第3話 直木マナ

 事務所へ電話を入れると、ミス小野は『ザ・ベストテン』のリハーサルに立会うためTBSへ向かっているので、そこで会うようにと伝言を受けた。

 たいていの移動は電車でしている。首都圏ならば車より断然便利だ。最近はソニーのウォークマンという楽しいものがある。三万三千円とは少々高いが、音楽中毒者には一度持つと手放せないアイテムだ。どこにいてもジョンの新譜に聞き入る事が出来る。

 近頃はこんな顔を覚えている人間もいないので、回りの視線も気にならなくなった。それでもサングラスがはずせないのは、自意識過剰か、単に気が弱いのか。



 三時過ぎ、赤坂にそびえ立つTBSに着いた。

 モニターのワイドショーは、昨日の山口百恵・三浦友和の結婚式を伝えていた。

 廊下で沢田研二に会った。派手な真っ赤な衣裳にパラシュートを引きずっていた。

「ジョージ、久しぶり!生きてたの?」

 GS時代の残党で今も音楽方面の一線で活躍中なのは、ジュリーひとりだけだ。今年も『TOKIO』ではパラシュート、『恋のバッド・チューニング』ではブルーのコンタクトレンズなど奇抜なショーアップで頑張っている。昨年の映画『太陽を盗んだ男』の演技も素晴らしかった。全く尊敬すべき奴だ。

「派手な奴だな、年考えろよ」

「ほっといて、これで食ってんのやから。そうそう、この間お前の夢見たんだよ」

「どうせろくな夢じゃないだろ」

「ジョンがアルバム出しただろ。あのジャケットみたいにお前がキスしてた。えらく若い女とべたーっとしてな」

 短い立ち話の後、パラシュートで廊下を掃除しながらジュリーはベストテンとは違うスタジオに向かった。


 Gスタジオにオノプロの人間は誰も来ていなかった。仕方なく、田原俊彦と松田聖子のリハーサルを眺めていた。

 二人は今年の新人賞レースで、直木マナと三つどもえの戦いと目されている。田原の歌は聞いていられなかった。ルックスだけの歌手というのは昔からいたが、ここまで来たか。ジュリーを見習うといい。


 三十分ほどして、直木マナとマネージャーが現れた。風間という三十歳の男で、オノプロでは中堅になる。

 売れっ子の歌手には、最低三人のマネージャーが付く。仕事全体を仕切り、スケジュールを組むチーフ。各現場の調整係。そしていわゆる付き人。風間は付き人にあたる。

 芸能マネージャーを志望する若者は多い。本当は自分がタレントになりたいのに、容姿、才能を授からなかったミーハーたちがほとんどだ。安給料の上に仕事はきつく、プライドはずたずたにされるので、七割以上はすぐやめていく。八年続いて結婚までした風間は、よほどの体力の持ち主か、さもなくばマゾヒストに違いない。

 風間の後を歩いて来るマナは、純白のドレスでフリフリのミニスカート。うつむき加減の表情は、さっき見た写真とどうしてもシンクロしない。座っている俺には気付かぬようで、目の前を通り過ぎて行った。すれ違い際、風間との会話が耳に入った。

「風間、このあと何?」

「十時半から『平凡』の取材と表紙撮り。十二時からニッポン放送の番組録り」

「もーう、ラジオは嫌いよ。ひとりでしゃべってるのって、バッカみたい。表紙は誰と一緒?」

「松田聖子と河合奈保子」

「えーっ。また聖子と一緒?同じ仕事は避けてって言わなかった?覚えてない?」

「そりゃ、しょうがないよ。特に今年いっぱいは、何度か重なることもあるさ」

「私の言ったことを覚えてるか、って聞いたのよ」

「覚えてます」

「何で一日に二回も顔合わせるわけ?表紙、並ばなくてもいいようにしてくれる?でなきゃ嫌だからね」

「そうもいかないよ。頼むから我慢してくれよ」 

「今日は何時に終わんのよ?」

「そうだな、早くて二時くらいかな」

「ったく、疲れるよなあ。また四時間しか寝られないじゃない」

 驚くことはない。彼女もこの世界の、一人前のスターなのだ。

 つい三分前まで、あの写真は出来のいい合成ではないか、という疑いを捨てられなかった。だが今の声はまさに、ベッドでタバコをふかす堕天使のものと一致した。

「ごくろうさま。少し待っててくれる?」

 ミス小野が到着した。


 夢の城のようなセットで、マナが三枚めのシングル曲『ゆれる想い』をリハーサルする光景を見ていた。

 マナは十九歳ということもあり、デビュー時から比較的おとなびた曲がシングルに選ばれている。作家陣も充実で、デビュー曲『インスピレーション』が松任谷由実、二曲め『夏の恋人』が尾崎亜美、そして今回は中島みゆきである。

 業界情報紙オリジナル・コンフィデンス(通称オリコン)でも、最高位五位、三位、と曲を追うごとに売上げを伸ばしており、『ゆれる想い』では一位が期待されている。新人賞レース追い込みの鍵を握る勝負作だ。松田聖子が一足早く『風は秋色』で一位をとっただけに関係者は必死である。

 『ゆれる想い』はふたりの男の間で揺れ動く恋心をテーマにしたむずかしい歌だが、マナはうまくこなしている。歌唱力よりも、マナの場合は演技力というべきかもしれない。曲のムードを作り、その歌の世界を聴く者に確実に伝えることができる。可愛いだけのお人形ではなかったとは意外であった。

 容姿プラス才能、あと強運がこの世界では必要だ。ミス小野に拾われたということは、まず恵まれている。俺の頃と違って、今やオノプロは飛ぶ鳥を落とす勢いだ。特に最近、女性アイドルの発掘には定評がある。

 業界内では暗黙の常識なのだが、“ママ”ことミス小野は同性に愛情を覚える人であるらしい。そういう目で厳選された、魅力を持った美少女が初めてデビューできる。当然多くの男たちの人気を集めるわけだ。



 六本木のテレビ朝日にすぐ向かうという、ミス小野の車に同乗した。例の写真を渡した。

 ミス小野は、長いつけ睫毛と濃いアイシャドウに覆われて、大きいのか小さいのか判らぬ目で、ひとしきりながめると、

「これは見たことがないわ」

 写真を返して短い溜息をついた。

「全部つぶしたつもりだったんだけど、あの子は見かけによらず問題の多い子でね」

「そのようですね」

「手は充分尽くして調べたのよ。いつも以上に洗いざらい」

「俺には声がかからなかった」

「ジョージ、事件かかえてて、それどころじゃなかったじゃない。私だって本当はあなたに頼みたかったのよ」

「桑田を雇ったんですね」

 桑田というのは、元はオノプロのマネージャーで、その後専属の探偵役として俺とコンビを組んだりしていた男だ。

 今は独立して、たまに俺がこなせない仕事のおこぼれをミス小野からもらったりしている。185センチ、90キロの巨漢なので、時に用心棒も兼ねたりできる。コンビの頃は何度か心強い思いをした。しかし肌が合わず、今一番顔を見たくない奴のひとりである。向こうも、俺が気に入らなくてオノプロをやめたらしい。

「桑田はああいう男だけどね、仕事は買ってるの」

 俺の膝に分厚い封筒が置かれる。

「中に桑田の報告書が入ってるわ。マナと深く関わりがあった男は二人。送られた写真はどちらかがわざと残してたものだと思う。二人ともかなり変わってるから、気をつけて。あと、プロフィール読んで、あの子について少し勉強しといて」

「ママ、俺に何をしろと」

「決まってるでしょ。写真を送った犯人を突きとめるのよ」

「それじゃ、まるで桑田の後始末じゃないですか。何であいつにやらせないんです?」

「桑田は今ニューヨークに行ってるのよ。うちの仕事じゃないんだけど失踪したコメディアン追っかけてね、いつ帰って来るかわからないの」

「だからって」

「これからもマナはトラブルが多いと思うのよ。でもあの子にはうちの社運がかかってるの。会社の大事な仕事はやっぱりあなたじゃなきゃだめでしょ。マナのこと、いろいろお願いするわ」

 朝の電話の口調と全然違う。これがミス小野必殺のアメとムチ攻撃だ。こいつに何度だまされたことだろう。

「わかりました。この二人の男に会えばいいんですね」

 俺は釈迦の手のひらで踊る孫悟空だ。

「でもママ、本人に直接聞くのが一番早いんじゃないですか」

「マナにはしばらく知らせないつもり。今、新人賞で大事な時だからね、あまり動揺させたくないのよ。昔抱かれた男にこんな卑劣なことされて、あなたならどう思う?」

「俺、男に抱かれたことないからな」

 おたくもそうじゃないの?と言いかけた台詞をぐっと飲み込んだ。

 窓の外流れる六本木の街は、既に昼とは別の顔に着替えている。歩く少女たちの髪型は気のせいか、大半がマナか松田聖子に似て見える。

「で、犯人が判ったらどうします?」

「取引はしてもいいけど、向こうはもう一度裏切ったわけだからね、まずお礼はさせてもらわないと。こっちもそれなりの値段で秘密を買ったんだから、芸能界の恐さを知ってもらいましょ」

 この人の役を映画でやるなら、『犬神家の一族』の高峰三枝子か、『人間の証明』の岡田茉利子あたりだろうか。もう少し若いところでは、岩下志麻というのもいいかもしれない。

 テレビ朝日に着くなり車から落とされた。渡された茶封筒には、調査費及びチップ代として百万円入っていた。



 俺のめしのタネは、探偵料と呼ばれるあぶく銭だ。探偵といってもシャーロック・ホームズや金田一耕助のような仕事をしているわけではない。テレビドラマの松田優作みたいに格好のいいものでもない。

 芸能プロには、表沙汰にしないで解決、または隠滅しなければならない問題が常に山積されている。陽の当たるスターたちの蔭には、これらの処理に日々奔走する無数の無名の人間がいるのだ。

 俺はある時より、こういう仕事を暇つぶしに手伝うようになった。スターの最も隠したい部分、誰も知らない秘密を、自分だけが垣間見える快感。癖になると感じ始めた頃、ミス小野は俺をこの仕事に向いていると見た。使えないタレントの、有意義な廃物利用法と考えたのだろう。

 表舞台から裏方に落ちた、という感覚はなかった。そんなプライドは最初から持っていない。サラリーマンの人事異動で、左遷だの飛ばされたの、というのはこんなものかとぼんやり考えた。意外にも、振り込まれる給料は増えた。

 仕事の方は、かなりえげつないものだ。スキャンダルつぶし。嗅ぎ付けられたものをもみ消す場合もあれば、カムフラージュをでっちあげて騙す事もある。事務所に内緒の恋人がいるのではというタレントを張り込む事もあるし、政治的にまずいカップルをこわすよう仕掛ける事もある。民事的、刑事的ごたごたを後始末したり、時に便利屋とも言われる。

 こんな仕事のどこが俺に向いているというのか。常に嫌気と弱気と吐き気に悩まされながら、はや五年この生活に浸っている。


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