第2話 ゴシップ写真

 十一月二十日 木曜日

 はじめ心地よかった鈴の音を、もしや目覚し時計ではと感じ、次に電話のベルらしいと気付いた頃にはもう相手の予測はついていた。十一時をさした時計が目に入った時には、向こう側でいらつく顔をはっきりイメージできた。そうなると余計出る気になれない。ジョン・レノンと夢のセッションをしていたところなのに。

「はい、星です」

「ジョージ?わたしに何回電話を鳴らさせる気?寝てたの?いま何時?」

 予想通り、ミス小野の声が飛び込んできた。俺が雇われているオノ・プロダクションの女社長、四十八歳だ。

「質問の順にお答えすると、電話のベルは十二、三回。寝てました。十一時五分過ぎ。業界人ならまだ早朝です」

「くだらない答えを聞いてるヒマなんてないのよ。いい?今すぐ着替えて十二時半までに事務所に来なさい。一時から出かけなきゃいけないんだから、とにかく急ぐのよ、いい?」

 返事する間もなく電話は切れた。社長の命令には逆らえない。すぐにベッドから脱出しトイレに向かう。

 俺は酒飲みではないが朝は苦手だ。正午からの『笑ってる場合ですよ』を見ながら目覚しのコーヒーを飲むのが日常だ。いつもより三十分も早いコーヒーを入れながらズボンをはいていると、また電話が鳴った。

「はい、星…」

「まだいるの?コーヒーでも飲んでるんじゃないでしょうね」

「まさか。靴をはきかけてたのを、電話が鳴ったんで戻ってきたんですよ」

「ちょうどよかったわ。テレビつけて、TBS」

 受話器を置いて6チャンネルをつけに行く。持って歩ける電話機か、離れても操作できるテレビがあればいいのに。

 ブラウン管に映ったのは、インタビューを受ける少女の白い顔だった。最近の若い歌手はほとんどわからないが、わがオノプロの一押し新人くらいは知っている。

「直木マナがどうかしました」

「マナについて妙な写真が女性誌あてに届いたの」

「妙な写真って」

「マナをイメージダウンさせる写真よ」

 画面の清純歌手を見た。

 事務所では会った事がないが、どこかのテレビ局の廊下で紹介され、挨拶だけしたのを覚えている。新人らしい初々しい挨拶だったが、むやみに明るく元気、というものではなかった。

 この業界で十年以上生きてきて、デビュー間もない歌手の卵を数知れず見てきた。十月に引退し、昨日十一月十九日結婚した山口百恵などは十四歳とは思えぬ色気とオーラがあって、一目見たその晩に夢に出てきた。個人的には桜田淳子の方が好みなのだが、周知の通り、大成したのは百恵である。

 それは不思議ではない。俺はスカウトマンではないが、その子がスターになれる素材か、ただのちょっとかわいい娘かどうかはだいたいわかる。素質のある子は例外なく姿勢が良い。そしていかに幼くともしっかりした言葉遣いができる。この二つは、人の注目を浴びる仕事に最低必要な条件だ。

 十九歳というのはアイドルとしては少し遅いデビューだが、オノプロがこの娘を大々的に売り出す理由は理解できた。

「そうだ、K社に直行してくれる?モリモッちゃんのとこ。チップははずんでいいわ。面倒かけるけど、よろしく」

 一方的にまた電話は切れた。コーヒーはあきらめて、ビタミン剤をひとつまみ飲み込むと部屋を出た。



 文京区護国寺にあるK社の、『女性の友』担当モリモッちゃんこと森元編集長を訪ねた。

 森元は、べっこうの眼鏡がいかにも業界臭さを感じさせる四十歳過ぎの男である。白黒半々の長髪を耳まで伸ばし、不健康な地黒の顔に不潔な口ひげを生やしている。俺を見つけると、「星ちゃん!」と手を上げた。

 近所の喫茶店に入り、一番奥の席に着く。ウエイトレスがコーヒーを運び終わってから、森元は持って来た角四封筒を広げた。二枚のプリントがテーブルに落ちた。

「きのう、うちの雑誌に名指しで届いた。入ってたのは写真だけ、この二枚きりだ」

 写真を手に取った。

 一枚は一人の女の子がバスタオル姿でベッドに腰かけているもの。こっちを向いて、はにかむような薄笑みを浮かべている。

 もう一枚は、同じ少女がベッドに寝そべり、タバコをくゆらせながら微笑んでいるところ。シーツからのぞいた肩は裸だ。およそ十六、七歳に見えるこの少女の表情は、すでにひと情事終えた後のけだるささえ窺わせる。

 二枚とも背景がラブホテルの一室であることは、中学生以上なら容易に見抜けるはずだ。そして誰の目にも、主人公の少女はアイドル直木マナに見えることだろう。

「この写真が表に出れば、直木マナはどうなる?清純イメージのCMは、グリコもカンコー学生服も全部キャンセル。歌番組もしばらく自粛。新人賞レースも絶望。オノプロは大損害だ」

 灰皿にはもう三本の吸殻がある。森元は四本目に火を点けると、黄ばんだを通り越して薄黒い歯を見せて笑い出した。

「けど、うちでよかったな」

 実はこの男もミス小野に頭が上がらない一人だ。古い付き合いで、オノプロのタレントには好意的な記事を書く。

 例えば、オノプロの男性タレントとよその女性タレントの交際が破局したとする。女の方が有名ならば、そちらの名前が大きく扱われる。女は捨てられた哀れな者として、男はひどい仕打ちをした悪い奴として書かれるのが普通だ。その方が女性読者のうけも良い。

 ところが『女性の友』は違う。名前の扱いは対等、もしくは男性タレントの名前が先になり、記事は男の立場を擁護する内容で書かれる。競合三誌中、部数はトップだから影響力もある。一種のプロパガンダだが、どうせ芸能ネタなど読む方も半信半疑だし、直接生活に関わる問題でもなし、多少事実に反していても構わない。ジャーナリズム精神に反する、ゴーストライター上がりの元文学青年森元の持論だ。それでオノプロから小遣いが入るのなら、それもいいかもしれない。

 清水市から写真を送った人物は送り先を間違えた。ミス小野にとっては幸運であった。

「どこのどいつがこんなもの送ったか。差出人はもちろんなしだ。表書きもこの通り」

 封筒の宛名の文字が全部定規をあてて書かれている。消印を見た。「三島、静岡か」

「直木マナの出身地だ。知ってんだろ」

 そこまでまだ、直木マナに詳しくない。

「デビュー前の男を全部洗い直す必要あり、か。こういう話には慣れてるつもりだけど、これほど生々しい証拠は初めてだよ」

 清純アイドルがセックスの後に一服、の図をもう一度見た。数万人のフリークたちを絶望の底に叩き落とすのに十分なインパクトを持っている。

「送り主突き止めるのかい」

「たぶん、そういう羽目になるでしょう」

「変わってるね、君も。かつて日本のビートルズ、今は業界のフィリップ・マーロゥか。どうなの、最近音楽の方はさっぱり?」

 充満する煙に我慢できなくなったので、封筒をしまい、森元に聖徳太子を五枚差し出した。

「五枚?」

 もう五枚渡す。

「またお歳暮が行きますよ。ご協力ありがとうございます」

 レシートをつかんで席を立った。森元の長髪も生え際は寂しいのだと気付いた。煙とハゲから逃げるように店を出た。

 しかし、フィリップ・マーロゥって誰だ?



 二十一歳でこの世界に身を投じた俺は、貧乏大学生から一転、数千人の見知らぬ女の子からファンレターが届く有名人となった。わけもわからぬまま、生きた心地のしない日々を送った。

 フェニックスは、ボーカルの飛鳥健とギターの馬場幸一郎の二人の人気と才能を核にしたバンドだった。年齢的には皆ほぼ同じだったが、ドラムスの青井あきらとベースの俺は、ポジション的にも人気の方もやや日陰側であった。

 1970年、ビートルズの解散を聞いて我々フェニックスの夢も終わった…と言えば格好が良いが、健と幸一郎の仲違いが原因というのが真実だ。才能のある者同志はいつまでも一つの枠にくくられるのを嫌うものである。

 解散後、二人はそれぞれにヒットが出て成功したが、あきらと俺は取り残された。ソロ・デビューもできず、他のバンドにも入る気がせず、役者やタレントになる芸もなく、ソング・ライターの才もない。遂にあきらはリタイヤし、福島へ帰って家業を継いだ。

 フェニックスの活動期間は四年半と決して長くはなかったが、その瞬間の快楽が忘れられない人間は、今もこうして業界にぶら下がって生きている。解散後三年近くは、時々スタジオに呼ばれてはレコーディングに参加したり、仕事がなければパチンコや競馬をしたり、それでも暇なら事務所で電話番をやったり、という生活を送った。元フェニックスということでまだ覚えられているうちにドラマの端役やクイズ番組などをやらそうと、事務所はしつこく言ってきたが一度も受けなかった。

 事務所も業を煮やした。突然の解雇。給料を払う立場から見れば当然だ。しかし奇特にも、捨てられた俺を拾ってくれる人がいた。設立されたばかりのオノ・プロの小野社長、当時四十一歳である。

 たまたま一緒に飲んだ時に気が合って、うちにおいでという話になったのだが、ミス小野はなんと、俺をコミックバンドとして売り出した。ミス小野をしてもあの時代は何がうけるのかわからなかった。GSの残党をかき集めて、バンド名は“スクラップ”。

 あきれたが、ロックに変わりはなかったし、拾ってもらった義理もあり、引き受けることにした。結果は言うまでもないだろう。シングル三枚目までレコーディングしたが、メンバーのいたたまれない気持ちにより三枚目は発売されずに終わった。

 それから電話番の日々がまた始まった。“スクラップ”は俺に自己嫌悪と虚無感を残した。二十八歳になっていたが、堅気の仕事を探そうかと少しだけ考えた。

 が、トゥモロウ・ネバー・ノウズ、とビートルズの曲名にもあるように、人間の運命はわからない。七年後の今こうしているように、それまでと違う形でこの業界を生きることになる。

 輝かない、影の星として…


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