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