1980:ダブル・ファンタジー

星ジョージ

第1話 芸能探偵

 軽井沢Sホテル303号室のソファーはクッションが抜群で、すっかり熟睡してしまった。

 ドアのキーを回す音に目が覚めた。お待ちかねの男女のお帰りらしい。彼らを三時間も待っていたのだ。

 部屋番号が分かれば、その鍵をフロントからだましとり、合鍵を作るのは簡単だ。目当ての部屋に忍び込んだら、昼寝でもしながら相手の帰りを待てばいい。

 クミの前を入って来た岩井という男は、想像と違って線の細いごく普通の大学生だった。俺の姿を見て、クミと二人同時に目をむいたが、すぐに状況を把握してドアに駆け出した。

 黙って逃がすはずがない。素早くクミの腕をつかまえた。細い手だった。折れそうな気がして少し力をゆるめた。

「放して!一郎、逃げて!」

 叫ぶクミを残し、岩井は振り返りもせず廊下のコーナーに消えた。



「いつも一緒にいたいの」

 永遠にも泣き続けそうな様子だったが、三十分ほどして一度長いトイレから戻ると、クミは深呼吸をしてやっと口を開いた。

「今の仕事してたんじゃ、ちっとも会えないのよ。寝る時間だってないんだもの、夜の三時頃に電話してたら、そのまま眠っちゃったりするの。で彼が、俺と仕事とどっちをとるって言うから…」

「で、奴を選んだのか」

「だって、好きなんだもの。自分の気持ちに正直になりたいの。わたし、間違ってると思わない」

「甘えるな!」

 ここぞというタイミングをはかって声を張り上げる。

「お前はな、そこら辺の娘らとは違うんだ。何万ものファンに夢をやってるスターの端くれだろ。ガキどもがはたいた、なけなしの小遣い銭で食わしてもらってるんじゃないのか、え?ママから言われなかったか、芸能人になったら自分はないと思えって。何をするにも、まずファンが先だ。わかるか。色恋に自分を失うなんて、愚か者のすることだ」

 またも目に涙を溜めている。そこら辺の娘らとどこも違いはしない。たった十八歳のやせた少女だ。

 クミは“サファイア”という、デビュー二年目のアイドル・デュオの片割れ。ピンクレディーのニ匹目のどじょうになれなかった一組だ。最近はテレビの露出度も減って、事務所ではそろそろ本人たちに引退を考えさせようとしていた。

 その矢先、東京12チャンネルの『ヤンヤン歌うスタジオ』の収録をすっぽかして、クミが消えた。幸い録画だったため混乱は少なかったが、すぐに俺が捜索に駆り出された。

 相方のアキに心当たりを尋ねたところ、すんなりと洗いざらいをしゃべった。クミとアキはオーディションで初めてコンビを組んだので、元からの友人同志ではない。

「原宿で竹の子族やってる時にナンパされた男にゾッコンなのよ。軽井沢へ行こうって電話してるの、盗み聞きしちゃった」

 軽井沢にホテルは多いが、五月の平日に何泊もする若いカップルは少ない。女が十代でサングラスをはずさない、とくれば一日のうちに突き当たる。

「番組に穴開けて愛の逃避行か。サファイアの片割れじゃあ、週刊誌の記事にもならないだろうが、タレント生命はもうおしまいだな。何よりママがただじゃ許さんだろうね。会社がお前ら売り出すのにいくらかけて来たか知ってるか、え?その半分も返してないのに、勝手にドロンされたんじゃあ、たまったもんじゃないぜ。脱ぐなり、やられるなり、からだでしっかり稼いでもらわなきゃな」

「いやだあ!」

 クミがまた顔を伏せたその時、いつからか戸口に立ちすくんでいた岩井に気が付いた。クミを残し、岩井と外に出た。



 軽井沢の風は冷たく、岩井の表情は暗かった。

「クミはうちの大事な商品だ。手をつけるなら、それなりのものを払ってもらわなきゃ困る。わかるかな」

「覚悟はできてます。どうすれば…」

「ん?値札を見なかったか。クミの値段はな…」

 岩井の脇腹に俺の左膝が突き刺さる。

 息が詰まり、ひざまずく岩井。その下あごを、尖った靴の先がすくい上げる。

 裏返って倒れる彼の下腹部を踏みつける。

 鈍いうめきを上げて、若者は逆流した晩めしを吐き出す。容赦なく腹を攻め続ける。腹はこたえるが、急所をはずせば致命的にはならない。

 岩井の限界を見て、万札を一枚足元に落とした。

「これですぐ家に帰れ。余った金は医者代だ。二度とクミの前に姿を見せるな。今日までの事は全部忘れるんだ」

 のびている岩井の顔をのぞき込んだ。

「もしどこかでこれが洩れたら、また会いに来るぜ」



 303号室に戻った。クミはさっきと同じ所にうなだれて座っていた。

「彼氏はひとりで帰るそうだ。かわいそうに、お前捨てられたよ」 

赤く腫れた眼がこちらを睨んだ。俺はめいっぱい微笑んで、クミの肩に手を置いた。

「さ、みんなが待ってるぞ。俺たちも帰ろう」

 もうクミは泣かなかった。俺の肩に体重を預けると、死んだように動かなくなった。

 シャンプーと涙が混じった、少女の髪の香りを嗅いだ。





 1980年 昭和五十五年。

 この年はまず、ポール・マッカートニーの逮捕劇で始まった。

 ウイングス初の武道館公演のため、十四年ぶりに日本の地を踏んだポールは、成田空港の税関で大麻所持が発覚。その場で逮捕され、天下の元ビートルズは拘置所で数日間を過ごした。ステージは一度も行われなかった。



 ビートルズの『アイ・ウォナ・ホールド・ユア・ハンド』が俺の道を決めた。

 1966年彼らが来日した頃、日本はコピーバンドであふれていた。グループサウンズと呼ばれるこのブームの中、俺と仲間たちは“フェニックス”という名のバンドをデビューさせた。最初のシングルは『君の手をとりたい』。

 俺たちはタイガース、スパイダースと並んでGS御三家ともてはやされた。十四年前、俺は日本中の少女たちのアイドルだった。

 その中でギターでもドラムスでもなくベースギターを選んだのは、サウスポーのポールに親近感をおぼえたせいだ。ポールは俺の師なのである。



 80年秋、ポールはウイングスを離れソロアルバム『マッカートニーⅡ』を発表。シングル『カミング・アップ』は全米トップ1に輝いた。

 そしてこの年、ジョン・レノンが長い育児休暇を終えて帰ってきた。ポールが師ならジョンは神様だ。五年ぶりのアルバム『ダブル・ファンタジー』が届いたのは十一月。レコードに針を落とすと、一曲目『スターティング・オーヴァー』が、かすかな鈴の音とともに耳にしみ込んでくる。静かに…



 

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