第3話 さよならマリコ

 翌日4月10日、マリコの葬儀が中野区の寺院で行なわれた。

 僕は大学を休み、朝から出かけることにした。実は昨日、山口と約束したのだ。東京の地理がわからないからと、彼の方から誘って来たのだ。

 新宿駅の改札口内にあるアルプスの広場という有名な待合せ場所で、朝11時に落ち合った。山口は迷ったらしく、少し遅れて来た。電車の中はずっと、朝のワイドショーの話題だった。




 その寺は地下鉄丸ノ内線の中野坂上駅から歩いて10分ほどのところにあった。近くに堀越学園高校があり、その関係でここになったらしい。

 地下鉄を降り、地上に出て驚いた。地図で調べてはいたが、実は寺の方向はよくわからないでいた。ところがそんな心配は必要なかった。

 同年代の男たちが大勢、ゾロゾロと一つの方向へ向かっていた。目的を同じくしていることは一目でわかる。僕らはそれについて行った。

 寺の門まで四百~五百メートルの長い商店街に、ずらりと列が出来ていた。それはコンサートに並んでいる客層とほぼ同じだった。

 平日に葬式にわざわざ出かけて来るなんて、のめり過ぎじゃないか、ますます忘れられなくなるんじゃないか、と僕でさえ気が引けていたというのに。こんなにもたくさん、熱心なファンがいたなんて。

 マリコ、天国から見えているか?



 葬儀は午後1時より始まった。

 僕たち一般ファンは、寺の入口近くにただ立っているだけだった。

「この中にマリコはいるんだな」

 もどかしい時間が過ぎ、3時になり全てが終わったらしく、中から関係者や報道陣などが出て来た。

 そして、マリコのお父さんらしき人の挨拶が聞こえてきた。

「岡村まり子こと、有田佳子(よしこ)は3年前皆さまの前にお目見えし、それから多くの声援をいただいてまいりました。短い間ではありましたが、彼女にとって最も輝いていた3年間であったと思います・・・」

 胸にじんと来る挨拶だった。ふと横を見て驚いた。

 山口が泣いていた。マリコのお父さんの挨拶を聞いて、涙を流し鼻をすすらせていた。クールで男らしいと思っていた山口が。

 あわてて前を向き、見ないふりをしたが、その僕の目にも熱いものがこみ上げて来た。

 棺が運び出される様子が見えた。まわりの人たちが身を乗り出す。波に押されまいと踏ん張っているうち、涙は一瞬引っ込んだ。

 やがて霊柩車が動き出した。車はゆっくり、僕らの前までやって来る。

 この中にマリコがいる。

僕のアイドルだったマリコが眠っている。

これからマリコは焼かれて灰になってしまう。

そんなことが頭を整理なく飛び回る。恐れていた涙は、ついにまぶたからあふれ落ちる。

 通り過ぎた霊柩車をずっと目で追い続けた。タクシーが何台も途切れることなく前を通って行く。

「マリコ・・・」

 山口がつぶやく声を聞いた気がして、涙が頬を伝うままの顔でふり返った。

 山口もこちらを見ていた。彼はすっかり涙を拭いていたが、それでも目と鼻の頭は真っ赤だった。そして照れくさそうに、にやけて見せた。

 僕も、涙を流しながら笑った。




 それから僕らは、駅前で雑誌と新聞を買って、近くの喫茶店に入った。

 マリコが死んだのはおとといだが、早くも今日発売の女性誌はこの事件を扱っている。スポーツ新聞は、連日マリコの記事で埋め尽くされている。

先に新聞を読んでいた山口が言った。

「おい、マリコの遺書の中に、N宛てのものがあるそうだぜ」

「何だって?」

 山口の持っている新聞をのぞき込んだ。

 その記事によると、マリコが便箋に書き残した遺書は何通かあり、家族や関係者宛て以外に、男性宛てのものがあったという。実名は明かさずNというイニシャルにしてはいるが、新聞はほぼ俳優Nと特定したように書いていた。

 遺書は、いわゆるこの年代の女の子独特の丸っこい文字で、詩のような形で綴られており、その中には「待っていたけれど、あなたは来てくれなかった」という一節があるという。

 これを受け、新聞では一つの推論が展開されている。つまり、Nにとっては遊びであったマリコとの付き合いであるが、マリコの方は本気で熱を上げてしまった。ところがNには、間もなく入籍する予定の婚約者の女性がいた。

 いつどういう形かはわからないが、マリコはそのことを知ってしまった。

 その日からマリコの死へ至る苦悩が始まった。マリコはおそらく自殺の前夜Nに連絡を取り、自分の部屋へ来るように誘ったのではないか。そこで自分の想いを何らかの形ではっきりさせようと心に決めた。しかしNは来なかった。

 そして翌朝自殺未遂を起こした。その騒ぎでもう一度Nを呼ぼうと考えたのかも知れない。それでもNは来なかった。

 Nの本心を知り、絶望を覚えたマリコは、初めて本気で死を考えた。

 自分が起こしたことは、予想以上に周囲を混乱させた。まわりの騒ぎが大きくなるにつれ、全てが外に漏れれば、自分は恥ずかしくて芸能界にいられない。そう考えた。

 そしてついに、マリコをして屋上へ上らせたのではないか。



「そんなにもNのことを・・・」

 僕が言った。山口は黙って新聞に目を落としていたが、やがてつぶやいた。

「いや、これはただの推測だ」

 さっき目を赤くしてたこの男は、また普段の冷静さを取り戻し、ただ一心に新聞の活字を見つめている。

「だいたいマリコが、夜中に男を自分の部屋へ呼ぶなんて、そんな女であるわけがない」

 確かにそう思う。マリコとNの関係は、N自身が言っていたとおり、マリコの一方的なあこがれという、それだけのものであって欲しい。これだけはNの言うことを信じたい。

 しかし芸能界とは、華やかな表側と違い、裏側ではどろどろとした欲望の渦巻く世界であるという。一般人には想像もつかないが、清純なマリコと、親子ほどに年の違うNとが深い関係であることなど、少しも不思議ではないのかも。

 ひょっとすると、業界内では真相は全部わかっていて、一般にはそれが公開されない、ただしらじらしく、いろんな推論が述べられているだけ、なのかも知れない。

「マリコは頭のいい子だ。自分が自殺なんかしたら、どれだけの人が悲しみ、迷惑をかけることになるかくらいわかってるはずだ。だから、よくよく考えてのことなんだ。男の問題なんかじゃないよ」

「じゃあ、原因は他にあるのかい」

「少なくともNのことではないと俺は思う」

「やっぱり殺人的スケジュールか」

「それは間接的要因だな。スケジュールのきつさで何もかも嫌になるほど疲れていた。ものを判断する力が鈍ってて、そんな時に何か大きなショックを受けて、正常人なら自殺などしないが、一気に死を選ぶことになってしまった」

「ショックってどんな?」

 それはわからなかった。二人とも、なぜマリコが死んだのか、それがわからないために気持ちが晴れなかった。

 


 各週刊誌には、実にあらゆる推測による記事が見られた。

 例えば、マリコにはN以外に何人もの男がいたのではないかということ。そんなこと信じたくもないが、実際マリコが死んで遺書に男優の名前と噂された時、芸能記者たちはまずNではなく別の俳優のところへ飛んで行ったらしい。

 最もショックを受けたのは、妊娠説である。相手がNかどうか不明だが、マリコは妊娠をしてしまい、堕ろすことも出来ない、だから死を選ばざるを得なかったのだと。

 さらには、マリコは何度も中絶をしたことがあるという説。それが原因で一種のノイローゼとなり、偶然にも同じ事務所の先輩である〇〇聖子がおめでたというニュースがあった。これは実に自殺の前日で、マリコの張りつめた神経にショックを与えたのではないかと。

 しかし、あのマリコのさわやかであどけない笑顔を思い出すと、どうしてもそんなことがあった女の子とは思えない。願望ではない。いくら客観的に見てもそう思えないのである。

 

 

 前に「平凡」か「明星」で読んだ話を山口にして聞かせた。

 マリコが15歳で歌手になるのに上京するまでの間、いわゆるデートというものをただ一度しかしたことがなかったという話だ。

 相手は中学の同級生。マリコは、映画に誘ってくれた男子とデートをした。まさに初めてのデート。恥ずかしくて、マリコはただ彼の話を聞いてうなずくだけ。ほとんど口をきけなかったという。それが最初で最後で、マリコはデートというものをしていない。

 そんな女の子である。そんな子が、3年後中年の男にふられただの、妊娠しただの、中絶だの、そんなことが原因で自殺をするなんて、誰だって信じ難いだろう。




 とめどない推理は何の結論も導かないまま、山口と別れた。

「明日も四ツ谷へ行くかい」

「わからない。君は?」

「たぶん行くだろうな。やはり行ってしまうと思う」

「いつまで東京にいるの」

「あさってには帰るつもりだ」

「そう。また会えるといいね」

「ああ」

 ずっと考えていたことだが、山口はよく喋るわりに、どこかしら翳がある。

 別れ際の手の振り方、歩き方、煙草の吸い方、どれをとっても何か寂しげな感じを見る者に与える。

 それはマリコが死んで落ち込んでいるというより、おそらく根の性格がそうなのだろう。本当は暗いのに、僕の前ではわざと明るくふるまっているのかも知れない。

 例えば女の子から見たら、こんな男はどう見えるのだろうか。かなり魅力があるのではないか。

 そういえば、Nもそんな雰囲気がある。どことなくNと山口は似ているのではないか、なんてことを思ったりした。

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